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関川宿(せきがわしゅく)は、越後国頸城郡関川(現在の新潟県妙高市関川)にあった北国街道の宿。
同名の河川・関川に由来し、同川流域の越後と信濃の国境にあり、平安時代から交通があった。戦国時代に上杉氏が関所を置いて関銭を徴収し、江戸幕府も北国街道の要衝としてこの関所を継承し、その側に宿場町が形成された。
隣の上原宿とは合宿の関係にあり、本陣1・旅籠10を擁し、加賀藩など北陸地方の諸藩が参勤交代時に利用した。
関所は高田藩の南境にあたることから、同藩の口留番所としての役目も果たし、同藩が幕府より管理を命じられた。関川関所では、「女改め」が実施され、碓氷関所の「入鉄砲」の監視とともに重要な役目を果たした(入鉄炮出女)。関所は1869年(明治2年)に明治政府によって廃止された。