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雷神らいじんしゃ (横須賀よこすか)

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雷神らいじんしゃ
横須賀市雷神社
所在地しょざいち 神奈川かながわけん横須賀よこすか追浜本おっぱまほんまち1-9
位置いち 北緯ほくい3519ふん4.85びょう 東経とうけい13937ふん26.50びょう / 北緯ほくい35.3180139 東経とうけい139.6240278 / 35.3180139; 139.6240278 (雷神らいじんしゃ (横須賀よこすか))座標ざひょう: 北緯ほくい3519ふん4.85びょう 東経とうけい13937ふん26.50びょう / 北緯ほくい35.3180139 東経とうけい139.6240278 / 35.3180139; 139.6240278 (雷神らいじんしゃ (横須賀よこすか))
主祭しゅさいしん かみなりいのち
社格しゃかくひとし きゅう村社そんしゃ
創建そうけん うけたまわひらた元年がんねん(931ねん
例祭れいさい 10月6にち
地図ちず
雷神社の位置(神奈川県内)
雷神社
雷神らいじんしゃ
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雷神らいじんしゃ(いかづちじんじゃ、かみなりじんじゃ)は神奈川かながわけん横須賀よこすか追浜おっぱまにある神社じんじゃである。祭神さいじんかみなりいのち(ほのいかづちのみこと、「雷神らいじん」とかれて「いなびかりのかみ」「ほのいかづちのかみ」などとまれることもある[1][2]。)

境内けいだいには樹齢じゅれい400ねんえるとわれている神木しんぼく銀杏いちょうがある。

また境内けいだいには稲荷いなりしゃほか戦没せんぼつしゃ慰霊いれいきゅう海軍かいぐん招魂しょうこんしゃであるはまそら神社じんじゃひとしもある[2]前身ぜんしんは、追浜おっぱま海軍かいぐん航空こうくうたい守護神しゅごじんであったとりせん神社じんじゃ平成へいせい20ねん(2008ねん)に現在げんざい場所ばしょ遷座せんざ[3][出典しゅってん無効むこう]

なお、社名しゃめいをもじった独自どくじのカクテル「かみなりジンジャー」が、2013ねんより周辺しゅうへん飲食いんしょくてん提供ていきょうされている[4][5]

名称めいしょう

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雷神らいじんしゃ」といて「いかづちじんじゃ」とむのが「本来ほんらい」「正式せいしき」などともわれる[6][7]ものの、その正確せいかく意味いみ判然はんぜんとしない。『新編しんぺん相模さがみこく風土記ふどき稿こうとうふる文献ぶんけんでは「雷電らいでん大明神だいみょうじん」「雷電らいでん神社じんじゃ」としるされているものもある[8]

現在げんざいでは「かみなりじんじゃ」のかた地元じもとでは普通ふつうであり[6][ちゅう 1]、またひろもちいられている[ちゅう 2][ちゅう 3]

歴史れきし

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社殿しゃでん
  • うけたまわひらた元年がんねん931ねん)に創建そうけんわれる。
  • もと天神てんじんしゃが(現在げんざい横浜よこはま金沢かなざわ六浦むつうらひがし1丁目ちょうめから追浜本おっぱまほんまち2丁目ちょうめ付近ふきん相当そうとうする)「むろ」の「天神てんじんさき地域ちいきまつられていたとわれる[9]
  • えいろくころなえわり」にうつして、そのさいに「雷神らいじんしゃ」としょうした、ともわれる[9]
  • 天正てんしょう9ねん1581ねん)に朝倉あさくら能登のとまもる現在げんざい場所ばしょうつす。それ以前いぜん当時とうじはな小島こじまであった築島つきしま(追浜おっぱままち3丁目ちょうめ)に社殿しゃでんがあった。築島つきしまのご神木しんぼくは、黒焦くろこげで現存げんそんするかしわまき[11]。なお、雷神らいじん勧請かんじょうされたのはこのときとする資料しりょうもある[11]
  • 宝永ほうえい4ねん(1707ねん)に社殿しゃでん再建さいけんされた[9]
  • 明治めいじ初期しょき天神てんじんしゃ雷神らいじんしゃ合祀ごうしされた[11]
  • きゅう社殿しゃでん木造もくぞう草葺くさぶきであったが、昭和しょうわ23ねん[11]もしくは昭和しょうわ30ねん[9]ちたあと、昭和しょうわ35ねん1960ねん)に鉄筋てっきんコンクリートせい社殿しゃでんてられた[11]

