目次 ドイツ語の歴史 古高ドイツ語 中高ドイツ語 新高ドイツ語 現代ドイツ語の特徴 文字 発音 文法 日本におけるドイツ語学習 ドイツ連邦 れんぽう 共和 きょうわ 国 こく ,ドイツ民主 みんしゅ 共和 きょうわ 国 こく ,オーストリア共和 きょうわ 国 こく ,スイス連邦 れんぽう ,リヒテンシュタイン公国 こうこく の公用 こうよう 語 ご であり,それぞれ6140万 まん 人 にん ,1677万 まん 人 にん ,752万 まん 人 にん ,400万 まん 人 にん ,3万 まん 人 にん (1977)により使用 しよう されている。また,アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく ,ベルギー王国 おうこく においても,それぞれ600万 まん 人 にん ,15万 まん 人 にん により使用 しよう される。ドイツ語 ご はまた,ルクセンブルク大公 たいこう 国 こく において書 か き言葉 ことば として用 もち いられ,東欧 とうおう 各地 かくち においては孤立 こりつ 言語 げんご 圏 けん を形成 けいせい している。ドイツ語 ご は,系統的 けいとうてき にはゲルマン語 ご 派 は の中 なか の西 にし ゲルマン語 ご に属 ぞく し,ドイツ南部 なんぶ ・中部 ちゅうぶ の高地 たかち ドイツ語 ご と,ドイツ北部 ほくぶ の低地 ていち ドイツ語 ご に大 おお きく分 わ けられるが,その中 なか でも,標準 ひょうじゅん ドイツ語 ご の基礎 きそ をなす高地 たかち ドイツ語 ご は,上部 うわべ ドイツ語 ご に属 ぞく するバイエルン 方言 ほうげん ・アレマン方言 ほうげん ・南 みなみ ラインフランク方言 ほうげん ・東 あずま フランク方言 ほうげん ,中部 ちゅうぶ ドイツ語 ご に属 ぞく する中部 なかべ フランク方言 ほうげん ・ラインフランク方言 ほうげん ・東 ひがし 中部 ちゅうぶ ドイツ語 ご 諸 しょ 方言 ほうげん より形成 けいせい される。この上部 じょうぶ ドイツ語 ご と中部 ちゅうぶ ドイツ語 ご の区別 くべつ は第 だい 2次 じ 子音 しいん 推移 すいい (語頭 ごとう ,子音 しいん の後 のち ,子音 しいん 重複 じゅうふく の場合 ばあい に,pがpfに,tがz[ts]に,kがch[kx]に変化 へんか する)の中 なか で,pからpfへの変化 へんか が起 お こっているかどうかという基準 きじゅん による。例 れい :上部 うわべ ドイツ語 ご (東 あずま フランク方言 ほうげん )Pfund〈ポンド〉,Apfel〈リンゴ〉--中部 ちゅうぶ ドイツ語 ご (中部 なかべ フランク方言 ほうげん )Pund,Appel。
ドイツ語 ご の歴史 れきし 高地 たかち ドイツ語 ご は,歴史 れきし 的 てき に,(1)古高 ふるたか ドイツ語 ご (8~11世紀 せいき ),(2)高 こう ドイツ語 ご (11~14世紀 せいき ),(3)新高 にいたか ドイツ語 ご (14世紀 せいき ~現在 げんざい )の三 みっ つの時期 じき に区分 くぶん され,新高 にいたか ドイツ語 ご はさらに,初期 しょき 新高 にいたか ドイツ語 ご (14~17世紀 せいき ),後期 こうき 新高 にいたか ドイツ語 ご (17世紀 せいき ~現在 げんざい )の二 ふた つの時期 じき に区分 くぶん される。
古高 ふるたか ドイツ語 ご 古高 ふるたか ドイツ語 ご の時代 じだい はドイツ語 ご による文献 ぶんけん の出現 しゅつげん とともに始 はじ まるが,厳密 げんみつ に言 い えば,当時 とうじ は〈ドイツ語 ご 〉という統一 とういつ 概念 がいねん はドイツのごく限 かぎ られた一部 いちぶ の地域 ちいき にしか広 ひろ まっておらず,ドイツの地 ち には西 にし ゲルマン語 ご に属 ぞく する諸 しょ 部族 ぶぞく の言葉 ことば が個々 ここ に存在 そんざい しているにすぎなかった。ドイツでは6世紀 せいき ころより,フランク族 ぞく による諸 しょ 部族 ぶぞく の征服 せいふく と統合 とうごう が行 おこな われるが,8世紀 せいき 中 なか ごろ帝位 ていい についたカロリング朝 あさ のカール大帝 たいてい は,最終 さいしゅう 的 てき に征服 せいふく し終 お えた諸 しょ 部族 ぶぞく をキリスト教 きりすときょう の理念 りねん によって統一 とういつ することを目 め ざした。そのために,彼 かれ は教会 きょうかい 制度 せいど など種々 しゅじゅ の制度 せいど 改革 かいかく を行 おこな ったが,その一環 いっかん として,聖職 せいしょく 者 しゃ がラテン語 らてんご ではなく民衆 みんしゅう の言葉 ことば で説教 せっきょう し教義 きょうぎ を教 おし えることを命 めい じた。そこで,ラテン語 らてんご で書 か かれたキリスト教 きりすときょう 文献 ぶんけん の翻訳 ほんやく を主 おも とした文学 ぶんがく 活動 かつどう が各地 かくち の修道院 しゅうどういん を中心 ちゅうしん にして盛 さか んになり,〈主 おも の祈 いの り〉〈信仰 しんこう 箇条 かじょう 〉〈受洗 じゅせん の誓 ちか い〉が各地 かくち でドイツ語 ご に翻訳 ほんやく された。