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諸手もろてせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

諸手もろてせん(もろたぶね)は、島根しまねけん松江まつえ美保関みほのせきまち美保みほ神社じんじゃ神事しんじもちいられる刳舟くりふねである。1955ねん昭和しょうわ30ねん2がつ3にち重要じゅうよう有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していされた。神事しんじ毎年まいとし12がつ3にち美保関みほのせき漁港ぎょこうおこなわれる。

概要がいよう

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としいち12月3にち神事しんじ以外いがい境内けいだい安置あんちされうみかぶことのないこの諸手もろてせんは、およそ40ねんいちづくりかえることをむねとしてがれてきた。現有げんゆうそう大根島おおねじま入江いりえ船大工ふなだいく吉岡よしおか睦夫むつおによって1978ねん昭和しょうわ53ねん)に建造けんぞうされたものであるが、現在げんざい美保みほ神社じんじゃ収蔵しゅうぞうには睦夫むつお先代せんだい吉岡よしおか利一郎りいちろうって1940ねん昭和しょうわ15ねん)につくられたふね保管ほかんされている。それ以前いぜんのものはすでうしなわれてはいるが、1901ねん明治めいじ34ねん)に美保関みほのせきまち船大工ふなだいくによってつくられ、さらにそのまえのものは1858ねん安政あんせい5ねん)に隠岐おきしまこうなだむらから寄付きふされている。このように美保みほ神社じんじゃ諸手もろてせん伝承でんしょうとおり40ねんいちづくえられてきたものである。

ふるくは、一本いっぽんクスノキ巨木きょぼくりぬいたたんざい刳舟くりふねだったとされ、げんふねモミ大木たいぼく使つかりぬき部材ぶざい左右さゆうふくざいした刳舟くりふねである。しかしいずれにしろ丸木舟まるきぶねとされるものであり、げんふねは、保管ほかんされているいにしえせん絵図えずのこされている明治めいじ時代じだい世代せだいまえのものよりもふと使つかい、古式こしき技法ぎほうのっとり、いわゆる技術ぎじゅつのゆりもどしも見受みうけられる。

諸手もろてせん神事しんじ

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毎年まいとし美保関みほのせきまちおこなわれる神事しんじは、くにゆず神話しんわちなむもので、美保みほ神社じんじゃ祭神さいじん事代ことしろぬしいのち美保関みほのせきおきりをしていたところに、くにゆずりの可否かひうためにおくられた使者ししゃ諸手もろてせんってやってたという故事こじ再現さいげんしているとされ、「五穀豊穰ごこくほうじょう大漁たいりょう満足まんぞくみなと繁盛はんじょう」の感謝かんしゃ意味いみあわせもっているといわれている。ホーライエッチャと行列ぎょうれつおくされたむかし装束しょうぞくをまとった氏子うじこが9にんずつそう諸手もろてせんりこみ、対岸たいがん客人きゃくじんしゃ(まろうどやしろ)のふもとまでってかえし、たがいのふねかい海水かいすいをかけあって競漕きょうそうし、舳先へさきした「マッカ」とばれるかざりを神社じんじゃたてまつげる。