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MiNT

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

MiNT (MiNT is Now TOS)はAtari STとそれ以降いこう機種きしゅのためのフリーソフトウェアオペレーティングシステムカーネルである。フリーのシステムコンポーネントであるfVDI (デバイスドライバ)やXaAES (GUIウィジェット)、TeraDesk (ファイルマネージャ)とわせ、MiNTはフリーでTOS互換ごかんせいち、TOSとえることができる、マルチタスク可能かのうなオペレーティングシステムとしてはたらく。

MiNTはもとは「MiNT is Not TOS」(GNUがGNU's Not Unixのりゃくであるのとおなじように)としてEric Smithによってリリースされた。アタリはMiNTをAtari Falconのリリースにさいして公式こうしき代替だいたいカーネルとして採用さいようした。そのさい、MiNTは「MiNT is Now TOS」のりゃくであると若干じゃっかん変更へんこうされた。アタリはMiNTにAES 4.0 (GEMのマルチタスク可能かのうバージョン)をバンドルし、MultiTOS名付なづけた。アタリがコンピュータ市場いちばから撤退てったいすると、MiNTの開発かいはつはボランティアによってつづけられた。現在げんざい、Eric Smithからの要請ようせいにより、正式せいしき名称めいしょうはFreeMiNTと変更へんこうされている。これは、アタリがリリースしたバージョンと識別しきべつできるようにするのが目的もくてきであった。

いくつかのディストリビューションつくられており、RPMベースのSpareMiNTもっと有名ゆうめいれいである。Debian GNU/MiNTの移植いしょくすすめられている。

歴史れきし

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MiNT — TOSをUnixにする

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ST以降いこう機種きしゅすべてにおいて、アタリはROMからTOSをロードするアプローチにとどまっていた。TOSは進歩しんぽしても、おおくの場合ばあい、シングルタスクのオペレーティングシステムであった。TOSのAESは、3次元じげんのオブジェクト、いろきのアイコンなどおおくをあつかえるようにアップグレードされ、システムののこりの部分ぶぶんもゆっくりと現代げんだいてき強固きょうこになっていった。しかし、アタリによる最後さいごのコンピュータである1992ねん発表はっぴょうのFalcon 020でも、シングルタスクのオペレーティングシステムであるTOSはROMに搭載とうさいされ、ディスクベースのソリューションははじまっていたようにはえなかった。

1990ねんもどってみると、カナダじんのプログラマであるEric Smithが最初さいしょのバージョンのMiNTとばれるプログラムをリリースしていた。MiNTは「MiNT is Not TOS」の再帰さいきてき頭字かしらじであった。EricはSTへのGNU C ライブラリと、GNUソフトウェアの移植いしょくんだ。すぐに UnixけにかれたプログラムをTOSに移植いしょくするのはむずかしいことがかった。TOSはUnixの機能きのうおおくをっていなかったためである。かれにとってTOSにけている機能きのう追加ついかするほうが、かれ移植いしょくしたいとかんがえているすべてのUnixプログラムへのパッチを作成さくせいするより簡単かんたんであった。こうしてMiNTがまれた。

プログラマのしたことは、TOSのだい部分ぶぶんをプリエンプティブなマルチタスクをあつかえるようにえることだったが、したのはそれだけではなかった。EricはそれをUnixに非常ひじょうたやりかた設計せっけいし、のプラットフォームのUnixソフトウェアをMiNTに移植いしょくするが簡単かんたんになるようにした。

しかし、初期しょきのMiNTはほとんどのエンドユーザとって非常ひじょう制限せいげんされたものであった。1つのGEMアプリケーションを実行じっこうしながら、AESを使つかわないテキストベースのプログラムをマルチタスクで実行じっこうできるだけであった。しかし、この制限せいげんはほとんどはAESとGEMにのこされたものであった。MiNT自体じたいは、すでに相当そうとう程度ていどのUnix互換ごかん環境かんきょう提供ていきょうするプリエンプティブなシステムとなっており、同時どうじに、TOSとの互換ごかんせいたもたれていた。MiNTがインターネットじょうでリリースされたことにより、EricはMiNTをさらに発展はってんさせたいとかんがえている世界中せかいじゅう開発かいはつしゃとつながりもてるようになった。Allan Prattのようなアタリの従業じゅうぎょういん参加さんかし、Allanは実際じっさいにMiNTにATari TTのサポートを追加ついかした一人ひとりとなった。

TOSはマルチタスクへ — MultiTOS

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1990年代ねんだいはじめ、アタリはマルチタスクは将来しょうらいのために必要ひつようであることにづいていた。そして、TOSをマルチタスクオペレーティングシステムにするための方法ほうほうさがはじめていた。Allan PrattはすでにMiNTにしたしんでいたため、AllanはMiNTをあたらしいオペレーティングシステムのベースとして使用しようするべきと提案ていあんしていた。

