ささ幸恵ゆきえ

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ささ 幸恵ゆきえ(ささ ゆきえ、1974ねん - )は日本にっぽんジャーナリスト

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

神奈川かながわけんまれ。大妻女子大学短期大学部おおつまじょしだいがくたんきだいがくぶ卒業そつぎょう編集へんしゅう記者きしゃて、2001ねんにフリーに。流通りゅうつうぎょうのインタビュー記事きじのほか、ビジネス全般ぜんぱん大学だいがく業界ぎょうかいなどテーマに執筆しっぴつ活動かつどうおこなう。近年きんねん日本にっぽんきん現代げんだいをテーマにした執筆しっぴつ活動かつどうをおこなっている。

太平洋戦争たいへいようせんそうについて教師きょうしからおしえられた授業じゅぎょう内容ないよう疑問ぎもんち、かつての戦場せんじょうみずからのたしかめるため、2005ねん1がつきゅう日本にっぽんぐん将兵しょうへいともガダルカナルとう訪問ほうもん以後いご太平洋たいへいよう各地かくち戦場せんじょうだった地域ちいき多数たすう訪問ほうもんしている[1]

これまで慰霊いれい巡拝じゅんぱい取材しゅざいなどでおとずれたつぎとおり。 トラック諸島しょとう、ポナペ(ミクロネシア連邦れんぽう)/マリアナ諸島しょとう(サイパン・テニアン・グアム) パラオ諸島しょとう(バベルダオブ・コロール・ペリリュー・アンガウル)/ハワイ(オアフ) マーシャル諸島しょとう/ギルバート諸島しょとう(タラワ・マキン)/ナウル パプアニューギニア(ココダ・ウェワク・マダン・ギルワ・ラバウル・ブーゲンビル) ソロモン諸島しょとう(コロンバンガラ・ニュージョージア・ガダルカナル・ツラギ) タイ(クンユアム)

戦没せんぼつしゃ遺骨いこつ収容しゅうようにもんでいる。「ガダルカナルとう送還そうかん遺骨いこつ情報じょうほう収集しゅうしゅう活動かつどう自主じしゅ派遣はけんたい」を2011ねん結成けっせいして有志ゆうしつのり、ガダルカナルの攻撃こうげき迂回うかい丸山まるやまみち」など密林みつりん奥地おくち遺骨いこつ調査ちょうさ毎年まいとし実施じっししている。

2009ねん1がつにはきん現代げんだい研究けんきゅうかい(PandAかい)を発足ほっそくさせる。

2010ねん小林こばやしよしのりほりあたり正史せいし高森たかもりあきらみことのり宮城みやぎ能彦よしひことともに「ゴーせん道場どうじょう」を創設そうせつ創設そうせつ師範しはんとなった[2]

2016ねん防衛ぼうえい研究所けんきゅうじょだい62特別とくべつ課程かてい修了しゅうりょう

2019ねん國學院大學こくがくいんだいがく大学院だいがくいん文学ぶんがく研究けんきゅう修了しゅうりょう修士しゅうし歴史れきしがく)。

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

たんちょ[編集へんしゅう]

  • みせはこうしてまれわった!―日本にっぽんオプティカル店舗てんぽ再生さいせいへの挑戦ちょうせん』 (ダイヤモンド社だいやもんどしゃ、2004ねん
  • おんなひとり玉砕ぎょくさいしまく』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、2007ねん
  • 『「白紙はくし召集しょうしゅう」でる―軍属ぐんぞくたちのガダルカナル戦記せんき』(新潮社しんちょうしゃ、2010ねん
  • 『「日本にっぽん男児だんじ」というかた』(くさおもえしゃ、2011ねん
  • うつすはきみわか面影おもかげ靖国神社やすくにじんじゃゆう就館講演こうえんろく)』(あお林堂はやしどう、2014ねん
  • 沖縄おきなわせん じゅうよんさいだい隊長たいちょう』(学研がっけんパブリッシング、2015ねん

共著きょうちょ[編集へんしゅう]

  • 山崎やまざき里佳さとか)『わがむすめ就職しゅうしょくかせないための大学だいがくえらび―就職しゅうしょく大学だいがくはい時点じてんまっている!?』 (主婦しゅふ友社ともしゃ、2003ねん
  • 山崎やまざき里佳さとか)『女子高じょしこうせいのための大学だいがくえらび―就職しゅうしょくかない!』 (主婦しゅふ友社ともしゃ、2004ねん
  • えゆく太平洋戦争たいへいようせんそう戦跡せんせき』(山川やまかわ出版しゅっぱんしゃ、2017ねん

論文ろんぶん[編集へんしゅう]

