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勲章くんしょう (日本にっぽん)

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出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
東郷とうごう平八郎へいはちろう肖像しょうぞうくびにかけているのはだいくん菊花きっかあきら頸飾ひだりあばら佩用はいようしているのは、一番いちばんじょうから時計とけいまわりにだいくん菊花きっかだい綬章じゅしょうふくあきら勲一等くんいっとう旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょうふくあきら勲一等くんいっとう瑞宝章ずいほうしょうふくあきらこういちきゅう金鵄勲章きんしくんしょうふくしょう左肩ひだりかたからみぎわきにかけているだい綬はこういちきゅう金鵄勲章きんしくんしょう正章まさあき
だいくん菊花きっかあきら頸飾と様々さまざま勲章くんしょう佩用はいようした昭和しょうわ天皇てんのう
だいくん菊花きっかあきら頸飾ときりはなだい綬章じゅしょう佩用はいようした明仁あきひとげん上皇じょうこう)。

ほんこうでは、日本にっぽん勲章くんしょう(にほんの くんしょう)について解説かいせつする。

概要がいよう

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日本にっぽんにおける勲章くんしょうは、個人こじん功績こうせき業績ぎょうせき国家こっか表彰ひょうしょうするための制度せいどとして明治めいじ以降いこう整備せいびされた、叙位じょい叙爵じょしゃく1947ねん廃止はいし)、叙勲じょくんおよ褒章ほうしょう栄典えいてんならびに賜杯しはい記章きしょうなどのうち、叙勲じょくんぞくするあきらかざりとされている[1][2]。つまり、勲章くんしょう叙勲じょくんによってくんなどとともあたえられるもののひとつである。栄誉えいよしめすためにける佩章で、しょうくんきょく所管しょかん法令ほうれいによってさだめられるものには勲章くんしょうほか褒章ほうしょうおよ記章きしょうがあり、これらは総称そうしょうして「勲章くんしょうとう」と表記ひょうきされる(「勲章くんしょうとう着用ちゃくよう規程きてい」(昭和しょうわ39ねん総理府そうりふ告示こくじだい16ごうだい1じょう)。

日本にっぽんにおいて勲章くんしょうは、天皇てんのう授与じゅよされる[3]日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい7じょう7ごう天皇てんのう国事こくじ行為こういひとつとして「栄典えいてん授与じゅよすること」をさだめ、どうじょう根拠こんきょに「栄典えいてん」のひとつとして天皇てんのう勲章くんしょう授与じゅよする。栄典えいてん授与じゅよ実質じっしつてき決定けっていけんについて日本国にっぽんこく憲法けんぽうには明文めいぶん規定きていがないが、日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい7じょう助言じょげん承認しょうにんおよ行政ぎょうせいけん主体しゅたいであることから内閣ないかく実質じっしつてき決定けっていけんゆうする[4]

勲章くんしょう制度せいどさだめる法律ほうりつはなく、政令せいれい政令せいれいとみなされる太政官だじょうかん布告ふこくみことのりれいおよ内閣ないかくれい内閣ないかくれいとみなされる太政官だじょうかんたちかくれい)にもとづいて運用うんようされている[3]。なお、栄典えいてん制度せいど叙勲じょくん制度せいどかんしては、いくつかのてん議論ぎろんとなっている(栄典えいてん制度せいど叙勲じょくん制度せいどかんする論点ろんてんふし参照さんしょう)。

現在げんざい22種類しゅるい存在そんざいする勲章くんしょう[5]は、明治めいじ8ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい54ごう勲章くんしょう制定せいていけん」、明治めいじ10ねん太政官だじょうかんたちだい97ごうだいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう及副あきらせいしきけん」、明治めいじ21ねんみことのりれいだい1ごう宝冠章ほうかんしょう及大くん菊花きっかあきら頸飾ニせきスルけん」(平成へいせい14ねん(2002ねん改正かいせいまえは「各種かくしゅ勲章くんしょう等級とうきゅうせいしき及ヒだいくん菊花きっかあきら頸飾ノせいしき」)および、昭和しょうわ12ねんみことのりれいだい9ごう文化ぶんか勲章くんしょうれい」をもっさだめられている。

現行げんこう22しゅ勲章くんしょうは、菊花きっかあきらきりはなあきら旭日きょくじつあきら瑞宝章ずいほうしょう宝冠章ほうかんしょうおよび文化ぶんか勲章くんしょう大別たいべつされる[5]菊花きっかあきらだいくん菊花きっかあきら)ときりはなあきらきりはなだい綬章じゅしょう)は、「旭日大綬章あさひだいじゅしょうまたみずたからだい綬章じゅしょう授与じゅよされるべき功労こうろうよりすぐれた功労こうろうのあるもの」にたいしてとく授与じゅよすることができるものとされる[6]旭日きょくじつあきら瑞宝章ずいほうしょうは「国家こっかまた公共こうきょうたい功労こうろうのあるもの」に授与じゅよされ、旭日きょくじつあきらは「社会しゃかい様々さまざま分野ぶんやにおける功績こうせき内容ないよう着目ちゃくもくし、顕著けんちょ功績こうせきげたもの」、瑞宝章ずいほうしょうは「くにおよ地方ちほう公共こうきょう団体だんたい公務こうむまたは…公共こうきょうてき業務ぎょうむ長年ながねんにわたり従事じゅうじして功労こうろうかさね、成績せいせきげたもの」とその対象たいしょうちがいがもうけられている[6]宝冠章ほうかんしょうは「特別とくべつ場合ばあい婦人ふじんくんろうアルしゃ」に授与じゅよするとさだめられ(宝冠章ほうかんしょう及大くん菊花きっかあきら頸飾ニせきスルけん1じょう1こう)、現在げんざい外国がいこくじんたいする儀礼ぎれい叙勲じょくん皇族こうぞく女子じょしたいする叙勲じょくんなど特別とくべつ場合ばあいかぎ運用うんようされている[7]文化ぶんか勲章くんしょうは「文化ぶんか発達はったつせきくん卓絶たくぜつナルしゃ」に授与じゅよされる(文化ぶんか勲章くんしょうれい文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう (PDF) )。いずれも個人こじんのみを授与じゅよ対象たいしょうとしており、団体だんたい法人ほうじん授与じゅよされることはない。個人こじんであれば、生存せいぞんしゃであると死亡しぼうしゃであるとをわない。また、日本にっぽん国民こくみんであると外国がいこくじんであるとをもわない。

叙勲じょくんは、春秋しゅんじゅう叙勲じょくん危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくん高齢こうれいしゃ叙勲じょくん死亡しぼう叙勲じょくん外国がいこくじん叙勲じょくん区分くぶんがある[8]春秋しゅんじゅう叙勲じょくんは、としに2かいはるあき発令はつれいされる定例ていれい叙勲じょくんである。春秋しゅんじゅう叙勲じょくんは、はる4がつ29にち昭和しょうわ)、あき11月3にち文化ぶんか)に発令はつれいされ、毎回まいかいおおむね4,000めい受章じゅしょうする[8][9][10]危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくんは、警察官けいさつかん自衛じえいかん消防しょうぼう吏員りいん刑務けいむかん海上かいじょう保安ほあんかんなどの危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじした55さい以上いじょうもと公務員こうむいん対象たいしょうとして春秋しゅんじゅう叙勲じょくんおな発令はつれいされ、毎回まいかいおおむね3,600めい受章じゅしょうする[8][11]高齢こうれいしゃ叙勲じょくんは、春秋しゅんじゅう叙勲じょくん受章じゅしょうしていない功労こうろうしゃ対象たいしょうとして毎月まいつき1にち発令はつれいされ、年齢ねんれいまん88さいたっしたのを叙勲じょくんされる[8]死亡しぼう叙勲じょくんは、叙勲じょくん対象たいしょうとなるべきもの死亡しぼうしたさい随時ずいじ叙勲じょくんされる[8]外国がいこくじん叙勲じょくんは、国賓こくひんとうたいする儀礼ぎれいてき叙勲じょくん功労こうろうのあった外国がいこくじんたいする叙勲じょくんがあり、いずれも外務がいむ大臣だいじんからの推薦すいせんもとづいておこなわれる[8]。なお、文化ぶんか勲章くんしょうは1ねんに1かい発令はつれいされ、11月3にち文化ぶんかに、宮中きゅうちゅうにおいて天皇てんのうから親授しんじゅ直接ちょくせつ授与じゅよ)される[8]。いずれの叙勲じょくんについても、官報かんぽうの「叙位じょい叙勲じょくん」のこうに、受章じゅしょうしゃ氏名しめい叙勲じょくんされた勲章くんしょう掲載けいさいされる(官報かんぽうおよ法令ほうれい全書ぜんしょかんする内閣ないかくれい1じょう)。また、春秋しゅんじゅう叙勲じょくん危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくん文化ぶんか勲章くんしょう叙勲じょくんについては、おおくの新聞しんぶん受章じゅしょうしゃめいとう報道ほうどうされる。

叙勲じょくんは、「勲章くんしょう授与じゅよ基準きじゅん」(2003ねん平成へいせい15ねん)5がつ20日はつか閣議かくぎ決定けってい[6]もとづいておこなわれる。叙勲じょくん候補者こうほしゃには年齢ねんれいまん70さい以上いじょうであることなどの形式けいしきてき要件ようけんのほか、「国家こっかまた公共こうきょうたいする功労こうろう」の内容ないよう賞罰しょうばつれきなどの調査ちょうさおこなわれる。この調査ちょうさ徹底てっていしており、刑罰けいばつ有無うむ道路どうろ交通こうつうほう違反いはん自動車じどうしゃ保管ほかん場所ばしょ確保かくほとうかんする法律ほうりつ違反いはんによる罰金ばっきんけいふくむ。)はもちろん、破産はさん宣告せんこく破産はさん手続てつづき開始かいし決定けってい有無うむなども市町村しちょうそんちょう照会しょうかいされ、選考せんこう資料しりょうとされる[12]

受章じゅしょうしゃ選考せんこうでは、まず、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決定けっていした「叙勲じょくん候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう[13]もとづいて、衆議院しゅうぎいん議長ぎちょう参議院さんぎいん議長ぎちょう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんちょう最高さいこう裁判所さいばんしょ長官ちょうかん内閣ないかく総理そうり大臣だいじん各省かくしょう大臣だいじん会計検査院かいけいけんさいんちょう人事院じんじいん総裁そうさい宮内庁くないちょう長官ちょうかんおよ内閣ないかくかれる外局がいきょくちょう公正こうせい取引とりひき委員いいんかい委員いいんちょう国家こっか公安こうあん委員いいんかい委員いいんちょう金融きんゆうちょう長官ちょうかん消費しょうひしゃちょう長官ちょうかん)から、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんたいして、受章じゅしょう候補者こうほしゃ推薦すいせんおこなわれる。つぎに、内閣ないかく総理そうり大臣だいじんがこの候補者こうほしゃ審査しんさして、閣議かくぎ決定けっていおこなわれる[9]。その天皇てんのう上奏じょうそうして裁可さいかうえ発令はつれいされる。叙勲じょくんしゃおおくをめるのは、各省かくしょう大臣だいじんからの推薦すいせん省庁しょうちょう推薦すいせん)によるものである[14]。なお、危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくんについては、別途べっと選考せんこう手続てつづきさだめられている[15]。このほか、2003ねん平成へいせい15ねんあき叙勲じょくんより導入どうにゅうされた一般いっぱん推薦すいせん制度せいどもある[16]。もっとも、2008ねん平成へいせい20ねんあき叙勲じょくんにおける一般いっぱん推薦すいせんによる受章じゅしょうしゃは4028にんちゅう5にんと、ごく少数しょうすうにとどまっている[14]

