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牧村まきむら住宅じゅうたく

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牧村まきむら住宅じゅうたく


外観がいかん

地図
所在地しょざいち 岐阜ぎふけん揖斐いびぐん大野おおのまち西方せいほう587-1
位置いち 北緯ほくい3528ふん43.5びょう 東経とうけい13637ふん42.1びょう / 北緯ほくい35.478750 東経とうけい136.628361 / 35.478750; 136.628361座標ざひょう: 北緯ほくい3528ふん43.5びょう 東経とうけい13637ふん42.1びょう / 北緯ほくい35.478750 東経とうけい136.628361 / 35.478750; 136.628361
類型るいけい 農家のうか
形式けいしき構造こうぞう 木造もくぞう入母屋いりもやづくりかや
のべゆか面積めんせき 36つぼ
建築けんちくねん おも:元禄げんろく14ねんごろ1701ねんころ
文化財ぶんかざい くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい:1979ねん昭和しょうわ54ねん2がつ3にち指定してい[1]
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牧村まきむら住宅じゅうたく(まきむらけじゅうたく)は岐阜ぎふけん揖斐いびぐん大野おおのまち西方せいほうにある民家みんかで、日本にっぽんこくにより重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている。じゅうすうけんかぞえる岐阜ぎふけん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた民家みんかのなかで、もっとふる年代ねんだいてられている。

概説がいせつ

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牧村まきむら安八あんぱちぐん牧村まきむら起源きげんをもつ名士めいしで、一族いちぞくには牧村まきむら利貞としさだがいる。とう住宅じゅうたく牧村まきむら10代目だいめさとし元禄げんろく14ねん(1701ねん)に3あいだづくりで建造けんぞうしたとつたわる。その19世紀せいきちゅうごろに4あいだづくりにあらためた。また屋根やね当初とうしょ茅葺かやぶであったがのちかわら葺にあらためられた。昭和しょうわ54ねん(1979ねん2がつ3にち重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされたのちどう56ねん(1981ねん)4がつからどう57ねん3がつにかけて解体かいたい修理しゅうりおこなわれて建造けんぞう当初とうしょかたち復元ふくげんされた[1]

住宅じゅうたくみなみきにてられ、桁行けたゆき東西とうざい8あいだはん(15.8m)、梁間はりま南北なんぼく4あいだ(7.6m)の平屋ひらやてである。住宅じゅうたく右側みぎがわ土間どま馬屋うまやそなえている。土間どまには煮炊にたきのためのかまどながしがもうけられている。土間どま西側にしがわ居間いまとしてもちいられている台所だいどころで、いたとなっており囲炉裏いろりそなえる。台所だいどころ西側にしがわきた半分はんぶん押入おしいれのある納戸なんどみなみ半分はんぶんゆかふつあいだのある座敷ざしきで、各々おのおのはちじょうある。住居じゅうきょはしらよこざいわせが鳥居とりいかたちている、鳥居とりいけん形式けいしきばれる構造こうぞう採用さいようされている。かつては湖北こほくから尾張おわり地方ちほうひろくみられたが、現代げんだいではほとんどみられない希少きしょうなものである[2]

2022ねん現在げんざい牧村まきむら所有しょゆうである。敷地しきちないには土蔵どぞうもんがあり、もん大野おおのまちにより文化財ぶんかざい指定していされている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 大野おおのまち大野おおのまち 下巻げかん』p.1146
  2. ^ 大野おおのまち大野おおのまち 下巻げかん』p.1147

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 大野おおのまち大野おおのまち 下巻げかん』pp.1146-1147

外部がいぶリンク

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