(Translated by https://www.hiragana.jp/)
関川宿 - Wikipedia コンテンツにスキップ

関川せきかわ宿やど

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
関川せきかわ関所せきしょから転送てんそう

関川せきかわ宿やど(せきがわしゅく)は、越後えちごこく頸城ぐん関川せきかわ現在げんざい新潟にいがたけん妙高みょうこう関川せきかわ)にあった北国きたぐに街道かいどう宿やど

概要がいよう

[編集へんしゅう]

同名どうめい河川かせん関川せきかわ由来ゆらいし、どうかわ流域りゅういき越後えちご信濃しなの国境こっきょうにあり、平安へいあん時代じだいから交通こうつうがあった。戦国せんごく時代じだい上杉うえすぎ関所せきしょいてせきぜに徴収ちょうしゅうし、江戸えど幕府ばくふ北国きたぐに街道かいどう要衝ようしょうとしてこの関所せきしょ継承けいしょうし、そのがわ宿場しゅくばまち形成けいせいされた。

となり上原うえはら宿やどとは合宿がっしゅく関係かんけいにあり、本陣ほんじん1・旅籠はたご10をようし、加賀かがはんなど北陸ほくりく地方ちほうしょはん参勤交代さんきんこうたい利用りようした。

関所せきしょ高田たかだはん南境みなみざかいにあたることから、どうはんくちとめ番所ばんしょとしての役目やくめたし、どうはん幕府ばくふより管理かんりめいじられた。関川せきかわ関所せきしょでは、「おんなあらため」が実施じっしされ、碓氷うすい関所せきしょの「にゅう鉄砲てっぽう」の監視かんしとともに重要じゅうよう役目やくめたした(にゅう鉄炮てっぽうおんな)。関所せきしょ1869ねん明治めいじ2ねん)に明治めいじ政府せいふによって廃止はいしされた。

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]
  • 丸山まるやま雍成「関川せきかわ」(『国史こくしだい辞典じてん 15』(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、1996ねんISBN 978-4-642-00515-9