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改造かいぞう紙幣しへい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

改造かいぞう紙幣しへい(かいぞうしへい)とは、大日本帝国だいにっぽんていこく政府せいふ発行はっこうした紙幣しへい損傷そんしょうしやすく、偽造ぎぞう多発たはつした明治めいじ通宝つうほう紙幣しへい交換こうかんするため、1881ねん明治めいじ14ねん2がつから発行はっこうされ、1899ねん明治めいじ32ねん)に廃止はいしされるまでもちいられた。

特徴とくちょう

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下記かきとおり、じゅうえんけんからじゅうぜにけんまでの5種類しゅるいけんしゅ製造せいぞう発行はっこうされた[1]

紙幣しへい図案ずあんイタリアひとエドアルド・キヨッソーネ委嘱いしょくされ、偽札にせさつふせぐため、印刷いんさつきょく最高さいこう技術ぎじゅつ駆使くしして制作せいさくされた[2]一円いちえん以上いじょうけん肖像しょうぞう神功じんぐう皇后こうごうとなっており、ぜんけんしゅ菊花きっかあきら勲章くんしょうえがかれたため「神功しんこう皇后こうごうさつ」や「菊花きっかあきら紙幣しへい」とばれた[2]神功しんこう皇后こうごう肖像しょうぞう文献ぶんけん資料しりょう絵画かいが彫刻ちょうこく参考さんこうにしつつ、エドアルド・キヨッソーネが紙幣しへいきょく印刷いんさつきょく)の女性じょせい職員しょくいんをモデルとして創作そうさくしたものであるが、西洋せいようじん女性じょせいふうとなっている[3]日本にっぽん発行はっこうされたはつ本格ほんかくてき大型おおがた肖像しょうぞう紙幣しへいでもある[4][ちゅう 1]。なお肖像しょうぞうについては明治天皇めいじてんのう肖像しょうぞう採用さいようすることも企画きかく段階だんかい非公式ひこうしき検討けんとうされたが、当時とうじ発行はっこうされていた金貨きんか天皇てんのう肖像しょうぞう図柄ずがらもちいることは国情こくじょうわないとして却下きゃっかされたのと同様どうように、最終さいしゅうてき採用さいようされなかった[5]

紙幣しへい用紙ようし三椏みつまた原料げんりょうとしたもので、さらにえん以上いじょうけんには偽造ぎぞう防止ぼうし目的もくてきとして本格ほんかくてきかし導入どうにゅうされたが、これらはこの紙幣しへいはじめての導入どうにゅうである[6]のち発行はっこうされた日本銀行にっぽんぎんこうけん日本銀行にっぽんぎんこう兌換だかんぎんけん日本銀行にっぽんぎんこう兌換だかんけんふくむ)にもがれており[7]今日きょう日本銀行にっぽんぎんこうけん様式ようしきいしずえともいえる存在そんざいである[8]

この改造かいぞう紙幣しへいは、政府せいふ紙幣しへいとして発行はっこうされたもので、題号だいごう表題ひょうだい)は「大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ紙幣しへい」である。

額面がくめん金額きんがくかん数字すうじのみで表記ひょうきされており、アラビア数字すうじによる額面がくめん表記ひょうきはなく、表面ひょうめん中央ちゅうおうおおきくかれている額面がくめん金額きんがくうえにはちいさな「かね」の文字もじ表記ひょうきされている。

偽造ぎぞう罰則ばっそく文言もんごんは「此紙幣しへい贋造がんぞうある贋造がんぞう通用つうようスルしゃ國法こくほうしょスベシ」(現代げんだいやく:この紙幣しへい偽造ぎぞうし、あるいは偽造ぎぞうって使用しようするもの法律ほうりつにより処罰しょばつされる)とかれている[9]

