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田代たしろじんもと

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田代たしろ じんもと(たしろ つらもと、のべたから6ねん1678ねん) - のべとおる5ねん4がつ5にち1748ねん5月2にち[1])は、江戸えど時代じだい武士ぶし佐賀さがはん通称つうしょうまた左衛門さえもん。『葉隠はがくれ』の筆記ひっきしゃ口述こうじゅつしゃ山本やまもとつねあさ、そのであったじんしか和尚おしょう石田いしだいちかなえひとしともに「葉隠はがくれよんあきら」の一人ひとりかぞえられている。

略歴りゃくれき

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のべたから6ねん1678ねん)、田代たしろ小左衛門こざえもんそうきよしとしてまれた。元禄げんろく9ねん1696ねん)19さいときより鍋島なべしまはん3だい藩主はんしゅ鍋島なべしまつなしげる、4だいよししげるのもとで祐筆ゆうひつやくとしてつかえたが、宝永ほうえい6ねん(1709ねん)にやく御免ごめんとなった。

宝永ほうえい7ねん1710ねん)、山本やまもとつねあさあんおとずれ、おなじく失意しついなかにあったつねあさかたらいうちつねあさ言葉ことば口述こうじゅつ筆記ひっきはじめ、7ねんとおる元年がんねん1716ねん)に『葉隠はがくれ』として完成かんせいさせた。

5だい藩主はんしゅそうしげる時代じだいとおる16ねん1731ねん)54さいふたた祐筆ゆうひつやくとなる。 のべとおる5ねん1748ねん)71さいぼっし、佐賀さが田代たしろみずりゅうあんほうむられた。

墓所はかしょ

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みずりゅうあんほうむられたさい墓碑ぼひには「まつめいのきよいはか」ときざまれていたが、墓所はかしょ存在そんざいわすられた。(その法名ほうみょうから浪花節なにわぶしかたりのはかかんがえられていた。)

昭和しょうわ13ねん(1938ねん)にさい発見はっけんされ、昭和しょうわ19ねん(1944ねん)に有志ゆうしによりみずりゅうあん顕彰けんしょう建立こんりゅうされた。その碑文ひぶんには「田代たしろちんはじめ先生せんせい葉隠はがくれ纂述記念きねんいしぶみ」ときざまれている。「じん」は「ひね」の俗字ぞくじ戦乱せんらんさいなどに使つかわれるものであるため、田代たしろじんもとへのおもいを本来ほんらい使用しようした。

戦略せんりゃくがた忍者にんじゃカードバトルアプリ「突破とっぱXinobi Championship」に、葉隠はがくれ忍者にんじゃ頭目とうもくとして田代たしろじんもとをモデルとした忍者にんじゃ登場とうじょうしている。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 佐賀さがけん郷土きょうど教育きょういく資料集しりょうしゅう』1935ねん、543ぺーじ

外部がいぶリンク

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