田中たなか澄子すみこ

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たなか すみこ
田中たなか 澄子すみこ
本名ほんみょう 野口のぐち 澄子すみこ
生年月日せいねんがっぴ (1964-06-07) 1964ねん6月7にち(59さい
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん愛知あいちけん名古屋なごや
身長しんちょう 165 cm[1]
職業しょくぎょう 女優じょゆう
ジャンル 映画えいがテレビドラマ舞台ぶたい
活動かつどう期間きかん 1983ねん - 1987ねん
配偶はいぐうしゃ 野口のぐち和也かずや
おも作品さくひん
テレビドラマ
ちょう電子でんしバイオマン
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田中たなか 澄子すみこ(たなか すみこ、1964ねん6月7にち[1] - )は、日本にっぽんもと女優じょゆう本名ほんみょう野口のぐち 澄子すみこ旧姓きゅうせい本名ほんみょう芸名げいめいおな[1])。

愛知あいちけん[1]名古屋なごや出身しゅっしん[2]。ジャパンアクションクラブ(げんジャパンアクションエンタープライズ)に所属しょぞくしていた[1]既婚きこん

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

高校こうこう1年生ねんせいとき映画えいが忍者にんじゃ武芸ぶげいじょう ひゃく三太夫さんだゆう』を真田さなだ広之ひろゆきのファンになり、自分じぶんもアクションの演技えんぎがしたいというおもいがつよくなって[2]名古屋なごやから上京じょうきょう[3]、1981ねん3がつジャパンアクションクラブのオーディションを合格ごうかく渡洋とよう矢島やじま由紀ゆき森永もりなが奈緒美なおみらとおなじ12期生きせいとして入会にゅうかいするが、当時とうじ田中たなか高校生こうこうせいだったため、社長しゃちょう千葉ちば真一しんいちから「ちゃんと学校がっこう卒業そつぎょうしてから上京じょうきょうしてきなさい」とわれ、それまではなつふゆおこなわれていた合宿がっしゅく参加さんかするのみであった[4]

女優じょゆうになることに両親りょうしん反対はんたいしたが、学業がくぎょう両立りょうりつさせることを条件じょうけんに1983ねん栄養士えいようし資格しかく取得しゅとくするためさい上京じょうきょう[4]東京文化短期大学とうきょうぶんかたんきだいがく家政学部かせいがくぶ入学にゅうがく[2]短大たんだい入学にゅうがくしてからは、1〜2後輩こうはい一緒いっしょ練習れんしゅうをすることがおおく、キャリアも実力じつりょく同期生どうきせいとかなりのがついてしまっていたという[4]

宇宙うちゅう刑事けいじシャリバン』にゲスト出演しゅつえん降板こうばんした矢島やじま由紀ゆき後任こうにんとして1984ねんの『ちょう電子でんしバイオマン』に、2代目だいめイエローフォー・矢吹やぶきジュンやく出演しゅつえん[4]講談社こうだんしゃちょう世紀せいきぜん戦隊せんたいだい全集ぜんしゅう』での太田おおた直人なおとのインタビューでは、かれがオーディションで相手あいてやくつとめており、3にん候補こうほがいたなか田中たなかがとても礼儀れいぎただしく、一番いちばん印象いんしょうかったとこたえている[5][注釈ちゅうしゃく 1]

短大たんだいを1年間ねんかん休学きゅうがく最後さいごまでえんじきったが、演技えんぎ・アクション・スタントすべてにおいて経験けいけん状態じょうたい撮影さつえいおこなわれ、アクションやアーチェリーのシーンではNGを連発れんぱつ[6]。また阪本さかもと矢島やじまちが自動じどうりん免許めんきょ取得しゅとくしていなかったため、バイクの運転うんてんシーンはすべて牽引けんいんだったという[6]途中とちゅうから服装ふくそう髪型かみがたわった理由りゆうは「スカートでアクションをやったり、バイクにるのがいやだったから」とのこと[7][8]

