(Translated by https://www.hiragana.jp/)
第35回高松宮杯競輪 - Wikipedia コンテンツにスキップ

だい35かい高松宮たかまつのみやはい競輪けいりん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

だい35かい高松宮たかまつのみやはい競輪けいりん(だい35かい たかまつのみやはいけいりん)は、1984ねん5月31にちから6月5にちまで、大津おおつびわこ競輪けいりんじょうおこなわれた。

決勝けっしょうせん[編集へんしゅう]

  • 中野なかの浩一こういちが2ねん連続れんぞく完全かんぜん優勝ゆうしょう王手おうてをかけ、悲願ひがんどう大会たいかい優勝ゆうしょう目指めざした。これにたいし、岡山おかやま2人ふたり国男くにお健治けんじ山口やまぐち兄弟きょうだいがつくという、変則へんそくてきフラワーライン対抗たいこうする。しかし、おもわぬ事態じたいっていた。
6月5にち
ちゃくじゅん くるまばん 選手せんしゅ 登録とうろく
1 9 佐々木ささき昭彦あきひこ 佐賀さがけん
2 8 国松くにまつとしぜん 岡山おかやまけん
3 5 片岡かたおか克巳かつみ 岡山おかやまけん
4 4 山口やまぐち国男くにお 東京とうきょう
5 6 佐藤さとう彰一しょういち 岩手いわてけん
6(落再) 2 井上いのうえ茂徳しげのり 佐賀さがけん
落棄 3 藤巻ふじまきのぼる 北海道ほっかいどう
落棄 7 中野なかの浩一こういち 福岡ふくおかけん
失格しっかく 1 山口やまぐち健治けんじ 東京とうきょう
  • 払戻金はらいもどしきん
    • 連勝れんしょう単式たんしきわくばん連勝れんしょう単式たんしき) 6-6 10020えん

レース概要がいよう[編集へんしゅう]

ジャンまえより、正攻法せいこうほう片岡かたおかたいし、内側うちがわ佐々木ささき中野なかの井上いのうえ藤巻ふじまき外側そとがわ国松くにまつ山口やまぐちけん山口やまぐちこく佐藤さとうがぴったりと併走へいそうする展開てんかい。ジャンがって誘導ゆうどうのピッチががり、これを片岡かたおか主導しゅどうけん態勢たいせいにぎったのこりあと1しゅう付近ふきんおもわぬ事態じたいとなる。山口やまぐちけん中野なかのたいして押圧したところ、中野なかの転倒てんとう。これに井上いのうえ藤巻ふじまきげた。

一方いっぽうげる片岡かたおか番手ばんてを、佐々木ささき国松くにまつさばいてりきり、国松くにまつ佐々木ささきの3番手ばんて。そして、バック付近ふきんから2センターにかけて、佐藤さとうめくりをはなつが、佐々木ささきよこでほぼいちはいとなった。直線ちょくせんはいり、片岡かたおか佐々木ささき、さらにはちゅうりをこころみる国松くにまつあらそいとなったが、佐々木ささきして優勝ゆうしょうはつ特別とくべつ競輪けいりん現在げんざいのGI)制覇せいはとなった。2ちゃく国松くにまつ、3ちゃく片岡かたおか

山口やまぐち健治けんじ出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶん[編集へんしゅう]

レース中野なかの鎖骨さこつ骨折こっせつ全治ぜんち2ヶ月かげつ診断しんだんされた。この事態じたいにかんがみ、日本にっぽん自転車じてんしゃ振興しんこうかいは、中野なかのらを転倒てんとうさせた山口やまぐち健治けんじたいし、2ヶ月かげつあいだ出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんのちくだした。累積るいせき事項じこうでもないかぎり、現在げんざいでもこのような処分しょぶんくだすことは異例いれいであるが、特別とくべつ競輪けいりん決勝けっしょうという舞台ぶたい大量たいりょう落車が発生はっせいしたことにくわえ、中野なかの当時とうじプロ・スプリントで世界せかい自転車じてんしゃ選手権せんしゅけん7連覇れんぱちゅうであり、これによりどう大会たいかいへの出場しゅつじょうができなくなるおそれがあったことも要因よういんとなっている。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]


高松宮たかまつのみや記念きねんはい競輪けいりん
前回ぜんかい1983ねん だい35かい高松宮たかまつのみやはい競輪けいりん
1984ねん
次回じかい1985ねん
だい34かい高松宮たかまつのみや記念きねんはい競輪けいりん だい36かい高松宮たかまつのみや記念きねんはい競輪けいりん