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為替かわせ

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為替かわせ(かわせ、えい: Money order)は、為替かわせ手形てがた小切手こぎって郵便ゆうびん為替かわせ振込ふりこみなど、現金げんきん以外いがい方法ほうほうによって、貨幣かへい決済けっさいする方法ほうほう総称そうしょうである。遠隔えんかくへの送金そうきん手段しゅだんとして、現金げんきん直接ちょくせつ送付そうふする場合ばあいリスク回避かいひのためにもちいられる。とく輸出入ゆしゅつにゅうをするさいもちいられている。

為替かわせは、内国ないこく為替かわせ外国がいこく為替かわせの2種類しゅるい区別くべつされる。内国ないこく為替かわせとは、金融きんゆう機関きかんが、国内こくない遠隔えんかくおこなわれる債権さいけん債務さいむ決済けっさいを、現金げんきん移送いそうおこなわずに決済けっさいする方法ほうほうである。外国がいこく為替かわせとは、通貨つうかことにする国際こくさいあいだ貸借たいしゃく関係かんけいを、現金げんきん直接ちょくせつ輸送ゆそうすることなく、為替かわせ手形てがた送金そうきん小切手こぎってなどの信用しんよう手段しゅだんによって決済けっさいする方法ほうほうである。

為替かわせは、本来ほんらい商取引しょうとりひきともな貨幣かへい運搬うんぱんのリスクと流通りゅうつう経費けいひ発生はっせいしょうじることがあるため手形てがたとう取引とりひきをするものである。この関係かんけい発生はっせい仕組しくみを代金だいきんり(あるいは相殺そうさいする)権利けんり売買ばいばい看做みなすか、一定いってい期日きじつ返済へんさいおこなうことを前提ぜんていとする一種いっしゅ利子りし為替かわせ売買ばいばいさい発生はっせいする差益さえき利息りそくであるとする)をともな信用貸しんようがしづけであるのかが中世ちゅうせい以来いらいずっと議論ぎろんされてきた。利息りそくともなった貸付かしつけきんじる一方いっぽう為替かわせ運用うんよう資金しきん安定あんてい供給きょうきゅうていた教皇きょうこうちょう立場たちば影響えいきょうけているヨーロッパ大陸たいりくでは前者ぜんしゃ支持しじする意見いけんつよく、宗教しゅうきょう改革かいかくじゅうしょう主義しゅぎでこれらの国々くにぐにきそってきたイギリスでは後者こうしゃ意見いけんつよい。この論争ろんそうマルクス経済けいざいがく影響えいきょう日本にっぽんにもつたえられ、戦後せんごのマルクス経済けいざい学者がくしゃあいだでも論争ろんそうおこなわれた。

歴史れきし[編集へんしゅう]

古代こだいバビロニア古代こだいエジプト8世紀せいきイスラム帝国ていこくにも為替かわせ手形てがた存在そんざいしたというせつもある。ただし、今日きょう為替かわせ仕組しくみに直接ちょくせつつながる可能かのうせいひくく、たとえ実在じつざいするとしても起源きげんとするのには不適切ふてきせつだとするのが一般いっぱんてきである。たとえば古代こだいエジプトでは、穀物こくもつ倉庫そうこあづけた「あずかりしょう」が有価ゆうか証券しょうけんとして流通りゅうつうするシステムが存在そんざいしたが、これは古代こだいローマ支配しはいにより貨幣かへい流通りゅうつう一般いっぱんてきになったがために断絶だんぜつしてしまい、現在げんざい為替かわせとは直接ちょくせつつながるものではない。

また中国ちゅうごく大陸たいりくでもとうだいあずかり手形てがたとして交子ともこまれるが、やがて兌換だかん紙幣しへい、そして不換紙幣ふかんしへいへと変遷へんせんしていくことになり、為替かわせというよりは紙幣しへい起源きげんつらなるものである。