また9世紀 せいき 前半 ぜんはん には,カール大帝 たいてい の文化 ぶんか 政策 せいさく の中心 ちゅうしん 地 ち であるフルダ修道院 しゅうどういん で共 とも 観 かん 福音 ふくいん 書 しょ 《タツィアーン》のドイツ語 ご への翻訳 ほんやく が行 おこな われ,9世紀 せいき 後半 こうはん にはフルダとも密接 みっせつ な関係 かんけい をもつオトフリート による脚韻 きゃくいん 詩 し 《オトフリートの福音 ふくいん 書 しょ 》のような長編 ちょうへん の作品 さくひん も成立 せいりつ した。このようにして,カール大帝 たいてい の文化 ぶんか 政策 せいさく により,ドイツ語 ご による文献 ぶんけん は,それ以前 いぜん のラテン語 らてんご との対訳 たいやく 語彙 ごい 集 しゅう など限 かぎ られたものから,質 しつ ・量 りょう ともに飛躍 ひやく 的 てき に充実 じゅうじつ することになった。
この時代 じだい ,キリスト教 きょう に関 かん するラテン語 らてんご の文献 ぶんけん の翻訳 ほんやく により,ラテン語 らてんご は種々 しゅじゅ の点 てん でドイツ語 ご に影響 えいきょう を与 あた えたが,その中 なか でも語彙 ごい はとくに強 つよ い影響 えいきょう を受 う けた。ラテン語 らてんご からの翻訳 ほんやく 借用 しゃくよう ・意訳 いやく 借用 しゃくよう などの手段 しゅだん を通 つう じて,キリスト教 きょう に関 かん する多 おお くのドイツ語 ご の語彙 ごい が成立 せいりつ し,ドイツ語 ご の語彙 ごい は,それ以前 いぜん に比 くら べ,より濃 こ く徹底的 てっていてき にキリスト教 きりすときょう 的 てき 色彩 しきさい を帯 お びるようになった。統語 とうご 論 ろん の分野 ぶんや では,ラテン語 らてんご の影響 えいきょう により,絶対 ぜったい 分詞 ぶんし 構文 こうぶん の発達 はったつ ,従属 じゅうぞく 文 ぶん を導 みちび く接続詞 せつぞくし の細分 さいぶん 化 か とその体系 たいけい 化 か などの現象 げんしょう が見 み られる。
古高 ふるたか ドイツ語 ご の時代 じだい には,このように修道院 しゅうどういん を中心 ちゅうしん として各地 かくち で文学 ぶんがく 活動 かつどう が盛 さか んになるが,統一 とういつ された文語 ぶんご というものはいまだ存在 そんざい せず,諸 しょ 作品 さくひん は,それが書 か かれた修道院 しゅうどういん で用 もち いられる方言 ほうげん を反映 はんえい していた。
中高 なかだか ドイツ語 ご 11世紀 せいき からそれ以降 いこう にかけて,西欧 せいおう では封建 ほうけん 制度 せいど が最盛 さいせい 期 き を迎 むか え,それとともに騎士 きし 階級 かいきゅう も台頭 たいとう した。ドイツにおいては,民族 みんぞく ・言語 げんご の共通 きょうつう 意識 いしき が強 つよ まるとともに,〈ドイツ〉という民族 みんぞく ・言語 げんご に関 かん する統一 とういつ 概念 がいねん が11世紀 せいき 末 まつ 以来 いらい 定着 ていちゃく し始 はじ め,また,12世紀 せいき からの封建 ほうけん 貴族 きぞく による本格 ほんかく 的 てき な東方 とうほう 植民 しょくみん により,ドイツの領土 りょうど はエルベ川 がわ 以東 いとう まで東 ひがし へと拡張 かくちょう する。このような状況 じょうきょう のもとで,ドイツ語 ご による文学 ぶんがく 活動 かつどう はそれまでもっぱら聖職 せいしょく 者 しゃ によって担 にな われていたのに対 たい し,この時代 じだい ,騎士 きし 階級 かいきゅう が文学 ぶんがく 活動 かつどう の新 あたら しい担 にな い手 て として登場 とうじょう し,ドイツ語 ご による多 おお くの作品 さくひん を残 のこ すことになる。まず,ネーデルラント出身 しゅっしん のフェルデケのハインリヒ (ハインリヒ・フォン・フェルデケ)をはじめとして,アウエのハルトマン (ハルトマン・フォン・アウエ),シュトラスブルク のゴットフリート (ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク),エッシェンバハ のウォルフラム (ウォルフラム・フォン・エッシェンバハ)のような宮廷 きゅうてい 叙事詩 じょじし 人 じん ,ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデのような恋愛 れんあい 歌 か 詩人 しじん が現 あらわ れるが,詩人 しじん たちは,各 かく 地方 ちほう の間 あいだ の文化 ぶんか 的 てき 交流 こうりゅう の中 なか で,自己 じこ の作品 さくひん ができる限 かぎ り広 ひろ い地域 ちいき で読 よ まれ,理解 りかい されるように,狭 せま い地域 ちいき に限 かぎ られた方言 ほうげん 的 てき な要素 ようそ を避 さ けるようになる。その結果 けっか ,12世紀 せいき 後半 こうはん から13世紀 せいき にかけ,ドイツ南部 なんぶ を中心 ちゅうしん に,超 ちょう 地方 ちほう 的 てき で比較的 ひかくてき 均一 きんいつ な文学 ぶんがく 語 ご が成立 せいりつ する。しかし,統一 とういつ された文語 ぶんご の成立 せいりつ にはいたらず,13世紀 せいき 中 ちゅう ごろからの騎士 きし 階級 かいきゅう の没落 ぼつらく とともに,文学 ぶんがく 語 ご の均一 きんいつ 性 せい は再 ふたた び失 うしな われた。
