ばん直次なおじ

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ばん 直次なおじ(よろず なおじ、1902ねん1がつ5にち - 1973ねん12月12にち)は、日本にっぽんジャーナリスト新聞しんぶんしゃ経営けいえいしゃもと日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ社長しゃちょう北海道ほっかいどう小樽おたる出身しゅっしん

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1926ねん早稲田大学わせだだいがく政経学部せいけいがくぶ卒業そつぎょうし、中外ちゅうがい商業しょうぎょう新報しんぽうしゃげん日本経済新聞社にほんけいざいしんぶんしゃ)に入社にゅうしゃ政治せいじ記者きしゃ編集へんしゅうきょく次長じちょう工務こうむ局長きょくちょうなどを歴任れきにんし、1945ねん取締役とりしまりやくとなる。その常務じょうむ専務せんむて、1956ねん社長しゃちょう就任しゅうにん就任しゅうにん積極せっきょくてき経営けいえい政策せいさくをとり、設備せつび近代きんだい通信つうしんもう拡大かくだいマーケティング活動かつどう拡張かくちょうなどを推進すいしんしたほか、1964ねんには東京とうきょう大手町おおてまち新社屋しんしゃおく建設けんせつした。経済けいざい専門せんもんとしての同紙どうし飛躍ひやくてき発展はってんもときずき、後任こうにん社長しゃちょう圓城寺えんじょうじ次郎じろうとともに「中興ちゅうこう」とばれる。1968ねん会長かいちょう、1972ねん顧問こもん。また、日本にっぽん新聞しんぶん協会きょうかい会長かいちょうもつとめ、日本にっぽん記者きしゃクラブ創設そうせつ日本にっぽんプレスセンタービル設立せつりつなどにも尽力じんりょくした。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]