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おもてあきら

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おもて あきら(おもて あきら、1927ねん4がつ26にち[1] - 2010ねん9月7にち[2])は、日本にっぽん能楽のうがく研究けんきゅうしゃ法政大学ほうせいだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ能楽のうがく世阿弥ぜあみ伝書でんしょなどの研究けんきゅうられる。長男ちょうなんひょうきよし[1](1958ねん - 、国士舘大学こくしかんだいがく教授きょうじゅ)も、能楽のうがく研究けんきゅうしゃである。

略歴りゃくれき

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石川いしかわけん金沢かなざわまれる[1]。1951ねん東京文理科大とうきょうぶんりかだいがく卒業そつぎょう[1]同年どうねん法政大学ほうせいだいがく能楽のうがく研究所けんきゅうじょ助手じょしゅ[1]。1956ねん法政大学ほうせいだいがく文学部ぶんがくぶ専任せんにん講師こうし、1962ねん教授きょうじゅ[1]。1991ねん財団ざいだん法人ほうじん観世かんぜ文庫ぶんこ常務じょうむ理事りじ[1]。1998ねん法政大学ほうせいだいがく定年ていねん退職たいしょく[1]名誉めいよ教授きょうじゅ

1995ねん喜多きたりゅう成立せいりつ展開てんかい』で、法政大学ほうせいだいがくより博士はかせ文学ぶんがく)の学位がくい取得しゅとく[1]同年どうねん12がつ角川かどかわ源義げんよししょう受賞じゅしょう[1]。2005ねんみずたからちゅう綬章じゅしょう受章じゅしょう[1]。2010ねんだい31かい観世かんぜ寿夫としお記念きねん法政大学ほうせいだいがく能楽のうがくしょう受賞じゅしょう[1]同年どうねん6がつ能楽のうがく研究けんきゅう恩賜おんししょう日本学士院にほんがくしいんしょう受賞じゅしょうした[1][3]が、9月7にち自宅じたくくなった[2]じょせい[4]

1960ねんから1963ねんにかけて、横道よこみち萬里まりつよしと『日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい 謡曲ようきょくしゅう』を編纂へんさんし、能楽のうがく関係かんけい資料しりょう収集しゅうしゅう保存ほぞん研究けんきゅうつとめた。

著書ちょしょ

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  • おおとりやま文庫本ぶんこぼん研究けんきゅう うたいほんわんや書店しょてん 1965
  • 能楽のうがくしんこう 1』わんや書店しょてん 1979
  • 能楽のうがく奈良なら奈良なら 1980、※しょう冊子さっし
  • 能楽のうがくしんこう 2』わんや書店しょてん 1986
  • 喜多きたりゅう成立せいりつ展開てんかい平凡社へいぼんしゃ 1994
  • 大和やまと猿楽さるがく参究さんきゅう岩波書店いわなみしょてん 2005
  • 観世かんぜりゅう参究さんきゅうひのき書店しょてん 2008
  • 能楽のうがく研究けんきゅう講義こうぎろく ろくじゅうねん足跡あしあとかえりみつつ』笠間かさま書院しょいん 2010 - かたおろしの遺著いちょとなった
  • 昭和しょうわ創作そうさく伊賀いが観世かんぜ系譜けいふ」―梅原うめはらたけし挑発ちょうはつこたえて』ぺりかんしゃ 2010 - 観阿弥かんあみ出身しゅっしん伊賀いがとし、楠木くすのき正成まさしげおいとする系図けいずにせ系図けいずであることを論証ろんしょう[5]

こうちゅうとう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 山中やまなか玲子れいこ追悼ついとう ひょうあきら先生せんせい法政大学ほうせいだいがく能楽のうがく研究所けんきゅうじょ、2012ねん3がつdoi:10.15002/00008647https://doi.org/10.15002/000086472021ねん12月7にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b 訃報ふほうおもてあきらさん83さい能楽のうがく研究けんきゅう - 47ニュース(共同通信社きょうどうつうしんしゃ)[リンク]
  3. ^ 日本学士院にほんがくしいん
  4. ^ 官報かんぽうだい5414ごう平成へいせい22ねん10がつ12にち
  5. ^ 昭和しょうわ創作そうさく伊賀いが観世かんぜ系譜けいふ」』書評しょひょう 批判ひはんのための批判ひはん超越ちょうえつした遺作いさくこうしょ好日こうじつ”. こうしょ好日こうじつ. 2021ねん12月7にち閲覧えつらん