この時代 じだい には,騎士 きし 文化 ぶんか の隆盛 りゅうせい とともに,フランス語 ふらんすご から,宮廷 きゅうてい ・騎士 きし 文化 ぶんか に関 かん する多数 たすう の語 かたり が借用 しゃくよう されたが,それらの語 かたり の多 おお くは今日 きょう 失 うしな われている。また,動詞 どうし を派生 はせい する-ierenをはじめ,今日 きょう でも用 もち いられる種々 しゅじゅ の接尾 せつび 辞 じ もフランス語 ふらんすご から借用 しゃくよう された。一方 いっぽう ,13~14世紀 せいき にかけて,神秘 しんぴ 主義 しゅぎ 者 しゃ たちは,本来 ほんらい 言葉 ことば で表現 ひょうげん することが不可能 ふかのう な神 かみ との一体化 いったいか の体験 たいけん を言葉 ことば でい表 いあらわ すことを試 こころ み,その目的 もくてき のために新 あたら しい語 かたり や表現 ひょうげん を創 つく り出 だ した。このようにして,多 おお くの抽象 ちゅうしょう 名詞 めいし が成立 せいりつ し,これらは,今日 きょう の哲学 てつがく などの術語 じゅつご の基礎 きそ をなしている。
高地 たかち ドイツ語 ご が上述 じょうじゅつ のような展開 てんかい を示 しめ した一方 いっぽう ,北 きた ドイツでは中 ちゅう 低 てい ドイツ語 ご がハンザ同盟 どうめい の発展 はってん とともに勢力 せいりょく を拡大 かくだい し,14~15世紀 せいき にかけては各 かく 都市 とし 間 あいだ の通商 つうしょう 語 ご として統一 とういつ され,北欧 ほくおう 諸語 しょご にも大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えるが,ハンザ同盟 どうめい の没落 ぼつらく とともに勢力 せいりょく を失 うしな い,それ以後 いご ,高地 たかち ドイツ語 ご の力 ちから に押 お されることになる。
新高 にいたか ドイツ語 ご 13世紀 せいき ころから,ドイツでは皇帝 こうてい の力 ちから が弱 よわ まり,国家 こっか の統一 とういつ は失 うしな われ,各地 かくち で台頭 たいとう した領主 りょうしゅ がそれぞれの領地 りょうち を治 おさ めるようになる。このようにして,広大 こうだい なドイツ東部 とうぶ 地方 ちほう の植民 しょくみん 地 ち は,小 ちい さな領地 りょうち に細分 さいぶん 化 か されたドイツ西部 せいぶ 地方 ちほう に代 か わり,政治 せいじ 的 てき ・経済 けいざい 的 てき に影響 えいきょう 力 りょく を増 ま し,ドイツ語 ご の発展 はってん に大 おお きな意味 いみ をもつようになった。またこの頃 ころ より,各地 かくち の都市 とし において台頭 たいとう した市民 しみん 階級 かいきゅう が,それまでの騎士 きし 文化 ぶんか に対 たい し,独自 どくじ の都市 とし 文化 ぶんか を形 かたち づくるようになる。初期 しょき 新高 にいたか ドイツ語 ご の時代 じだい とは,以上 いじょう のような社会 しゃかい 的 てき 条件 じょうけん のもとに,ドイツ東部 とうぶ 地方 ちほう を中心 ちゅうしん とした,諸侯 しょこう ・都市 とし の官庁 かんちょう の言葉 ことば を基礎 きそ とする,14世紀 せいき から17世紀 せいき 中 ちゅう ごろにかけての,ドイツ文語 ぶんご の形成 けいせい の時期 じき であると要約 ようやく することができる。
ドイツ各地 かくち の官庁 かんちょう では,とくに14世紀 せいき ころから,ラテン語 らてんご に代 か わりドイツ語 ご が法令 ほうれい ・裁判 さいばん などに関 かん する公文書 こうぶんしょ の作成 さくせい に用 もち いられる機会 きかい が急速 きゅうそく に増 ま すが,官庁 かんちょう で用 もち いられる言葉 ことば 〈官庁 かんちょう 語 ご 〉は,各 かく 官庁 かんちょう ごとにさまざまであった。しかし,しだいに各 かく 官庁 かんちょう の間 あいだ の交流 こうりゅう による言語 げんご の均一 きんいつ 化 か が起 お こり,官庁 かんちょう 語 ご は有力 ゆうりょく な官庁 かんちょう を中心 ちゅうしん にして地方 ちほう ごとにまとまりを示 しめ すようになる。このようにして,とくに,ウィーンにおけるハプスブルク家 か の皇帝 こうてい 官庁 かんちょう で用 もち いられる官庁 かんちょう 語 ご は大 おお きな影響 えいきょう 力 りょく をもち,バイエルン,オーストリアを中心 ちゅうしん にしてドイツ東 ひがし 南部 なんぶ 地方 ちほう に,共通 きょうつう ドイツ語 ご gemeines Deutschと呼 よ ばれる比較的 ひかくてき 均一 きんいつ な通用 つうよう 語 ご が生 う まれ,のち18世紀 せいき 中 ちゅう ごろまで存続 そんぞく することになる。16世紀 せいき の宗教 しゅうきょう 改革 かいかく の時代 じだい に入 はい り,ドイツ語 ご による宗教 しゅうきょう 論争 ろんそう に関 かん する出版 しゅっぱん 物 ぶつ が人々 ひとびと の間 あいだ に流布 るふ するが,1522年 ねん のM.