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飯塚いいづかすすむこう

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飯塚いいづかすすむこう
個人こじん情報じょうほう
フルネームいいづか まさみつ
国籍こくせき日本の旗 日本にっぽん
生誕せいたん (1950-02-07) 1950ねん2がつ7にち
栃木とちぎけん
死去しきょ2014ねん10月11にち(2014-10-11)(64さいぼつ
スポーツ
競技きょうぎオートレース
クラブ船橋ふなばしオートレースじょう

飯塚いいづか すすむこう(いいづか まさみつ、1950ねん昭和しょうわ25ねん2がつ7にち - 2014ねん平成へいせい26ねん10月11にち)は、日本にっぽんもとオートレース選手せんしゅ栃木とちぎけんまれ。9船橋ふなばしオートレースじょう所属しょぞく

選手せんしゅデータ[編集へんしゅう]

  • 戦歴せんれき
    • 通算つうさん勝利しょうりすう:1382しょう
    • 通算つうさん優勝ゆうしょう回数かいすう:142かい史上しじょうだい3
    • グレードレース(SG,GI,GII)優勝ゆうしょう回数かいすう:45かい片平かたひらたくみとともに史上しじょうだい3タイ)
    • 全国ぜんこくレース優勝ゆうしょう回数かいすう:10かい(SG9かい全日本ぜんにほん選抜せんばつオートレース1かい
    • SG優勝ゆうしょう回数かいすう:9かい
    • GI優勝ゆうしょう回数かいすう:28かい史上しじょう最多さいた
    • GII優勝ゆうしょう回数かいすう:8かい
    • 賞金しょうきんおう:9かい(77〜78、82〜87、89のかくとし史上しじょう最多さいた
    • 年間ねんかん最多さいた優勝ゆうしょう選手せんしゅ:7かい
    • 年間ねんかん最多さいた勝利しょうり選手せんしゅ:1かい
    • 通算つうさん勝利しょうりすう:1382しょう
  • 受賞じゅしょうれき
    • 最優秀さいゆうしゅう選手せんしゅしょう:4かい(77・82・84・85ねん
    • 特別とくべつしょう:7かい高橋たかはしみつぐとともに史上しじょう最多さいたタイ)

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栃木とちぎけん佐野さのまれ。飯塚いいづか小学生しょうがくせいころ実家じっか大井おおいオートレースじょうちかくで自転車じてんしゃてんを営でいた。近所きんじょ大井おおいオートの選手せんしゅんでいて、オートレースのはなしいたり、オートレース選手せんしゅあこがれていた。商売しょうばいがら自転車じてんしゃやバイクに幼少ようしょうかられており、父親ちちおや運転うんてんするバイクのうしろに仕入しいれへ出掛でかけたり、河原かわら運転うんてんさせてもらったりしたという。14さいとき船橋ふなばしオートレースじょうはじめてダートレースを衝撃しょうげきけ、その選手せんしゅになることを決意けついする。1970ねん財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん小型こがた自動車じどうしゃ振興しんこうかいだい9選手せんしゅ候補こうほせい合格ごうかく。1971ねん船橋ふなばしオートレースじょうにてデビュー。

前述ぜんじゅつ栃木とちぎけん佐野さの飯塚いいづか父親ちちおや故郷こきょう飯塚いいづか出生しゅっしょうではないが父親ちちおや故郷こきょうへのおもれがつよく、晩年ばんねんまで栃木とちぎけん佐野さの出身しゅっしんをプロフィールに使用しようしていると本人ほんにんかたっている。

ミスター・オート[編集へんしゅう]

飯塚いいづかすすむこうは「ミスター・オート」とたたえられた。オートの神様かみさま広瀬ひろせ登喜夫ときおとともに、オートレースをかたじょうけることの出来できない人物じんぶつである。

