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太政官だじょうかんさつ

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太政官だじょうかんさつかねいちりょうさつ慶応けいおう4ねん発行はっこう

太政官だじょうかんさつ(だじょうかんさつ)は、明治めいじ政府せいふによって慶応けいおう4ねん5がつ1868ねん)から明治めいじ2ねん5がつ1869ねん)まで発行はっこうされた政府せいふ紙幣しへい不換紙幣ふかんしへい)。金札きんさつともばれた。日本にっぽんはつ全国ぜんこく通用つうよう紙幣しへい[1]である。通貨つうか単位たんい江戸えど時代じだいつづいてりょうぶんしゅのままであった。1879ねん明治めいじ12ねん)11がつまでにしん紙幣しへい公債こうさい証券しょうけん交換こうかん回収かいしゅうされるまで流通りゅうつうした。

概要がいよう

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明治めいじ政府せいふ戊辰戦争ぼしんせんそう多額たがく費用ひようようし、殖産しょくさん興業こうぎょう資金しきん不足ふそくしたので、参与さんよけん会計かいけい事務じむかけ三岡みつおか八郎はちろう(のちの由利ゆり公正きみまさ)の建議けんぎによって慶応けいおう4ねん5がつ15にち1868ねん7がつ4にち)の布告ふこくにより、「通用つうよう期限きげんは13年間ねんかん」との期限きげんめて太政官だじょうかんさつ発行はっこうした。総額そうがく4,897まん3,973りょう1ふん3しゅ製造せいぞうされたが、実際じっさい発行はっこうされたのは4,800まんりょうであり、97まん3,973りょう1ふん3しゅ発行はっこうさせずに焼却しょうきゃくした。

当初とうしょ国民こくみん紙幣しへい不慣ふなれであったこと、また政府せいふ信用しんよう強固きょうこではかったため流通りゅうつう困難こんなんをきわめ、太政官だじょうかんさつ100りょうもっ金貨きんか40りょう交換こうかんするほどであった。このため政府せいふは、太政官だじょうかんさつ額面がくめん以下いか正貨せいか交換こうかんすることを禁止きんししたり、租税そぜいおよびしょ上納じょうのう太政官だじょうかんさつ使つかうようにめいじたり、しょはん石高こくだか貸付かしつけめいじるなどの方法ほうほうこうじた。これらの政策せいさく二分にぶんきん贋物にせものおおかったことなどから、信用しんよう増加ぞうかしたために流通りゅうつうするようになったが、今度こんど太政官だじょうかんさつ偽札にせさつ流通りゅうつうはじめ、真贋しんがん区別くべつむずかしくなったため、流通りゅうつうふたたとどこおるようになった。

政府せいふ明治めいじ2ねん5がつ28にち布告ふこくで、太政官だじょうかんさつ発行はっこうを3,250まんりょう限定げんていし、さらに通用つうよう期限きげんを5年間ねんかん短縮たんしゅくし、もし期限きげんにいたって交換こうかん未済みさいのものがあるときはこれにたいし1ねんで6%の利子りし交付こうふすることを約束やくそくした。

政府せいふ1871ねん明治めいじ4ねん)、しん貨条れい制定せいていした。通貨つうか単位たんいを「りょう」から「えんえん)」にえて本位ほんい貨幣かへい金貨きんかとし、金本位きんほんい制度せいど採用さいようすることにした。そのさいきゅう1りょうしん1えんとすることさだめている。

太政官だじょうかんさつ1872ねん明治めいじ5ねん)4がつ発行はっこうされたしん紙幣しへい明治めいじ通宝つうほう交換こうかんするかたち回収かいしゅうされていった[2]政府せいふは1872ねん明治めいじ5ねん)8がつ1873ねん明治めいじ6ねん)3がつ・7がつ布告ふこくにより、金札きんさつ交換こうかん公債こうさい證券しょうけん記名きめい證書しょうしょ、1,000えん、500えん、100えん、50えんの4しゅ利札りさつ證書しょうしょ、500えん、100えん、50えんの3しゅ)にえて太政官だじょうかんさつ回収かいしゅうする方針ほうしんをとったが、これによって公債こうさい証券しょうけんえられたのはごくわずかであった。