ルターによるドイツ語 ご 訳 やく 新約 しんやく 聖書 せいしょ (《ルター訳 やく 聖書 せいしょ 》)は,その民衆 みんしゅう の言葉 ことば に即 そく したわかりやすさ,語彙 ごい 選択 せんたく の幅 はば の広 ひろ さなどの理由 りゆう により,印刷 いんさつ 術 じゅつ によって,短期間 たんきかん のうちに前例 ぜんれい のないほどに全 ぜん ドイツに広 ひろ まった。ルターは聖書 せいしょ 翻訳 ほんやく の際 さい の語形 ごけい など言語 げんご の外形 がいけい を,当時 とうじ ウィーンの皇帝 こうてい 庁 ちょう と並 なら んで有力 ゆうりょく であった,自己 じこ の出身 しゅっしん 地 ち に近 ちか いザクセン地方 ちほう のマイセン の官庁 かんちょう 語 ご に従 したが わせるが,マイセンの官庁 かんちょう が存在 そんざい するドイツ東 ひがし 中部 ちゅうぶ 地方 ちほう の東 ひがし 中部 ちゅうぶ ドイツ語 ご の特徴 とくちょう をもったルターのドイツ語 ご は,ドイツ西部 せいぶ ,北 きた ドイツの低地 ていち ドイツ語 ご 地域 ちいき にも広 ひろ まり,のちの統一 とういつ されたドイツ文語 ぶんご の基礎 きそ となった(もっとも,バイエルンを中心 ちゅうしん とするカトリック地域 ちいき のドイツ東 ひがし 南部 なんぶ の通用 つうよう 語 ご とルターのドイツ語 ご との言語 げんご 的 てき 競合 きょうごう はしばらく続 つづ くことになる)。ルターは1522年 ねん 以降 いこう も数 すう 回 かい にわたって新 しん ・旧約 きゅうやく 聖書 せいしょ の改訂 かいてい 版 ばん を出 だ すが,ルターのドイツ語 ご は,とくに語 かたり の形態 けいたい と正書法 せいしょほう においてはいまだ規範 きはん をもたず,確固 かっこ としたものではなかった。そこで16世紀 せいき 以来 いらい 多 おお くの文法 ぶんぽう 家 か たちがドイツ語 ご の規範 きはん 化 か に努 つと めるが,その中 なか でもとくに,17世紀 せいき 中 ちゅう ごろ,ショッテルGeorg Schottelは一連 いちれん のドイツ文法 ぶんぽう に関 かん する著作 ちょさく において,それ以前 いぜん には見 み られないほどに,ドイツ文法 ぶんぽう の体系 たいけい 化 か ・規範 きはん 化 か を行 おこな い,ここにドイツ語 ご は初 はじ めて確固 かっこ とした規範 きはん をもつことになった。彼 かれ は,ルターのドイツ語 ご の基礎 きそ となるマイセン方言 ほうげん の優位 ゆうい を認 みと めはしたが,一方 いっぽう で東 ひがし 南部 なんぶ ドイツ語 ご をも考慮 こうりょ に入 い れ,ある特定 とくてい の地域 ちいき ・方言 ほうげん に限定 げんてい されない抽象 ちゅうしょう 物 ぶつ としての標準 ひょうじゅん ドイツ語 ご Hochdeutschというものを主張 しゅちょう したが,その考 かんが えはのちの時代 じだい に受 う け継 つ がれることになった。
ショッテル以後 いご も,ドイツ文語 ぶんご のより確 たし かな規範 きはん 化 か の努力 どりょく は続 つづ けられるが,18世紀 せいき 中 なか ごろ出版 しゅっぱん されたJ.C.ゴットシェート の文法 ぶんぽう 書 しょ 《ドイツ文法 ぶんぽう の基礎 きそ づけ》(1748)は,ショッテルに取 と って代 か わるドイツ語 ご の規範 きはん として各地 かくち で受 う け入 い れられ,ドイツ東 ひがし 南部 なんぶ およびスイスもこの規範 きはん に従 したが うことになった。ここにドイツ文語 ぶんご は地域 ちいき 的 てき に統一 とういつ され,形式 けいしき 的 てき ・外面 がいめん 的 てき に一応 いちおう 完成 かんせい する。ゴットシェートなどの啓蒙 けいもう 主義 しゅぎ 者 しゃ は,言語 げんご を論理 ろんり を表現 ひょうげん する手段 しゅだん とみなし,詩的 してき な装飾 そうしょく を排除 はいじょ し,言語 げんご の形式 けいしき 的 てき 側面 そくめん を重視 じゅうし したが,ドイツ語 ご の内容 ないよう 的 てき 側面 そくめん の充実 じゅうじつ ・完成 かんせい には,詩人 しじん ・作家 さっか など文学 ぶんがく 者 しゃ が大 おお きく貢献 こうけん した。このようにして,ドイツ語 ご は,ゲーテ,シラーの古典 こてん 派 は から19世紀 せいき 初 はじ めのロマン派 は の時代 じだい にかけて,ヨーロッパにおける文化 ぶんか 語 ご としての地位 ちい を確立 かくりつ するが,とくに古典 こてん 派 は の言語 げんご 様式 ようしき はドイツ文語 ぶんご の頂点 ちょうてん として,のちの時代 じだい に大 おお きな影響 えいきょう を及 およ ぼした。
ドイツ語 ご の正書法 せいしょほう の統一 とういつ には,ショッテル,ゴットシェート,また《ドイツ語 ご 正書法 せいしょほう のための完全 かんぜん な指針 ししん 》(1788)の著者 ちょしゃ であるアーデルングJohann Adelungらが力 ちから を尽 つ くすが,最終 さいしゅう 的 てき な統一 とういつ は,オーストリア,スイスも参加 さんか した1901年 ねん の第 だい 2回 かい 正書法 せいしょほう 会議 かいぎ の結果 けっか に基 もと づく,ドゥーデン の《正書法 せいしょほう 辞典 じてん 》(1902)により達成 たっせい された。その際 さい ,長 なが い間 あいだ の懸案 けんあん である,ゴットシェート以来 いらい 一般 いっぱん 化 か された名詞 めいし の大文字 おおもじ 書 が きはそのまま残 のこ されることになった。