飯塚いいづかトライアンフ以下いか"トラ"と表記ひょうき)がオートレースで席巻せっけんしていた時代じだいもっとつよ選手せんしゅとして君臨くんりんした。トラは整備せいび大変たいへん複雑ふくざつで、りこなすのもまたむずかしいというエンジンだった。実際じっさい同期どうき篠崎しのざきみのる(9川口かわぐちオートレースじょう所属しょぞく)はトラには適応てきおう出来できず、メグロ気筒きとうえた。当時とうじ徒弟とていせいだったオートレースで規定きてい乗車じょうしゃ年月としつきえても師匠ししょうゆるしがないとだい排気はいきりょうのエンジンへえはかなわなかったが、飯塚いいづかは3きゅうしゃ3ねん→2きゅうしゃ1ねん→1きゅうしゃたん気筒きとう1ねん最短さいたんペースでトラにわったのである。そして、まるでトラのこまかいくせまでも熟知じゅくちしているかのような整備せいびと、それまでだれこころみなかったトラによる「外角がいかくはしほう」で、飯塚いいづか船橋ふなばしはおろか、全国ぜんこくでも最強さいきょうわれるほど選手せんしゅへと進化しんかしたのである。

飯塚いいづかのトラ時代じだい競走きょうそうしゃ呼名よびなとしては、「ホージョウ」が代表だいひょうてきであった。この「ホージョウ」という呼名よびなは、もと飯塚いいづか師匠ししょうであった須之内すのうち哲也てつや(2もと船橋ふなばしオートレースじょう所属しょぞく選手せんしゅが「ホウジョウ」という呼名よびな使用しようしていたもので、落車事故じこにより半身不随はんしんふずい重傷じゅうしょう引退いんたい余儀よぎなくされた師匠ししょうからその「ホウジョウ」ごうゆずけたのがそもそものはじまりである。それ以前いぜんは「ガーファンクル」や「キャロル」というくるまめいがあったが、飯塚いいづか自身じしんはこの北条早雲ほうじょうそううん代表だいひょうされる北条ほうじょうの「北条ほうじょう」に由来ゆらいした「ホージョウ」というこのみ(当初とうしょ北条ほうじょうのこととはらなかった)、「ベルホージョウ」や「ホージョウ25」というふうにアレンジをくわえて使用しようしていた。

フジ~セア時代じだいのミスター[編集へんしゅう]

英国えいこくトライアンフしゃ倒産とうさん1983ねん工場こうじょう閉鎖へいさにより、1980年代ねんだい後半こうはんトライアンフの部品ぶひんはイギリスまで出向でむかないといけないほど入手にゅうしゅ困難こんなんとなった。そして、その間隙かんげきってデビューしたのがフジ気筒きとうである。飯塚いいづかだれよりもはやくこのフジニ気筒きとう導入どうにゅうする。トラへのこだわりがまったかったわけではないが、の「フジでなければてない」という状況じょうきょう対応たいおうするため苦渋くじゅう選択せんたくでもあったともえる。

フジへえた飯塚いいづかは、当時とうじ特別とくべつ競走きょうそう現在げんざいSG競走きょうそう)のさんだいタイトルをすべ制覇せいはするなど、トラ時代じだいほどではないが、素晴すばらしい活躍かつやくせる。1993ねんエンジンがセア統一とういつされてからはいちもSGを優勝ゆうしょうしていない。セアは若手わかて選手せんしゅでも順応じゅんのうしやすいエンジンで、オートレースでつための要素ようそ次第しだいに「つよさ」から「はやさ」へ移行いこうしてく過渡かとでもあった。この高速こうそくながれにまれるかのように、飯塚いいづか強靭きょうじんはしりはかげひそめてしまう。セア往年おうねん絶対ぜったいてきつよさにはおよばないものの存在そんざいかん発揮はっきすることはおおく、時折ときおり往年おうねんつよさの片鱗へんりんせることがあり、だい9かいG1全国ぜんこく地区ちく対抗たいこうでは当時とうじ圧倒的あっとうてきつよさをほこった片平かたひらにはやぶれたもののじゅん優勝ゆうしょう、2006ねんにはだい25かいオールスターオートレースゆう(優勝ゆうしょうせん失格しっかく)とう戦績せんせきのこした。