中世ちゅうせい為替かわせ取引とりひきには今日きょう同士どうしによる両替りょうがえ相当そうとうする小口こぐち為替かわせ(petty exchange)とそこから派生はせいした証券しょうけん仲介ちゅうかいとする証書しょうしょ為替かわせ(exchange by bills)が存在そんざいした。今日きょう為替かわせ取引とりひき原型げんけい後者こうしゃにあたる。13世紀せいききたイタリア都市とし両替りょうがえともな貨幣かへい運搬うんぱん危険きけんせいけるために公証こうしょうじんあいだてて支払しはらいをめた公正こうせい証書しょうしょ作成さくせいさせたのがはじまりとされている。

この仕組しくみを促進そくしんさせたのは当時とうじ教会きょうかいだい商人しょうにんたちである。前者ぜんしゃ教皇きょうこうじゅうぶんいちぜい徴収ちょうしゅうするためにおこなわれたもので、かくキリスト教きりすときょうこく徴収ちょうしゅう事務じむあつかった両替りょうがえしょうがその税収ぜいしゅう原資げんしとしてローマやイタリア各地かくちにある教皇きょうこうちょう御用ごよう両替りょうがえしょうだい商人しょうにんため物資ぶっし販売はんばいし、その売掛金うりかけきん代金だいきんりを約束やくそくした公正こうせい証書しょうしょ教皇きょうこうちょうおくり、教皇きょうこうちょう御用ごよう商人しょうにんから売掛金うりかけきん回収かいしゅうすることで税収ぜいしゅう相当そうとう金銭きんせんていた。後者こうしゃシャンパーニュのだいなどのだい確定かくていとしてされた手形てがた商品しょうひん購入こうにゅう希望きぼうしゃい、だい当日とうじつ手形てがた提示ていじすることで代金だいきん支払しはらっていたためである。やがて後者こうしゃ15世紀せいきごろに従来じゅうらい持参じさんじん支払しはらいの公正こうせい証書しょうしょから現在げんざい為替かわせ手形てがた形式けいしきわっていくことになる。

日本にっぽん為替かわせ歴史れきし[編集へんしゅう]

日本にっぽんは、江戸えど時代じだい大坂おおさか中心ちゅうしん為替かわせ手形てがた)による取引とりひき発達はったつして、当時とうじ世界せかいではもっともすぐれた送金そうきんシステムをきずきあげた。

日本にっぽんの「かわせ」のかたり中世ちゅうせい、「わす」(交換こうかんする)の連用形れんようけい「かわし」とばれていたものが変化へんかしたものである。日本にっぽんで「為替かわせ」という言葉ことばまれたのは、鎌倉かまくら時代ときよである。この時代じだい鎌倉かまくら俸給ほうきゅうをもらう下級かきゅう役人やくにんあらわれており、俸給ほうきゅうとして鎌倉かまくらはいって年貢ねんぐ先取さきどりする権利けんりあたえられた。そのさい権利けんり証書しょうしょとして「為替かわせ」が発行はっこうされたのである。あるいは、大番おおばんやくつとめる中小ちゅうしょう御家人ごけにんが、地元じもと所領しょりょうからそれぞれが金銭きんせんこめまなくとも、大口おおぐち荘園しょうえん有力ゆうりょく御家人ごけにん年貢ねんぐ運送うんそう便乗びんじょうするかたちで、鎌倉かまくら京都きょうと金銭きんせんこめるシステムとして、為替かわせ仕組しくみがまれている。つまりこの時代じだい為替かわせは、金銭きんせんのみならずべいその物品ぶっぴん授受じゅじゅにももちいられていたのである。

いわゆる金銭きんせんのみの授受じゅじゅとしての、日本にっぽん最古さいこ為替かわせ仕組しくみは室町むろまち時代ときよ大和やまとこく吉野よしの多額たがく金銭きんせんって山道さんどうくリスクをけるためにかんがえられ、寛永かんえい年間ねんかん江戸えど幕府ばくふ公認こうにんけた制度せいどであるとされている。吉野よしのにはだいさかなどの周辺しゅうへん地域ちいき商人しょうにん出入でいりしており、大坂おおさか商人しょうにん為替かわせはこれを参照さんしょうしたとするせつもある。また、鎌倉かまくら時代ときよ以来いらい存在そんざいした割符わりふとの関係かんけい指摘してきされている。