TOSを完全かんぜんえるつもりはなかったが、MiNTはあたらしいオペレーティングシステムのカーネルとなった。正式せいしきなリリースの準備じゅんび段階だんかいで、おおくのことがMiNTの内部ないぶ構成こうせいなおされ、メモリ保護ほご追加ついかされた。Allan Prattが突然とつぜんアタリを退職たいしょくすると、Eric自身じしん雇用こようされカーネルは完成かんせいされた。マルチタスク環境かんきょう管理かんりするためには、アタリはいちに1つのアプリケーションしか実行じっこうできないという制限せいげんのないAESの代替だいたいひん開発かいはつしなくてはならなかった。あたらしいオペレーティングシステムはMiNTとAES 4.0からなっており、MultiTOSという名前なまえでバンドルされた。MiNTの頭字かしらじも「MiNT is Now TOS」に変更へんこうされた。MultiTOSは1993ねんはじめにリリースされ、アタリのユーザにマルチタスクオペレーティングシステムとして提供ていきょうされたが、いくつかの致命ちめいてき結果けっかっていた。システムは非常ひじょう低速ていそくだったのである。

TOSの終焉しゅうえん

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MultiTOSはアタリによってリリースされた最後さいごのバージョンのTOSとなった。アタリはながたれていたTOS 5.0の社内しゃないでのベータバージョンをリリースした。これは、シングルタスクオペレーティングシステムであるが、完全かんぜんなマルチタスクに対応たいおうするための準備じゅんびがなされていたこのベータバージョンにはAES 4.1がふくまれており、TOS 4.92とばれていた。これはいくつかのFTPサーバに流出りゅうしゅつしたが、あきらかにエンドユーザけではなく、ためしてみたものには簡単かんたん非常ひじょうにバグがおお不安定ふあんていであることがかるものであった。MultiTOSでのアップデートされたバージョンのマルチタスク対応たいおうのGEMの後継こうけい(これもAES 4.1とばれたが、TOS 4.92とともに配布はいふされたものよりもよりあたらしいバージョンである) は、開発かいはつしゃには配布はいふされたが、突然とつぜんわりをむかえることとなった。

ゲームであるAtari Jaguar経営けいえい資源しげんすべてをけるため、アタリはコンピュータの開発かいはつとサポートのすべてをめることを決断けつだんした。この決断けつだんがもうすうねんはやくなされていたならば、TOSの物語ものがたりはここでわっていたかもしれない。しかし、2つのことがTOSをこの決断けつだんからすくった。Ericは上司じょうしにアタリによるMiNTを制限せいげんすくないライセンスでリリースさせ、興味きょうみのあるひとだれでも自分じぶんのバージョンのオペレーティングシステムをさい配布はいふできるようにした。それにくわえ、インターネットが一般いっぱん大衆たいしゅう普及ふきゅうはじめる時期じきにあたっており、すでに強力きょうりょくなMiNTのコミュニティが形成けいせいされていたため、インターネットによって、オープンソースによる開発かいはつはすばらしく状況じょうきょうとなった。

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MiNTのコミュニティ

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アタリがゲームにとくすると、それ以降いこうのオペレーティングシステムの開発かいはつは、オープンソース活動かつどうかサードパーティの開発かいはつしゃにゆだねられた。オペレーティングシステムのカーネルであるMiNTのソースコードはすでに寛大かんだいなライセンスのした入手にゅうしゅ可能かのうであったが、マルチタスク可能かのうなAES 4.1のソースコードは再三さいさん要求ようきゅうされたにもかかわらず、アタリによって公開こうかいはされなかった。現在げんざい、アタリのユーザはだれかがあたらしいマルチタスク可能かのうなGEMの後継こうけいいちからかれるのをたなければならない状態じょうたいにある。一方いっぽう、MiNTのソースコードは、だれでも自由じゆうにダウンロードし修正しゅうせいすることができるが、MiNT自体じたい部分ぶぶんてきにはアタリが著作ちょさくけん保持ほじしており、そのため、プロジェクトは「FreeMiNT」と改名かいめいされた。しかし今日きょうでも、FreeMiNTは普通ふつうは「MiNT」とばれている。

