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ドイツ語(ドイツゴ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

ドイツみ)ドイツゴ英語えいご表記ひょうき)German
Deutsch[ドイツ]

デジタル大辞泉だいじせん 「ドイツ」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

ドイツ‐ご【ドイツ

インド‐ヨーロッパ語族ごぞくゲルマンぞくする言語げんごドイツオーストリアスイスリヒテンシュタインなどではなされている。どう系統けいとう英語えいごくらべ、複雑ふくざつ語形ごけい変化へんかゆうし、複合語ふくごうご豊富ほうふ

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精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん 「ドイツ」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

ドイツ‐ご【ドイツ

  1. 名詞めいし インド‐ヨーロッパ語族ごぞくゲルマンぞくする言語げんご。ドイツ、オーストリアのほか、スイス、ルクセンブルクなどではなされる。南部なんぶ高地たかちドイツ北部ほくぶ低地ていちドイツとに二分にぶんされ、現在げんざい標準ひょうじゅんドイツ前者ぜんしゃからている。現在げんざいもかなり複雑ふくざつ語形ごけい変化へんかをもつこと、複合語ふくごうご豊富ほうふなことなどが特徴とくちょう学術がくじゅつ用語ようごなど、日本語にほんご借用しゃくようされたかたりおおい。

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん 「ドイツ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

ドイツ (ドイツご)
German
Deutsch[ドイツ]

ドイツ連邦れんぽう共和きょうわこく,ドイツ民主みんしゅ共和きょうわこく,オーストリア共和きょうわこくスイス連邦れんぽう,リヒテンシュタイン公国こうこく公用こうようであり,それぞれ6140まんにん,1677まんにん,752まんにん,400まんにん,3まんにん(1977)により使用しようされている。また,アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくベルギー王国おうこくにおいても,それぞれ600まんにん,15まんにんにより使用しようされる。ドイツはまた,ルクセンブルク大公たいこうこくにおいて言葉ことばとしてもちいられ,東欧とうおう各地かくちにおいては孤立こりつ言語げんごけん形成けいせいしている。ドイツは,系統的けいとうてきにはゲルマンなか西にしゲルマンぞくし,ドイツ南部なんぶ中部ちゅうぶ高地たかちドイツと,ドイツ北部ほくぶ低地ていちドイツおおきくけられるが,そのなかでも,標準ひょうじゅんドイツ基礎きそをなす高地たかちドイツは,上部うわべドイツぞくするバイエルン方言ほうげん・アレマン方言ほうげんみなみラインフランク方言ほうげんあずまフランク方言ほうげん中部ちゅうぶドイツぞくする中部なかべフランク方言ほうげん・ラインフランク方言ほうげんひがし中部ちゅうぶドイツしょ方言ほうげんより形成けいせいされる。この上部じょうぶドイツ中部ちゅうぶドイツ区別くべつだい2子音しいん推移すいい語頭ごとう子音しいんのち子音しいん重複じゅうふく場合ばあいに,pがpfに,tがz[ts]に,kがch[kx]に変化へんかする)のなかで,pからpfへの変化へんかこっているかどうかという基準きじゅんによる。れい上部うわべドイツあずまフランク方言ほうげん)Pfund〈ポンド〉,Apfel〈リンゴ〉--中部ちゅうぶドイツ中部なかべフランク方言ほうげん)Pund,Appel。

高地たかちドイツは,歴史れきしてきに,(1)古高ふるたかドイツ(8~11世紀せいき),(2)こうドイツ(11~14世紀せいき),(3)新高にいたかドイツ(14世紀せいき現在げんざい)のみっつの時期じき区分くぶんされ,新高にいたかドイツはさらに,初期しょき新高にいたかドイツ(14~17世紀せいき),後期こうき新高にいたかドイツ(17世紀せいき現在げんざい)のふたつの時期じき区分くぶんされる。