いちえん以上いじょうけん表面ひょうめんおよじゅうせん以下いかけん裏面りめんには、記録きろく局長きょくちょう割印わりいん印刷いんさつされている。これについては、製造せいぞうげんばれる発行はっこうびかえが紙幣しへい右側みぎがわについており、当時とうじ運用うんようとしては、発行はっこうにこれをはなして発行はっこううえ紙幣しへい回収かいしゅう記録きろく局長きょくちょう割印わりいん照合しょうごうしていた。国立こくりつ銀行ぎんこう紙幣しへい不換紙幣ふかんしへい)の記録きろく局長きょくちょう発行はっこう銀行ぎんこう割印わりいんおよび日本にっぽん銀行ぎんこう兌換だかんぎんけんきゅうけん大黒だいこくさつ)の文書ぶんしょ局長きょくちょう割印わりいんについても同様どうよう運用うんようがなされていた。

全体ぜんたいてき現存げんそんすうすくないため、現在げんざい古銭こせん市場いちばではそのなかもっと古銭こせんてき価値かちひくじゅうぜにけんでもすうせんえん以上いじょう、それ以外いがいけんすうまんえんからすうじゅうまんえん以上いじょう高値たかね取引とりひきされている。

じゅうえんけん

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改造かいぞう紙幣しへいじゅうえんけん表面ひょうめん1881ねん明治めいじ14ねん
改造かいぞう紙幣しへいじゅうえんけん裏面りめん
  • 題号だいごう: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ紙幣しへい
  • 額面がくめん: きむひろええん(10えん
  • 表面ひょうめん: 神功じんぐう皇后こうごう菊花きっか紋章もんしょう偽造ぎぞう罰則ばっそく文言もんごん番号ばんごう製造せいぞうねん
  • 裏面りめん: 「だい日本にっぽん」「大蔵省おおくらしょう」「じつえん」の文字もじ
  • 印章いんしょう: 〈表面ひょうめん大蔵おおくらきょうしるし記録きろく局長きょくちょういん割印わりいん) 〈裏面りめん出納すいとう局長きょくちょうしるし
  • 銘板めいばん: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ大藏省おおくらしょう印刷いんさつきょく製造せいぞう
  • 番号ばんごうしょく: 赤色あかいろ記号きごう)および緑色みどりいろ番号ばんごう
  • 寸法すんぽう: たて93mm、よこ165mm
  • 製造せいぞう期間きかん: 1882ねん明治めいじ15ねん) - 1884ねん明治めいじ17ねん[10]
  • 製造せいぞう枚数まいすう: 3,661,140まい[10]
  • 発行はっこう: 1883ねん明治めいじ16ねん[11]9月9にち[1]
  • 廃止はいし: 1899ねん明治めいじ32ねん12月31にち[12]

通称つうしょうは「神功しんこう皇后こうごう10えん」である。肖像しょうぞう上下じょうげには桜花おうか肖像しょうぞうかこ輪郭りんかくわくないには桜花おうかきりもん表面ひょうめん中央ちゅうおう菊花きっか紋章もんしょう周囲しゅういには右側みぎがわかつら左側ひだりがわかししたがわ勲章くんしょう菊花きっかあきらがあしらわれている[9]番号ばんごうかん数字すうじであり、とお番号ばんごうは5けたである。

かしは「じつえん」の文字もじ唐草からくさ模様もようである[9]

使用しようしょくすうは、表面ひょうめん4しょく内訳うちわけ凹版おうはん印刷いんさつによるしゅ模様もよう1しょく模様もよう1しょく印章いんしょう番号ばんごう2しょく)、裏面りめん3しょく内訳うちわけしゅ模様もよう1しょく模様もよう1しょく印章いんしょう1しょく)となっている[8][1]

