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ちょうくく

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

ちょう くく(ちょう かつ、? - 紀元前きげんぜん260ねん)は、中国ちゅうごく戦国せんごく時代じだいちょう武将ぶしょう名将めいしょうといわれたちょうおごだが、長平ながだいたたかはたしろおこり将軍しょうぐんやぶれ、戦死せんしした。

紙上しじょうだんへい紙上しじょうへいだんず)

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幼少ようしょうより兵学へいがくつうじており、ときには兵法ひょうほう論議ろんぎちちちょうおご論破ろんぱしたこともあったが、ちょうおごけっしてちょうくくみとめなかった。つま理由りゆうたずねると「せんとは生死せいしのかかったものであるのに、くく無造作むぞうさろんじている。任用にんようされずにめばよいが、しょうになったらちょうぐんくくによってかなら破滅はめつするだろう」とちょうおご返答へんとうしたという。

長平ながだいたたかいにおいて、当初とうしょちょうぐん名将めいしょうれん指揮しきでよく防戦ぼうせんしていた。これにたいしてはたぐんは2ねんってもやぶることができず、遠征えんせいぐんであるがゆえ徐々じょじょ疲労ひろうまり、士気しき低下ていかしていた。戦局せんきょく打開だかいのためにはた宰相さいしょう范雎一計いっけいあんじ、「しんぐん老人ろうじんかど頗よりも、兵法ひょうほう名家めいかたるちょうくく指揮しきることをおそれている」という流言りゅうげんひろめると、ちょうこうなりおうは、へいすうではおおきくまさるのに積極せっきょくさくらないれん頗にたいして不満ふまんっていたこともあり、これをしんじてちょうくくそう大将たいしょう交代こうたいさせようとする。これをったちょう重臣じゅうしんしょう死期しきせまったやまいいとわず参内さんだいし「ちょうくく兵法ひょうほうしょまる暗記あんきしているだけの未熟みじゅくしゃ実戦じっせんでの臨機応変りんきおうへん重要じゅうようさを理解りかいしていません」といさめた[1]ばかりか、ちょうくくははまでもがほろびおっと遺言ゆいごんをもとに「ひといのちかるんじるくくでは、将軍しょうぐんいのちえられません」とこうなりおう直訴じきそした。

こうなりおう息子むすこ栄達えいたつ阻害そがいするおやなどいるのか、とおもちょうくくははにその理由りゆううと、「わたしちょうおごつまとして、しょうというものをております。おっとはいささかもおごることなく、みずか酒食しゅしょくすすめた部下ぶかすうじゅうにんともとしてしたしくまじわったひとすうひゃくにんのぼりました。いただいた恩賞おんしょうのこらず部下ぶかあたえ、出陣しゅつじんいのちけてからはいえのことをかえりみませんでした。一方いっぽうくく部下ぶかへは威張いばらすだけで、下賜かしひんすべ仕舞しま他人たにんにはわたさず、日々ひび値上ねあがりしそうな物件ぶっけんばかり見繕みつくろっています。こんなさまではとてもちちおよびません」とべたが、それでもこうなりおうれなかった。「では、どうしてもくくもちいられるのならば、どんな結果けっかでも一族いちぞくなどにつみおよばせぬようにねがいます」とのちょうくくははねがいだけはみとめた。

前線ぜんせん到着とうちゃくしたちょうくくは、れん頗の戦法せんぽう支持しじするしょうたち更迭こうてつし、兵法ひょうほうしょとおりにへい配置はいちなおした。そして持久じきゅう戦法せんぽうから一転いってんしてしんぐんたい攻勢こうせい仕掛しかけた。しかしはたも、ちょうそう大将たいしょうちょうくくわることをいて、ひそかにそう大将たいしょうおうから歴戦れきせん勇将ゆうしょうであるしろおこり将軍しょうぐんえ、かまえていた。そしてちょうぐんしろおこり偽装ぎそう撤退てったい戦術せんじゅつにかかり、深追ふかおいして軍勢ぐんぜいびきったところ伏兵ふくへい分断ぶんだんされ、指揮しき系統けいとううしなって混乱こんらんおちい大敗たいはいきっする。さらにしんぐん包囲ほういによって糧道りょうどうたれたちょうぐん40まんえにひんし、味方みかたころしあってひとにくうば窮状きゅうじょうおちいった。ちょうくくわずかにのこった健常けんじょうへいひきいてしんぐんへの突撃とつげき敢行かんこうしたが、あえなく射殺しゃさつされ、疲弊ひへいきわみにくわえて統率とうそつうしなったちょうぐん降伏ごうぶくした[2]


しかしはた国力こくりょく使つかっており、20まんにんもの投降とうこうへいやしなうだけの食料しょくりょうく、かえることもできない。かといってせばうらみをもってかってくるだろう、としろおこり判断はんだんによって240にん少年しょうねんへいのこしすべてがめにされた。このためちょう国力こくりょく大幅おおはば低下ていかし、その滅亡めつぼうはやめることになる。

後世こうせい

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ちょうくくはしばしば「まる暗記あんきするだけで、その応用おうようらない」れいとしていにされる。 そして「紙上しじょうへいだんず」という故事こじ成語せいごとなった。

関連かんれん項目こうもく

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出典しゅってん

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  1. ^ ウィキソース出典 史記しき まきはちじゅういち かど頗藺しょう如列でん だいじゅういち (中国ちゅうごく), 史記しき/まき081#つけ ちょうおご, ウィキソースより閲覧えつらん 史記しき まきはちじゅういち かど頗藺しょう如列でん ちょうおごこう
  2. ^ ウィキソース出典 史記しき まきはちじゅういち かど頗藺しょう如列でん だいじゅういち (中国ちゅうごく), 史記しき/まき081#おご くく, ウィキソースより閲覧えつらん 史記しき まきはちじゅういち かど頗藺しょう如列でん おご くくこう