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国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい

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国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい
日本国政府国章(準)
日本にっぽん法令ほうれい
法令ほうれい番号ばんごう 明治めいじ5ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい349ごう
種類しゅるい 金融きんゆうほう
効力こうりょく 失効しっこう
公布こうふ 1872ねん12月15にち
条文じょうぶんリンク 法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじ5ねん
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国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい
日本国政府国章(準)
日本にっぽん法令ほうれい
法令ほうれい番号ばんごう 明治めいじ9ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい106ごう
種類しゅるい 金融きんゆうほう
効力こうりょく 廃止はいし
公布こうふ 1876ねん8がつ1にち
条文じょうぶんリンク 法令ほうれい全書ぜんしょ明治めいじ9ねん
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国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい(こくりつぎんこうじょうれい、明治めいじ5ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい349ごう明治めいじ9ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい106ごう)は、国立こくりつ銀行ぎんこうについてさだめた太政官だじょうかん布告ふこく最初さいしょは、明治めいじ5ねん11月15にち(ユリウスれき1872ねん12月3にち)に明治めいじ5ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい349ごうとして制定せいていされ、明治めいじ8ねん8がつ1にち(ユリウスれき1876ねん7がつ20日はつか)に全部ぜんぶ改正かいせいされた。[1]

条例じょうれい制定せいてい

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1870ねんに、当時とうじ大蔵おおくらしょう輔(おおくらしょうゆう。次官じかん)であった伊藤いとう博文ひろぶみアメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく首都しゅとワシントン銀行ぎんこう制度せいど視察しさつし、その成果せいか反映はんえいした。戊辰戦争ぼしんせんそうとう発行はっこうされた政府せいふ紙幣しへい日本にっぽん国債こくさい交換こうかんさせ、民間みんかん銀行ぎんこうにその国債こくさい担保たんぽとして兌換だかんけん発行はっこうさせた。それまでの兌換だかん制度せいどめて、国立こくりつ銀行ぎんこう発行はっこうする銀行ぎんこうけん兌換だかん紙幣しへいとしての国立こくりつ銀行ぎんこう紙幣しへい)には金貨きんかなどの兌換だかん硬貨こうかとの交換こうかん義務付ぎむづけた。

それまで日本にっぽん兌換だかん貨幣かへいきむとの交換こうかん保証ほしょうされた通貨つうか)を使用しようしていたが、まだ経済けいざい基盤きばんよわかった日本にっぽんからは金貨きんか海外かいがい流出りゅうしゅつなどでかね準備じゅんび不足ふそく深刻しんこくしており、兌換だかん制度せいどめる必要ひつようがあった。1871ねん明治めいじ4ねん)にしん貨条れい制定せいていされ、「えん」を貨幣かへいとする最初さいしょ近代きんだい貨幣かへい制度せいど導入どうにゅうされた。しかし同時どうじ採用さいようされた金本位きんほんいせいかね準備じゅんび不足ふそくのために実際じっさいには銀貨ぎんかおも使つかわれ、1876ねん明治めいじ9ねん)に事実じじつじょう1878ねん明治めいじ11ねん)に正式せいしきに、金銀きんぎん複本位ふくほんいせい確立かくりつし、1885ねん明治めいじ18ねん)に銀本位ぎんほんいせい移行いこうし、にちしん戦争せんそう1897ねん明治めいじ30ねん)にようやく金本位きんほんいせい復帰ふっきした。

その、イギリスがた中央ちゅうおう銀行ぎんこう制度せいど当時とうじ大蔵おおくらしょう吉田よしだ清成きよなりと、アメリカがた分権ぶんけん方式ほうしき銀行ぎんこう制度せいど伊藤いとう博文ひろぶみ論争ろんそうした。結局けっきょく、アメリカにおいて1864ねん財務ざいむ長官ちょうかんサーモン・チェイス (Salmon Chase) によって制定せいていされた国法こくほう銀行ぎんこうほう参考さんこうに、1872ねん明治めいじ5ねん国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい制定せいていされた。当時とうじ世界せかい銀行ぎんこう制度せいど潮流ちょうりゅうとして、イングランド銀行いんぐらんどぎんこう代表だいひょうとする中央ちゅうおう銀行ぎんこう制度せいどと、アメリカの国法こくほう銀行ぎんこう代表だいひょうとするはん中央ちゅうおう銀行ぎんこう制度せいどとしての分権ぶんけん方式ほうしき銀行ぎんこう制度せいどがあった。

国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれいにより、渋沢しぶさわ栄一えいいち1873ねん明治めいじ6ねん)に日本にっぽんはつ国立こくりつ銀行ぎんこうであるだいいち国立こくりつ銀行ぎんこうげん:みずほ銀行ぎんこう)を設立せつりつ。そのもこの条例じょうれいもと民間みんかんによって数多かずおおく(制限せいげんかった1879ねん時点じてんぜん153ぎょう)の国立こくりつ銀行ぎんこう設立せつりつされた。