勲章くんしょう受章じゅしょうしたのちに「死刑しけい懲役ちょうえきまた無期むきわかさんねん以上いじょう禁錮きんこ」にしょせられるなど、勲章くんしょう褫奪ちだつれいくんしょうちだつれい明治めいじ41ねんみことのりれいだい291ごう)にさだめられた事由じゆうしょうじたときには、勲章くんしょう褫奪ちだつちだつ[注釈ちゅうしゃく 1]される。どうれいでは、法令ほうれいにより拘禁こうきんされているあいだ勲章くんしょう佩用はいようはいよう[注釈ちゅうしゃく 2]できないことなどもさだめる。

日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい14じょう3こう後段こうだんでは「栄典えいてん授与じゅよは、げんにこれをゆうし、また将来しょうらいこれをけるものいちだいかぎり、その効力こうりょくゆうする。」とされており、勲章くんしょう世襲せしゅうすることはなく、佩用はいようできるのは授与じゅよされた本人ほんにんのみである。なお、本人ほんにんまたはその親族しんぞくけた勲章くんしょう財産ざいさんとしての差押さしおさえきんじられている(民事みんじ執行しっこうほう131じょう10ごう国税こくぜい徴収ちょうしゅうほう75じょう1こう9ごう)。また、授与じゅよされた有体物ゆうたいぶつとしての勲章くんしょう財産ざいさんけん対象たいしょうとして相続そうぞく対象たいしょうとなる。

勲章くんしょう同一どういつまた類似るいじ商標しょうひょう商標しょうひょう登録とうろくすることができない(商標しょうひょうほう4じょう1こう1ごう)、資格しかくがないにもかかわらず勲章くんしょうしくは勲章くんしょうせてつくったものもちいたもの拘留こうりゅうまた科料かりょうしょされる(軽犯罪法けいはんざいほう1じょう15ごう)など、勲章くんしょうかかわる法的ほうてき規制きせいもいくつかある。

沿革えんかく

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貞明皇后ていめいこうごう肖像しょうぞうひだりむね佩用はいようしているのは勲一等くんいっとう宝冠章ほうかんしょうふくしょう大正たいしょう大礼たいれい記念きねんあきら右肩みぎかたからひだりわきにかけているのは勲一等くんいっとう宝冠章ほうかんしょうだい綬。

幕末ばくまつ

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日本にっぽん西欧せいおう諸国しょこくならって本格ほんかくてき勲章くんしょう制度せいどさだめたのは明治めいじ時代じだいであるが、幕末ばくまつにも薩摩さつまはんが“こうぱい”を製作せいさく授与じゅよしていた。1867ねん慶応けいおう3ねん)、フランスひらかれたパリ万国博覧会ばんこくはくらんかい日本にっぽんからは江戸えど幕府ばくふ薩摩さつまはん佐賀さがはんはじめて参加さんかし、それぞれが出展しゅってんおこなった。そのさい幕府ばくふかたが「日本にっぽん大君おおきみ政府せいふ代表だいひょう公称こうしょうしたのにたいし、薩摩さつまかた独自どくじに「日本にっぽん薩摩さつま大守たいしゅ政府せいふ代表だいひょうしょうし、あたかも幕府ばくふからは独立どくりつした政権せいけんであるかのようにった。さらにそのことを具体ぐたいてきしめすため、フランスのレジオンドヌール勲章くんしょうした薩摩さつま琉球りゅうきゅうこくこうぱい現地げんち製作せいさくし、これをナポレオン3せい以下いかフランス政府せいふ高官こうかんおくった[17]。これが日本にっぽんはつ西欧せいおうしき勲章くんしょう薩摩さつま琉球りゅうきゅうこく勲章くんしょう」である。一方いっぽう、パリでの状況じょうきょうった幕府ばくふ勲章くんしょう制度せいど検討けんとうしたが、もなく大政奉還たいせいほうかんむかえた。このとき計画けいかくされ、図案ずあんまで検討けんとうされていたのがあおい勲章くんしょうであるが、結局けっきょくまぼろしおわった。また、明治維新めいじいしんにより薩摩さつま琉球りゅうきゅうこく勲章くんしょう存在そんざい意義いぎうしなわれたため、結果けっかてきにこのパリで授与じゅよされたものが最初さいしょ最後さいごのものとなった[18]

叙勲じょくん制度せいど創設そうせつ

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としあきら大日本帝國だいにっぽんていこく勲章くんしょうきょう」1895ねん明治めいじ28ねん出版しゅっぱん

明治維新めいじいしん近代きんだいてき制度せいど整備せいびすすめられていた1871ねん10月15にち明治めいじ4ねん9月2にち)、しん政府せいふ賞牌しょうはい勲章くんしょう制度せいど審議しんぎ立法りっぽう機関きかんであるひだりいん諮問しもんした。1873ねん明治めいじ6ねん)3がつには細川ほそかわじゅん次郎じろう大給おぎゅうつねら5めいが「メダイユ[注釈ちゅうしゃく 3]取調とりしらべ御用ごようかけにんじて勲章くんしょうかんする資料しりょう収集しゅうしゅう調査ちょうさ研究けんきゅうたった。1875ねん明治めいじ8ねん4がつ10日とおか賞牌しょうはい欽定きんていみことのりはっして賞牌しょうはい従軍じゅうぐんぱい制定せいていけん明治めいじ8ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい54ごう[注釈ちゅうしゃく 4]公布こうふして勲等くんとう賞牌しょうはい制度せいどさだめられた。布告ふこくでは、勲一等くんいっとうからくんはちとうまでの勲等くんとうじょしたものにそれぞれ一等いっとう賞牌しょうはいからはちとう賞牌しょうはいまでの賞牌しょうはい下賜かしするとした。このときさだめられた賞牌しょうはい制式せいしきは、現在げんざい旭日きょくじつあきらもととなっている[注釈ちゅうしゃく 5][注釈ちゅうしゃく 6]

同年どうねんまつには、有栖川ありすがわみやのぼりじん親王しんのう以下いか10めい皇族こうぞくはじめて叙勲じょくんされた。皇族こうぞく以外いがいものたいしてはじめて叙勲じょくんおこなわれたのはよく1876ねん明治めいじ9ねん)で、台湾たいわん出兵しゅっぺいこうにより西郷さいごう従道つぐみち勲一等くんいっとうじょされた。また同年どうねんには、清国きよくにとの交渉こうしょうこうのあったアメリカじんルジャンドルとフランスじんボアソナード最初さいしょ外国がいこくじん叙勲じょくんとしてくんとうじょされた。

制度せいど拡充かくじゅう

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1876ねん明治めいじ9ねん10月12にち正院しょういんしょうくん事務じむきょく同年どうねん12がつしょうくんきょく改称かいしょう)が設置せっちされ、参議さんぎ伊藤いとう博文ひろぶみ初代しょだい長官ちょうかんに、大給おぎゅうつねふく長官ちょうかん任命にんめいされた[注釈ちゅうしゃく 7]同年どうねん11月15にち太政官だじょうかん布告ふこくにより、賞牌しょうはい勲章くんしょう従軍じゅうぐんぱい従軍じゅうぐん記章きしょう)と改称かいしょうされた(明治めいじ9ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい141ごう)。また、同年どうねん12月27にち詔書しょうしょにより、勲一等くんいっとう上位じょういだいくんかれた。だいくんには、対応たいおうする勲章くんしょうとして菊花きっかだい綬章じゅしょう菊花きっかあきら制定せいていされた[注釈ちゅうしゃく 8]1888ねん明治めいじ21ねん1がつ3にちには制度せいど運用うんよう円滑えんかつはかり、しょ外国がいこくれいなら宝冠章ほうかんしょう瑞宝章ずいほうしょう新設しんせつされ、旭日きょくじつしょうには旭日大綬章あさひだいじゅしょう上位じょうい旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょうが、菊花きっかしょうには菊花きっかだい綬章じゅしょう上位じょうい菊花きっかあきら頸飾かれた(明治めいじ21ねんみことのりれいだい1ごう)。

また1890ねん明治めいじ23ねん)には、武功ぶこう抜群ばつぐん軍人ぐんじん軍属ぐんぞく授与じゅよされる金鵄勲章きんしくんしょうこういちきゅうからこうななきゅうこうきゅう)が制定せいていされた[注釈ちゅうしゃく 9]1896ねん明治めいじ29ねん)には宝冠章ほうかんしょう等級とうきゅうからはち等級とうきゅう改正かいせいし、1919ねん大正たいしょう8ねん)には女性じょせいにも瑞宝章ずいほうしょう授与じゅよできることとした。さらに1937ねん昭和しょうわ12ねん)には学術がくじゅつ芸術げいじゅつじょう功績こうせきがあったものたい授与じゅよされる単一たんいつきゅう文化ぶんか勲章くんしょう制定せいていされた。

制度せいど停止ていし再開さいかい

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みぎ勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう伝達でんたつされるデニス・C・ブレアアメリカ太平洋軍たいへいようぐん海軍かいぐん大将たいしょう)。ひだりむね佩用はいようしているのが勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょうふくあきら右肩みぎかたからひだりわきにかけているのが勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょうだい綬、だい綬の下端かたんいているのが勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう正章まさあき

1945ねん昭和しょうわ20ねん)8がつだい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせんとそれにつづGHQ占領せんりょう統治とうちにより日本にっぽん官吏かんり制度せいど根本こんぽんてき変化へんかしたため、従来じゅうらい叙勲じょくんないそく適用てきよう困難こんなんとなり、1946ねん昭和しょうわ21ねん)5がつ3にち閣議かくぎ決定けっていにより、皇族こうぞくおよ外国がいこくじんたいする叙勲じょくん文化ぶんか勲章くんしょうのぞいて生存せいぞんしゃ叙勲じょくん一旦いったん停止ていしされることとなった[19]。1947ねん昭和しょうわ22ねん)に施行しこうされた日本国にっぽんこく憲法けんぽうでは「栄誉えいよ勲章くんしょうその栄典えいてん授与じゅよは、いかなる特権とっけんともはない。」(14じょう3こう)とさだめられたため、栄典えいてんともな様々さまざま特権とっけん廃止はいしされた。

なお、どう憲法けんぽう内閣ないかく助言じょげん承認しょうにんにより天皇てんのうおこな国事こくじ行為こういひとつとして「栄典えいてん授与じゅよすること。」(7じょう7ごう)をさだめたため、以後いご故人こじんおよ皇族こうぞく外国がいこくじんたいする叙勲じょくん文化ぶんか勲章くんしょう、さらに再開さいかい生存せいぞんしゃ叙勲じょくんは、どうじょう根拠こんきょにしておこなわれている。

1948ねん昭和しょうわ23ねん)にはあらたな栄典えいてん制度せいど創設そうせつ検討けんとうされはじめたが[20]、そのしばらく、文化ぶんか勲章くんしょう皇族こうぞく叙勲じょくん外国がいこくじん叙勲じょくんのぞき、生存せいぞんしゃには叙勲じょくんされなかった。しかし、1953ねん昭和しょうわ28ねん9月18にち閣議かくぎ決定けっていにより、生存せいぞんしゃであって緊急きんきゅう叙勲じょくんすることをようするものにたいし、叙勲じょくん再開さいかいした[21]再開さいかいされたのは、同年どうねん西日本にしにほん中心ちゅうしんとして各地かくち風水害ふうすいがい発生はっせいし、これにたい救難きゅうなん防災ぼうさい復旧ふっきゅう尽力じんりょくした功労こうろうしゃ多数たすうのぼ栄典えいてん制度せいど活用かつよう必要ひつようせい痛感つうかんされたことによるものである[22]。また、1955ねん昭和しょうわ30ねん)には、内閣ないかく臨時りんじ栄典えいてん制度せいど審議しんぎかい設置せっちされ、あらたな栄典えいてん制度せいど創設そうせつについて審議しんぎかさねられた[23]。1948ねん昭和しょうわ23ねん)から1963ねん昭和しょうわ38ねん)までのあいだに、栄典えいてん制度せいどかんする法案ほうあんは、3かいにわたり内閣ないかくから国会こっかい提出ていしゅつされたがいずれも成立せいりつしなかった[注釈ちゅうしゃく 10]