オープンレースでのつよ[編集へんしゅう]

オートレースでは、ぜん選手せんしゅが0メートルハンデせんから発走はっそうする競走きょうそうを「オープンレース」とんでいる。全盛期ぜんせいき飯塚いいづかはスタートのかた非常ひじょうにうまく、得意とくいとしていた。ぜんレースがオープンせん実施じっしされる日本にっぽん選手権せんしゅけんオートレースで6かい優勝ゆうしょう記録きろくしているが、これはどういち選手せんしゅによる歴代れきだい最多さいた優勝ゆうしょう記録きろく今日きょうまでやぶられていない。

川口かわぐち四天王してんのうとのたたか[編集へんしゅう]

広瀬ひろせ登喜夫ときお阿部あべ光雄みつお且元しげる篠崎しのざきみのる川口かわぐちオートレース所属しょぞく4選手せんしゅは1970年代ねんだいわりころから絶対ぜったいてきつよさから「川口かわぐち四天王してんのう」とばれていた。飯塚いいづか当時とうじいち事実じじつじょう引退いんたいいられていた広瀬ひろせのぞく3選手せんしゅ特別とくべつレースや記念きねんレースでつね覇権はけんあらそった。

飯塚いいづかがSGを次々つぎつぎ制覇せいはする1977ねん~1992ねんあいだに、阿部あべ・且元・篠崎しのざきはそれぞれ2ずつSGを優勝ゆうしょうしている。一見いっけんすくないようにおもわれるが、当時とうじ特別とくべつ競走きょうそう絶対ぜったいすうすくなさを考慮こうりょすると、阿部あべ・且元・篠崎しのざき優勝ゆうしょう回数かいすう飯塚いいづか匹敵ひってきするものであり、当時とうじ飯塚いいづかにとってもっとおおきな障壁しょうへきは、間違まちがいなくこの3にんだったともえる。

飯塚いいづかは、川口かわぐちオート開催かいさいのGI競走きょうそう生涯しょうがい優勝ゆうしょう出来できなかった(川口かわぐち開催かいさいのSGおよびGIIはそれぞれ2かい優勝ゆうしょう経験けいけんあり)。この事実じじつはある意味いみ、オートレースかいの「七不思議ななふしぎ」ともえる。だが、川口かわぐち四天王してんのう中心ちゅうしんとした当時とうじ川口かわぐちオートレース選手せんしゅそうあつさの証明しょうめいであったともえる。

まぼろしのライバル[編集へんしゅう]

「ミスター・オート」飯塚いいづかすすむこうをして「くもうえ存在そんざい」とわしめた選手せんしゅがいる。それが、同期どうき梅村うめむら貴司きしよし(9飯塚いいづかオートレースじょう所属しょぞく)である。

元々もともと9精鋭せいえいぞろいの世代せだいであった。飯塚いいづか以外いがいにも且元しげる篠崎しのざきみのる板橋いたばししのぶ引退いんたいもと船橋ふなばしオートレースじょう所属しょぞく)などの俊英しゅんえいがひしめいていた。

そのなかにあって、梅村うめむらかれらよりもさらあたまひとけた選手せんしゅであった。選手せんしゅ候補こうほせい時代じだい養成ようせいしょおこなわれる模擬もぎレースでは、梅村うめむらつね飯塚いいづかよりも10mハンデがおもく、後年こうねん飯塚いいづか梅村うめむらを「自分じぶんがどんなに努力どりょくしてもてない、くもうえ存在そんざい」とひょうしている。

そんな梅村うめむらであったが、1971ねん4がつ29にちおこなわれたデビューせん、まさかの落車事故じこ殉職じゅんしょくしてしまった。健在けんざいであれば飯塚いいづかとも間違まちがいなくいち時代じだいきずいていたであろうとわれ、飯塚いいづか自身じしんも「かれきていたら、自分じぶんはこんなにタイトルをれなかった」、「きていれば、間違まちがいなくオートレースの歴史れきしえる選手せんしゅになっていた」と述懐じゅっかいしている。