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MiNTようのAES

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Geneva: Genevaはアメリカではじまった唯一ゆいいつのAESプロジェクトで、Gribnif softwareのプログラマであるDan Wilgaによるものである。Genevaの当初とうしょ目的もくてきは、TOSユーザにマルチタスク可能かのうなAESを提供ていきょうすることであったが、TOS自体じたい一切いっさいのマルチタスク機能きのうたないことから、協調きょうちょうてきマルチタスクでしか実行じっこうできなかった。そのわりに、1993ねん6がつのGenevaの最初さいしょのリリースでは、アタリのユーザはGEMアプリケーションを貴重きちょうなRAMのおおくを使つかうことなくマルチタスク環境かんきょう使用しようすることができた。これは商用しょうよう製品せいひんであり、非常ひじょういデスクトップの代替だいたいひんとみなされているNeoDeskにバンドルされていることがおおい。しかし、GenevaはMiNTとも相性あいしょう動作どうささせることができ、プリエンプティブマルチタスク機能きのう提供ていきょうする。GenevaとMiNTのわせは当初とうしょはあまり安定あんていしていなかったが、最終さいしゅうのリリースでは状況じょうきょう相当そうとう改善かいぜんされた。

MiNA: ドイツはつねにアタリがつよ支持しじさえている土地とちである。それはアタリのソフトウェア開発かいはつのほとんどがドイツでされているので、おどろくにはあたいしない。

MiNaとばれるあたらしいAESをつくるプロジェクトは、プログラマであるMartin Osiekaによってはじめられた。MartinはかつてWINXとばれるTOSのバグを修正しゅうせいし、すばらしいしん機能きのう追加ついかする拡張かくちょう機能きのう作成さくせいしていた。これらのしん機能きのう一部いちぶはアタリによる最後さいごのAES 4.1にも実装じっそうされていないようなものである。MiNTにあたらしいユーザインターフェースが必要ひつようとされたとき、それを提供ていきょうするため、MartinはMiNAと名付なづけたプロジェクトを開始かいしした。おどろくことではないが、これは「MiNA is Not the AES」のりゃくである。熱狂ねっきょうてきなアタリにかんする雑誌ざっしは、50にん以上いじょう開発かいはつしゃがMartinのプロジェクトを手助てだすけするために協力きょうりょくしているとつたえたが、Martinのアタリせいマシンがこわれてしまったことにより、ゆっくりと終焉しゅうえんをむかえた。

N.AES: これもまたドイツではじめられた。1994ねん、Jens Hiescherは元々もともとはSignumと名付なづけられたたようなプロジェクトを開始かいしした。このプロジェクトは、ドイツの企業きぎょうであるOverscanがこれを購入こうにゅうし、商業しょうぎょうてきに N.AES という名前なまえでリリースしたことにより、すばらしく進行しんこうした。N.AESは 1990年代ねんだいわりに最後さいごのリリースがされ、当時とうじ非常ひじょう強固きょうこなMiNTようのAESとなった。また、アタリによるふるいAES 4.1と比較ひかくし、多数たすう革新かくしんてき機能きのうっていた。革新かくしんてき機能きのうのいくつかについてげるならば、ウィンドウガジェットようのキーボードショートカットや、アプリケーションをかくすことのできる機能きのう、メニューバーをかくすことができる機能きのうなどである。ほかにも、画面がめんじょうのスペースを節約せつやくするために、メニューバーをマウスのフォーカスがはずれたならばかくすような機能きのうもあった。

oAESis: 1995ねんにスウェーデンでChrister Gustavssonによってはじめられたプロジェクトである。プロジェクトはoAESisと名付なづけられ、実際じっさいにいくぶんかやくつプロジェクトとなった。このAESは十分じゅうぶん将来しょうらい有望ゆうぼうなものだとおもわれたが、最終さいしゅうてき製品せいひん完全かんぜん成熟せいじゅく安定あんていした状態じょうたいにはならなかった。いくらか時間じかんって、プロジェクトはよりおおきな計画けいかくれられたOSISはLinuxようのアタリのTOS/GEM互換ごかん環境かんきょうつくろうとするものである。OSISはoTOSis (TOSあるいはMiNTの代替だいたいひん)、oAESis (AESの代替だいたいひん)、oVDIsis (VDIの代替だいたいひん)、oFBis (フレームバッファライブラリ)といったサブシステムからなっている。面白おもしろ情報じょうほうとして、OSISという名前なまえはスウェーデンのスラングで「不幸ふこう」を意味いみする。プロジェクトは2000ねんくらいまですすめられていたが、参加さんかしていたプログラマが関心かんしんうしないプロジェクトをすすめる時間じかんをとれなくなったようでまってしまった。

XaAES: このプロジェクトも1995ねんにはじまった。イギリスのプログラマであるCraig GrahamがMiNTのプリエンプティブマルチタスク機能きのう能力のうりょくかすまともなユーザインターフェースがないことに失望しつぼうしたためである。

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MyAeS: これは、直近ちょっきんはじめられたAESプロジェクトである。2003ねん5がつにフランスでOlivier Landemarreによって開始かいしされた。最初さいしょのリリースは2004ねん2がつであった。


関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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