1844ねん鉄道てつどう規制きせいほう

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1844ねん鉄道てつどう規制きせいほう(1844ねんてつどうきせいほう、英語えいご: The Railway Regulation Act 1844)は、イギリスの議会ぎかい鉄道てつどう旅客りょかく輸送ゆそう最低限さいていげん基準きじゅんさだめるために制定せいていした法律ほうりつである。まずしい人々ひとびとでもしょくさがすために鉄道てつどう旅行りょこうできるくらいやす輸送ゆそう提供ていきょうする義務ぎむさだめたことでられる。

1840ねんから1893ねんにかけて制定せいていされた一連いちれん鉄道てつどう規制きせいほうのうちの1つである。

法律ほうりつ以前いぜん状況じょうきょう[編集へんしゅう]

この時点じてんまで、鉄道てつどうではさん等級とうきゅうかもっとおおくの等級とうきゅうかれた客車きゃくしゃがあり、さんとうしゃ普通ふつう屋根やねのない貨車かしゃ以上いじょうなにぶつでもなく、また普通ふつう座席ざせきそなえておらず、皮肉ひにくめて「スタンホープ英語えいごばん」(りん無蓋むがい馬車ばしゃ)などとばれていた。このとし商務しょうむちょう長官ちょうかんウィリアム・グラッドストンした商務しょうむちょう命令めいれいけて、委員いいんかい鉄道てつどうかんする6ほん報告ほうこくしょ作成さくせいした。

法律ほうりつ内容ないよう[編集へんしゅう]

こうした報告ほうこくしょ法律ほうりつ制定せいていにつながった。正式せいしき名前なまえは、「こん会期かいきあるいはこれ以降いこう会期かいきにおいて議会ぎかい制定せいていする法律ほうりつによって認可にんかされる未来みらい鉄道てつどう建設けんせつさいして、特定とくてい条件じょうけんし、あるいは鉄道てつどうかんしてその目的もくてき法律ほうりつ」(An Act to attach certain Conditions to the construction of future Railways authorised by any Act of the present or succeeding sessions of Parliament; and for other Purposes in relation to Railways)りゃくしてグラッドストンほう (Gladstone's Act)、あるいは1844ねん鉄道てつどう規制きせいほうばれた。

当初とうしょ法案ほうあんは、当時とうじとしてははるかに遠大えんだいなもので、鉄道てつどうもう国有こくゆうさえ提案ていあんしていた。そのような革命かくめいてき内容ないようなに法律ほうりつふくまれなかったが、以下いかのような内容ないよう記憶きおくされている。

  • すべての路線ろせんにおいて毎日まいにち双方向そうほうこうに、すべてのえき停車ていしゃするさんとう旅客りょかくはこぶための列車れっしゃ最低さいてい1ほん運転うんてんすること(この列車れっしゃ当初とうしょ議会ぎかい列車れっしゃばれた)。
    • 運賃うんちんは1マイルあたり1ペニーであること。
    • 平均へいきん速度そくどは12マイル毎時まいじやく19 km/h)を下回したまわらないこと。
    • さんとう旅客りょかく天候てんこうをしのぐことができ、座席ざせき提供ていきょうされること。

これとえに、鉄道てつどう会社かいしゃさんとう旅客りょかくからの収入しゅうにゅうかんしては納税のうぜい免除めんじょされた。実際じっさいのところ、この運賃うんちん当時とうじ平均へいきんてき労働ろうどうしゃにとってはやすいものではなかった。しかし追加ついか条項じょうこうにより、さんとう旅客りょかくは56ポンドやく25キログラム)までの荷物にもつ無料むりょうっていくことができることになった。これによりしょくもとめて移動いどうするひとたすけることになり、のち指摘してきされるように、労働ろうどうりょく供給きょうきゅう改善かいぜんすることにつながった[1]

鉄道てつどう会社かいしゃ反応はんのう[編集へんしゅう]

おおくの鉄道てつどう会社かいしゃ反応はんのうは、この法律ほうりつ嫌々いやいやながられるというもので、このさんとう旅客りょかくのための客車きゃくしゃそなえた列車れっしゃ最低さいていの1ほんだけ、早朝そうちょう深夜しんやなどのほかやくにたないときあいだたい運転うんてんした。これが当初とうしょ議会ぎかい列車れっしゃであった。このように鉄道てつどう会社かいしゃ対応たいおう不承不承ふしょうぶしょうであったのは、さんとうしゃ設備せつび改善かいぜんされて一般いっぱんてき乗客じょうきゃくでもえられるようなものになると、経済けいざいてきとうしゃることができるひとたちもさんとうしゃ利用りようするようになるかもしれないというおそれによるものであった[2]鉄道てつどう会社かいしゃなかには、議会ぎかい列車れっしゃ最低限さいていげん水準すいじゅんたす列車れっしゃ以外いがいに、より設備せつび劣悪れつあくさんとうしゃあるいはよんとうしゃ連結れんけつした列車れっしゃはしらせつづけるところもあった。

ガラスまどそな屋根やねにオイルランプをそなえて、3つのコンパートメントからなる客車きゃくしゃ運転うんてんして、この風潮ふうちょうやぶったのはミッドランド鉄道てつどうであったが、これは競合きょうごう他社たしゃからうらみをった。最終さいしゅうてきに1875ねんにはさんとうしゃ基準きじゅんげられて、客車きゃくしゃ等級とうきゅうえることでとうしゃ廃止はいしされた。20世紀せいき人々ひとびとにとってはこれがもたらした騒動そうどうただしく理解りかいするのはむずかしい。1800年代ねんだいには社会しゃかい階層かいそうにははっきりした区別くべつがつけられており、ミッドランド鉄道てつどう労働ろうどうしゃ階級かいきゅうがその人生じんせい過程かていにおいて、下層かそうみん上層じょうそうみん平等びょうどうちかづいていくというかんがえをつように推奨すいしょうしている、といううわさがながれていた[3]。ミッドランド鉄道てつどう管理かんりしゃであったジェームズ・オールポートは、講演こうえんなかで「わたし満足まんぞくって自分じぶん公的こうてき人生じんせい一部いちぶかえることができるとすれば、それはさんとうきゃくたいして恩恵おんけいあたえたことにかんするだろう」とべた[2]

鉄道てつどうもこれにつづいたが、法的ほうてきさんとうしゃ運行うんこうすることを義務付ぎむづけられていたため、奇妙きみょうなことであるが一等いっとうしゃさんとうしゃ運転うんてんされ、ボート・トレイン以外いがいではとうしゃはなかった。20世紀せいきはいってからもこれはつづき、最終さいしゅうてきに1956ねんさんとうしゃ改称かいしょうされるまでつづいた。その否定ひていてき意味合いみあいをけるために「普通ふつうしゃ」とさい改称かいしょうされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Smith, D.N., (1988) The Railway and its Passengers: A Social History Newton Abbott: David and Charles
  2. ^ a b Ellis, Hamilton., (1965) Railway Carriages In The British Isles From 1830-1914
  3. ^ Vaughan, A., (1997) Railwaymen, Politics and Money, London: John Murray

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Ransom, P.J.G., (1990) The Victorian Railway and How It Evolved, London: Heinemann
  • Billson, P., (1996) Derby and the Midland Railway, Derby: Breedon Books

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]