古高ふるたかドイツ時代じだいはドイツによる文献ぶんけん出現しゅつげんとともにはじまるが,厳密げんみつえば,当時とうじは〈ドイツ〉という統一とういつ概念がいねんはドイツのごくかぎられた一部いちぶ地域ちいきにしかひろまっておらず,ドイツのには西にしゲルマンぞくするしょ部族ぶぞく言葉ことば個々ここ存在そんざいしているにすぎなかった。ドイツでは6世紀せいきころより,フランクぞくによるしょ部族ぶぞく征服せいふく統合とうごうおこなわれるが,8世紀せいきなかごろ帝位ていいについたカロリングあさカール大帝たいていは,最終さいしゅうてき征服せいふくえたしょ部族ぶぞくキリスト教きりすときょう理念りねんによって統一とういつすることをざした。そのために,かれ教会きょうかい制度せいどなど種々しゅじゅ制度せいど改革かいかくおこなったが,その一環いっかんとして,聖職せいしょくしゃラテン語らてんごではなく民衆みんしゅう言葉ことば説教せっきょう教義きょうぎおしえることをめいじた。そこで,ラテン語らてんごかれたキリスト教きりすときょう文献ぶんけん翻訳ほんやくおもとした文学ぶんがく活動かつどう各地かくち修道院しゅうどういん中心ちゅうしんにしてさかんになり,〈おもいのり〉〈信仰しんこう箇条かじょう〉〈受洗じゅせんちかい〉が各地かくちでドイツ翻訳ほんやくされた。また9世紀せいき前半ぜんはんには,カール大帝たいてい文化ぶんか政策せいさく中心ちゅうしんであるフルダ修道院しゅうどういんともかん福音ふくいんしょ《タツィアーン》のドイツへの翻訳ほんやくおこなわれ,9世紀せいき後半こうはんにはフルダとも密接みっせつ関係かんけいをもつオトフリートによる脚韻きゃくいん《オトフリートの福音ふくいんしょ》のような長編ちょうへん作品さくひん成立せいりつした。このようにして,カール大帝たいてい文化ぶんか政策せいさくにより,ドイツによる文献ぶんけんは,それ以前いぜんラテン語らてんごとの対訳たいやく語彙ごいしゅうなどかぎられたものから,しつりょうともに飛躍ひやくてき充実じゅうじつすることになった。

 この時代じだい,キリストきょうかんするラテン語らてんご文献ぶんけん翻訳ほんやくにより,ラテン語らてんご種々しゅじゅてんでドイツ影響えいきょうあたえたが,そのなかでも語彙ごいはとくにつよ影響えいきょうけた。ラテン語らてんごからの翻訳ほんやく借用しゃくよう意訳いやく借用しゃくようなどの手段しゅだんつうじて,キリストきょうかんするおおくのドイツ語彙ごい成立せいりつし,ドイツ語彙ごいは,それ以前いぜんくらべ,より徹底的てっていてきキリスト教きりすときょうてき色彩しきさいびるようになった。統語とうごろん分野ぶんやでは,ラテン語らてんご影響えいきょうにより,絶対ぜったい分詞ぶんし構文こうぶん発達はったつ従属じゅうぞくぶんみちび接続詞せつぞくし細分さいぶんとその体系たいけいなどの現象げんしょうられる。

 古高ふるたかドイツ時代じだいには,このように修道院しゅうどういん中心ちゅうしんとして各地かくち文学ぶんがく活動かつどうさかんになるが,統一とういつされた文語ぶんごというものはいまだ存在そんざいせず,しょ作品さくひんは,それがかれた修道院しゅうどういんもちいられる方言ほうげん反映はんえいしていた。

11世紀せいきからそれ以降いこうにかけて,西欧せいおうでは封建ほうけん制度せいど最盛さいせいむかえ,それとともに騎士きし階級かいきゅう台頭たいとうした。ドイツにおいては,民族みんぞく言語げんご共通きょうつう意識いしきつよまるとともに,〈ドイツ〉という民族みんぞく言語げんごかんする統一とういつ概念がいねんが11世紀せいきまつ以来いらい定着ていちゃくはじめ,また,12世紀せいきからの封建ほうけん貴族きぞくによる本格ほんかくてき東方とうほう植民しょくみんにより,ドイツの領土りょうどはエルベがわ以東いとうまでひがしへと拡張かくちょうする。このような状況じょうきょうのもとで,ドイツによる文学ぶんがく活動かつどうはそれまでもっぱら聖職せいしょくしゃによってになわれていたのにたいし,この時代じだい騎士きし階級かいきゅう文学ぶんがく活動かつどうあたらしいになとして登場とうじょうし,ドイツによるおおくの作品さくひんのこすことになる。まず,ネーデルラント出身しゅっしんのフェルデケのハインリヒ(ハインリヒ・フォン・フェルデケ)をはじめとして,アウエのハルトマン(ハルトマン・フォン・アウエ),シュトラスブルクゴットフリート(ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク),エッシェンバハウォルフラム(ウォルフラム・フォン・エッシェンバハ)のような宮廷きゅうてい叙事詩じょじしじん,ワルター・フォン・デル・フォーゲルワイデのような恋愛れんあい詩人しじんあらわれるが,詩人しじんたちは,かく地方ちほうあいだ文化ぶんかてき交流こうりゅうなかで,自己じこ作品さくひんができるかぎひろ地域ちいきまれ,理解りかいされるように,せま地域ちいきかぎられた方言ほうげんてき要素ようそけるようになる。その結果けっか,12世紀せいき後半こうはんから13世紀せいきにかけ,ドイツ南部なんぶ中心ちゅうしんに,ちょう地方ちほうてき比較的ひかくてき均一きんいつ文学ぶんがく成立せいりつする。しかし,統一とういつされた文語ぶんご成立せいりつにはいたらず,13世紀せいきちゅうごろからの騎士きし階級かいきゅう没落ぼつらくとともに,文学ぶんがく均一きんいつせいふたたうしなわれた。