また同 おな じ頃 ごろ ,ドイツ語 ご の発音 はつおん の面 めん においても,ジープスTheodor Siebsの北 きた ドイツの発音 はつおん に基 もと づく《ドイツ語 ご 舞台 ぶたい 発音 はつおん 》(1898)によって,統一 とういつ ・規範 きはん 化 か が行 おこな われている。
ドイツの文字 もじ としては,ローマ字体 じたい のほかに,独特 どくとく のドイツ文字 もじ ,いわゆる〈亀 かめ の甲 こう 文字 もじ 〉が知 し られているが,これは12世紀 せいき にドイツで形成 けいせい されたゴシック字体 じたい を基礎 きそ として16世紀 せいき にでき上 あ がった字体 じたい であり,北部 ほくぶ ヨーロッパに広 ひろ まった。ドイツでは第 だい 2次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん ころまでしばしば用 もち いられたが,戦後 せんご はローマ字体 じたい に取 と って代 か わられた。
現代 げんだい ドイツ語 ご の特徴 とくちょう 文字 もじ 現代 げんだい ドイツ語 ご のアルファベットは英語 えいご と同様 どうよう のAからZまでの26文字 もじ のほかに,変 へん 母音 ぼいん (ウムラウト)Ä,Ö,Ü,そして常 つね に小文字 こもじ で用 もち いられ無声 むせい 摩擦音 まさつおん [s]の音 おと 価 か をもつ (エスツェット)の文字 もじ (ssで代用 だいよう されることがある)から成 な る。
発音 はつおん ドイツ語 ご は英語 えいご と異 こと なり表記 ひょうき と発音 はつおん のずれの少 すく ない言語 げんご であるが,以下 いか の諸点 しょてん は注意 ちゅうい を必要 ひつよう とする。
母音 ぼいん では,二 に 重母音 じゅうぼいん eiは[a ][アイ](なお以下 いか カタカナ表記 ひょうき は便宜 べんぎ 的 てき なもの),ieは[iː][イー],eu,äuは[ɔY ][オイ]と発音 はつおん される。
子音 しいん では,b,d,gは語末 ごまつ でそれぞれ無声音 むせいおん の[p,t,k]になる。例 れい :Tag[taːk][ターク]。chは軟口蓋 なんこうがい 摩擦音 まさつおん [x](母音 ぼいん a,o,u,auの後 のち で),硬 かた 口蓋 こうがい 摩擦音 まさつおん [ç](それ以外 いがい )で発音 はつおん される。例 れい :Buch[buːx][ブーフ],recht[rɛçt][レヒト]。chsは[ks]と発音 はつおん される。例 れい :Fuchs[fU ks][フックス]。pfは両 りょう 唇 くちびる 破裂 はれつ 音 おん [p]と唇 くちびる 歯音 しおん [f]を単音 たんおん として同時 どうじ に発音 はつおん するもので,両者 りょうしゃ を切 き り離 はな してはいけない。例 れい :Apfel[apfəl][アップフ ェル]。quは[kv]と発音 はつおん される。例 れい :Qual[kvaːl][クヴァール]。schは英語 えいご のshと同様 どうよう [ʃ]を表 あらわ す。例 れい :Schiff[ʃ f][シッフ]。sp,stは語頭 ごとう でそれぞれ[ʃp],[ʃt]を表 あらわ す。例 れい :Spiel[ʃpiːl][シュピール],Stein[ʃta n][シュタイン]。
また次 つぎ の5個 こ の単 たん 子音 しいん の発音 はつおん は,英語 えいご と比 くら べ,とくに注意 ちゅうい を要 よう する。jは硬 かた 口蓋 こうがい 摩擦音 まさつおん [j]で発音 はつおん される。例 れい :ja[jaː][ヤー]。sは語頭 ごとう ・語 ご 中 ちゅう で有 ゆう 声 ごえ 摩擦音 まさつおん [z]となる。例 れい :sagen[zaːɡən][ザーゲン]。vは[f]となる。例 れい :Volk[fɔlk][フォルク]。wは[v]と発音 はつおん される。例 れい :Wort[vɔrt][ヴォルト]。zは[ts]と発音 はつおん される。例 れい :Zahn[tsaːn][ツァーン]。
また,ドイツ語 ご ではアクセントは第 だい 1音節 おんせつ に置 お かれるのが普通 ふつう である。
文法 ぶんぽう (1)おもな文法 ぶんぽう 範疇 はんちゅう 動詞 どうし の時制 じせい には現在 げんざい ,過去 かこ ,現在 げんざい 完了 かんりょう (haben(あるいはsein)の現在 げんざい 形 がた +過去 かこ 分詞 ぶんし ),過去 かこ 完了 かんりょう (haben(あるいはsein)の過去 かこ 形 がた +過去 かこ 分詞 ぶんし ),未来 みらい (werden+不定 ふてい 詞 し ),未来 みらい 完了 かんりょう (werden+完了 かんりょう 不定 ふてい 詞 し )の6時 じ 制 せい が存在 そんざい し,法 ほう は直 ちょく 説法 せっぽう (ある事 こと がらを事実 じじつ として客観 きゃっかん 的 てき に述 の べる法 ほう ),接続 せつぞく 法 ほう (ある事 こと がらを話者 わしゃ の主観 しゅかん として述 の べる法 ほう ),命令 めいれい 法 ほう (二人称 ににんしょう に対 たい する要求 ようきゅう ・命令 めいれい を表 あらわ す)の三 みっ つの法 ほう ,態 たい は能動態 のうどうたい と受動態 じゅどうたい (werden+過去 かこ 分詞 ぶんし )の二 ふた つの態 たい が存在 そんざい する。
