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菅井すがい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
菅井すがい[1]

菅井すがい(すがい くみ、1919ねん3月13にち - 1996ねん5月14にち)は、洋画ようが版画はんが日本人にっぽんじん画家がか一人ひとりである。男性だんせい

生涯しょうがい

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1919ねん神戸こうべ東灘ひがしなだまれる。本名ほんみょう貞三ていぞう大阪おおさか美術びじゅつ工芸こうげい学校がっこうまなんだのち病気びょうきため中退ちゅうたい)、1937ねんから阪急電鉄はんきゅうでんてつ宣伝せんでん商業しょうぎょうデザインの仕事しごとく。中村なかむらさだ吉原よしはら治良はるよし師事しじ

1952ねんわたりふつ日本にっぽんまなんだこともある菅井すがい作品さくひんは、東洋とうようてきなエキゾティシズムをたたえたものとして、パリ美術びじゅつかいたか評価ひょうかあたえられた。当初とうしょアンフォルメル影響えいきょうけた、象形しょうけい文字もじのような形態けいたいえがいていたが、1962ねんころから作風さくふう一変いっぺんし、幾何きかがくてき形態けいたい明快めいかい色彩しきさいえがいた「オートルート」のシリーズを制作せいさくするようになる。

菅井すがい無類むるいのスピードきょうであり、愛車あいしゃポルシェ高速こうそく走行そうこうしているときかぶビジョンが制作せいさくのモチーフになっているという。1967ねんにはパリ郊外こうがい交通こうつう事故じここし、頸部骨折こっせつ重傷じゅうしょううが、一命いちめいはとりとめた。また菅井すがいはやいとしてもられており、よく唐揚からあ弁当べんとうこのんでしょくしていたという。

1970年代ねんだいからは、ほとんどえん直線ちょくせんわせからる、より単純たんじゅんされ、無駄むだはぶいた作品さくひんえがくようになった。モチーフはほとんど機械きかいてきわされ、ひとつひとつのモチーフは正確せいかくえがかれる。それは、高速こうそく走行そうこうちゅうにもドライバーによって瞬時しゅんじ把握はあくされる必要ひつようのある、道路どうろ標識ひょうしきにどこか共通きょうつうしたものがある。かれの「無駄むだはぶく」姿勢しせい実生活じっせいかつにもおよび、朝食ちょうしょく昼食ちゅうしょく夕食ゆうしょくのメニューはそれぞれまっていて(たとえば朝食ちょうしょくはコーヒーとチーズ、昼食ちゅうしょくはスパゲッティ・トマトソースとソフトサラミなど)、おなじメニューを1ねん365にち、20年間ねんかんつづけたという。

晩年ばんねんには「S」のシリーズをえがつづけた、「S」は「スガイ」の「S」であるとともに、高速こうそく道路どうろのカーブをも意味いみしている。菅井すがいは「なぜおなえがつづけてはいけないのか」とい、おなじパターンをえがつづけること行為こうい自体じたい個性こせいがあるとかんがえた。リトグラフシルクスクリーン作品さくひんおおのこした。

経歴けいれき

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  • ピッツバーグのカーネギー国際こくさい絵画かいが彫刻ちょうこくてん
  • サロン、デ・レアリテ・ヌーヴェル
  • サロン・ド・メ
  • パリ青年せいねんビエンナーレてん
  • サンパウロ・ビエンナーレてん(1965ねん最優秀さいゆうしゅう外国がいこく作家さっかしょう
  • カッセルのドクメンタてん
  • リュブリアナ国際こくさい版画はんがビエンナーレてん(1959ねん受賞じゅしょう
  • 東京とうきょう国際こくさい版画はんがビエンナーレてん国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんしょう
  • 日本にっぽん国際こくさい美術びじゅつてん優秀ゆうしゅうしょう
  • 東京とうきょう国際こくさい版画はんがビエンナーレ(国立こくりつ近代きんだい美術館びじゅつかんしょう受賞じゅしょう
  • グレンヒェン国際こくさい版画はんがトリエンナーレてん大賞たいしょう
  • ヴェネツィア・ビエンナーレてん(1962ねんデヴィット・ブライト基金ききんしょう
  • クラコウ国際こくさい版画はんがビエンナーレてん(1966ねん大賞たいしょう
  • レジオンドヌール勲章くんしょうシュヴァリエあきら受章じゅしょう(1971ねん[2]
  • ノルウェー国際こくさいばん画展がてん名誉めいよしょう
  • 東京とうきょう国際こくさい美術館びじゅつかん壁画へきが担当たんとう
  • アメリカ映画えいがかなしみよこんにちは(1957ねん作品さくひん)」にスタッフとして参加さんかちゅう作品さくひん使用しよう)、タイトルロールにも名前なまえ
  • ウィーン現代げんだいフランス絵画かいがてん

代表だいひょうさく

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 「パリの日本人にっぽんじん画家がかたち 菅井すがい汲」『美術びじゅつ手帖てちょう美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ
  2. ^ 小学館しょうがくかん 日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ). “菅井すがい”. コトバンク. 2017ねん12月11にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  •  『菅井すがい作品さくひんしゅう1952-1975』美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ、1976ねん
  •  『菅井すがい汲版レゾネ Sugai Catalogue Raisonne de L'oeuvre Grave 1955-96』Art Dune、1996ねん
  •  『菅井すがい汲展』東京とうきょう現代げんだい美術館びじゅつかん兵庫ひょうご県立けんりつ近代きんだい美術館びじゅつかんへん菅井すがい汲展実行じっこう委員いいんかい、2000ねん