 この時代じだいには,騎士きし文化ぶんか隆盛りゅうせいとともに,フランス語ふらんすごから,宮廷きゅうてい騎士きし文化ぶんかかんする多数たすうかたり借用しゃくようされたが,それらのかたりおおくは今日きょううしなわれている。また,動詞どうし派生はせいする-ierenをはじめ,今日きょうでももちいられる種々しゅじゅ接尾せつびフランス語ふらんすごから借用しゃくようされた。一方いっぽう,13~14世紀せいきにかけて,神秘しんぴ主義しゅぎしゃたちは,本来ほんらい言葉ことば表現ひょうげんすることが不可能ふかのうかみとの一体化いったいか体験たいけん言葉ことばでいいあらわすことをこころみ,その目的もくてきのためにあたらしいかたり表現ひょうげんつくした。このようにして,おおくの抽象ちゅうしょう名詞めいし成立せいりつし,これらは,今日きょう哲学てつがくなどの術語じゅつご基礎きそをなしている。

 高地たかちドイツ上述じょうじゅつのような展開てんかいしめした一方いっぽうきたドイツではちゅうていドイツハンザ同盟どうめい発展はってんとともに勢力せいりょく拡大かくだいし,14~15世紀せいきにかけてはかく都市としあいだ通商つうしょうとして統一とういつされ,北欧ほくおう諸語しょごにもおおきな影響えいきょうあたえるが,ハンザ同盟どうめい没落ぼつらくとともに勢力せいりょくうしない,それ以後いご高地たかちドイツちからされることになる。

13世紀せいきころから,ドイツでは皇帝こうていちからよわまり,国家こっか統一とういつうしなわれ,各地かくち台頭たいとうした領主りょうしゅがそれぞれの領地りょうちおさめるようになる。このようにして,広大こうだいなドイツ東部とうぶ地方ちほう植民しょくみんは,ちいさな領地りょうち細分さいぶんされたドイツ西部せいぶ地方ちほうわり,政治せいじてき経済けいざいてき影響えいきょうりょくし,ドイツ発展はってんおおきな意味いみをもつようになった。またこのころより,各地かくち都市としにおいて台頭たいとうした市民しみん階級かいきゅうが,それまでの騎士きし文化ぶんかたいし,独自どくじ都市とし文化ぶんかかたちづくるようになる。初期しょき新高にいたかドイツ時代じだいとは,以上いじょうのような社会しゃかいてき条件じょうけんのもとに,ドイツ東部とうぶ地方ちほう中心ちゅうしんとした,諸侯しょこう都市とし官庁かんちょう言葉ことば基礎きそとする,14世紀せいきから17世紀せいきちゅうごろにかけての,ドイツ文語ぶんご形成けいせい時期じきであると要約ようやくすることができる。

