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田形たがた皇女おうじょ

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田形たがた皇女おうじょ
時代じだい 飛鳥あすか時代ときよ-奈良なら時代じだい
生誕せいたん しょう
死没しぼつ かみひさし5ねん3月5にち728ねん4がつ18にち
別名べつめい 田形たがた内親王ないしんのう
位階いかい ひん
父母ちちはは ちち天武天皇てんむてんのうはは夫人ふじんだい蕤娘蘇我赤兄そがのあかえおんな
兄弟きょうだい 穂積ほづみ皇子おうじきの皇女おうじょ田形たがた皇女おうじょ
おっと ろくにんおうじんおう
笠縫かさぬい女王じょおう
斎宮いつき けいくも3ねん8がつ29にち706ねん10がつ10日とおか)- けいくも4ねん707ねん)?
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田形たがた皇女おうじょ(たかたのひめみこ)は、天武天皇てんむてんのう皇女おうじょはは夫人ふじん(おほとじ)だい蕤娘蘇我赤兄そがのあかえおんな)。同母どうぼけいあね穂積ほづみ皇子おうじきの皇女おうじょがいる。伊勢いせ斎宮いつきのみや

けいくも3ねん(706ねん)8がつ29にちとう斎宮いつきのみやいずみ皇女おうじょわるつぎ斎宮いつきのみやぼくじょうされた。伊勢いせへのぐんぎょう退すさした時期じきあきらかではないが、平城京へいじょうきょうかえったのはけいくも4ねん(707ねん)6がつ15にち文武ぶんぶ天皇てんのう崩御ほうぎょとみられる。そのせいよんじょうろくにんおうじんおう結婚けっこんして笠縫かさぬい女王じょおうんだ。かみひさし元年がんねん(724ねん)2がつ6にちひんじょせられる。どう5ねん(728ねん)3がつ5にちに薨じた。

田形たがた皇女おうじょ自身じしんうたつたわらないが、おっとまきいち 68)とむすめまきはち 1611)のうたがそれぞれ1しゅ万葉集まんようしゅう』に採録さいろくされている。