交通こうつう

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バス停ばすてい雷神らいじんしゃ」。神社じんじゃ交差点こうさてんひだり

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 1974ねん文献ぶんけんには『当社とうしゃぞくに「かみなりさま」でしたしまれ』とある[9]
  2. ^ そもそも神奈川かながわけん神社じんじゃちょう支部しぶ作成さくせいした資料しりょうの「雷神らいじんしゃ」の項目こうもくでは、項目こうもくめい仮名がなが「かみなりじんじゃ」となっている。 なお、当該とうがい項目こうもく本文ほんぶん雷神らいじんしゃ宮司ぐうじ署名しょめい記事きじである[2]
  3. ^ 最寄もよりのバス停ばすていみは「かみなりじんじゃ」であり、近隣きんりん交差点こうさてんマ字まじ名称めいしょうながらく「Kaminarijinja」であった[10]

出典しゅってん

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  1. ^ 雷神らいじんしゃ, 神奈川かながわけん神社じんじゃちょう, https://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=427&cd=1205040&scd=&npg=0 2019ねん8がつ2にち閲覧えつらん 
  2. ^ a b c 神奈川かながわけん神社じんじゃちょう鎌倉かまくら横須賀よこすか三浦連合支部神社案内冊子委員会著 (2014), 鎌倉かまくら横須賀よこすか三浦みうら逗子ずし葉山はやま神社じんじゃ - 三浦みうら半島はんとう127しゃ案内あんない, 文明ぶんめいどう印刷いんさつ 
  3. ^ はまそら神社じんじゃ”. tokyowanyosai.com. 2020ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん
  4. ^ 追浜おっぱまバルめぐり になるみせを”はしご” 31てん参加さんかかみなりジンジャー」提供ていきょう”. 横須賀よこすかばん. タウンニュース (2018ねん10がつ26にち). 2019ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  5. ^ かみなりジンジャー】爽快そうかいこう美味びみぶつ問屋とんや うれしたのし”. カナロコ (2014ねん3がつ10日とおか). 2019ねん7がつ20日はつか閲覧えつらん
  6. ^ a b 追浜おっぱまかんこれで雷神らいじんしゃ”. 追浜おっぱま観光かんこう協会きょうかい (2014ねん6がつ11にち). 2019ねん8がつ2にち閲覧えつらん
  7. ^ "かんこれ"人気にんき集客しゅうきゃくぞう 市内しない各所かくしょ経済けいざい効果こうか”. タウンニュース (2014ねん5がつ23にち). 2019ねん8がつ4にち閲覧えつらん
  8. ^ 沢田さわだ雄也ゆうや (1993), 湘南しょうなん追浜おっぱま物語ものがたり, 追浜おっぱま郷土きょうど研究けんきゅうかい 
  9. ^ a b c d e 上杉うえすぎ孝良たかよし, 三浦みうら半島はんとう歴史れきしをたずねて, p. 280 
  10. ^ (無題むだい)”. ストリートビュー. グーグル (2010ねん3がつ). 2019ねん8がつ4にち閲覧えつらん (無題むだい)”. ストリートビュー. グーグル (2018ねん2がつ). 2019ねん8がつ4にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c d e 沢田さわだ雄也ゆうや (1987), 追浜おっぱま史跡しせき探訪たんぼう, 追浜おっぱま地域ちいき文化ぶんか振興しんこう懇話こんわかい 

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 高橋たかはし恭一きょういち; 三浦みうら勝男かつお; 高梨たかなし炳; 田辺たなべさとる; 辻井つじいよしわたる; 岩崎いわさき義朗よしろう; 上杉うえすぎ孝良たかよし (1974), 三浦みうら半島はんとう歴史れきしをたずねて, 横須賀よこすか文化ぶんか協会きょうかい 

関連かんれん文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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