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豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年12月14日[1])は、日本の洋画家。北海道小樽市出身。北海道学芸大学(現北海道教育大学)特設美術課程卒業。元札幌大谷大学短期大学部教授。元北海道美術協会事務局長。日本美術家連盟会員。風景画を中心とした写実絵画で知られる。
来歴・人物[編集]
1959年、学生時代に北海道美術協会展協会賞を受賞。大学卒業後、1962年から1969年まで母校の北海道札幌東高等学校に赴任し美術教師をつとめた。この時代、阿部典英、米谷雄平らとともに美術グループに参加し創作活動を行った。1967年には、一水会賞を受賞。その後、一水会会員として一水会会員賞を多数受賞した。1972年からヨーロッパに滞在し作品を制作、画集も出版している。帰国後は、北海道を拠点に創作活動を行う一方、1979年から1996年の間、北海道美術協会事務局長として道展の運営や、後進の育成指導に尽力した。作風は、正統的な写実絵画が主だが、抽象画も手がけている。
- 廃船(1959年)
- ずり山のある風景(1972年)
- 雄冬の海(1983年)
- 朝の札幌大通公園(1986年)
- 函館風景(1993年)
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