1963ねん昭和しょうわ38ねん7がつ12にち池田いけだ内閣ないかく閣議かくぎ決定けっていにより、生存せいぞんしゃ叙勲じょくん再開さいかいめられた[24]。これは、叙勲じょくんふく栄典えいてん制度せいどかんする法律ほうりつさだめず、憲法けんぽう7じょう7ごう直接ちょくせつ根拠こんきょとして、生存せいぞんしゃ叙勲じょくんおこなうこととしたものである。生存せいぞんしゃ叙勲じょくん再開さいかい閣議かくぎ決定けっていしたがい、よく1964ねん昭和しょうわ39ねん4がつ21にちには、あたらしい「叙勲じょくん基準きじゅん」が閣議かくぎ決定けっていされた[25][注釈ちゅうしゃく 11]。これは戦前せんぜん叙勲じょくん制度せいど官吏かんりおよ軍人ぐんじん中心ちゅうしんのものであったのにたいし、日本国にっぽんこく憲法けんぽうしたでは国民こくみん各界かくかい各層かくそう対象たいしょうとする叙勲じょくん制度せいどとするために叙勲じょくん基準きじゅんあらたにさだめたものである[22]。そして同月どうげつ29にち吉田よしだしげるだいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう石橋いしばし湛山たんざん片山かたやまあきららに勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう授与じゅよするなど生存せいぞんしゃ叙勲じょくん発令はつれいされた。以後いご毎年まいとし2かいはるあき叙勲じょくん発令はつれいされている。

根拠こんきょほうめぐ問題もんだい

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法律ほうりついたままでの栄典えいてん制度せいど再開さいかいについては立法りっぽうけんとの関係かんけいから問題もんだいする立場たちばもあり、本来ほんらい、「栄典えいてんほう」のような法律ほうりつでその内容ないよう規定きていすべきとの指摘してきがある[26]

2024ねん10がつ現在げんざい日本にっぽんにおいて、叙勲じょくん制度せいどふく栄典えいてん制度せいどかんする法律ほうりつさだめられていない。そのため、栄典えいてん制度せいど叙勲じょくん制度せいどは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう7じょう7ごう天皇てんのう国事こくじ行為こういひとつとしてさだめる「栄典えいてん授与じゅよすること。」を根拠こんきょとし、政令せいれいとみなされる太政官だじょうかん布告ふこくおよみことのりれい)、内閣ないかくれいおよ内閣ないかくれいとみなされる太政官だじょうかんたちかくれいならびに内閣ないかく告示こくじとうもとづいて、内閣ないかく実際じっさい事務じむおこな運用うんようされている[3]

そこでまず、法律ほうりつ根拠こんきょもとづかず、命令めいれい以下いか法令ほうれいによって叙勲じょくん制度せいどふく栄典えいてん制度せいど内閣ないかく実施じっしすることは、憲法けんぽう違反いはんするのではないかということが問題もんだいとなる。このてん政府せいふ見解けんかいによれば、憲法けんぽう73じょう6ごうは「この憲法けんぽうおよ法律ほうりつ規定きてい実施じっしするために、政令せいれい制定せいていすること。」、すなわち政令せいれい制定せいていけん内閣ないかく権限けんげんとしてさだめているところ、内閣ないかくは「この憲法けんぽう…の規定きてい」である憲法けんぽう7じょう7ごうの「栄典えいてん授与じゅよすること」を実施じっしするために政令せいれい制定せいていして、この政令せいれいおよ内閣ないかくれいとう法令ほうれいもとづいて栄典えいてん制度せいど実施じっししているのであるから、なん憲法けんぽうはんするところはないとする。これにたいして反対はんたいせつ立場たちばによれば、憲法けんぽう73じょう6ごうさだめる内閣ないかく政令せいれい制定せいていけんは、「憲法けんぽうおよ法律ほうりつ実施じっしするために」行使こうしされるところ、ここでいう「憲法けんぽうおよ法律ほうりつ」は一体いったいとしてむべきであり、憲法けんぽう直接ちょくせつ実施じっしするむね政令せいれいさだめることはできず、法律ほうりつ存在そんざい前提ぜんていになるとし[27]根拠こんきょとなる法律ほうりつ栄典えいてん制度せいど実施じっし憲法けんぽうはんするとする。

つぎに、政府せいふ見解けんかいは、憲法けんぽう41じょう後段こうだんさだめる「立法りっぽう」の意味いみ立法りっぽう事項じこう範囲はんいについて、「立法りっぽう」とは「国民こくみん権利けんり制限せいげんし、または義務ぎむほう規範きはん定立ていりつ」を意味いみし、かかるほう規範きはん定立ていりつ必要ひつようとする行為こうい法律ほうりつ事項じこうとする見解けんかい権利けんり制限せいげん事項じこうせつ)を前提ぜんていとして、栄典えいてん授与じゅよという行為こういは、国民こくみん権利けんり制限せいげんまた義務ぎむすものではなく、その意味いみ本来ほんらい法律ほうりつ事項じこうでなく、栄典えいてん授与じゅよ法律ほうりつ根拠こんきょ不要ふようとする。なお、内閣ないかくほう11じょうが「政令せいれいには、法律ほうりつ委任いにんがなければ、義務ぎむし、また権利けんり制限せいげんする規定きていもうけることができない。」とさだめるのも、同様どうよう見解けんかいつためである。これにたいして反対はんたいせつ立場たちばは、憲法けんぽう41じょう後段こうだんの「立法りっぽう」の意味いみを「およそ一般いっぱんてき抽象ちゅうしょうてきほう規範きはんすべて」とする見解けんかい一般いっぱんてきほう規範きはんせつ)を前提ぜんていとして、栄典えいてん授与じゅよは、およそ一般いっぱんてき法律ほうりつの受範しゃ特定とくてい多数たすうじんであること)かつ抽象ちゅうしょうてき法律ほうりつ規律きりつおよ事件じけん特定とくてい多数たすうであること)である行政ぎょうせい行為こういにあたることから、法律ほうりつ根拠こんきょ必要ひつようとする。なお、権利けんり制限せいげん事項じこうせつ立場たちばからも、一定いってい非行ひこうがあった場合ばあい勲章くんしょう褫奪ちだつすることなどをさだめた勲章くんしょう褫奪ちだつれい明治めいじ41ねんみことのりれいだい291ごう)については、法律ほうりつによってさだめるべき事項じこうふくむともほぐされるが、日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうどうれい政令せいれいとして改正かいせいされている。

また、現行げんこう栄典えいてん関係かんけい政令せいれいとみなされる太政官だじょうかん布告ふこくおよみことのりれい内閣ないかくれいおよ内閣ないかくれいとみなされる太政官だじょうかんたちかくれいとう法令ほうれいは、たして有効ゆうこうかどうかも問題もんだいとなる。このてん政府せいふ見解けんかいによれば、勲章くんしょう制定せいていけん明治めいじ8ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい54ごう)やだいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう及副あきらせいしきけん明治めいじ10ねん太政官だじょうかんたちだい97ごう)など現行げんこう栄典えいてん関係かんけい法令ほうれいは、憲法けんぽう98じょう1こうさだめる「この憲法けんぽう…の条規じょうきはんする法律ほうりつ命令めいれい詔勅しょうちょくおよ国務こくむかんするその行為こうい全部ぜんぶまた一部いちぶ」にあたらないため、日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうもなお効力こうりょくゆうしており、その命令めいれいとして適正てきせい手続てつづきによる改正かいせいているため、有効ゆうこうであるとする。これにたいして反対はんたいせつ立場たちばによれば、栄典えいてん授与じゅよ法律ほうりつ事項じこうであることを前提ぜんていとして、栄典えいてん関係かんけい法令ほうれいは、日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうさいげん効力こうりょくゆうする命令めいれい規定きてい効力こうりょくとうかんする法律ほうりつ昭和しょうわ22ねん法律ほうりつだい72ごう)1じょうにいう「日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうさいげん効力こうりょくゆうする命令めいれい規定きていで、法律ほうりつもっ規定きていすべき事項じこう規定きていするもの」に該当がいとうするところ、どうほう1じょうの4の「国会こっかい議決ぎけつ」により法律ほうりつあらためられなかったため、どうほう1じょうによって、1947ねん昭和しょうわ22ねん)12月31にちかぎりで失効しっこうしたとする[注釈ちゅうしゃく 12]

制度せいど現代げんだい

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1999ねん平成へいせい11ねん)12月に自由民主党じゆうみんしゅとう栄典えいてん制度せいど検討けんとうプロジェクトチームを[注釈ちゅうしゃく 13]よく2000ねん平成へいせい12ねん4がつ13にちに「栄典えいてん制度せいど改革かいかくについて」とだいする報告ほうこくしょをまとめた。同年どうねん9がつにはもり喜朗よしろう内閣ないかく総理そうり大臣だいじんが「栄典えいてん制度せいどかたかんする懇談こんだんかい」をき(平成へいせい12ねん9がつ26にち内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決裁けっさい)、以後いご8かい議論ぎろん2001ねん平成へいせい13ねん10月29にちに「栄典えいてん制度せいどかたかんする懇談こんだんかい報告ほうこくしょ」をまとめた。

だい1小泉こいずみ内閣ないかくによる2002ねん平成へいせい14ねん8がつ7にち閣議かくぎ決定けっていもとづき、よく2003ねん平成へいせい15ねん)に栄典えいてん関係かんけい政令せいれい改正かいせいおこなわれ、懇談こんだんかい報告ほうこくしょ沿ったかたち栄典えいてん制度せいど大幅おおはば見直みなおしがはかられた。だい1小泉こいずみ内閣ないかくだい1改造かいぞうないかくによる2003ねん平成へいせい15ねん5がつ20日はつか閣議かくぎ決定けっていで、あたらしい「勲章くんしょう授与じゅよ基準きじゅん」がめられた。叙勲じょくん官民かんみん格差かくさ改革かいかく対象たいしょうとなったほか、時代じだいにそぐわないというてんから数字すうじもちいる「くんとう形式けいしき勲等くんとう廃止はいしされ[注釈ちゅうしゃく 14]勲章くんしょう等級とうきゅう簡略かんりゃくされた。これまで男子だんしのみが対象たいしょうであった旭日きょくじつあきら性別せいべつわず授与じゅよされることになり、他方たほう女性じょせいのみに授与じゅよされていた宝冠章ほうかんしょう皇族こうぞく女子じょしまた外国がいこくじん女性じょせいへの儀礼ぎれいてき場合ばあいにのみ授与じゅよされる特別とくべつ勲章くんしょうとなった。また、叙勲じょくん候補者こうほしゃ一般いっぱん推薦すいせん制度せいどさだめられた。このとき改正かいせいでは瑞宝章ずいほうしょうの綬のいろ白地しろじ黄色おうしょくせんから青地あおじ黄色おうしょくせん変更へんこうされ、旭日きょくじつあきら同様どうようきりしたぼたん(ちゅう=勲章くんしょうとそれをげる金具かなぐあいだ付属ふぞくするかざ金具かなぐ)が追加ついかされた[注釈ちゅうしゃく 15]

栄典えいてん制度せいど関係かんけい法令ほうれい

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栄典えいてん制度せいど関係かんけい法令ほうれい以下いかとおり。以下いか法令ほうれい告示こくじは、位階いかいれいおよ位階いかいれい施行しこう細則さいそくについては内閣ないかく大臣だいじん官房かんぼう人事じんじ、その内閣ないかくしょうくんきょく所管しょかんする[28][29]

