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だいひゃく銀行ぎんこう

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1930年代ねんだい川崎かわさきだいひゃく銀行ぎんこう広告こうこく

だいひゃく銀行ぎんこう(だいひゃくぎんこう)はかつて存在そんざいした都市とし銀行ぎんこう(東京とうきょう)川崎かわさき財閥ざいばつ中核ちゅうかく銀行ぎんこうだったが、1943ねん三菱銀行みつびしぎんこう吸収きゅうしゅう合併がっぺいされた。本店ほんてん東京とうきょう中央ちゅうおう日本橋にほんばしいち丁目ちょうめ7-9(現在げんざいダヴィンチ日本橋にほんばし179ビル所在地しょざいち)にあった。くだりあきらは「ひゃく」の円形えんけい図案ずあんしたもの使用しよう

沿革えんかく

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池田いけだ謙三けんぞう大正たいしょう元年がんねんよりだいひゃく銀行ぎんこう頭取とうどり日本にっぽん経済けいざい団体だんたい連合れんごうかい前身ぜんしん日本にっぽん経済けいざい聯盟れんめいかい結成けっせいにもかかわる
だいひゃく銀行ぎんこう合併がっぺいした三菱銀行みつびしぎんこうは、平成へいせい8ねん横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう東京銀行とうきょうぎんこう合併がっぺい東京三菱銀行とうきょうみつびしぎんこう)。東京とうきょう三菱銀行みつびしぎんこうは、三和銀行さんわぎんこう東海銀行とうかいぎんこう合併がっぺいしたUFJ銀行ぎんこう合併がっぺいし、現在げんざい三菱みつびしUFJ銀行ぎんこうになっている。
  • 1878ねん明治めいじ11ねん9月4にち - 鳥取とっとりはん池田いけだ侯爵こうしゃく中心ちゅうしんとしてはら六郎ろくろう川崎かわさき金三郎きんざぶろう東京とうきょう川崎かわさき財閥ざいばつ代目だいめ。のち川崎かわさき八右衛門はちえもん襲名しゅうめい)、安田やすだ善次郎ぜんじろうらを発起人ほっきにん国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれいもとづくだいひゃく国立こくりつ銀行ぎんこう東京とうきょう日本橋にほんばしまんまち開業かいぎょうはら六郎ろくろう頭取とうどり就任しゅうにんのち高田たかだ小次郎こじろう頭取とうどりとなる。
  • 1893ねん明治めいじ26ねん) - 外国がいこく為替かわせ取扱とりあつかい開始かいし
  • 1898ねん明治めいじ31ねん8がつ15にち - 国立こくりつ銀行ぎんこうとしての営業えいぎょう期間きかん満了まんりょうともない、普通ふつう銀行ぎんこう株式会社かぶしきがいしゃだいひゃく銀行ぎんこう改組かいそ
  • 1899ねん明治めいじ32ねん為替かわせ信用しんようじょう発行はっこう
  • 1900ねん明治めいじ33ねん保護ほご金庫きんこかし金庫きんこ)の取扱とりあつかい開始かいし
  • 1908ねん明治めいじ41ねん担保たんぽづけ社債しゃさい信託しんたくぎょう進出しんしゅつ
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん9月15にち - 川崎かわさき銀行ぎんこう(1880ねん開業かいぎょう)に合併がっぺい川崎かわさきだいひゃく銀行ぎんこうとなり、本店ほんてんきゅうだいひゃく銀行ぎんこう本店ほんてんく。
    川崎かわさき銀行ぎんこう沿革えんかく川崎かわさき財閥ざいばつこう参照さんしょうこと。)
  • 1927ねん昭和しょうわ2ねん12月10にち - こうじまち銀行ぎんこう東京とうきょう麹町こうじまち。1889ねん開業かいぎょう)を合併がっぺい
  • 1928ねん昭和しょうわ3ねん4がつ21にち - 加島かしま銀行ぎんこうの7店舗てんぽ買収ばいしゅう
  • 1929ねん昭和しょうわ4ねん2がつ1にち - 所沢ところざわ銀行ぎんこう埼玉さいたまけん入間いるまぐん所沢ところざわまち。1903ねん開業かいぎょう)を合併がっぺい
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん9月14にち - 川崎かわさき貯蓄ちょちく銀行ぎんこう東京とうきょう貯蔵ちょぞう銀行ぎんこうの2貯蓄ちょちく銀行ぎんこう合併がっぺい。15支店してん継承けいしょう
    当時とうじ川崎かわさきだいひゃく銀行ぎんこう経営けいえいじょうきょう停滞ていたいしており、同行どうこうはこの事態じたい打開だかいするためにはさらなる零細れいさい預金よきん吸収きゅうしゅうし、これを中小ちゅうしょう企業きぎょう金融きんゆうける必要ひつようがあった。
    また当時とうじ政府せいふてい金利きんり政策せいさくしてきたため、川崎かわさき財閥ざいばつでは専業せんぎょう貯蓄ちょちく銀行ぎんこう先行さきゆきはくらいと判断はんだん経営けいえい環境かんきょう転換てんかんはかこととなったのも合併がっぺい要因よういんひとつである。
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん11月11にち - だいひゃく銀行ぎんこう改称かいしょう
  • 1939ねん昭和しょうわ14ねん2がつ27にち - 羽田はた銀行ぎんこう東京とうきょう蒲田かまた。1900ねん開業かいぎょう)を合併がっぺい
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねん4がつ1にち - 三菱銀行みつびしぎんこう吸収きゅうしゅう合併がっぺい
    店舗てんぽすうはるかにおおだいひゃく銀行ぎんこう[注釈ちゅうしゃく 1]三菱銀行みつびしぎんこう吸収きゅうしゅうしたこの合併がっぺい当時とうじありぞうんだ」とわれた。なお、この合併がっぺいにより金融きんゆう財閥ざいばつであった川崎かわさき財閥ざいばつはその根幹こんかん消滅しょうめつした。

合併がっぺい処理しょり

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合併がっぺい比率ひりつだいひゃく銀行ぎんこう10かぶたい三菱銀行みつびしぎんこう10かぶ対等たいとうではあったが、べつ三菱銀行みつびしぎんこうからだいひゃく銀行ぎんこう株主かぶぬしたいして交付こうふきん額面がくめん100えんいちかぶにつき10えん、50えん、25えん額面がくめんたいしても同等どうとう比率ひりつ)が支払しはらわれた。三菱銀行みつびしぎんこう会長かいちょうせいっていたが合併がっぺい頭取とうどりせいあらため、頭取とうどりにはぜん三菱銀行みつびしぎんこう会長かいちょう加藤かとう武男たけおふく頭取とうどりにはぜんだいひゃく銀行ぎんこう頭取とうどり関根せきねよしさく就任しゅうにんした[1]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1942ねん下期しもき三菱みつびし店舗てんぽすうが66なのにたいだいひゃく店舗てんぽすうは112であった(いずれも出張所しゅっちょうしょとうふくむ)。

出典しゅってん

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  1. ^ だいひゃく銀行ぎんこう吸収きゅうしゅう合併がっぺい昭和しょうわ18ねん2がつ8にち 朝日新聞あさひしんぶん昭和しょうわニュース辞典じてんだい8かん 昭和しょうわ17ねん/昭和しょうわ20ねん』p737毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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