種類しゅるい

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太政官だじょうかんさつ額面がくめん金額きんがくつぎとおりである。

額面がくめん 金額きんがく
10りょうさつ 2,033まん2,890りょう
5りょうさつ 596まん9,685りょう
1りょうさつ 1,548まん5,798りょう
1ふんさつ 516まん1,296りょう1ふん
1しゅさつ 105まん330りょう3ふん

江戸えど時代じだいからの旧来きゅうらい藩札はんさつ中国ちゅうごく清朝せいちょう発行はっこうされていた紙幣しへいならって表面ひょうめん双竜そうりゅう裏面りめん鳳凰ほうおう図柄ずがらもちいられ、菊花きっか紋章もんしょうきりもんきり唐草からくさ模様もよう瑞雲ずいうんなどがあしらわれている[3]

こうぞ原料げんりょうとした厚手あつで用紙ようし銅版どうはん印刷いんさつ印刷いんさつおこなわれていたが、これは一部いちぶ藩札はんさつ踏襲とうしゅうしたものであった。この紙幣しへい用紙ようし表面ひょうめんには凹凸おうとつがあるため微細びさい模様もよう精緻せいち印刷いんさつ困難こんなんであった。くわえて銅版どうはん印刷いんさつ原版げんばん印刷いんさつにより摩耗まもうするため交換こうかん必要ひつようになるが、当時とうじ日本にっぽん印刷いんさつ技術ぎじゅつでははんめん正確せいかく複製ふくせい不可能ふかのうであった。そのため印刷いんさつにかなりのばらつきがしょうじ、厳密げんみつ真贋しんがん判定はんてい支障ししょうをきたす状況じょうきょうであった。これらの要因よういん一因いちいんとなって偽造ぎぞう誘発ゆうはつ偽札にせさつ横行おうこうすることとなった[3]

流通りゅうつうじょうきょう

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明治めいじ10ねんまつにいたるまでの流通りゅうつうだかつぎとおりである(単位たんい えん)。

とし 金額きんがくえん
明治めいじ元年がんねん12がつ 24,037,389
明治めいじ2ねん12月 48,000,000
明治めいじ3ねん12月 48,000,000
明治めいじ4ねん12月 48,000,000
明治めいじ5ねん12月 43,251,058
明治めいじ6ねん12月 36,863,722
明治めいじ7ねん12月 26,573,507
明治めいじ8ねん12月 5,147,916
明治めいじ9ねん12月 3,095,921
明治めいじ10ねん12月 3,070,145

回収かいしゅう交換こうかんじょうきょう

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太政官だじょうかんさつ回収かいしゅう交換こうかん状況じょうきょうつぎとおりである(単位たんい えん)。

  • 発行はっこう総額そうがく 48,000,000
  • 回収かいしゅう交換こうかん
    • しん紙幣しへい交換こうかんだか 45,661,595
    • 金札きんさつ引換ひきかえ公債こうさい證書しょうしょ交換こうかんだか 2,052,745
    • 没収ぼっしゅうおよび散逸さんいつ 285,659
    • 合計ごうけい 48,000,000

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 大蔵省おおくらしょうへん『貨政こうよう』、東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ明治めいじ財政ざいせいつな
  • 植村うえむらたかし紙幣しへい肖像しょうぞうきん現代げんだい吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2015ねん6がつISBN 978-4-64-203845-4 

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 収蔵しゅうぞうひんギャラリー>太政官だじょうかんさつ(だじょうかんさつ)さつ切手きって博物館はくぶつかんサイト)
  2. ^ 阿達あだち義雄よしお明治めいじ文学ぶんがくあらわれた天保てんぽう通宝つうほう」『新潟青陵女子短期大学にいがたせいりょうじょしたんきだいがく研究けんきゅう報告ほうこくだい6かんだい6ごう新潟青陵女子短期大学にいがたせいりょうじょしたんきだいがく、1976ねん、1-19ぺーじdoi:10.32147/00001847ISSN 0386-5630NAID 1100002999122022ねん8がつ17にち閲覧えつらん 
  3. ^ a b 植村うえむらたかし 2015, pp. 38–42.

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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