  • 日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい7じょうだい7ごう
  • 法律ほうりつ
    • なし
  • 政令せいれいとして効力こうりょく存続そんぞくしていると政府せいふかいしている法令ほうれい
    • 勲章くんしょう制定せいていけん明治めいじ8ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい54ごう
    • だいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう及副あきらせいしきけん明治めいじ10ねん太政官だじょうかんたちだい97ごう
    • 褒章ほうしょう条例じょうれい明治めいじ14ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい63ごう
    • 宝冠章ほうかんしょう及大くん菊花きっかあきら頸飾ニせきスルけん明治めいじ21ねんみことのりれいだい1ごう
    • 勲章くんしょう佩用はいようしき明治めいじ21ねんみことのりれいだい76ごう
    • 勲章くんしょう褫奪ちだつれい明治めいじ41ねんみことのりれいだい291ごう
    • 位階いかいれい大正たいしょう15ねんみことのりれいだい325ごう
    • 文化ぶんか勲章くんしょうれい昭和しょうわ12ねんみことのりれいだい9ごう
    • くらい勲章くんしょうとう返上へんじょう請願せいがんせきスルけん昭和しょうわ20ねんみことのりれいだい699ごう
  • 内閣ないかくれいおよ内閣ないかくれいとして効力こうりょく存続そんぞくしていると政府せいふかいしている法令ほうれい
    • 勲章くんしょう褫奪ちだつれい施行しこう細則さいそく明治めいじ41ねんかくれいだい2ごう
    • 位階いかいれい施行しこう細則さいそく大正たいしょう15ねんかくれいだい6ごう
    • くらい勲章くんしょうとう返上へんじょう請願せいがんせきスルけん施行しこうけん昭和しょうわ20ねんかくれいだい68ごう
    • 各種かくしゅ勲章くんしょうおよだいくん菊花きっかあきら頸飾の制式せいしきおよ形状けいじょうさだめる内閣ないかくれい平成へいせい15ねん内閣ないかくれいだい54ごう
    • 褒章ほうしょう制式せいしきおよ形状けいじょうさだめる内閣ないかくれい平成へいせい15ねん内閣ないかくれいだい55ごう
  • 告示こくじ
    • だいくん菊花きっかあきら頸飾りゃくくさり略章りゃくしょう佩用はいようけん明治めいじ35ねん内閣ないかく告示こくじだい2ごう
    • 勲章くんしょうとう着用ちゃくよう規程きてい昭和しょうわ39ねん総理府そうりふ告示こくじだい16ごう
    • 略綬りゃくじゅ略章りゃくしょう着用ちゃくよう規程きてい平成へいせい15ねん内閣ないかく告示こくじだい9ごう
    • 制服せいふくよう略綬りゃくじゅかんする規程きてい平成へいせい15ねん内閣ないかく告示こくじだい10ごう
  • 閣議かくぎ決定けってい閣議かくぎ了解りょうかい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決定けっていなど
    • 栄典えいてん制度せいど改革かいかくについて(平成へいせい14ねん8がつ7にち閣議かくぎ決定けってい
    • 勲章くんしょう授与じゅよ基準きじゅん平成へいせい15ねん5がつ20日はつか閣議かくぎ決定けってい
    • 勲章くんしょうおよ文化ぶんか勲章くんしょうかく受章じゅしょうしゃ選考せんこう手続てつづきについて(昭和しょうわ53ねん6がつ20日はつか閣議かくぎ了解りょうかい
    • 春秋しゅんじゅう叙勲じょくん候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう平成へいせい15ねん5がつ16にち内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決定けってい平成へいせい15ねん5がつ20日はつか閣議かくぎ報告ほうこく
    • 春秋しゅんじゅう外国がいこくじん叙勲じょくん候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう平成へいせい15ねん5がつ16にち内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決定けってい平成へいせい15ねん5がつ20日はつか閣議かくぎ報告ほうこく
    • 文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう平成へいせい2ねん12月12にち内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決定けってい平成へいせい2ねん12月14にち閣議かくぎ報告ほうこく
    • 危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくん受章じゅしょうしゃ選考せんこう手続てつづきについて(平成へいせい15ねん5がつ20日はつか閣議かくぎ了解りょうかい
    • 褒章ほうしょう受章じゅしょうしゃ選考せんこう手続てつづきについて(平成へいせい15ねん5がつ20日はつか閣議かくぎ了解りょうかい
    • 紺綬こんじゅ褒章ほうしょうとう授与じゅよ基準きじゅん昭和しょうわ55ねん11月28にち閣議かくぎ決定けってい
    • 勲章くんしょう記章きしょう褒章ほうしょうとう授与じゅよおよ伝達でんたつしきれい昭和しょうわ38ねん7がつ12にち閣議かくぎ決定けってい

りゃく年表ねんぴょう

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勲章くんしょう制度せいどかんするりゃく年表ねんぴょう[30]

年月日ねんがっぴ 事柄ことがら
明治めいじ4ねん
9月2にち
(1871ねん
10月15にち
賞牌しょうはい勲章くんしょう制度せいどひだりいん諮問しもん
1875ねん
明治めいじ8ねん
4がつ10日とおか 賞牌しょうはい欽定きんていみことのりはっする。賞牌しょうはい従軍じゅうぐんぱい制定せいていけん明治めいじ8ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい54ごう)を公布こうふ
12月31にち 10にん皇族こうぞく勲一等くんいっとう旭日大綬章あさひだいじゅしょう授与じゅよ
1876ねん
明治めいじ9ねん
10月12にち 正院しょういんしょうくん事務じむきょく設置せっち同年どうねん12がつ26にちしょうくんきょく改称かいしょう)。
11月15にち 賞牌しょうはい従軍じゅうぐんぱい制定せいていけん改正かいせい公布こうふ勲章くんしょう従軍じゅうぐん記章きしょう制定せいていけん明治めいじ9ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい141ごう)。賞牌しょうはい勲章くんしょう従軍じゅうぐんぱい従軍じゅうぐん記章きしょう)と改称かいしょう
12月27にち 詔書しょうしょにより、勲一等くんいっとう上位じょういだいくんく。
1877ねん
明治めいじ10ねん
7がつ25にち 勲等くんとう年金ねんきんれい旭日きょくじつあきら年金ねんきん)を制定せいてい
1886ねん
明治めいじ19ねん
10月25にち くんよんとう旭日きょくじつしょう綬章じゅしょうの綬に円形えんけい綵花(ロゼット)をくわえること(綬面圓形えんけい綵花)を官報かんぽう公示こうじ[31]
1888ねん
明治めいじ21ねん
1がつ4にち 宝冠章ほうかんしょう及大くん菊花きっかあきら頸飾ニせきスルけん明治めいじ21ねんみことのりれいだい1ごう)を公布こうふ宝冠章ほうかんしょう瑞宝章ずいほうしょう新設しんせつ旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょう菊花きっかあきら頸飾をく(明治めいじ21ねんみことのりれいだい1ごう)。
1889ねん
明治めいじ22ねん
2がつ11にち 大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう公布こうふ
1890ねん
明治めいじ23ねん
2がつ11にち 金鵄勲章きんしくんしょう新設しんせつ金鵄勲章きんしくんしょう等級とうきゅうせいしき佩用はいようしき(明治めいじ23ねんみことのりれいだい11ごう
11月29にち 大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう施行しこう
1894ねん
明治めいじ27ねん
10月3にち 金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきんれい明治めいじ27ねんみことのりれいだい173ごう)を公布こうふ
1896ねん
明治めいじ29ねん
4がつ13にち 宝冠章ほうかんしょうを5等級とうきゅうから8等級とうきゅう改正かいせい明治めいじ29ねんみことのりれいだい136ごう)。
1919ねん
大正たいしょう8ねん
5月21にち 女性じょせいにも瑞宝章ずいほうしょう授与じゅよできることとする(大正たいしょう8ねんみことのりれいだい232ごう)。
1936ねん
昭和しょうわ11ねん
6月1にち 勲記くんき書式しょしき改正かいせい。「日本国にっぽんこく皇帝こうてい」を「大日本帝國だいにっぽんていこく天皇てんのう」、「東京とうきょうみかどみや」を「宮城みやぎ」にあらためた[32]
1937ねん
昭和しょうわ12ねん
2がつ11にち 文化ぶんか勲章くんしょうれい昭和しょうわ12ねんみことのりれいだい9ごう)を公布こうふ
1941ねん
昭和しょうわ16ねん
6月28にち 勲等くんとう年金ねんきん金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきん廃止はいし
1946ねん
昭和しょうわ21ねん
5月3にち 生存せいぞんしゃ叙勲じょくん停止ていし閣議かくぎ決定けってい
11月3にち 日本国にっぽんこく憲法けんぽう公布こうふ
1947ねん
昭和しょうわ22ねん
5月3にち 日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこう内閣ないかく官制かんせい廃止はいしとうかんする政令せいれい昭和しょうわ22ねん政令せいれいだい4ごう)を公布こうふ貴族きぞくいんれい公式こうしきれい金鵄勲章きんしくんしょうじょたまもの条令じょうれいとう廃止はいしし、位階いかいれい一部いちぶ改正かいせいされる。
1948ねん
昭和しょうわ23ねん
6がつ10日とおか だい2かい国会こっかい栄典えいてん法案ほうあん提出ていしゅつ衆議院しゅうぎいん同年どうねん7がつ1にち可決かけつ参議院さんぎいん審査しんさ未了みりょう)。
10月15にち 文化ぶんか勲章くんしょう授与じゅよかんするけん」を閣議かくぎ決定けってい文化ぶんか文化ぶんか勲章くんしょう授与じゅよ
1949ねん
昭和しょうわ24ねん
6月1にち しょうくんきょく廃止はいしして内閣ないかく総理そうり大臣だいじん官房かんぼうしょうくん設置せっち
1951ねん
昭和しょうわ26ねん
4がつ3にち 文化ぶんか功労こうろうしゃ年金ねんきんほう昭和しょうわ26ねん125ごう)を公布こうふ
1952ねん
昭和しょうわ27ねん
12月17にち だい15かい国会こっかい栄典えいてん法案ほうあん提出ていしゅつ衆議院しゅうぎいん審査しんさ未了みりょう)。
1953ねん
昭和しょうわ28ねん
9月18にち 生存せいぞんしゃたいする叙勲じょくん取扱とりあつかいかんするけん」を閣議かくぎ決定けってい生存せいぞんしゃ叙勲じょくん一部いちぶ復活ふっかつ
1955ねん
昭和しょうわ30ねん
1がつ22にち 褒章ほうしょう条例じょうれい改正かいせい公布こうふ黄綬おうじゅ紫綬褒章しじゅほうしょう増設ぞうせつ
12月13にち 内閣ないかく臨時りんじ栄典えいてん制度せいど審議しんぎかい設置せっち(1956ねん昭和しょうわ31ねん)2がつまで)
1956ねん
昭和しょうわ31ねん
4がつ10日とおか だい24かい国会こっかい栄典えいてん法案ほうあん提出ていしゅつ衆議院しゅうぎいん継続けいぞく審査しんさだい25かい国会こっかい審査しんさ未了みりょう)。
1963ねん
昭和しょうわ38ねん
7がつ12にち 生存せいぞんしゃ叙勲じょくん開始かいしについて」「勲章くんしょう記章きしょう褒章ほうしょうとう授与じゅよおよ伝達でんたつしきれい」を閣議かくぎ決定けってい
1964ねん
昭和しょうわ39ねん
1がつ7にち 戦没せんぼつしゃ叙位じょいおよ叙勲じょくんについて」を閣議かくぎ決定けってい
4がつ21にち 叙勲じょくん基準きじゅん」を閣議かくぎ決定けってい同年どうねん4がつ28にち勲章くんしょうとう着用ちゃくよう規程きてい告示こくじ)。
4がつ25にち だい1回戦かいせんぼつしゃ叙勲じょくん発令はつれい同年どうねん4がつ29にちだい1かい生存せいぞんしゃ叙勲じょくん発令はつれい)。
7がつ1にち 総理府そうりふしょうくんきょく設置せっち内閣ないかく官房かんぼうしょうくん廃止はいし)。
1967ねん
昭和しょうわ42ねん
1がつ18にち きゅう勲章くんしょう年金ねんきん受給じゅきゅうしゃかんする特別とくべつ措置そちほう昭和しょうわ42ねん法律ほうりつだい1ごう)を公布こうふ
1970ねん
昭和しょうわ45ねん
10月16にち 戦没せんぼつしゃたいする賜杯しはいについて」を閣議かくぎ決定けってい
1978ねん
昭和しょうわ53ねん
6がつ20日はつか 勲章くんしょうおよ文化ぶんか勲章くんしょうかく受賞じゅしょうしゃ選考せんこう手続てつづきについて」を閣議かくぎ決定けってい
2000ねん
平成へいせい12ねん
9月26にち 内閣ないかく栄典えいてん制度せいどかたかんする懇談こんだんかい設置せっち同年どうねん10がつ5にちだい1かい会合かいごう)。
2001ねん
平成へいせい13ねん
1がつ6にち 中央ちゅうおう省庁しょうちょう再編さいへんにより、しょうくんきょく内閣ないかくかれる。
10月29にち 栄典えいてん制度せいどかたかんする懇談こんだんかい報告ほうこくしょ提出ていしゅつ
2002ねん
平成へいせい14ねん
8がつ7にち 栄典えいてん制度せいど改革かいかくについて」を閣議かくぎ決定けってい
8がつ12にち 勲章くんしょう従軍じゅうぐん記章きしょう制定せいていけん勲章くんしょう制定せいていけん明治めいじ8ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい54ごう)、褒章ほうしょう条例じょうれい明治めいじ14ねん太政官だじょうかん布告ふこく63ごう)、宝冠章ほうかんしょう及大くん菊花きっかあきら頸飾ニせきスルけん明治めいじ21ねんみことのりれいだい1ごう)の改正かいせい公布こうふ(いずれも施行しこうは2003ねん平成へいせい15ねん)5がつ1にち)。数字すうじもちいる「くんとう形式けいしき勲等くんとうくんななとうくんはちとう相当そうとうする勲章くんしょう廃止はいし
2003ねん
平成へいせい15ねん
5がつ20日はつか 勲章くんしょう授与じゅよ基準きじゅん」を閣議かくぎ決定けってい
11月3にち しん制度せいどによる叙勲じょくん発令はつれい危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくんはじめて発令はつれいされる。女性じょせいたいしてはじめて旭日きょくじつしょう授与じゅよされる。
2011ねん
平成へいせい23ねん
3がつ 東日本ひがしにっぽん大震災だいしんさい福島ふくしまだいいち原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこ影響えいきょうにより、はる叙勲じょくん危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくん褒章ほうしょう発令はつれい当面とうめん延期えんき[33]
6がつ 延期えんきされていたはる叙勲じょくん危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくん褒章ほうしょう授与じゅよ伝達でんたつおこなわれる(同年どうねん4がつ29にちづけ発令はつれい[34][35]
2016ねん
平成へいせい28ねん
2がつ 内閣ないかくに「時代じだい変化へんか対応たいおうした栄典えいてん授与じゅよかんする有識者ゆうしきしゃ懇談こんだんかい」が設置せっちされる[36][37]以後いごぜん4かい会合かいごうひらかれる。
9月16にち 栄典えいてん授与じゅよ中期ちゅうき重点じゅうてん方針ほうしん」(平成へいせい28ねん9がつ16にち閣議かくぎ了解りょうかい)を策定さくてい[36][38]
2019ねん
れい元年がんねん
5月21にち はる叙勲じょくん発令はつれい[39]例年れいねん4がつ29にちおこなわれる「はる叙勲じょくん」の発令はつれいを、同年どうねん5がつ1にちしん天皇てんのう即位そくい延期えんきしたため[40]