そのふじ竜也たつや主催しゅさいのスタントチームにはいり、ドラマ『ゆるせない結婚けっこん』では女優じょゆうえスタント[9]およびふじえんじる主人公しゅじんこうのスタントマンのチームのメンバーやく[2]や、テレビドラマに端役はやく出演しゅつえんしていたが、1987ねん超人ちょうじんメタルダー』のゲスト出演しゅつえん最後さいご芸能げいのうかい引退いんたい[10]

趣味しゅみは、料理りょうり硬式こうしきテニス。特技とくぎは、クラシックバレエ[1]おっともとJACブラザーズの野口のぐち和也かずやで、いちあり[10]。また、スーパー戦隊せんたいシリーズOGである『ちょう電子でんしバイオマン』桂木かつらぎひかる/ピンクファイブやく牧野まきの美千子みちこ、『電撃でんげき戦隊せんたいチェンジマンつばさ麻衣まい/チェンジフェニックスやく大石おおいし麻衣まい、『ひかり戦隊せんたいマスクマン』ハルカ/イエローマスクやく永田ながた由紀ゆきとも特撮とくさつじゅくおんなとして活動かつどうしている[11]

出演しゅつえん[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

舞台ぶたい[編集へんしゅう]

  • スタントマン あい物語ものがたり(1986ねんJAC
  • アドベンチャー 青春せいしゅん出発しゅっぱつ(1986ねん、JAC)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ ケイブンシャ『ちょう電子でんしバイオマンだい百科ひゃっか』では、太田おおた田中たなかのサインを考案こうあんしたという[ようページ番号ばんごう]
  2. ^ 田中たなかはこの映画えいが撮影さつえいちゅう、アクション衝撃しょうげき脳震盪のうしんとうこし、一時いちじてき記憶きおく喪失そうしつになった。しかし大事だいじにはいたらず、撮影さつえい無事ぶじ終了しゅうりょうした[7][12]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f 日本にっぽんタレント名鑑めいかん'88』VIPタイムズしゃ、1988ねん、388ぺーじ 
  2. ^ a b c d 週刊しゅうかんTVガイド 1985ねん1がつ18にちごう p.140「出番でばんです」コーナー
  3. ^ こころほっこり 2代目だいめイエローフォー「田中たなかさい”. 読売新聞よみうりしんぶん. 2018ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d 東映とうえいスーパー戦隊せんたい大全たいぜん<2> 2004, p. 244, 田中たなか澄子すみこ スペシャルインタビュー
  5. ^ ちょう世紀せいきぜん戦隊せんたいだい全集ぜんしゅう 1993, p. 187, 「戦隊せんたいシリーズ キャストインタビュー 太田おおた貴彦たかひこ」.
  6. ^ a b 東映とうえいスーパー戦隊せんたい大全たいぜん<2> 2004, p. 245, 田中たなか澄子すみこ スペシャルインタビュー
  7. ^ a b 東映とうえいスーパー戦隊せんたい大全たいぜん<2> 2004, p. 246, 田中たなか澄子すみこ スペシャルインタビュー
  8. ^ DVD「ちょう電子でんしバイオマンVol.4」ブックレットでのインタビューより。
  9. ^ JACファンクラブ会報かいほうでのインタビューより。
  10. ^ a b 東映とうえいスーパー戦隊せんたい大全たいぜん<2> 2004, p. 247, 田中たなか澄子すみこ スペシャルインタビュー
  11. ^ つよく、かつはなやかに、特撮とくさつじゅくおんなだい集合しゅうごう”. 読売新聞よみうりしんぶん. 2018ねん7がつ16にち閲覧えつらん
  12. ^ 東映とうえいスーパー戦隊せんたい大全たいぜん<2> 2004, p. 170, 志村しむらしのぶ スペシャルインタビュー.

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • テレビマガジン特別とくべつ編集へんしゅう 戦隊せんたいシリーズ20周年しゅうねん記念きねん ちょう世紀せいきぜん戦隊せんたいだい全集ぜんしゅう講談社こうだんしゃ、1993ねん11月14にちISBN 4-06-178416-1 
  • 安藤あんどう幹夫みきおへんへん『ゴーグルV・ダイナマン・バイオマン大全たいぜん東映とうえいスーパー戦隊せんたい大全たいぜん<2>』双葉社ふたばしゃ、2004ねんISBN 978-4575296884