えんけん

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改造かいぞう紙幣しへいえんけん表面ひょうめん1880ねん明治めいじ13ねん
改造かいぞう紙幣しへいえんけん裏面りめん
  • 題号だいごう: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ紙幣しへい
  • 額面がくめん: きむえん(5えん
  • 表面ひょうめん: 神功じんぐう皇后こうごう菊花きっか紋章もんしょう偽造ぎぞう罰則ばっそく文言もんごん番号ばんごう製造せいぞうねん
  • 裏面りめん: 「大日本帝国だいにっぽんていこく政府せいふ紙幣しへい」「かねえん」の文字もじ
  • 印章いんしょう: 〈表面ひょうめん大蔵おおくらきょうしるし記録きろく局長きょくちょういん割印わりいん) 〈裏面りめん出納すいとう局長きょくちょうしるし
  • 銘板めいばん: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ大藏省おおくらしょう印刷いんさつきょく製造せいぞう
  • 番号ばんごうしょく: 赤色あかいろ記号きごう)および緑色みどりいろ番号ばんごう
  • 寸法すんぽう: たて83mm、よこ146mm
  • 製造せいぞう期間きかん: 1881ねん明治めいじ14ねん) - 1884ねん明治めいじ17ねん[10]
  • 製造せいぞう枚数まいすう: 6,850,140まい[10]
  • 発行はっこう: 1882ねん明治めいじ15ねん7がつ[11]
  • 廃止はいし: 1899ねん明治めいじ32ねん12月31にち[12]

通称つうしょうは「神功しんこう皇后こうごう5えん」である。表面ひょうめん中央ちゅうおう菊花きっか紋章もんしょう周囲しゅういには右側みぎがわかつら左側ひだりがわかししたがわ勲章くんしょう菊花きっかあきらがあしらわれている[9]番号ばんごうかん数字すうじであり、とお番号ばんごうは5けたである。

かし蜻蛉とんぼ桜花おうか図柄ずがらである[9]

使用しようしょくすうは、表面ひょうめん4しょく内訳うちわけ凹版おうはん印刷いんさつによるしゅ模様もよう1しょく模様もよう1しょく印章いんしょう番号ばんごう2しょく)、裏面りめん3しょく内訳うちわけしゅ模様もよう1しょく模様もよう1しょく印章いんしょう1しょく)となっている[8][1]

いちえんけん

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改造かいぞう紙幣しへいいちえんけん表面ひょうめん1878ねん明治めいじ11ねん
改造かいぞう紙幣しへいいちえんけん裏面りめん
  • 題号だいごう: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ紙幣しへい
  • 額面がくめん: きむいちえん(1えん
  • 表面ひょうめん: 神功じんぐう皇后こうごう菊花きっか紋章もんしょう偽造ぎぞう罰則ばっそく文言もんごん番号ばんごう製造せいぞうねん
  • 裏面りめん: 「大蔵省おおくらしょう」の文字もじ
  • 印章いんしょう: 〈表面ひょうめん大蔵おおくらきょうしるし記録きろく局長きょくちょういん割印わりいん) 〈裏面りめん出納すいとう局長きょくちょうしるし
  • 銘板めいばん: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ大藏省おおくらしょう紙幣しへいきょく製造せいぞう
  • 番号ばんごうしょく: 赤色あかいろ記号きごう)および緑色みどりいろ番号ばんごう
  • 寸法すんぽう: たて77mm、よこ131mm
  • 製造せいぞう期間きかん: 1879ねん明治めいじ12ねん) - 1881ねん明治めいじ14ねん[10]
  • 製造せいぞう枚数まいすう: 45,642,290まい[10]
  • 発行はっこう: 1881ねん明治めいじ14ねん2がつ[11]
  • 廃止はいし: 1899ねん明治めいじ32ねん12月31にち[12]

通称つうしょうは「神功しんこう皇后こうごう1えん」である。肖像しょうぞう上部じょうぶには菊花きっかが、表面ひょうめん中央ちゅうおう菊花きっか紋章もんしょう周囲しゅういには右側みぎがわかつら左側ひだりがわかししたがわ勲章くんしょう菊花きっかあきらがあしらわれている[9]裏面りめん左右さゆうには蜻蛉とんぼ図柄ずがらはいされている[9]番号ばんごうかん数字すうじであり、とお番号ばんごうは5けたである。

かしはいっていない[9]

使用しようしょくすうは、表面ひょうめん4しょく内訳うちわけ凹版おうはん印刷いんさつによるしゅ模様もよう1しょく模様もよう1しょく印章いんしょう番号ばんごう2しょく)、裏面りめん2しょく内訳うちわけしゅ模様もよう1しょく印章いんしょう1しょく)となっている[8][1]