種類しゅるい序列じょれつ

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勲章くんしょう種類しゅるい

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現行げんこう日本にっぽん勲章くんしょう種類しゅるいおよびその英訳えいやくめいは、以下いかとおりである[5][41]

名称めいしょうしたぎょう英訳えいやくめい)・画像がぞう 備考びこう
だいくん菊花きっかあきら
Supreme Orders of the Chrysanthemum
日本にっぽんにおける最高さいこう勲章くんしょう
  だいくん菊花きっかあきら頸飾
Collar of the Supreme Order of the Chrysanthemum
だいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう
Grand Cordon of the Supreme Order of the Chrysanthemum
きりはなあきら
Order of the Paulownia Flowers
旭日大綬章あさひだいじゅしょうまたはみずたからだい綬章じゅしょう授与じゅよされるべきもののうち、そのくんまたは功労こうろうとくすぐれたもの授与じゅよされる。
  きりはなだい綬章じゅしょう
Grand Cordon of the Order of the Paulownia Flowers
旭日きょくじつあきら
Orders of the Rising Sun
国家こっかまたは公共こうきょうたいくん績あるもの授与じゅよされる。
  旭日大綬章あさひだいじゅしょう
Grand Cordon of the Order of the Rising Sun
旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう
Order of the Rising Sun, Gold and Silver Star
旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう
Order of the Rising Sun, Gold Rays with Neck Ribbon
旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう
Order of the Rising Sun, Gold Rays with Rosette
旭日きょくじつそう光章みつあき
Order of the Rising Sun, Gold and Silver Rays
旭日きょくじつたん光章みつあき
Order of the Rising Sun, Silver Rays
瑞宝章ずいほうしょう
Orders of the Sacred Treasure
国家こっかまたは公共こうきょうたい積年せきねん功労こうろうあるもの授与じゅよされる。
  みずたからだい綬章じゅしょう
Grand Cordon of the Order of the Sacred Treasure
みずたから重光しげみつあきら
Order of the Sacred Treasure, Gold and Silver Star
みずたからちゅう綬章じゅしょう
Order of the Sacred Treasure, Gold Rays with Neck Ribbon
みずたからしょう綬章じゅしょう
Order of the Sacred Treasure, Gold Rays with Rosette
みずたからそう光章みつあき
Order of the Sacred reasure, Gold and Silver Rays
みずたからたん光章みつあき
Order of the Sacred Treasure, Silver Rays
文化ぶんか勲章くんしょう
Order of Culture
文化ぶんか発達はったつかんくん卓絶たくぜつなるもの授与じゅよされる。
宝冠章ほうかんしょう
Orders of the Precious Crown
授与じゅよ対象たいしょう女性じょせいのみ。女性じょせい皇族こうぞく外国がいこくじんたいする儀礼ぎれい叙勲じょくんとう特別とくべつ場合ばあいかぎ運用うんようされる。
  宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう
Grand Cordon of the Order of the Precious Crown
宝冠ほうかん牡丹ぼたんあきら
Order of the Precious Crown, Peony
宝冠ほうかんしろちょうあきら
Order of the Precious Crown, Butterfly
宝冠ほうかん藤花ふじはなあきら
Order of the Precious Crown, Wistaria
宝冠ほうかんあんずあきら
Order of the Precious Crown, Apricot
宝冠ほうかん光章みつあき
Order of the Precious Crown, Ripple

勲章くんしょう序列じょれつ授与じゅよ伝達でんたつ

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かく勲章くんしょう序列じょれつ、および勲章くんしょう授与じゅよ伝達でんたつしきれいは、以下いかとお[5][42][43]

序列じょれつ 勲章くんしょう 授与じゅよ伝達でんたつ 参照さんしょう
きゅう制度せいど勲等くんとう
1 だいくん菊花きっかあきら頸飾 宮中きゅうちゅうにおいて授与じゅよしきおこない、天皇てんのうみずからが受章じゅしょうしゃ直接ちょくせつ授与じゅよする(宮中きゅうちゅう親授しんじゅしき)。 だいくん
2 だいくん菊花きっかだい綬章じゅしょう
3 きりはなだい綬章じゅしょう  勲一等くんいっとう
4  旭日大綬章あさひだいじゅしょう   みずたからだい綬章じゅしょう   宝冠ほうかんだい綬章じゅしょう   文化ぶんか勲章くんしょう[注釈ちゅうしゃく 16]
5  旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう   みずたから重光しげみつあきら   宝冠ほうかん牡丹ぼたんあきら  宮中きゅうちゅうにおいて授与じゅよしきおこない、天皇てんのう臨席りんせきのもとで内閣ないかく総理そうり大臣だいじん受章じゅしょうしゃ手交しゅこうする(宮中きゅうちゅう伝達でんたつしき)。 くんとう
6  旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう   みずたからちゅう綬章じゅしょう   宝冠ほうかんしろちょうあきら  内閣ないかく総理そうり大臣だいじんいのちけ、内閣ないかくしょうくん局長きょくちょう所管しょかん大臣だいじん伝達でんたつし、所管しょかん大臣だいじん適宜てきぎ受章じゅしょうしゃ伝達でんたつする。 くんさんとう
7  旭日きょくじつしょう綬章じゅしょう   みずたからしょう綬章じゅしょう   宝冠ほうかん藤花ふじはなあきら  くんよんとう
8  旭日きょくじつそう光章みつあき   みずたからそう光章みつあき   宝冠ほうかんあんずあきら  くんとう
9  旭日きょくじつたん光章みつあき   みずたからたん光章みつあき   宝冠ほうかん光章みつあき  くんろくとう

天皇てんのう皇族こうぞく佩用はいようする勲章くんしょう

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勲章くんしょう天皇てんのう授与じゅよされるが、天皇てんのう自身じしん佩用はいようする。天皇てんのう佩用はいようするのは、最高さいこうだいくん菊花きっかあきら頸飾のほか、きりはなだい綬章じゅしょうおよ文化ぶんか勲章くんしょうである[45]重要じゅうよう儀式ぎしき儀礼ぎれいさいにはだいくん菊花きっかあきら頸飾およきりはなだい綬章じゅしょうを、文化ぶんか勲章くんしょう親授しんじゅしきには文化ぶんか勲章くんしょうをそれぞれ佩用はいようする。これらの勲章くんしょうはいずれも、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決裁けっさいにより天皇てんのう[46]

また、皇族こうぞく勲章くんしょう佩用はいようする[注釈ちゅうしゃく 17]。この勲章くんしょう通常つうじょう成年せいねんむかえたさいに、廃止はいしされた「皇族こうぞくれい」を準用じゅんよう閣議かくぎ決定けっていにより天皇てんのう授与じゅよしたものである。

受章じゅしょうしゃすう

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春秋しゅんじゅう叙勲じょくん受章じゅしょうしゃすう

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しん制度せいどによる叙勲じょくん発令はつれいされた平成へいせい15ねん(2003ねんあき以降いこう春秋しゅんじゅう叙勲じょくん受章じゅしょうしゃすうつぎとお[47]