名詞 めいし は,すべての名詞 めいし が男性 だんせい 名詞 めいし ,女性 じょせい 名詞 めいし ,中性 ちゅうせい 名詞 めいし のどれか一 ひと つの性 せい に属 ぞく する。例 れい (それぞれ定冠詞 ていかんし をつけて示 しめ す):der Tisch〈机 つくえ -男性 だんせい 名詞 めいし 〉,die Tür〈戸 と -女性 じょせい 名詞 めいし 〉,das Haus〈家 いえ -中性 ちゅうせい 名詞 めいし 〉。数 かず は単数 たんすう ,複数 ふくすう の二 ふた つの範疇 はんちゅう が存在 そんざい する。格 かく では,一 いち 格 かく ,二 に 格 かく ,三 さん 格 かく ,四 よん 格 かく の四 よっ つの格 かく が存在 そんざい し,それぞれの格 かく は文中 ぶんちゅう で日本語 にほんご の助詞 じょし 〈~が・は(=一 いち 格 かく )〉〈~の(=二 に 格 かく )〉〈~に(=三 さん 格 かく )〉〈~を(=四 よん 格 かく )〉とほぼ同 おな じ文法 ぶんぽう 的 てき 関係 かんけい を表 あらわ す。
(2)形態 けいたい ドイツ語 ご の動詞 どうし 活用 かつよう の一端 いったん をうかがうために,現在 げんざい 形 かたち を例 れい にとれば,現在 げんざい 形 がた は語幹 ごかん (=不定 ふてい 詞 し から-(e)nを取 と り除 のぞ いた部分 ぶぶん )に,単数 たんすう 一人称 いちにんしょう -e,同 どう 二人称 ににんしょう -st,同 どう 三人称 さんにんしょう -t;複数 ふくすう 一人称 いちにんしょう -(e)n,同 どう 二人称 ににんしょう -t,同 どう 三人称 さんにんしょう -(e)nの人称 にんしょう 語尾 ごび を付 つ けてつくられる。例 れい :lernen〈学 まな ぶ〉 単数 たんすう 一人称 いちにんしょう ich lerne,同 どう 二人称 ににんしょう du lernst,同 どう 三人称 さんにんしょう er,sie,es lernt(人称 にんしょう 代名詞 だいめいし は〈彼 かれ 〉〈彼女 かのじょ 〉〈それ〉の順 じゅん );複数 ふくすう 一人称 いちにんしょう wir lernen,同 どう 二人称 ににんしょう ihr lernt,同 どう 三人称 さんにんしょう sie lernen。また,常 つね に大文字 おおもじ で書 か かれる敬称 けいしょう のSie〈あなた(方 かた )〉は複数 ふくすう 三人称 さんにんしょう と同 おな じ語尾 ごび をとる。例 れい :Sie lernen。
名詞 めいし の複数 ふくすう 形 がた のつくり方 かた は英語 えいご に比 くら べ複雑 ふくざつ であり,おもに次 つぎ の4種 しゅ の語尾 ごび が存在 そんざい する。(a)無 む 語尾 ごび 例 れい (以下 いか ,単 たん ・複 ふく の順 じゅん で示 しめ す):Onkel〈おじ〉-Onkel,(b)-e 例 れい :Tag〈日 にち 〉-Tage,(c)-er 例 れい :Kind〈子 こ ども〉-Kinder,(d)-(e)n 例 れい :Frau〈女性 じょせい 〉-Frauen。格 かく 変化 へんか では,若干 じゃっかん の例外 れいがい を除 のぞ き男性 だんせい ・中性 ちゅうせい 名詞 めいし の二 に 格 かく では-(e)sの語尾 ごび が付 つ き,複数 ふくすう 三 さん 格 かく では複数 ふくすう 形 がた にさらに-nの語尾 ごび が付 つ く。例 れい :Tag(一 いち 格 かく ),Tag(e)s(二 に 格 かく );Kinder(複数 ふくすう 一 いち ,二 に ,四 よん 格 かく ),Kindern(複数 ふくすう 三 さん 格 かく )。
冠詞 かんし では,定冠詞 ていかんし は男性 だんせい 単数 たんすう 一 いち 格 かく der,同 どう 二 に 格 かく des,同 どう 三 さん 格 かく dem,同 どう 四 よん 格 かく den;女性 じょせい 単数 たんすう 一 いち 格 かく die,同 どう 二 に 格 かく der,同 どう 三 さん 格 かく der,同 どう 四 よん 格 かく die;中性 ちゅうせい 単数 たんすう 一 いち 格 かく das,同 どう 二 に 格 かく des,同 どう 三 さん 格 かく dem,同 どう 四 よん 格 かく das;複数 ふくすう 一 いち 格 かく (男 おとこ ・女 おんな ・中性 ちゅうせい の区別 くべつ はない)die,同 どう 二 に 格 かく der,同 どう 三 さん 格 かく den,同 どう 四 よん 格 かく dieと変化 へんか する。