引退いんたい[編集へんしゅう]

2013ねん5がつ27にち船橋ふなばしオートレースじょうおこなわれた京成けいせいはい飯塚いいづかのラストランであった[1]。6月7にちJKA選手せんしゅ引退いんたいとどけ提出ていしゅつ飯塚いいづかは「もっとはしれる気持きもちはあるが、体力たいりょく限界げんかいかんじたことから引退いんたいすることをめた」とコメントを発表はっぴょうした。2013ねん7がつ7にちにLG(ロッカーグランド)である船橋ふなばしオートレースじょう引退いんたいセレモニーが開催かいさいされた[2]2014ねん8がつ療養りょうようちゅう船橋ふなばしオートレースじょう廃止はいしった飯塚いいづかは、無念むねんさをかくれず「自分じぶんまれた1950ねんが(船橋ふなばしオートレースの)はつ開催かいさい、21さい選手せんしゅになってぼく青春せいしゅん時代じだい人生じんせいのすべてをごした場所ばしょですから来年度らいねんどかぎりで廃止はいしされるならとてもさびしいし残念ざんねんです」とかたった。

2014ねん10がつ11にち胃癌いがんのため死去しきょ[3]。64さいぼつ

グレードレース戦歴せんれき[編集へんしゅう]

SG日本にっぽん選手権せんしゅけんオートレース史上しじょう最多さいた優勝ゆうしょう史上しじょう最長さいちょう連続れんぞくゆう記録きろく[編集へんしゅう]

1977・78・83・86・87・89ねん史上しじょう最多さいたけい6かい優勝ゆうしょう実績じっせきやぶ選手せんしゅいまなお出現しゅつげんしていない。また、1980ねんだい12かい大会たいかいから1992ねんだい24かい大会たいかいまで、じつに13ねん連続れんぞく優勝ゆうしょうせん進出しんしゅつつづけた記録きろくいまだにやぶられていない。

  • GI戦歴せんれき
    • GI優勝ゆうしょう回数かいすう:28かい高橋たかはしみつぐともに史上しじょう最多さいたタイ)
      • 船橋ふなばし黒潮くろしおはい争奪そうだつせん 7かい史上しじょう最多さいた
      • 船橋ふなばし・オート発祥はっしょう記念きねん船橋ふなばしオートさい 4かい
      • 飯塚いいづか・ダイヤモンドレース 4かいうち、83〜85ねんの3連覇れんぱふくむ)
      • 伊勢崎いせさき開設かいせつ記念きねんシルクカップ争奪そうだつせん 3かい
      • 伊勢崎いせさきはるのスピードおう決定けっていせん 3かい(84〜86ねんに3連覇れんぱ
      • 浜松はままつ開場かいじょう記念きねんゴールデンレース 3かい
      • 浜松はままつ・スピードおう決定けっていせん 1かい
      • 山陽さんよう全日本ぜんにほん選抜せんばつオートレース 1かい
      • 飯塚いいづか開設かいせつ記念きねんレース 1かい
      • 船橋ふなばししんスタンド完成かんせい記念きねんレース 1かい
  • GII戦歴せんれき
    • GII優勝ゆうしょう回数かいすう:8かい

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 船橋ふなばしオート 飯塚いいづかすすむこう選手せんしゅ 引退いんたいレース [1]
  2. ^ 日本にっぽん選手権せんしゅけん最多さいたの6優勝ゆうしょう“ミスターオート”飯塚いいづかすすむこう引退いんたい スポーツニッポン 2013ねん6がつ11にち閲覧えつらん
  3. ^ ミスターオート飯塚いいづかすすむひかり死去しきょ がん、64さい 中日ちゅうにち新聞しんぶん 2014ねん10がつ12にち