寄稿きこう[編集へんしゅう]

  • 南方なんぽう激戦げきせんった将兵しょうへいたちの「慰霊いれい」がてようとしている』(小学館しょうがくかん、「SAPIO」、2005ねん
  • おんなたちの「戦争せんそうろん」61ねん恋文こいぶみ』(小学館しょうがくかん、「わしズム19ごう」、2006ねん
  • 結婚けっこんという亡霊ぼうれい』(小学館しょうがくかん、「わしズム22ごう」、2007ねん
  • おのれもののためにす-アッツとう玉砕ぎょくさい司令しれいかん山崎やまざき保代やすよ大佐たいさ』(小学館しょうがくかん、「わしズム23ごう」、2007ねん
  • 玉砕ぎょくさいしまめぐって』(日本にっぽん協議きょうぎかい機関きかん祖国そこく青年せいねん」2007ねん8がつごう
  • なに戦後せんごか――団塊だんかいジュニアが慰霊いれいの“いま”』(「やすくに」2008ねん4がつごう
  • てられたみなみしまで、戦時せんじ日本にっぽんの「わざ」と「きる知恵ちえ」をた』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、「諸君しょくん」2008ねん5がつごう
  • 戦争せんそう責任せきにん謝罪しゃざいよりさきに、戦後せんごまれのわたしたちにはするべきことがあるはず』(文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、「日本にっぽん論点ろんてん2011」、2010ねん
  • わたし写真しゃしんかん』(産経新聞さんけいしんぶん、「正論せいろん」、2011ねん3がつごう
  • 『ティッシュくらい我慢がまんしろ(総力そうりょくだい特集とくしゅう 東北とうほく関東大震災かんとうだいしんさい わたしはこうかんがえた)』(ワック出版しゅっぱん、「月刊げっかんウイル」、2011ねん5がつごう

講演こうえん[編集へんしゅう]

  • 2007ねん8がつ1にち、「戦跡せんせきをめぐって、いまおもうこと」岐阜女子大学ぎふじょしだいがく
  • 2008ねん5がつ11にち日本にっぽん青年せいねん会議かいぎしょ関東かんとう地区ちく協議きょうぎかいだい2かい合同ごうどうセミナー「あおこころざしじゅく」(赤坂あかさか区民くみんセンター)
  • 2008ねん8がつ15にち、「平成へいせい20ねん戦没せんぼつしゃ追悼ついとう祈念きねん講演こうえんかい」(日本にっぽん会議かいぎ大阪おおさか支部しぶ英霊えいれいにこたえるかい大阪おおさか本部ほんぶ主催しゅさい
  • 2010ねん8がつ15にち、「だい24回戦かいせんぼつしゃ追悼ついとう中央ちゅうおう国民こくみん集会しゅうかい各界かくかいからの提言ていげん」(於:靖国神社やすくにじんじゃ
  • 2011ねん1がつ23にち、「現代げんだいにおける戦歿せんぼつしゃ追悼ついとう如何いかにあるべきか」(於:靖国神社やすくにじんじゃ
  • 2013ねん1がつ10日とおか玉砕ぎょくさいしまをめぐって」(於:陸上りくじょう自衛隊じえいたい小倉駐屯地こくらちゅうとんち
  • 2014ねん2がつ23にち海外かいがいにおける戦没せんぼつしゃ慰霊いれい遺骨いこつ収容しゅうよう活動かつどう現状げんじょう」(於・東京とうきょうごうともかい創立そうりつ60周年しゅうねん記念きねんシンポジウム)
  • 2015ねん3がつ21にち玉砕ぎょくさいしまをめぐって」(於:モラロジー研究所けんきゅうじょ ちゅう日本にっぽん生涯しょうがい学習がくしゅうセンター)
  • 海上かいじょう自衛隊じえいたい教育きょういくたいにおける部外ぶがい講話こうわ講師こうし歴史れきし講話こうわ多数たすう

きん現代げんだい研究けんきゅうかい(PandAかい)[編集へんしゅう]

発足ほっそく[編集へんしゅう]

  • 平成へいせい21ねん(2009ねん) 1がつ

目的もくてき[編集へんしゅう]

  • さき戦争せんそうについて、戦後せんご世代せだい理解りかいふかめていくこと。

おも活動かつどう[編集へんしゅう]

  • 戦争せんそう体験たいけんしゃまねいた聴講ちょうこうかい
  • フィールドワークとして国内こくない戦跡せんせきめぐ

ゴーせん道場どうじょう[編集へんしゅう]

  • 司会しかいおよび、基調きちょう講演こうえんだい5かいだい77かい)を担当たんとう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]