じゅうぜにけん

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  • 題号だいごう: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ紙幣しへい
  • 額面がくめん: きむ五拾ごじっぜに(50ぜに
  • 表面ひょうめん: 菊花きっか紋章もんしょう製造せいぞうねん
  • 裏面りめん: 「じゅうぜに」の文字もじ偽造ぎぞう罰則ばっそく文言もんごん番号ばんごう
  • 印章いんしょう: 〈表面ひょうめん大蔵おおくらきょうしるし 〈裏面りめん出納すいとう局長きょくちょうしるし記録きろく局長きょくちょういん割印わりいん
  • 銘板めいばん: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ大藏省おおくらしょう印刷いんさつきょく製造せいぞう
  • 番号ばんごうしょく: 赤色あかいろ記号きごう)および緑色みどりいろ番号ばんごう
  • 寸法すんぽう: たて65mm、よこ101mm
  • 製造せいぞう期間きかん: 1881ねん明治めいじ14ねん) - 1885ねん明治めいじ18ねん[10]
  • 製造せいぞう枚数まいすう: 22,162,143まい[10]
  • 発行はっこう: 1883ねん明治めいじ16ねん2がつ[11][1]
  • 廃止はいし: 1899ねん明治めいじ32ねん12月31にち[12]

表面ひょうめん中央ちゅうおう菊花きっか紋章もんしょう周囲しゅういには右側みぎがわかつら左側ひだりがわかししたがわ勲章くんしょう菊花きっかあきらがあしらわれている。番号ばんごうかん数字すうじ裏面りめん印刷いんさつされており、とお番号ばんごうは6けたである。肖像しょうぞうはなく、表面ひょうめん大蔵おおくらきょうしるしがあることから、通称つうしょうは「大蔵おおくらきょう50ぜに」である。

かしはいっていない[1]

使用しようしょくすうは、表面ひょうめん3しょく内訳うちわけ凹版おうはん印刷いんさつによるしゅ模様もよう1しょく模様もよう1しょく印章いんしょう1しょく)、裏面りめん3しょく内訳うちわけしゅ模様もよう1しょく印章いんしょう番号ばんごう2しょく)となっている[8][1]

このじゅうぜにけん図案ずあんは、1917ねん大正たいしょう6ねん)に発行はっこうされた大正たいしょう小額しょうがく政府せいふ紙幣しへいじゅうぜにけん一部いちぶ改変かいへんうえ流用りゅうようされた。

じゅうぜにけん

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改造かいぞう紙幣しへいじゅうぜにけん表面ひょうめん1881ねん明治めいじ14ねん
改造かいぞう紙幣しへいじゅうぜにけん裏面りめん
  • 題号だいごう: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ紙幣しへい
  • 額面がくめん: きむひろえぜに(20ぜに
  • 表面ひょうめん: 菊花きっか紋章もんしょう製造せいぞうねん
  • 裏面りめん: 「ひろえぜに」の文字もじ偽造ぎぞう罰則ばっそく文言もんごん番号ばんごう
  • 印章いんしょう: 〈表面ひょうめん大蔵おおくらきょうしるし 〈裏面りめん出納すいとう局長きょくちょうしるし記録きろく局長きょくちょういん割印わりいん
  • 銘板めいばん: 大日本帝國だいにっぽんていこく政府せいふ大藏省おおくらしょう印刷いんさつきょく製造せいぞう
  • 番号ばんごうしょく: 赤色あかいろ記号きごう)および緑色みどりいろ番号ばんごう
  • 寸法すんぽう: たて59mm、よこ93mm
  • 製造せいぞう期間きかん: 1881ねん明治めいじ14ねん) - 1885ねん明治めいじ18ねん[10]
  • 製造せいぞう枚数まいすう: 24,880,058まい[10]
  • 発行はっこう: 1883ねん明治めいじ16ねん6がつ[11][1]
  • 廃止はいし: 1899ねん明治めいじ32ねん12月31にち[12]