平成へいせい15ねん
(2003ねん
平成へいせい16ねん
(2004ねん
平成へいせい17ねん
(2005ねん
平成へいせい18ねん
(2006ねん
平成へいせい19ねん
(2007ねん
平成へいせい20ねん
(2008ねん
平成へいせい21ねん
(2009ねん
平成へいせい22ねん
(2010ねん
平成へいせい23ねん
(2011ねん
平成へいせい24ねん
(2012ねん
平成へいせい25ねん
(2013ねん
平成へいせい26ねん
(2014ねん
平成へいせい27ねん
(2015ねん
平成へいせい28ねん
(2016ねん
平成へいせい29ねん
(2017ねん
平成へいせい30ねん
(2018ねん
れい元年がんねん
(2019ねん
れい2ねん
(2020ねん
れい3ねん
(2021ねん
れい4ねん
(2022ねん
れい5ねん
(2023ねん
れい6ねん
(2024ねん
はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき はる あき
だいくん
菊花きっかあきら
頸飾 0000 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
だい綬章じゅしょう 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
きりはなあきら だい綬章じゅしょう 0 0 0 1 0 1 1 0 2 1 0 0 0 2 1 1 1 0 0 1 0 0 0 0 1 0 1 1 0 0 2 1 1 0 0 0 0 1 0 0 0 1
旭日きょくじつあきら だい綬章じゅしょう 9 8 12 2 8 6 1 6 8 4 4 7 11 9 12 5 3 4 2 16 9 6 6 10 7 7 7 6 5 16 6 8 6 6 6 2 2 11 6 5 14 8
重光しげみつあきら 14 8 10 7 8 8 9 5 19 9 12 11 13 8 13 11 12 15 9 8 14 12 9 12 18 7 17 11 17 18 21 15 16 8 12 10 9 14 13 8 17 12
ちゅう綬章じゅしょう 122 70 52 43 50 53 45 41 94 46 40 40 35 41 40 39 59 54 38 44 32 44 46 24 44 45 43 46 50 49 38 48 63 64 42 41 48 48 51 38 66 72
しょう綬章じゅしょう 252 303 262 243 217 214 185 201 218 275 221 209 201 186 185 166 204 230 210 190 203 180 176 174 173 225 200 190 193 204 219 205 225 261 201 211 159 186 166 171 200 250
そう光章みつあき 531 496 535 545 550 566 605 599 535 490 564 539 563 558 569 566 522 488 555 570 589 539 549 555 578 510 560 577 588 523 511 517 524 499 575 537 519 479 495 456 479 448
たん光章みつあき 78 67 75 73 73 83 72 86 85 106 86 73 65 73 70 86 75 106 100 83 86 108 109 128 99 105 100 147 179 166 180 198 171 174 187 188 186 181 189 183 182 194
瑞宝章ずいほうしょう だい綬章じゅしょう 6 4 2 2 1 0 6 3 6 2 3 2 1 2 1 1 1 2 4 4 2 4 1 0 1 3 0 3 1 7 0 1 1 1 1 3 1 4 3 2 2 3
重光しげみつあきら 39 36 36 36 37 27 43 37 37 34 44 42 41 36 20 26 33 32 34 29 38 41 37 41 36 27 34 36 45 34 36 37 35 30 36 35 32 33 31 31 26 39
ちゅう綬章じゅしょう 258 253 264 241 243 265 251 248 241 250 262 288 274 286 267 270 294 264 259 266 283 281 257 283 271 256 257 276 278 295 290 308 316 284 292 322 311 304 268 295 302 300
しょう綬章じゅしょう 663 722 702 665 691 703 681 685 679 587 695 707 674 732 725 735 700 755 704 713 761 733 695 689 676 704 701 680 686 691 723 701 641 692 673 649 679 669 675 657 642 631
そう光章みつあき 1132 1102 1077 1209 1101 1100 1094 1126 1121 1168 1061 1039 1035 1013 1017 1005 1001 995 894 1021 988 1007 983 1023 926 1037 998 1025 940 1038 920 1056 980 1027 969 1045 995 1024 989 1067 1051 1119
たん光章みつあき 963 946 1036 990 1049 1021 1035 999 1015 1001 1036 1111 1111 1072 1253 1153 1174 1165 1131 1154 1188 1149 1060 1147 1134 1097 1137 1082 1121 1110 1133 1130 1132 1135 1106 1093 1095 1089 1113 1096 1094 1029
小計しょうけい 4067 4015 4063 4057 4028 4047 4028 4036 4060 3973 4028 4068 4024 4018 4173 4064 4079 4110 3940 4099 4193 4104 4028 4086 3964 4023 4055 4080 4103 4151 4079 4225 4111 4181 4100 4136 4036 4034 3999 4009 4075 4106
賜杯しはい
[注釈ちゅうしゃく 18]
銀杯ぎんぱい 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
木杯もくはい 1 0 2 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
合計ごうけい 4068 4016 4065 4057 4028 4047 4028 4036 4061 3973 4028 4068 4024 4019 4173 4064 4079 4110 3940 4099 4193 4104 4028 4086 3964 4023 4055 4080 4103 4151 4079 4225 4111 4181 4100 4136 4036 4034 3999 4009 4075 4106

危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくん受章じゅしょうしゃすう

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2003ねん平成へいせい15ねん)11月のだい1かい以降いこう2015ねん平成へいせい27ねん)11がつまでの危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくん受章じゅしょうしゃすうは、以下いかとお[48]。カッコない女性じょせい受章じゅしょうしゃすううちすう

年次ねんじ 警察官けいさつかん 自衛じえいかん 消防しょうぼう吏員りいん 刑務けいむかんひとし 海上かいじょう保安ほあんかん 合計ごうけい
だい1かい 2003ねん平成へいせい15ねん)11月 1923 (3) 887 (3) 634 (0) 1 (0) 90 (0) 3535 (6)
だい2かい 2004ねん平成へいせい16ねん)4がつ 1743 (3) 939 (5) 650 (0) 0 (0) 100 (0) 3432 (8)
だい3かい 2004ねん平成へいせい16ねん)11月 1759 (4) 942 (4) 627 (0) 169 (3) 84 (0) 3581 (11)
だい4かい 2005ねん平成へいせい17ねん)4がつ 1804 (2) 928 (4) 604 (0) 180 (1) 80 (0) 3596 (7)
だい5かい 2005ねん平成へいせい17ねん)11月 1802 (3) 929 (3) 604 (0) 179 (1) 79 (0) 3593 (7)
だい6かい 2006ねん平成へいせい18ねん)4がつ 1806 (3) 917 (1) 608 (0) 180 (0) 80 (0) 3591 (4)
だい7かい 2006ねん平成へいせい18ねん)11月 2022 (5) 680 (1) 623 (0) 179 (3) 90 (0) 3594 (9)
だい8かい 2007ねん平成へいせい19ねん)4がつ 1993 (2) 695 (4) 634 (0) 179 (1) 90 (0) 3591 (7)
だい9かい 2007ねん平成へいせい19ねん)11月 1817 (2) 933 (4) 602 (0) 179 (0) 85 (0) 3616 (6)
だい10かい 2008ねん平成へいせい20ねん)4がつ 1816 (0) 935 (4) 602 (0) 179 (1) 85 (0) 3617 (5)
だい11かい 2008ねん平成へいせい20ねん)11月 1816 (2) 932 (3) 610 (0) 169 (0) 85 (0) 3612 (5)
だい12かい 2009ねん平成へいせい21ねん)4がつ 1827 (4) 932 (7) 614 (0) 160 (1) 84 (0) 3617 (12)
だい13かい 2009ねん平成へいせい21ねん)11月 1832 (1) 936 (6) 615 (0) 148 (0) 85 (0) 3616 (7)
だい14かい 2010ねん平成へいせい22ねん)4がつ 1835 (4) 936 (4) 619 (0) 145 (2) 88 (0) 3623 (10)
だい15かい 2010ねん平成へいせい22ねん)11月 1835 (0) 937 (5) 619 (0) 144 (0) 87 (0) 3622 (5)
だい16かい 2011ねん平成へいせい23ねん)4がつ 1828 (3) 935 (3) 610 (1) 147 (0) 89 (0) 3609 (7)
だい17かい 2011ねん平成へいせい23ねん)11月 1839 (1) 934 (7) 622 (0) 136 (1) 93 (0) 3624 (9)
だい18かい 2012ねん平成へいせい24ねん)4がつ 1842 (1) 941 (8) 620 (0) 137 (2) 94 (0) 3634 (11)
だい19かい 2012ねん平成へいせい24ねん)11月 1835 (1) 941 (9) 621 (0) 137 (3) 99 (0) 3633 (13)
だい20かい 2013ねん平成へいせい25ねん)4がつ 1853(2) 936(5) 625(0) 137(1) 94(0) 3645(8)
だい21かい 2013ねん平成へいせい25ねん)11月 1838(0) 930(6) 621(0) 140(1) 86(0) 3615(7)
だい22かい 2014ねん平成へいせい26ねん)4がつ 1839(2) 935(6) 632(0) 139(0) 84(0) 3629(8)
だい23かい 2014ねん平成へいせい26ねん)11月 1845(0) 933(4) 623(2) 138(2) 63(0) 3602(8)
だい24かい 2015ねん平成へいせい27ねん)4がつ 1836(3) 934(8) 620(0) 137(1) 84(0) 3611(12)
だい25かい 2015ねん平成へいせい27ねん)11月 1840(3) 933(3) 638(0) 137(2) 60(0) 3608(8)
合計ごうけい 46,025(54) 22,810(117) 15,497(3) 3,576(26) 2,138(0) 90,046(200)

文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうしゃすう

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2003ねん平成へいせい15ねん以降いこう文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうしゃすうは、以下いかとお[49]。カッコない女性じょせい受章じゅしょうしゃすううちすう

年次ねんじ 2003ねん
平成へいせい15ねん
2004ねん
平成へいせい16ねん
2005ねん
平成へいせい17ねん
2006ねん
平成へいせい18ねん
2007ねん
平成へいせい19ねん
2008ねん
平成へいせい20ねん
2009ねん
平成へいせい21ねん
2010ねん
平成へいせい22ねん
2011ねん
平成へいせい23ねん
2012ねん
平成へいせい24ねん
2013ねん
平成へいせい25ねん
2014ねん
平成へいせい26ねん
2015ねん
平成へいせい27ねん
文化ぶんか勲章くんしょう 5 (1) 5 (0) 5 (1) 5 (1) 5 (0) 8 (1) 5 (0) 7 (1) 5 (0) 6 (0) 5 (0) 7(1) 7(1)

勲記くんき

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勲記くんき内容ないよう

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明治天皇めいじてんのう親署しんしょ御名ぎょめい)と国璽こくじ。この国璽こくじは1874ねん明治めいじ7ねん)に製作せいさくされて現在げんざい使用しようされており、すべての勲記くんきにおされている。
2017ねん平成へいせい29ねん)に旭日きょくじつそう光章みつあき受章じゅしょうしたチェコの写真しゃしんズデニェク・トーマチェコばんおくられた勲記くんき[50]

勲章くんしょう受章じゅしょうしゃには、勲章くんしょうほか勲記くんき授与じゅよされる。勲記くんきとは受章じゅしょうしゃ氏名しめい受章じゅしょうする勲章くんしょう名称めいしょう受章じゅしょう年月日ねんがっぴ授与じゅよけんしゃ名称めいしょうとう表示ひょうじして、国璽こくじをおした証書しょうしょである。勲記くんき文面ぶんめん内容ないようは、勲章くんしょう種別しゅべつにより若干じゃっかんことなる(いずれもたてき)[30]

日本国にっぽんこく天皇てんのうは ○ ○ ○ ○ に
  ○ ○ ○ ○  を授与じゅよする
皇居こうきょにおいてみずからめいしょし
璽をおさせる
御名ぎょめい国璽こくじ
れいねんがつにち
  内閣ないかく総理そうり大臣だいじん○○○○しるし
   内閣ないかくしょうくん局長きょくちょう○○○○しるし
だい○○○○ごう
  • 上記じょうき以外いがい
日本国にっぽんこく天皇てんのうは○ ○ ○ ○に
 ○ ○ ○ ○ を授与じゅよする
皇居こうきょにおいて璽をおさせる
国璽こくじ
れいねんがつにち
  内閣ないかく総理そうり大臣だいじん○○○○しるし
    内閣ないかくしょうくん局長きょくちょう○○○○しるし
だい○○○○ごう

なお外国がいこくじんたいする叙勲じょくん場合ばあいは、「授与じゅよする」が「贈与ぞうよする」に、また皇居こうきょ以外いがい場所ばしょたとえば赤坂あかさか御所ごしょにおいて親署しんしょ国璽こくじされた場合ばあい、「皇居こうきょにおいて」が「赤坂あかさかにおいて」などと変化へんかする。

勲記くんき用紙ようし抄造しょうぞう印刷いんさつなどは独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国立こくりつ印刷いんさつきょくおこなっている。勲記くんきには上記じょうき文面ぶんめん署名しょめい御璽ぎょじしるしほか授与じゅよされる勲章くんしょう図柄ずがら模型もけい、もがた)がまれている。この模型もけい印刷いんさつには、デカルコマニア(Decalcomania、うつ印刷いんさつ)とばれる技法ぎほうもちいられている。この技法ぎほう熟練じゅくれん職人しょくにん一色いっしょくずつ手作業てさぎょう転写てんしゃいろせていくもので、数日すうじつがかりでおこなわれる。また、勲記くんき中央ちゅうおう真上まうえには菊花きっか紋章もんしょう印刷いんさつされている。この菊花きっか紋章もんしょう金下かなげりののちじゅん金粉きんぷん塗布とふ、さらに空押からおし(きだし)をおこなってつくりあげたもので印刷いんさつとはおもえないほどがってえる[22]