また定冠詞 ていかんし の語尾 ごび とほぼ同 おな じ語尾 ごび ,すなわち男性 だんせい -er,-es,-em,-en;女性 じょせい -e,-er,-er,-e;中性 ちゅうせい -es,-es,-em,-es;複数 ふくすう -e,-er,-en,-e(定冠詞 ていかんし の語尾 ごび と異 こと なるものは太字 ふとじ で示 しめ した)が,定冠詞 ていかんし 類 るい (例 れい (代名詞 だいめいし ):男性 だんせい 単数 たんすう 一 いち 格 かく dies-er〈この〉,jen-er〈あの〉,solch-er〈そのような〉,welch-er〈どの〉;例 れい (不定 ふてい 数詞 すうし ):all-er〈すべての〉,manch-er〈かなり多 おお くの〉,jed-er〈おのおのの〉)や不 ふ 定冠詞 ていかんし (例 れい :男性 だんせい 一 いち 格 かく ein,同 どう 二 に 格 かく eines,同 どう 三 さん 格 かく einem,同 どう 四 よん 格 かく einen;女性 じょせい 一 いち 格 かく eine,同 どう 二 に 格 かく einer,同 どう 三 さん 格 かく einer,同 どう 四 よん 格 かく eine;中性 ちゅうせい 一 いち 格 かく ein,同 どう 二 に 格 かく eines,同 どう 三 さん 格 かく einem,同 どう 四 よん 格 かく ein。ただし上記 じょうき にみるように,男性 だんせい 一 いち 格 かく ,中性 ちゅうせい 一 いち ・四 よん 格 かく は異 こと なる)にも現 あらわ れる。
形容詞 けいようし の変化 へんか は,冠詞 かんし を伴 ともな わずに名詞 めいし の前 まえ に置 お かれる場合 ばあい (=強 つよ 変化 へんか )と形容詞 けいようし の前 まえ に定冠詞 ていかんし (類 るい )が来 く る場合 ばあい (=弱 じゃく 変化 へんか )に大 おお きく分 わ けられるが,強 つよ 変化 へんか は,一部 いちぶ を除 のぞ いて,上述 じょうじゅつ の定冠詞 ていかんし とほぼ同 おな じ語尾 ごび をとる。例 れい :gut〈よい〉 男性 だんせい 単数 たんすう 一 いち 格 かく guter,同 どう 二 に 格 かく guten,同 どう 三 さん 格 かく gutem,同 どう 四 よん 格 かく guten;女性 じょせい 単数 たんすう 一 いち 格 かく gute,同 どう 二 に 格 かく guter,同 どう 三 さん 格 かく guter,同 どう 四 よん 格 かく gute;中性 ちゅうせい 単数 たんすう 一 いち 格 かく gutes,同 どう 二 に 格 かく guten,同 どう 三 さん 格 かく gutem,同 どう 四 よん 格 かく gutes;複数 ふくすう 一 いち 格 かく gute,同 どう 二 に 格 かく guter,同 どう 三 さん 格 かく guten,同 どう 四 よん 格 かく gute。また,形容詞 けいようし の比較 ひかく 級 きゅう ・最上級 さいじょうきゅう は,英語 えいご と同様 どうよう ,原級 げんきゅう にそれぞれ-er,-(e)stを付加 ふか してつくられる。例 れい :klein〈小 ちい さい〉(原級 げんきゅう )-kleiner(比較 ひかく 級 きゅう )-kleinst(最上級 さいじょうきゅう )。
(3)語順 ごじゅん ドイツ語 ご では,動詞 どうし の人称 にんしょう 変化 へんか した形 かたち である〈定形 ていけい 〉は,叙述 じょじゅつ 文 ぶん においては常 つね に前 まえ から2番目 ばんめ の位置 いち に存在 そんざい する。例 れい :(a)Er lernt jetzt Deutsch.〈彼 かれ は今 こん ドイツ語 ご を学 まな んでいる〉;(b)Jetzt lernt er Deutsch.〈今 いま 彼 かれ はドイツ語 ご を学 まな んでいる〉。(a)は定形 ていけい 正 せい 置 おけ ,主語 しゅご 以外 いがい の成分 せいぶん が文頭 ぶんとう に位置 いち する(b)は定形 ていけい 倒置 とうち と呼 よ ばれる。
従属 じゅうぞく 文 ぶん においては,定形 ていけい は文末 ぶんまつ に位置 いち する。例 れい :(c)Ich wei ,da er jetzt Deutsch lernt.〈私 わたし は彼 かれ が今 こん ドイツ語 ご を学 まな んでいることを知 し っている〉。(c)の例 れい は定形 ていけい 後 ご 置 おけ と呼 よ ばれる。また疑問 ぎもん 詞 し のない疑問 ぎもん 文 ぶん は,定形 ていけい を文頭 ぶんとう に,主語 しゅご を2番目 ばんめ の位置 いち に置 お く。例 れい :Lernt er jetzt Deutsch ?〈彼 かれ は今 こん ドイツ語 ご を学 まな んでいますか ?〉。
ドイツ語 ご では,haben,sein,werdenという時 とき 称 たたえ (時制 じせい )の助動詞 じょどうし と本 ほん 動詞 どうし の組合 くみあわ せでつくる(a)現在 げんざい 完了 かんりょう ,(b)過去 かこ 完了 かんりょう ,(c)未来 みらい ,(d)未来 みらい 完了 かんりょう の四 よっ つの複 ふく 合 あい 時 じ 称 たたえ ,あるいは話 はな し手 て の主観 しゅかん 的 てき 態度 たいど を表 あらわ す話法 わほう の助動詞 じょどうし の現 あらわ れる文 ぶん では,本 ほん 動詞 どうし (過去 かこ 分詞 ぶんし あるいは不定 ふてい 詞 し の形 かたち で現 あらわ れる)は文末 ぶんまつ に置 お かれる。例 れい :Er hat Deutsch gelernt.〈彼 かれ はドイツ語 ご を学 まな んだ〉;Er mu Deutsch lernen.〈彼 かれ はドイツ語 ご を学 まな ばねばならない〉。このような文 ぶん の構造 こうぞう は〈ワク構造 こうぞう 〉と呼 よ ばれる。
