ゆきはな図説ずせつ

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ゆきはな図説ずせつ』。土井どいとししる、1832ねん天保てんぽう3ねんかん国立こくりつ科学かがく博物館はくぶつかん展示てんじ

ゆきはな図説ずせつ』(せっかずせつ)は、下総しもうさこく古河ふるかわはん藩主はんしゅ土井どいとしあらわしたゆき結晶けっしょう雪片せっぺん)の観察かんさつしょである。天保てんぽう3ねん1832ねん刊行かんこう[1]

概要がいよう[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだい平成へいせいれい現代げんだいよりも気候きこう寒冷かんれいであり、関東平野かんとうへいやのほぼ中心ちゅうしん位置いちする古河ふるかわにおいてもたびたび降雪こうせつ見舞みまわれた。とく天保てんぽう年間ねんかん1831ねん - 1845ねん)は、ゆき結晶けっしょう観察かんさつできるほど冷涼れいりょう気候きこうであった。文政ぶんせい5ねん1822ねん)から古河ふるかわ藩主はんしゅつとめ、また天保てんぽう後期こうき老中ろうじゅうにもなった土井どいとしは、古河ふるかわにおいてオランダから輸入ゆにゅうされた顕微鏡けんびきょう使つかってゆき結晶けっしょう観察かんさつし、観察かんさつ研究けんきゅうを『ゆきはな図説ずせつ』『ぞくゆきはな図説ずせつ』(天保てんぽう11ねん/1840ねん)にまとめて出版しゅっぱんした[2]発見はっけんした結晶けっしょうかずは195しゅにのぼる[3]日本にっぽんはつの、ゆきについての自然しぜん科学かがくしょとして、たか評価ひょうかている。

ゆきはな図説ずせつ本文ほんぶんしるされる観察かんさつほうおおまかに紹介しょうかいすると、つぎとおりである。

  1. ゆきりそうなよるえらび、黒地くろじぬの屋外おくがい冷気れいきであらかじめ冷却れいきゃくする。
  2. えたぬの降雪こうせつける。
  3. ぬのうえゆきくずさないように注意ちゅういしてピンセットり、くろ漆器しっきうつす。
  4. いたいき試料しりょうにかからないよう注意ちゅういしつつ、「らんきょう」(オランダから渡来とらいした顕微鏡けんびきょう意味いみ)で観察かんさつする。

ととのったかたち結晶けっしょう観察かんさつされるには、おおきな結晶けっしょう形成けいせいされ、なおかつ牡丹雪ぼたんゆきのように癒合ゆごうしない-10℃から-15℃の気温きおん必要ひつようとなる。当時とうじさむよる顕微鏡けんびきょう観察かんさつおこなうには、かなりの苦労くろうがあったという。

このほん私家しかばんであり出版しゅっぱんすうすくなかったが、当時とうじテキスタイルパターン影響えいきょうあたえ、ゆきはな模様もよう流行りゅうこうをもたらした。現在げんざいでも古河ふるかわ雪国ゆきぐにでもないのに、市内しないいたところゆきはな紋様もんようられる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 歴史れきしたび しんはんふみ事典じてん』(秋田あきた書店しょてん、1993ねん)p.163.
  2. ^ 歴史れきしたび しんはんふみ事典じてん』(秋田あきた書店しょてん、1993ねん)p.163.
  3. ^ 歴史れきしたび しんはんふみ事典じてん』(秋田あきた書店しょてん、1993ねん)p.163.

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]