ゆうくんしょうじょうゆうくん証明しょうめいしょ

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勲記くんき類似るいじした文書ぶんしょゆうくんしょうじょうがある[51]ゆうくんしょうじょうは、勲記くんき紛失ふんしつした場合ばあいに、受章じゅしょうしゃ本人ほんにんからの申請しんせいにより交付こうふされる文書ぶんしょである[51]くに印章いんしょうである国璽こくじ使つかわれていることから、理由りゆう如何いかわず、勲記くんきそのものがくにからさい交付こうふされることはない[52]。なお、受章じゅしょうしゃ親等しんとう以内いない遺族いぞくは、ゆうくん証明しょうめいしょ交付こうふ申請しんせいできる[52]

調製ちょうせい

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勲章くんしょう製造せいぞう

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日本にっぽん勲章くんしょうは、すべて独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん造幣局ぞうへいきょく製造せいぞうされている[53]造幣局ぞうへいきょくではあきらはいるい製造せいぞうは1887ねん明治めいじ20ねん)から、勲章くんしょう褒章ほうしょうとう製造せいぞう昭和しょうわ初期しょきからっている[22][注釈ちゅうしゃく 19]。2007ねん平成へいせい19ねんには、造幣局ぞうへいきょく内閣ないかくしょうくんきょくとのあいだ締結ていけつした勲章くんしょう製造せいぞう請負うけおい契約けいやくもとづき27,436製造せいぞうおこない、納品のうひんした[57]。なお、勲章くんしょう製造せいぞうたずさわる職人しょくにん造幣局ぞうへいきょく職員しょくいんであることから国家こっか公務員こうむいん身分みぶんあつかわれ[58]、1970ねん昭和しょうわ45ねん)に40ねんおよ勤務きんむ表彰ひょうしょうされて後輩こうはい職員しょくいん製造せいぞうしたくんろくとう瑞宝章ずいほうしょう授与じゅよされた田辺たなべ勝次郎かつじろうれいがある[59][60][61]

勲章くんしょう製造せいぞう工程こうていは、おおむね10工程こうていほどからなっている[22][62]

  1. 極印ごくいん(こくいん) : まず勲章くんしょう原図げんずもとに「原版げんばん」をつくる。原版げんばん石膏せっこう実物じつぶつの4〜5ばいおおきさにつくりNC彫刻ちょうこく鋼材こうざい原寸げんすん勲章くんしょう模様もようり、「極印ごくいん」をつくる。できあがった極印ごくいんは、模様もよう鮮明せんめいにするために修正しゅうせいする。
  2. あつうつし : 極印ごくいんをプレスあつうつし)にけて、ぎん材料ざいりょうばん勲章くんしょう模様もようをプレスする。プレスされた材料ざいりょうがた勲章くんしょうかたちき、あきらとする。
  3.  : いとのこやワイヤーカットで、かたちにそってく。
  4. ヤスリ : 数種類すうしゅるいのヤスリをもちいて、あきら形状けいじょうととのえる。
  5. 七宝しっぽう : 七宝しっぽうはい部分ぶぶん釉薬ける。
  6. 七宝しっぽう : 電気でんきれて釉薬をける。七宝しっぽうけとけは5かいほどかえし、そのあいだ、ピンホールなどのキズを修正しゅうせいする。
  7. 羽布はぶ(ばふ) : 木綿こわたぬのたばねた「羽布はぶ」(ばふ)を回転かいてんさせて研磨けんますることにより、光沢こうたくす。
  8. メッキ : 必要ひつよう部分ぶぶんきんメッキをくわえる。
  9. 組立くみたて : 各種かくしゅ部品ぶひんてて完成かんせい

勲章くんしょう紛失ふんしつ破損はそん

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勲章くんしょう紛失ふんしつまたは破損はそんした場合ばあい理由りゆう如何いかわず、くにから勲章くんしょうさい交付こうふすることはない。しかし、自費じひ調製ちょうせいまたは修理しゅうりすることはできる[51]調製ちょうせい希望きぼうする場合ばあいは、内閣ないかくしょうくんきょく発行はっこうする、受章じゅしょうしゃであることの証明しょうめいねた「勲章くんしょう調製ちょうせい通知つうちしょ」の交付こうふけたのちに、独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん造幣局ぞうへいきょく注文ちゅうもんする。修理しゅうり場合ばあいは、「勲章くんしょう修理しゅうり通知つうちしょ」の交付こうふけて、造幣局ぞうへいきょく修理しゅうりもうむことになる。

略章りゃくしょう

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造幣局ぞうへいきょくは、1967ねんころよりくんろくとう以上いじょう対象たいしょう略章りゃくしょうである「りゃくしょう勲章くんしょう[63]調製ちょうせいしており[64]、2003ねん5がつ1にちからは略綬りゃくじゅ略章りゃくしょう着用ちゃくよう規程きてい平成へいせい15ねん5がつ1にち内閣ないかく告示こくじだい9ごう)により法的ほうてきさだめられているが[65]受章じゅしょう同時どうじくにから交付こうふされるものではなく、必要ひつようとする個人こじん造幣局ぞうへいきょくへ「叙勲じょくん内容ないよう通知つうちしょ」を提示ていじして直接ちょくせつ注文ちゅうもんすることになっている[66]りゃくしょう勲章くんしょう意匠いしょうかく勲章くんしょう正章まさあきじゅんじ、綬にかく略綬りゃくじゅおなじロゼットを仕付しつけて等級とうきゅうしめ[63]寸法すんぽうたてやく6cm(宝冠章ほうかんしょうは5.5cm)、よこやく2cmである[66]。なお、褒章ほうしょうについては略綬りゃくじゅ存在そんざいするが、ほぼしょう勲章くんしょう存在そんざいしない[66]

勲章くんしょう年金ねんきん

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勲等くんとう年金ねんきん
勲等くんとう 上限じょうげん 下限かげん
勲一等くんいっとう 840えん 740えん
くんとう 600えん 500えん
くんさんとう 360えん 260えん
くんよんとう 180えん 135えん
くんとう 125えん 115えん
くんろくとう 100えん 85えん
くんななとう 75えん 60えん
くんはちとう 50えん 40えん
※1 : 廃止はいしきゅうがくひょうによる[注釈ちゅうしゃく 20]
※2 : このほか勲一等くんいっとう旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょう受章じゅしょうしゃは、
1500えん年金ねんきんさだめられていた。
金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきん
こうきゅう 定額ていがく
こういちきゅう 1500えん
こうきゅう 1000えん
こうさんきゅう 700えん
こうよんきゅう 500えん
こうきゅう 350えん
こうろくきゅう 250えん
こうななきゅう 150えん
※1 : 廃止はいしがく[注釈ちゅうしゃく 21]

明治めいじ政府せいふは、1877ねん明治めいじ10ねん7がつ25にち勲等くんとう年金ねんきんれい旭日きょくじつあきら年金ねんきん)を制定せいていして、じょされた勲等くんとうしたが終身しゅうしん年金ねんきん支給しきゅうすることとした。1894ねん明治めいじ27ねん)には、金鵄勲章きんしくんしょう受章じゅしょうしゃたいする年金ねんきん支給しきゅうさだめる金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきんれい明治めいじ27ねんみことのりれいだい173ごう)を公布こうふした。さらに、1915ねん大正たいしょう4ねん)には、勲一等くんいっとう旭日きょくじつきりはなだい綬章じゅしょう受章じゅしょうしゃのうち、とく顕著けんちょ功績こうせきげたものにも1500えん終身しゅうしん年金ねんきん支給しきゅうすることとした。しかし、財政ざいせい状況じょうきょう悪化あっかとうにより、1941ねん昭和しょうわ16ねん)には勲等くんとう年金ねんきんおよび金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきんのいずれも廃止はいしされ、以後いご受章じゅしょうしゃたいしては年金ねんきん支給しきゅうしないこととした。また、1945ねん昭和しょうわ20ねん)12がつ末日まつじつかぎりにおいて、それまで支給しきゅうされていた勲章くんしょう年金ねんきん勲等くんとう年金ねんきんおよび金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきん)についても一切いっさい廃止はいしされた。

1947ねん昭和しょうわ22ねん)に施行しこうされた日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい14じょう3こうでは、「栄誉えいよ勲章くんしょうその栄典えいてん授与じゅよは、いかなる特権とっけんともはない。栄典えいてん授与じゅよは、げんにこれをゆうし、また将来しょうらいこれをけるものいちだいかぎり、その効力こうりょくゆうする。」とされた。

1967ねん昭和しょうわ42ねん)には、金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきんれいもとづく金鵄勲章きんしくんしょう年金ねんきんけていたものたいして10まんえんいちきん支給しきゅうするきゅう勲章くんしょう年金ねんきん受給じゅきゅうしゃかんする特別とくべつ措置そちほう昭和しょうわ42ねん法律ほうりつだい1ごう)がさだめられた[67][注釈ちゅうしゃく 22]どうほう国会こっかい審議しんぎにおいて憲法けんぽう14じょう3こうとの関係かんけい問題もんだいとなったが、政府せいふはこの一時いちじきん支給しきゅう従来じゅうらいけていた経済けいざいてき利益りえきたいする損失そんしつ補償ほしょうであって栄典えいてん授与じゅよともな特権とっけんではないとしてどうじょうには違反いはんしないと答弁とうべんした[68]

1951ねん昭和しょうわ26ねん)には文化ぶんか功労こうろうしゃ年金ねんきんほう昭和しょうわ26ねん法律ほうりつだい125ごう)が公布こうふ施行しこうされ、「文化ぶんか向上こうじょう発達はったつかんとく功績こうせき顕著けんちょもの」である文化ぶんか功労こうろうしゃたいして、年額ねんがく350まんえん平成へいせい22年度ねんど現在げんざい規程きてい最新さいしん改正かいせい1982ねん昭和しょうわ57ねん)。)の年金ねんきん支給しきゅうされている。一方いっぽう、「文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう[69]は、文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう候補者こうほしゃについて、文部もんぶ科学かがく大臣だいじんが「文化ぶんか発達はったつかんくん卓絶たくぜつもの文化ぶんか功労こうろうしゃのうちから選考せんこう」して、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん推薦すいせんするとさだめている。

勲章くんしょう年金ねんきんともなうことの是非ぜひ問題もんだいとなったことから現行げんこう制度せいど勲章くんしょう年金ねんきんとを直結ちょっけつさせていない[70]。したがって、勲章くんしょう授与じゅよあわせて金品きんぴん年金ねんきん支給しきゅうすることはない。ただ、文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょうしゃ文化ぶんか功労こうろうしゃなかからえらばれるのを通例つうれいとするため(文化ぶんか勲章くんしょう受章じゅしょう候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう (PDF)文化ぶんか功労こうろうしゃとしての年金ねんきん支給しきゅうされることになる。政府せいふ見解けんかいによれば文化ぶんか勲章くんしょう文化ぶんか功労こうろうしゃは、制度せいどとしては別々べつべつ運用うんようされているため憲法けんぽう14じょう3こうには抵触ていしょくしないと解釈かいしゃくされている[71]。しかし、そもそも文化ぶんか功労こうろうしゃ地位ちい自体じたい栄典えいてんであり年金ねんきん自体じたい栄典えいてんともな特権とっけんであるとすれば合憲ごうけんせい問題もんだいのこることになるが[70]憲法けんぽうがくじょう常識じょうしきてきにみて功績こうせき表彰ひょうしょうするのに相応そうおう限度げんどないのものであればほうした平等びょうどうはんするものとはえないとほぐされている[72]