江戸えど時代じだい日本にっぽんでは、政治せいじ消費しょうひ都市としである江戸えど経済けいざいてき中心ちゅうしんである大坂おおさかさらしょう工業こうぎょう発展はってんした日本にっぽん首都しゅと京都きょうとくわえる場合ばあいもある)のあいだ商品しょうひん流通りゅうつうさかんになった。それは多額たがくかつ恒常こうじょうてき貨幣かへい流通りゅうつう需要じゅようしょうじさせるとともに、支払しはらい手段しゅだんとしての貨幣かへい機能きのう発展はってん信用しんよう取引とりひき発展はってんうながして、両替りょうがえしょうあるいは大都市だいとしそれぞれに店舗てんぽだい商人しょうにん仲介ちゅうかいとした為替かわせ取引とりひき発達はったつさせた。

たとえば、江戸えど住人じゅうにん・「かぶと」がかね100りょう大坂おおさか在住ざいじゅうの「おつ」に送金そうきんする場合ばあい江戸えど両替りょうがえしょうへい」に100りょうあづけて、「へい」はわりに為替かわせ手形てがたおけ手形てがたの2つう作成さくせいして「かぶと」にわたす。「かぶと」は為替かわせ手形てがたのみを大坂おおさかの「おつ」に送付そうふし、おけ手形てがた保管ほかんする。江戸えどからの為替かわせ手形てがたった「おつ」は、その裏側うらがわ裏書うらがきおこなったのちに「へい」によって指定していされた大坂おおさかの「ひのと」(「へい」の支店してんあるいは取引とりひきさきであることがおおい)に為替かわせ手形てがたわたしてかね100りょう[注釈ちゅうしゃく 1]。その、「ひのと」は江戸えどの「へい」に為替かわせ手形てがた返送へんそうし、これをった「へい」は、「おつ」の裏書うらがき証拠しょうことして「かぶと」からおけ手形てがたもどした。このほかにも両替りょうがえしょうあいだあらかじ一定いっていがく限度げんど相手あいてがわからの支払しはらい要請ようせい受理じゅり保証ほしょうすることを約束やくそくしあったそらおけ手形てがたや、あらかじ両替りょうがえしょうあづれていることをしめ預金よきん証書しょうしょであるあずか手形てがた預金よきんしゃ預金よきんさきである両替りょうがえしょうたいして手形てがたなどが存在そんざいし、最終さいしゅうてきには「へい」と「ひのと」のあいだにおける相互そうご手形てがた差引さしひきおよび相殺そうさいによって処理しょりした。

とく江戸えど大坂おおさかあいだでは消費しょうひ都市としである江戸えど商人しょうにんたちからの支払しはらいのための手形てがた商業しょうぎょう都市としである大坂おおさかからの江戸えど幕府ばくふだい坂城さかき金蔵きんぞうはん蔵屋敷くらやしきにおけるべい物産ぶっさん売却ばいきゃく代金だいきん幕府ばくふ中枢ちゅうすうおよびしょはん江戸えど藩邸はんてい御用ごよう両替りょうがえしょうつうじて送金そうきんするための手形てがた幕府ばくふではこれを「公金こうきん江戸えど為替かわせ」としょうした)がっており、大坂おおさか両替りょうがえしょう幕府ばくふしょはんから依頼いらいされた送金そうきんよう金銭きんせん江戸えどからながれてきた江戸えどからの支払しはらいよう手形てがたしも為替かわせ)をれて(国内こくない為替かわせ市場いちば形成けいせい)、江戸えど両替りょうがえしょうおくり、江戸えど両替りょうがえしょうはそれを江戸えど商人しょうにんたちからててその代金だいきん大坂おおさか両替りょうがえしょうわって幕府ばくふしょはん納付のうふしていた。また商人しょうにんあいだでも、蔵屋敷くらやしき保管ほかん証明しょうめいしょぞうあずかり切手きって)が売買ばいばいされ、実質じっしつてき為替かわせとして流通りゅうつうしていた。

