(Translated by https://www.hiragana.jp/)
玉造要害山城 - Wikipedia コンテンツにスキップ

玉造たまつくり要害ようがい山城やましろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
logo
logo
玉造たまつくり要害ようがい山城やましろ
島根しまねけん
玉造要害山城遠景
玉造たまつくり要害ようがい山城やましろ遠景えんけい
別名べつめい 山城やましろしろ玉造たまつくりじょう
城郭じょうかく構造こうぞう 山城やましろ
天守てんしゅ構造こうぞう なし
築城ちくじょうぬし 諏訪部すわべ扶重北朝ほくちょう
富田とみたしげるさだ[1]南朝なんちょう
築城ちくじょうねん 南北なんぼくあさ時代じだい
おも城主じょうしゅ 三刀屋みとや富田とみた
はいじょうねん 不明ふめい
遺構いこう 曲輪くるわるい石垣いしがき堀切ほりきりたてほり井戸いど虎口ここうだい[2]
指定してい文化財ぶんかざい 史跡しせきひとし指定してい[3]
埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい
包蔵ほうぞう番号ばんごう
島根しまねけん遺跡いせき番号ばんごう:玉湯たまゆ23[4]
位置いち 北緯ほくい3524ふん46.17びょう 東経とうけい13300ふん46.7びょう / 北緯ほくい35.4128250 東経とうけい133.012972 / 35.4128250; 133.012972
地図ちず
玉造 要害山城の位置(島根県内)
玉造 要害山城
玉造たまつくり
要害ようがい山城やましろ
テンプレートを表示ひょうじ

玉造たまつくり要害ようがい山城やましろ(たまつくりようがいさんじょう)は、島根しまねけん松江まつえ玉湯たまゆまちにあった日本にっぽんしろ

元弘もとひろ2ねん1332ねんごろそう留守るすしょくであった諏訪部すわべ扶重がきずいたしろを、かんおう擾乱じょうらんとき南朝なんちょうつかえて出雲いずもこく守護しゅごにんぜられた富田とみたしげるさだ増築ぞうちくした山城やましろ[1]。のちに尼子あまこ重臣じゅうしんとなった一族いちぞくった[1]

概要がいよう

[編集へんしゅう]

最高さいこうしょ本丸ほんまる中心ちゅうしんに、北西ほくせい玉作たまつくり神社じんじゃ方面ほうめん山腹さんぷく半周はんしゅうするおびくるわふくよんだんかくもうけられている。

本丸ほんまるおよ本丸ほんまるおびくるわには、尾根おねすじ方面ほうめんるいたてるいもうけられ、くわえて本丸ほんまる直下ちょっか堀切ほりきりるいともな厳重げんじゅうかまえとなっている。

ふもとかく本丸ほんまるたいかくあいだもうけられたかくには、ちがるいおよ連続れんぞくたてほりぐんもうけられており、おびかくたてるいともに、尼子あまこりゅう築城ちくじょうじゅつにはない特徴とくちょうられる。

遺構いこう

[編集へんしゅう]

山上さんじょう遺構いこう保存ほぞん状態じょうたいく、空堀からぼりおよるい往時おうじ姿すがためている。また、本丸ほんまる尾根おね鞍部あんぶ井戸いどあとのこる。

沿革えんかく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]