のぞみ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

のぞみ(ら きせき、なま没年ぼつねんしょう)は、とう官僚かんりょうはやしはじめにつき、よしあつしとともに、様々さまざま疑獄ぎごく事件じけん政敵せいてきおとしいれることで出世しゅっせした。はやしはじめとともに、楊国ただしいのち地方ちほうされ、有名ゆうめい無実むじつ地方ちほうかんにまで降格こうかくさせられた。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

杭州こうしゅう銭塘ぜんどもけん出身しゅっしん洛陽らくようちかくでんでいた。はやしはじめ婿むこであるおおとり臚少きょうちょうひろしずみそとおいであったことから、官吏かんりとなった。ほう残酷ざんこくなほどまで適用てきようしたとつたえられる。

天宝てんぽう初期しょきはやしはじめよしあつしとともにてられ、大獄たいごくおこなった。天宝てんぽう6747ねん)、かん察御として、はやしはじめのためにつみ人物じんぶつ片端かたはしからころした。このなかには、韋堅らがいた。てきおうのぞみ奭がるといて自殺じさつしたとつたえられる。楊慎矜詮議せんぎにも参加さんかし、よしあつしとともに「鉗吉もう」とばれた。このころだいおも簿から殿中でんちゅうさむらい昇進しょうしんしている。天宝てんぽう8749ねん)には、ろうちゅう昇進しょうしんする。

天宝てんぽう11752ねん)、はやしはじめ死去しきょし、中部ちゅうぶはじめやすぐん太守たいしゅかつらかん経略けいりゃく使として地方ちほうされた。天宝てんぽう14755ねん)、ちょうひろしずみよしあつしらが流罪るざいになってながれてきたのではじめやすぐんめておいた。宰相さいしょうとなっていた楊国ちゅうはじめやすぐん太守たいしゅちょうひかりえ、司直しちょくの蒋沇を詮議せんぎつかわせた。のぞみ奭は、流罪るざいしゃ安置あんちしたつみほうみだしたつみなどでうみやすしけんじょう員外いんがい降格こうかくさせられた。ちょうひろしずみよしあつしらはつえけいんだ。

伝記でんき資料しりょう[編集へんしゅう]

  • きゅうとうしょまきひゃくはちじゅうろく 列伝れつでんだいひゃくさんじゅうろく酷吏こくりのぞみ奭伝」
  • しんとうしょまきひゃくきゅう 列伝れつでんだいひゃくさんじゅうよん酷吏こくりよしあつしでん