その栄典えいてん

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くにあたえる栄典えいてんには勲章くんしょうほか褒賞ほうしょう褒章ほうしょう褒状ほうじょう賞杯しょうはい)と位階いかいがある。

  • 褒章ほうしょう
  • 賞杯しょうはい
  • 位階いかい

その内閣ないかく各省かくしょう大臣だいじんかく地方自治体ちほうじちたいおおきな功績こうせきがあったものたいして勲章くんしょう褒賞ほうしょうえて、あるいは時機じきおうじて顕彰けんしょうするため各種かくしゅ表彰ひょうしょうおこなっている。これらは日本国にっぽんこく憲法けんぽうだい7じょうだい7ごうの「栄典えいてん」にはあたらないものの、勲章くんしょう褒賞ほうしょうなら栄誉えいよにあたる。

時機じきおうじた顕彰けんしょうのための表彰ひょうしょうとしては、内閣ないかく総理そうり大臣だいじん表彰ひょうしょう一種いっしゅである国民こくみん栄誉えいよしょうがある。国民こくみん栄誉えいよしょう勲章くんしょう褒賞ほうしょうほど厳格げんかく授与じゅよ基準きじゅん授与じゅよ手続てつづきさだめられていないため、その時々ときどき人気にんきしゃ受賞じゅしょうすることもおおい。

警察庁けいさつちょう長官ちょうかん警察官けいさつかん功労こうろうある市民しみんあたえる記章きしょう消防庁しょうぼうちょう長官ちょうかん消防しょうぼう吏員りいんならびに消防しょうぼうだんいんあたえる記章きしょう行政ぎょうせい機関きかん地方ちほう公共こうきょう団体だんたいあたえる各種かくしゅ栄誉えいよあきら日本赤十字社にほんせきじゅうじしゃあたえる有功ゆうこうしょうなど表彰ひょうしょうあわせてメダルがた記章きしょう授与じゅよするものもある。

自衛隊じえいたい防衛ぼうえい記念きねんあきらひと

自衛じえいかん表彰ひょうしょう賞詞しょうし部隊ぶたい表彰ひょうしょう)にあわせてメダルがた記章きしょうである防衛ぼうえい功労こうろうあきら部隊ぶたい功績こうせき貢献こうけんしょう授与じゅよされる。また、表彰ひょうしょう意味合いみあいと各人かくじん経歴けいれきしめすシンボルの意味いみあわ防衛ぼうえい記念きねんあきら自衛じえいかん着用ちゃくようできるもので、着用ちゃくよう理由りゆうとなった功績こうせき内容ないよう経歴けいれきおうじて48しゅある。

なお勲章くんしょうOrder英訳えいやくされるのにたいし、褒章ほうしょうならびに記章きしょうMedalやくされ区別くべつされている。

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ しのこと
  2. ^ 着用ちゃくようのこと
  3. ^ Médaille。フランス語ふらんすごでメダルの、メダイルとも。
  4. ^ 題名だいめいがないため、件名けんめいばれる。賞牌しょうはい従軍じゅうぐんぱい制定せいていけんよく1874ねん明治めいじ9ねん施行しこう太政官だじょうかん布告ふこく明治めいじ9ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい141ごう)による改正かいせい勲章くんしょう従軍じゅうぐん記章きしょう制定せいていけんばれ、さらに2003ねん平成へいせい15ねん)5がつ1にち施行しこう政令せいれい平成へいせい14ねん政令せいれいだい277ごう)による改正かいせい勲章くんしょう制定せいていけんばれる。
  5. ^ 上位じょういからじゅん旭日大綬章あさひだいじゅしょう旭日重光章きょくじつじゅうこうしょう旭日きょくじつちゅう綬章じゅしょう旭日きょくじつしょう綬章じゅしょうそうひかり旭日きょくじつあきらたんひかり旭日きょくじつあきら青色あおいろきりあきら白色はくしょくきりしょうの8しゅ
  6. ^ 現在げんざい制式せいしきは、各種かくしゅ勲章くんしょうおよだいくん菊花きっかあきら頸飾の制式せいしきおよ形状けいじょうさだめる内閣ないかくれい平成へいせい15ねん内閣ないかくれいだい54ごう)にさだめられる。
  7. ^ 1878ねん明治めいじ11ねん)3がつ長官ちょうかん総裁そうさいふく長官ちょうかんふく総裁そうさい改称かいしょう明治めいじ11ねん太政官だじょうかんたちだい8ごう)。
  8. ^ 菊花きっかだい綬章じゅしょう菊花きっかしょう制式せいしきは、よく1877ねん明治めいじ10ねん)の太政官だじょうかんたち明治めいじ10ねん太政官だじょうかんたちだい97ごう)によりさだめられた。のち菊花きっかあきらは、菊花きっかだい綬章じゅしょうふくしょうとされた。
  9. ^ 金鵄勲章きんしくんしょう日本国にっぽんこく憲法けんぽう施行しこうともな1947ねん昭和しょうわ22ねん)に廃止はいしされた
  10. ^ それぞれ、だい2かい国会こっかいかくほうだい118ごう1948ねん昭和しょうわ23ねん)6がつ提出ていしゅつ)、だい15かい国会こっかいかくほうだい33ごう1952ねん昭和しょうわ27ねん)12月提出ていしゅつ)、だい24かい国会こっかいかくほうだい160ごう1956ねん昭和しょうわ31ねん)4がつ提出ていしゅつ)のいずれも内閣ないかく提出ていしゅつした「栄典えいてん法案ほうあん」である。
  11. ^ このとき暫定ざんていてき設定せっていされた70さい以上いじょうという年齢ねんれい要件ようけんはその春秋しゅんじゅう叙勲じょくん原則げんそくとなり、現行げんこう春秋しゅんじゅう叙勲じょくん候補者こうほしゃ推薦すいせん要綱ようこう2003ねん平成へいせい15ねん5月16にち内閣ないかく総理そうり大臣だいじん決定けっていどう20日はつか閣議かくぎ報告ほうこく)にがれている。なお、危険きけん業務ぎょうむ従事じゅうじしゃ叙勲じょくんについては原則げんそくとして55さい以上いじょうとされる。
  12. ^ なお、外国がいこく勲章くんしょう佩用はいようねがい規則きそく明治めいじ18ねん太政官だじょうかん布告ふこくだい35ごう)については、法務省ほうむしょう現行げんこう日本にっぽん法規ほうき議院ぎいん法制ほうせいきょく現行げんこう法規ほうき総覧そうらん国会図書館こっかいとしょかん日本法令にほんほうれい索引さくいんのいずれも同旨どうし理由りゆうにより失効しっこうしたものとしてあつかっている。
  13. ^ これは、同月どうげつ8にち自民党じみんとう内閣ないかく部会ぶかいにおいて、亀井かめい静香しずか政務せいむ調査ちょうさ会長かいちょうが「21世紀せいきむかえるにあたり、栄典えいてん制度せいどあたらしい時代じだいにふさわしいものとするため抜本ばっぽんてき検討けんとうくわえるべき」と指示しじしたことをけたものである。
  14. ^ 勲章くんしょう制定せいていけんには「勲等くんとう」の2文字もじのこっており、概念がいねんとしてはなお存続そんぞくしている。詳細しょうさい勲等くんとう参照さんしょう
  15. ^ ぼたんのデザインは等級とうきゅうによってえられ、旭日きょくじつしょう綬章じゅしょうみずたからしょう綬章じゅしょう以上いじょうななきりはな旭日きょくじつそう光章みつあき旭日きょくじつたん光章みつあきみずたからそう光章みつあきみずたからたん光章みつあきさんきりはなである。
  16. ^ 文化ぶんか勲章くんしょう単一たんいつきゅうであるため、その位置いちづけはなが曖昧あいまいで「勲一等くんいっとうくんとうあいだ」とられてきた。しかし文化ぶんか勲章くんしょう創設そうせつ60ねん平成へいせい9年度ねんど(1997ねん以降いこう親授しんじゅされるようになったことから、以後いごはやはり親授しんじゅ対象たいしょうとなっているだい綬章じゅしょうきゅう勲一等くんいっとう)と同位どういにあるものとかんがえられるようになった[44]
  17. ^ 前述ぜんじゅつとおり、日本にっぽんはつ勲章くんしょう授章じゅしょうしゃ有栖川ありすがわみやのぼりじん親王しんのうら、7めい皇族こうぞくであった。1875ねん明治めいじ8ねんまつはつ賞牌しょうはい授与じゅよしき宮中きゅうちゅう神殿しんでん挙行きょこうされ、明治天皇めいじてんのう勲章くんしょう着用ちゃくようし、有栖川ありすがわみやらに勲一等くんいっとう旭日きょくじつしょう授与じゅよされた。
  18. ^ 賜杯しはいには、勲章くんしょうえて授与じゅよされるきくもん菊花きっか紋章もんしょう)のものと、褒章ほうしょう条例じょうれいもとづき授与じゅよされるきりもんのものがある( 内閣ないかくしょうくんきょく (2014ねん). “はい授与じゅよ対象たいしょう”. 2016ねん5がつ1にち閲覧えつらん)。ほんひょう掲載けいさいしたのは、勲章くんしょうえて授与じゅよされるきくもんのものである。
  19. ^ 勲章くんしょう製造せいぞうは、1877ねん明治めいじ10ねん)から1880ねん明治めいじ13ねん)までの3年間ねんかん造幣局ぞうへいきょくおこなったが、のち民間みんかん業者ぎょうしゃがける時期じきつづいた。しかし、1929ねん昭和しょうわ4ねん)に発生はっせいしたうれくん事件じけん影響えいきょう勲章くんしょう品質ひんしつ統一とういつ必要ひつようせいといった観点かんてんから、ふたた造幣局ぞうへいきょく製造せいぞう所管しょかんすることとなり、現在げんざいいた[54][55][56]
  20. ^ 制定せいていがくは、一等いっとうからよんとう廃止はいしどうじ、とう上限じょうげん120えん下限かげん100えん以下いかろくとう上限じょうげん84えん下限かげん70えんななとう上限じょうげん60えん下限かげん46えんはちとう上限じょうげん36えん下限かげん24えんであった。
  21. ^ 制定せいていがくは、こういちきゅう900えんこうきゅう650えんこうさんきゅう400えんこうよんきゅう210えんこうきゅう140えんこうろくきゅう90えんこうななきゅう65えんであった。
  22. ^ きゅう勲章くんしょう年金ねんきん受給じゅきゅうしゃかんする特別とくべつ措置そちほう中央ちゅうおう省庁しょうちょうとう改革かいかく関係かんけいほう施行しこうほう平成へいせい11ねん法律ほうりつだい160ごう)77じょう23ごうにより、2001ねん平成へいせい13ねん1がつ6にちをもって廃止はいしされている。

出典しゅってん

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 岩倉いわくら規夫のりおふじかしじゅん日本にっぽん勲章くんしょう-日本にっぽん表彰ひょうしょう制度せいど-』第一法規出版だいいちほうきしゅっぱん、1965ねん1がつ 
  • 内閣ないかくしょうくんきょく 日本にっぽん勲章くんしょう褒章ほうしょう
  • 勲章くんしょう褒章ほうしょう』、佐藤さとう正紀まさき時事じじほうしゃ2007ねん平成へいせい19ねん
  • 勲章くんしょう られざる素顔すがお』、栗原くりはら俊雄としお岩波書店いわなみしょてん、2011ねん平成へいせい23ねん
  • 総理府そうりふしょうくんきょく監修かんしゅう勲章くんしょう毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1976ねん 
  • 佐藤さとう正紀まさき ちょ時事じじほうしゃ へん勲章くんしょう褒章ほうしょう編集へんしゅう協力きょうりょく: 内閣ないかくしょうくんきょく時事じじほうしゃ、2007ねん12月。ISBN 978-4-915208-22-5 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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