明治めいじ9ねん全部ぜんぶ改正かいせい

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大隈おおくま重信しげのぶ1873ねん明治めいじ6ねん)に大蔵おおくらきょう就任しゅうにん以来いらい積極せっきょく財政ざいせいにより「大隈おおくま財政ざいせい」なる殖産しょくさん興業こうぎょう政策せいさく推進すいしんおこなった。そして1876ねん明治めいじ9ねん)に、明治めいじ9ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい106ごうにより、国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい全部ぜんぶ改正かいせいされた。これによりおおくの国立こくりつ銀行ぎんこう設立せつりつ推進すいしんされるようになり、全国ぜんこくに153の国立こくりつ銀行ぎんこう設置せっちする。改正かいせいまえ内容ないようには兌換だかん硬貨こうか銀行ぎんこうけんとの交換こうかんため紙幣しへい見合みあうだけの兌換だかん硬貨こうか用意よういする必要ひつようがあった。改正かいせい銀行ぎんこう紙幣しへい発行はっこう容易よういになり、インフレーション原因げんいんひとつとなった。また、きむろく公債こうさい原資げんしとする国立こくりつ銀行ぎんこう次々つぎつぎ設立せつりつされた。改正かいせい要点ようてん以下いかのとおり。

  • 不換紙幣ふかんしへいとしての国立こくりつ銀行ぎんこう紙幣しへい発行はっこうみとめる。
  • いままでの兌換だかん硬貨こうかとの交換こうかん義務ぎむ廃止はいし
  • 華族かぞく士族しぞく交付こうふされたきむろく公債こうさい銀行ぎんこう資本しほんにすることみとめる。

明治めいじ10ねん

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12月12にち国立こくりつ銀行ぎんこう乱立らんりつ防止ぼうしのために国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい補正ほせい追加ついか太政官だじょうかん布達ふたつ。(11月29にちまでに全国ぜんこく国立こくりつ銀行ぎんこう許可きょかすうは33ぎょう許可きょかすうは34ぎょう

明治めいじ11ねん

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3月2にち国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれいだい18じょう改正かいせいした。太政官だじょうかん布達ふたつ発行はっこう紙幣しへい総額そうがく制限せいげんし、貯蓄ちょちく預金よきん制度せいど制定せいていした。

明治めいじ13ねん

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2がつ26にち大蔵省おおくらしょうは、国立こくりつ銀行ぎんこう貸付かしつけ金額きんがくを1くちにつき資本しほん金額きんがくの10ぶんの1に制限せいげんするむね国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれいだい56じょう)をさいたっした。(大蔵省おおくらしょうたち

明治めいじ16ねん改正かいせい

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1882ねん明治めいじ15ねん)6がつ日本銀行にっぽんぎんこう条例じょうれい導入どうにゅうされる。そして同年どうねん10がつ日本銀行にっぽんぎんこう開業かいぎょうした。1883ねん明治めいじ16ねん)5がつ5にち国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれい改正かいせいした。要点ようてん箇条書かじょうがきのとおりである。

  • 免許めんきょをうけたのち20年間ねんかん営業えいぎょう期間きかんない発行はっこうした紙幣しへい全額ぜんがく償還しょうかんする。
  • 営業えいぎょう期間きかん終了しゅうりょうしたのち紙幣しへい発行はっこうみとめない。
  • 発券はっけん残高ざんだかの1/4を償却しょうきゃく準備じゅんびきんとして、さらに毎年まいとし発券はっけん残高ざんだかの2.5%相当そうとう紙幣しへい償却しょうきゃく原資げんしとして日銀にちぎんあづける[2]

1884ねん明治めいじ17ねん)5がつ銀本位ぎんほんいせい兌換だかん銀行ぎんこうけん条例じょうれい導入どうにゅう。これにより日本にっぽん銀行ぎんこう唯一ゆいいつ発券はっけん銀行ぎんこうとして、銀行ぎんこう紙幣しへい回収かいしゅうした。って1885ねん明治めいじ18ねん)5がつ日本銀行にっぽんぎんこう兌換だかんぎんけん(この紙幣しへい同額どうがく銀貨ぎんか交換こうかんすることの保証ほしょうけん)を発行はっこうして、えた銀貨ぎんか回収かいしゅうした。1897ねん明治めいじ30ねん)に貨幣かへいほう制定せいていし、金本位きんほんいせい確立かくりつさせた。1899ねん明治めいじ32ねん)に日本銀行にっぽんぎんこう兌換だかんけん発行はっこうして、金貨きんか回収かいしゅうした。これにともない政府せいふ紙幣しへい国立こくりつ銀行ぎんこうけん発行はっこう停止ていしがいいわたされ、国立こくりつ銀行ぎんこう現在げんざい銀行ぎんこうへとなっていった。1931ねん昭和しょうわ6ねん)12月に金貨きんか兌換だかん停止ていしとなった。そして1942ねん昭和しょうわ17ねん)には日本銀行にっぽんぎんこうほう旧法きゅうほう公布こうふされ、日本銀行にっぽんぎんこう条例じょうれい兌換だかん銀行ぎんこうけん条例じょうれい廃止はいしされた。国立こくりつ銀行ぎんこう条例じょうれいは、大蔵省おおくらしょう関係かんけい法令ほうれい整理せいりかんする法律ほうりつ昭和しょうわ29ねん5がつ22にち法律ほうりつだい121ごう)により廃止はいしされた。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 日本銀行にっぽんぎんこう [1]
  2. ^ 日銀にちぎん預託よたくされた国債こくさいは1885ねんまつに1246まんえんたっし、これを運用うんようした利益りえきで1884ねん2がつから160まんえん国立こくりつ銀行ぎんこうけん償却しょうきゃくされた。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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