日本 にっぽん におけるドイツ語 ご 学習 がくしゅう 日本 にっぽん における本格 ほんかく 的 てき なドイツ語 どいつご 学習 がくしゅう は,1860年 ねん (万延 まんえん 1)7月 がつ ,プロシア(プロイセン)東洋 とうよう 遠征 えんせい 艦隊 かんたい 来航 らいこう の際 さい ,蕃 しげる 書 しょ 調 ちょう 所 しょ (ばんしよしらべしよ)の市川 いちかわ 斎宮 いつき (いつき)が〈独逸 どいつ (どいつ)学 がく 〉を学 まな ぶ公 おおやけ 命 いのち を受 う け,それを機 き にドイツ語 ご を学 まな び始 はじ めた時 とき をはじめとする。1862年 ねん (文久 ぶんきゅう 2)には洋書 ようしょ 調 ちょう 所 しょ に独逸 どいつ 学科 がっか が開設 かいせつ され,この年 とし ,日本 にっぽん 最初 さいしょ のドイツ語 ご 読本 とくほん である《官版 かんぱん 独逸 どいつ 単語 たんご 篇 へん 》が出版 しゅっぱん された。明治 めいじ に入 はい り,《孛和袖珍 しゅうちん 字書 じしょ (ふわしゆうちんじしよ)》(1872)をはじめとする種々 しゅじゅ の独 どく 和 わ (和 かず 独 どく )辞典 じてん あるいは入門 にゅうもん 書 しょ の出版 しゅっぱん により,ドイツの文化 ぶんか ・近代 きんだい 科学 かがく を受 う け入 い れるための基礎 きそ が築 きず かれ,ドイツ文化 ぶんか は日本 にっぽん における種々 しゅじゅ の分野 ぶんや に大 おお きな影響 えいきょう を及 およ ぼすことになった。たとえば,法律 ほうりつ の分野 ぶんや では,君主 くんしゅ の権力 けんりょく の強 つよ いドイツ系 けい の憲法 けんぽう にならった憲法 けんぽう を制定 せいてい するために,明治 めいじ 政府 せいふ は82年 ねん (明治 めいじ 15)伊藤 いとう 博文 ひろぶみ をヨーロッパに派遣 はけん し,ドイツの憲法 けんぽう を調査 ちょうさ させ,89年 ねん とくにプロイセン憲法 けんぽう にならった大日本帝国 だいにっぽんていこく 憲法 けんぽう を公布 こうふ した。また,フランス法 ほう の影響 えいきょう はあるものの,民法 みんぽう ・刑法 けいほう など日本 にっぽん の主要 しゅよう な法律 ほうりつ はドイツ法 ほう の影響 えいきょう の下 した にある。法律 ほうりつ と並 なら んで近代 きんだい 国家 こっか としての日本 にっぽん の軍隊 ぐんたい 制度 せいど においても,幕末 ばくまつ から明治 めいじ の初頭 しょとう にかけては,理論 りろん を重視 じゅうし するフランス兵学 へいがく が支配 しはい 的 てき であったのに対 たい し,モルトケ門下 もんか のメッケルが日本 にっぽん に招 まね かれ,85年 ねん から3年間 ねんかん ,陸軍 りくぐん 大 だい 学校 がっこう で実際 じっさい 面 めん を重 おも んじるドイツ兵学 へいがく を講義 こうぎ したことなどによって,ドイツ兵学 へいがく がフランス兵学 へいがく に代 か わって主流 しゅりゅう を占 し めるようになった。さらに,医学 いがく の分野 ぶんや においても,明治 めいじ 政府 せいふ は1869年 ねん (明治 めいじ 2)官立 かんりつ 医 い 学校 がっこう におけるドイツ医学 いがく の採用 さいよう を決定 けってい し,71年 ねん 8月 がつ ,陸軍 りくぐん 軍医 ぐんい ミュルレル,海軍 かいぐん 軍医 ぐんい ホフマンが医学 いがく 教師 きょうし として日本 にっぽん に着任 ちゃくにん するが,それ以後 いご ドイツ医学 いがく は日本 にっぽん において支配 しはい 的 てき となり,クランケ<Kranke〈患者 かんじゃ 〉,チフス<Typhus,オブラート<Oblateなど医学 いがく 関係 かんけい のドイツ語 ご が多数 たすう 日本語 にほんご に取 と り入 い れられた。
このようにしてドイツ語 ご は,ドイツの文化 ぶんか や学術 がくじゅつ とともに,またそれらに通 つう じるための手段 しゅだん として学習 がくしゅう され,それを学 まな ぶことの重要 じゅうよう 性 せい がしだいに多 おお くの人々 ひとびと により説 と かれるようになっていった。のちの旧制 きゅうせい 高校 こうこう において,かなり力 ちから を入 い れて行 おこな われたドイツ語 ご 学習 がくしゅう の制度 せいど にしても,一種 いっしゅ の〈教養 きょうよう 〉としての外国 がいこく 語 ご 学習 がくしゅう という色彩 しきさい も表 あらわ れているにせよ,そこには初期 しょき と同様 どうよう なきわめて実用 じつよう 的 てき な動機 どうき が存在 そんざい していたということができるだろう。戦後 せんご の新 あたら しい学制 がくせい に変 か わってからも,ドイツ語 ご は大 だい 多数 たすう の大学 だいがく で第 だい 2外国 がいこく 語 ご などのかたちで学 まな ばれており,日本人 にっぽんじん にとっては英語 えいご に次 つ いで親 した しみのある外国 がいこく 語 ご の一 ひと つとなっている。執筆 しっぴつ 者 しゃ :斎藤 さいとう 治之 はるゆき