筑豊ちくほう御三家ごさんけ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

筑豊ちくほう御三家ごさんけ(ちくほうごさんけ)は、福岡ふくおかけん中部ちゅうぶ筑豊ちくほう地方ちほう地盤じばん地方ちほう財閥ざいばつ麻生あそう貝島かいしま安川やすかわす。それぞれ麻生あそう太吉たきち貝島かいじま太助たすけ安川やすかわたかし一郎いちろう創始そうししゃ

出身しゅっしんちが[1]はあれど、三者さんしゃとも埋蔵まいぞうされていた明治めいじ初年しょねん筑豊ちくほう炭田たんでん採掘さいくつからこし、それでたくわえた財産ざいさん元手もとで政界せいかいへの進出しんしゅつ産業さんぎょうへの経営けいえい投資とうしおこなったことで共通きょうつうしている。また、地方ちほう名家めいか政界せいかい有力ゆうりょくしゃとの知遇ちぐうたり、ときには縁戚えんせき関係かんけいむす[2]ことでみずからの事業じぎょう一助いちじょとしたてん同様どうようである。

[編集へんしゅう]

  1. ^ 麻生あそう太吉たきち庄屋しょうや安川やすかわ敬一けいいちろう下級かきゅう武士ぶし貝島かいじま太助たすけ貧農ひんのうからすみ鉱夫こうふじつ業界ぎょうかいとうじた。
  2. ^ 安川やすかわ主家しゅか黒田くろだ背景はいけいとし、貝島かいしま政治せいじ井上いのうえかおる顧問こもんかくとしてむかえたうえで、息子むすこたいつま鮎川あいかわ義介ぎすけ日産にっさんコンツェルン創始そうししゃ)のいもうとむかえたことから鮎川あいかわ縁戚えんせき関係かんけいにあった。また麻生あそうまご太賀たがきち吉田よしだしげる婿むことなり、その息子むすこ太郎たろうである。