燕つばめ侯ほう克かつ(えんこうこく、生なま没年ぼつねん不ふ詳しょう)は、燕つばめの初代しょだい君主くんしゅ。姓せいは姞、名なは克かつ。召公奭の子ことみられる。『史記しき』など伝つて世よ文献ぶんけんに見みえず、北京ぺきん市し房ぼう山やま区くの瑠璃るり河かわ遺跡いせき出土しゅつどの青銅器せいどうき「克かつ罍」や「克かつ盉」の銘文めいぶんによって、名なを知しられる。周しゅう王おうにより燕つばめに封ふうじられ、羌・馬うま・𠭯・雩・馭・微ほろの諸しょ族ぞくを率ひきい[1]、官吏かんりとともに燕つばめに下向げこうした。
この項目こうもくは、中国ちゅうごくの歴史れきしに関連かんれんした書かきかけの項目こうもくです。この項目こうもくを加筆かひつ・訂正ていせいなどしてくださる協力きょうりょく者しゃを求もとめています(P:中国ちゅうごく/P:歴史れきし/P:歴史れきし学がく/PJ中国ちゅうごく史し)。