表面ひょうめん中央ちゅうおう菊花きっか紋章もんしょう周囲しゅういには右側みぎがわかつら左側ひだりがわかししたがわ勲章くんしょう菊花きっかあきらがあしらわれている。番号ばんごうかん数字すうじ裏面りめん印刷いんさつされており、とお番号ばんごうは6けたである。肖像しょうぞうはなく、表面ひょうめん大蔵おおくらきょうしるしがあることから、通称つうしょうは「大蔵おおくらきょう20ぜに」である。

かしはいっていない[1]

使用しようしょくすうは、表面ひょうめん3しょく内訳うちわけ凹版おうはん印刷いんさつによるしゅ模様もよう1しょく模様もよう1しょく印章いんしょう1しょく)、裏面りめん3しょく内訳うちわけしゅ模様もよう1しょく印章いんしょう番号ばんごう2しょく)となっている[8][1]

このじゅうぜにけん図案ずあんは、1917ねん大正たいしょう6ねん)に発行はっこうされた大正たいしょう小額しょうがく政府せいふ紙幣しへいじゅうぜにけん一部いちぶ改変かいへんうえ流用りゅうようされた。また、大正たいしょう小額しょうがく政府せいふ紙幣しへいじゅうぜにけん図案ずあんも、改造かいぞう紙幣しへいじゅうぜにけん図案ずあんもとにしてつくられている。

廃止はいし

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日本銀行にっぽんぎんこう設立せつりつにより1885ねん明治めいじ18ねん)から日本銀行にっぽんぎんこうけん日本銀行にっぽんぎんこう兌換だかんぎんけん)が発行はっこう開始かいしされたことをけ、西南せいなん戦争せんそうひとし発端ほったんとしたインフレーション沈静ちんせい目的もくてきとした紙幣しへい整理せいり政策せいさく一環いっかんとして1898ねん明治めいじ31ねん6月11にち公布こうふされた「政府せいふ発行はっこう紙幣しへい通用つうよう廃止はいしかんする法律ほうりつ[12]ひとしもとづき、1899ねん明治めいじ32ねん12月31にちをもって政府せいふ紙幣しへいである改造かいぞう紙幣しへいおよび明治めいじ通宝つうほう法的ほうてき通用つうよう禁止きんしされ廃止はいしとなった。なお、同年どうねん12月9にちには国立こくりつ銀行ぎんこう紙幣しへい通用つうよう停止ていしとなっており[13]、これらにより日本にっぽん国内こくない流通りゅうつうする紙幣しへい日本銀行にっぽんぎんこうけん一元いちげんされた。

ちん帝国ていこく議会ぎかい協賛きょうさんたる政府せいふ発行はっこう紙幣しへい通用つうよう廃止はいしかんする法律ほうりつ裁可さいかし茲にこれ交付こうふせしむ。

 御名ぎょめい御璽ぎょじ

明治めいじ31ねん6がつ10日とおか

  内閣ないかく総理そうり大臣だいじん 侯爵こうしゃく 伊藤いとう博文ひろぶみ

  大蔵おおくら大臣だいじん   伯爵はくしゃく 井上いのうえかおる

法律ほうりつだい6ごう

政府せいふ発行はっこう紙幣しへい明治めいじ32ねん12月31にちかぎ通用つうようはいす。

変遷へんせん

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後継こうけい1885ねん明治めいじ18ねん5月9にちからよく1886ねん明治めいじ19ねん)にかけて発行はっこう開始かいしされた日本銀行にっぽんぎんこう兌換だかんぎんけんきゅうじゅうえんけんきゅうえんけんきゅういちえんけん)である[ちゅう 2]。ただし日本にっぽん銀行ぎんこう兌換だかんぎんけんでは額面がくめん金額きんがく1えん未満みまんけんしゅ発行はっこうされず、じゅうぜに硬貨こうかじゅうぜに硬貨こうかじゅうぜに銀貨ぎんかじゅうぜに銀貨ぎんか)のみの発行はっこうとなった。

このほかに、1899ねん明治めいじ32ねん12月9にちまでは国立こくりつ銀行ぎんこう紙幣しへい同年どうねん12がつ31にちまでは明治めいじ通宝つうほう並行へいこうして通用つうようしていた。

