つばめほうかつ

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つばめほうかつ
つばめ
ほう
王朝おうちょう つばめ
せいいみな 姞克
ちち 召公奭

つばめほうかつ(えんこうこく、なま没年ぼつねんしょう)は、つばめ初代しょだい君主くんしゅせいは姞、かつ召公奭とみられる。『史記しき』などつて文献ぶんけんえず、北京ぺきんぼうやま瑠璃るりかわ遺跡いせき出土しゅつど青銅器せいどうきかつ罍」や「かつ盉」の銘文めいぶんによって、られる。しゅうおうによりつばめふうじられ、羌・うま・𠭯・雩・馭・ほろしょぞくひき[1]官吏かんりとともにつばめ下向げこうした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ この部分ぶぶんについて、佐藤さとう[2016]P54は「羌・うま・𠭯・雩・馭・ほろしょぞくつかえさせよう」といい、岡村おかむら[2008]P186は「はた・羌・うま・𠭯・盂・馭・ほろ監視かんしせしむ」という。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

先代せんだい
召公奭
つばめ君主くんしゅ
紀元前きげんぜん11世紀せいき後半こうはん
次代じだい
つばめこうむね