(Translated by https://www.hiragana.jp/)
諏訪雷電神社 - Wikipedia コンテンツにスキップ

諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ
所在地しょざいち 埼玉さいたまけん桶川おけがわ神明しんめい1-1-33
位置いち 北緯ほくい3559ふん31.8びょう 東経とうけい13934ふん16.3びょう / 北緯ほくい35.992167 東経とうけい139.571194 / 35.992167; 139.571194 (諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ)座標ざひょう: 北緯ほくい3559ふん31.8びょう 東経とうけい13934ふん16.3びょう / 北緯ほくい35.992167 東経とうけい139.571194 / 35.992167; 139.571194 (諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ)
主祭しゅさいしん べつかみなり大神だいじん
社格しゃかくひとし 村社そんしゃ
創建そうけん しょう
別名べつめい諏訪すわさま雷電らいでんしゃ
テンプレートを表示ひょうじ

諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ(すわらいでんじんじゃ)は、埼玉さいたまけん桶川おけがわ神社じんじゃ。なお、宗教しゅうきょう法人ほうじん所轄しょかつする埼玉さいたまけん[1]における宗教しゅうきょう法人ほうじんめいは「宗教しゅうきょう法人ほうじん 雷電らいでんしゃ」であるが、しゃごうしるべ扁額へんがくは「諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ」となっていることから、ほんこうでは「諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ」をもちいることとする。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

創建そうけん年代ねんだい不明ふめいである。ただ江戸えど時代じだい後期こうき地誌ちし新編しんぺん武蔵むさし風土記ふどき稿こう』に記載きさいされていることから、そのころにはすで存在そんざいしていたものと推測すいそくされる[2]

明治めいじ初期しょき近代きんだい社格しゃかく制度せいどもとづく「村社そんしゃ」にれっせられ、1907ねん明治めいじ40ねん)の神社じんじゃ合祀ごうしにより、「諏訪すわしゃ」が合祀ごうしされた。そしてきゅう諏訪すわしゃ境内けいだい移転いてんした。ただきゅう諏訪すわしゃほこらレベルの規模きぼだったため、村社そんしゃとしてふさわしい社殿しゃでん新築しんちくした。これらの経緯けいいにより、一部いちぶ住民じゅうみん当社とうしゃを「お諏訪すわさま」とんでいる。そして正式せいしき名称めいしょうは「雷電らいでんしゃ」であるが、通常つうじょうは「諏訪すわ雷電らいでん神社じんじゃ」とばれている。この明治めいじ末期まっき合祀ごうしにより、古文書こもんじょ散逸さんいつしてしまい、きゅう雷電らいでんしゃきゅう諏訪すわしゃ詳細しょうさい記録きろくうしなっている[2]

交通こうつうアクセス

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ 埼玉さいたま県知事けんちじ所轄しょかつ宗教しゅうきょう法人ほうじん一覧いちらん埼玉さいたまけん総務そうむ、77p
  2. ^ a b 埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう神社じんじゃ調査ちょうさだん へん埼玉さいたま神社じんじゃ 北足立きたあだち児玉こだま南埼玉みなみさいたま埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう、1998ねん、600-601p

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう神社じんじゃ調査ちょうさだん へん埼玉さいたま神社じんじゃ 北足立きたあだち児玉こだま南埼玉みなみさいたま埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう、1998ねん