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 植村うえむらたかし紙幣しへい肖像しょうぞうきん現代げんだい吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2015ねん6がつISBN 978-4-64-203845-4 
  • 植村うえむらたかし紙幣しへい肖像しょうぞう歴史れきし東京とうきょう美術びじゅつ、1989ねんISBN 9784808705435 
  • 大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく日本銀行にっぽんぎんこうけん製造せいぞう100ねん歴史れきし技術ぎじゅつ大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1984ねん11月。 
  • 日本銀行にっぽんぎんこう調査ちょうさきょく図録ずろく日本にっぽん貨幣かへい 7 近代きんだい貨幣かへい成立せいりつ東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1973ねん 

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 肖像しょうぞうではないが、改造かいぞう紙幣しへいよりさき発行はっこうされた国立こくりつ銀行ぎんこう紙幣しへいにおいて図柄ずがら一部いちぶ人物じんぶつぞう(アメリカ製造せいぞう兌換だかん紙幣しへい)や恵比寿えびすしん図柄ずがら日本にっぽん国内こくない製造せいぞう不換紙幣ふかんしへい)がえがかれたものが発行はっこうされている。
  2. ^ 1885ねん明治めいじ18ねん)5がつ9にちきゅうじゅうえんけん、1885ねん明治めいじ18ねん)9がつ8にちきゅういちえんけん、1886ねん明治めいじ19ねん)1がつ4にちきゅうえんけんがそれぞれ発行はっこう開始かいしされた。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく日本銀行にっぽんぎんこうけん製造せいぞう100ねん歴史れきし技術ぎじゅつ大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1984ねん11月、304-305ぺーじ 
  2. ^ a b 植村うえむらたかし 1989, pp. 82–86.
  3. ^ 植村うえむらたかし 2015, pp. 90–94.
  4. ^ 植村うえむらたかし 2015, pp. 88–89.
  5. ^ 植村うえむらたかし 1989, pp. 80–81.
  6. ^ 日本銀行にっぽんぎんこう調査ちょうさきょく図録ずろく日本にっぽん貨幣かへい 7 近代きんだい貨幣かへい成立せいりつ東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1973ねん、282ぺーじ 
  7. ^ 植村うえむらたかし 2015, pp. 100–102.
  8. ^ a b c d e f 日本銀行にっぽんぎんこう調査ちょうさきょく図録ずろく日本にっぽん貨幣かへい 7 近代きんだい貨幣かへい成立せいりつ東洋経済新報社とうようけいざいしんぽうしゃ、1973ねん、283ぺーじ 
  9. ^ a b c d e f g h 植村うえむらたかし 2015, pp. 94–97.
  10. ^ a b c d e f g h i j 大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく日本にっぽんのおかね 近代きんだい通貨つうかハンドブック』大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1994ねん6がつ、242-255ぺーじISBN 9784173121601 
  11. ^ a b c d e f g h i 日本銀行にっぽんぎんこう金融きんゆう研究所けんきゅうじょ日本にっぽん貨幣かへい年表ねんぴょう日本銀行にっぽんぎんこう金融きんゆう研究所けんきゅうじょ、1994ねん、50ぺーじISBN 9784930909381 
  12. ^ a b c d e f g 1898ねん明治めいじ31ねん)6がつ11にち法律ほうりつだい6ごう政府せいふ發行はっこう紙幣しへい通用つうよう廢止はいしせきスルけん
  13. ^ 1896ねん明治めいじ29ねん)3がつ9にち法律ほうりつだい8ごう國立こくりつ銀行ぎんこう紙幣しへい通用つうよう引換ひきかえ期限きげんせきスル法律ほうりつ
  14. ^ 日本銀行にっぽんぎんこう金融きんゆう研究所けんきゅうじょ日本にっぽん貨幣かへい年表ねんぴょう日本銀行にっぽんぎんこう金融きんゆう研究所けんきゅうじょ、1994ねん、51ぺーじISBN 9784930909381 

関連かんれん項目こうもく

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