こうした手形てがたのやりりが両替りょうがえしょうたち信用しんようりょくたかめてくとともに、あつめられた資金しきん投資とうし貸付かしつけ資金しきんなどにも流用りゅうようされて、日本にっぽん近代きんだい資本しほん主義しゅぎ成立せいりつかせない信用しんよう機関きかん発展はってん都市とし商業しょうぎょう資本しほん集積しゅうせき貢献こうけんしたとする見方みかたつよい。前述ぜんじゅつ公金こうきん為替かわせまったくの報酬ほうしゅうであったが、商人しょうにん公金こうきんあずかっているあいだ自由じゆう資金しきんとして運用うんようできたため、運転うんてん資金しきん融資ゆうし無利息むりそくけているにひとしかった。それだけに江戸えど幕府ばくふ崩壊ほうかいぎん廃止はいしぎん廃止はいしれい)、廃藩置県はいはんちけんともなう、経済けいざい構造こうぞう変化へんか為替かわせたいする信用しんよう不安ふあん可能かのうせいてきた。このため、政府せいふ遅々ちちとしてすすまない商法しょうほう制定せいていなかでいちはや手形てがた為替かわせ関連かんれんほう為替かわせ手形てがた約束やくそく手形てがた条例じょうれい)を整備せいびするとともに、国立こくりつ銀行ぎんこう (明治めいじ)設置せっちなどの金融きんゆう政策せいさくっていくことになった。

現代げんだい日本にっぽんにおける為替かわせ取引とりひき[編集へんしゅう]

現代げんだい日本にっぽんでは、為替かわせ取引とりひきとは「顧客こきゃくから、へだたしゃあいだ直接ちょくせつ現金げんきん輸送ゆそうせずに資金しきん移動いどうする仕組しくみを利用りようして資金しきん移動いどうすることを内容ないようとする依頼いらいけて、これをけること、またはこれをけて遂行すいこうすること」と定義ていぎされる[1]資金しきん決済けっさいサービスの利用りようしゃ保護ほごとう理由りゆうにより、銀行ぎんこう信用金庫しんようきんことう金融きんゆう機関きかんのみが為替かわせ取引とりひきおこなうことができる。

内国ないこく為替かわせ制度せいどぜんぎんシステム)[編集へんしゅう]

全国ぜんこく銀行ぎんこうタ通信システムたつうしんしすてむぜんぎんシステム)のことを、とく内国ないこく為替かわせ制度せいど場合ばあいもある。ぜんぎんシステムは、個人こじん企業きぎょうがB銀行ぎんこうたいする送金そうきんをA銀行ぎんこう依頼いらいした場合ばあいなどに、金融きんゆう機関きかん同士どうし決済けっさいおこなうための仕組しくみである。ぜんぎんシステムでは、日本にっぽん国内こくないのすべての銀行ぎんこう貸借たいしゃく関係かんけい相殺そうさいされ、過不足かふそく日銀にちぎん当座とうざ勘定かんじょう清算せいさんされる。ぜんぎんシステムの運営うんえい一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん全国ぜんこく銀行ぎんこう協会きょうかい旧東きゅうとうぎんきょうから継承けいしょう)にもうけられた内国ないこく為替かわせ運営うんえい機構きこうおこなっている。なお、銀行ぎんこうかぎらず、信用金庫しんようきんこ信用組合しんようくみあい農業のうぎょう協同きょうどう組合くみあい漁業ぎょぎょう協同きょうどう組合くみあい信用しんよう事業じぎょうおこなっている場合ばあいかぎる)など、それ以外いがい金融きんゆう機関きかんぜんぎんシステムに加入かにゅうしており、内国ないこく為替かわせ制度せいど利用りようできる。そのため金融きんゆう機関きかんへの振込ふりこみは相互そうご可能かのうである。ゆうちょ銀行ぎんこう以前いぜんぜんぎんシステムへ加入かにゅうみとめられなかったため、特定とくてい金融きんゆう機関きかんとしか相互そうご送金そうきんができなかったが、2009ねん1がつ5にちぜんぎんシステムへの接続せつぞく開始かいし内国ないこく為替かわせ制度せいど利用りようできるようになった。

その[編集へんしゅう]

和文わぶん通話つうわひょうで、「」をおくさいに「為替かわせのカ」という。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 江戸えど時代じだいさん制度せいどであったため、実際じっさいには上方かみがた流通りゅうつうしているぎん相場そうば交換こうかんされることになる。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]