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田形皇女(たかたのひめみこ)は、天武天皇の皇女、母は夫人(おほとじ)大蕤娘(蘇我赤兄女)。同母兄姉に穂積皇子と紀皇女がいる。伊勢斎宮。
慶雲3年(706年)8月29日、当の斎宮泉皇女に替わる次の斎宮に卜定された。伊勢への群行や退下の時期は明らかではないが、平城京に帰ったのは慶雲4年(707年)6月15日の文武天皇の崩御後とみられる。その後正四位上六人部王(身人部王)と結婚して笠縫女王を産んだ。神亀元年(724年)2月6日に二品に叙せられる。同5年(728年)3月5日に薨じた。
田形皇女自身の歌は伝わらないが、夫(巻一 68)と娘(巻八 1611)の歌がそれぞれ1首『万葉集』に採録されている。
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大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。 |
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