 ドイツ各地かくち官庁かんちょうでは,とくに14世紀せいきころから,ラテン語らてんごわりドイツ法令ほうれい裁判さいばんなどにかんする公文書こうぶんしょ作成さくせいもちいられる機会きかい急速きゅうそくすが,官庁かんちょうもちいられる言葉ことば官庁かんちょう〉は,かく官庁かんちょうごとにさまざまであった。しかし,しだいにかく官庁かんちょうあいだ交流こうりゅうによる言語げんご均一きんいつこり,官庁かんちょう有力ゆうりょく官庁かんちょう中心ちゅうしんにして地方ちほうごとにまとまりをしめすようになる。このようにして,とくに,ウィーンにおけるハプスブルク皇帝こうてい官庁かんちょうもちいられる官庁かんちょうおおきな影響えいきょうりょくをもち,バイエルン,オーストリアを中心ちゅうしんにしてドイツひがし南部なんぶ地方ちほうに,共通きょうつうドイツgemeines Deutschとばれる比較的ひかくてき均一きんいつ通用つうようまれ,のち18世紀せいきちゅうごろまで存続そんぞくすることになる。16世紀せいき宗教しゅうきょう改革かいかく時代じだいはいり,ドイツによる宗教しゅうきょう論争ろんそうかんする出版しゅっぱんぶつ人々ひとびとあいだ流布るふするが,1522ねんのM.ルターによるドイツやく新約しんやく聖書せいしょ(《ルターやく聖書せいしょ》)は,その民衆みんしゅう言葉ことばそくしたわかりやすさ,語彙ごい選択せんたくはばひろさなどの理由りゆうにより,印刷いんさつじゅつによって,短期間たんきかんのうちに前例ぜんれいのないほどにぜんドイツにひろまった。ルターは聖書せいしょ翻訳ほんやくさい語形ごけいなど言語げんご外形がいけいを,当時とうじウィーンの皇帝こうていちょうならんで有力ゆうりょくであった,自己じこ出身しゅっしんちかいザクセン地方ちほうマイセン官庁かんちょうしたがわせるが,マイセンの官庁かんちょう存在そんざいするドイツひがし中部ちゅうぶ地方ちほうひがし中部ちゅうぶドイツ特徴とくちょうをもったルターのドイツは,ドイツ西部せいぶきたドイツの低地ていちドイツ地域ちいきにもひろまり,のちの統一とういつされたドイツ文語ぶんご基礎きそとなった(もっとも,バイエルンを中心ちゅうしんとするカトリック地域ちいきのドイツひがし南部なんぶ通用つうようとルターのドイツとの言語げんごてき競合きょうごうはしばらくつづくことになる)。ルターは1522ねん以降いこうすうかいにわたってしん旧約きゅうやく聖書せいしょ改訂かいていばんすが,ルターのドイツは,とくにかたり形態けいたい正書法せいしょほうにおいてはいまだ規範きはんをもたず,確固かっことしたものではなかった。そこで16世紀せいき以来いらいおおくの文法ぶんぽうたちがドイツ規範きはんつとめるが,そのなかでもとくに,17世紀せいきちゅうごろ,ショッテルGeorg Schottelは一連いちれんドイツ文法ぶんぽうかんする著作ちょさくにおいて,それ以前いぜんにはられないほどに,ドイツ文法ぶんぽう体系たいけい規範きはんおこない,ここにドイツはじめて確固かっことした規範きはんをもつことになった。かれは,ルターのドイツ基礎きそとなるマイセン方言ほうげん優位ゆういみとめはしたが,一方いっぽうひがし南部なんぶドイツをも考慮こうりょれ,ある特定とくてい地域ちいき方言ほうげん限定げんていされない抽象ちゅうしょうぶつとしての標準ひょうじゅんドイツHochdeutschというものを主張しゅちょうしたが,そのかんがえはのちの時代じだいがれることになった。

 ショッテル以後いごも,ドイツ文語ぶんごのよりたしかな規範きはん努力どりょくつづけられるが,18世紀せいきなかごろ出版しゅっぱんされたJ.C.ゴットシェート文法ぶんぽうしょ《ドイツ文法ぶんぽう基礎きそづけ》(1748)は,ショッテルにってわるドイツ規範きはんとして各地かくちれられ,ドイツひがし南部なんぶおよびスイスもこの規範きはんしたがうことになった。ここにドイツ文語ぶんご地域ちいきてき統一とういつされ,形式けいしきてき外面がいめんてき一応いちおう完成かんせいする。ゴットシェートなどの啓蒙けいもう主義しゅぎしゃは,言語げんご論理ろんり表現ひょうげんする手段しゅだんとみなし,詩的してき装飾そうしょく排除はいじょし,言語げんご形式けいしきてき側面そくめん重視じゅうししたが,ドイツ内容ないようてき側面そくめん充実じゅうじつ完成かんせいには,詩人しじん作家さっかなど文学ぶんがくしゃおおきく貢献こうけんした。このようにして,ドイツは,ゲーテ,シラーの古典こてんから19世紀せいきはじめのロマン時代じだいにかけて,ヨーロッパにおける文化ぶんかとしての地位ちい確立かくりつするが,とくに古典こてん言語げんご様式ようしきはドイツ文語ぶんご頂点ちょうてんとして,のちの時代じだいおおきな影響えいきょうおよぼした。

 ドイツ正書法せいしょほう統一とういつには,ショッテル,ゴットシェート,また《ドイツ正書法せいしょほうのための完全かんぜん指針ししん》(1788)の著者ちょしゃであるアーデルングJohann Adelungらがちからくすが,最終さいしゅうてき統一とういつは,オーストリア,スイスも参加さんかした1901ねんだい2かい正書法せいしょほう会議かいぎ結果けっかもとづく,ドゥーデンの《正書法せいしょほう辞典じてん》(1902)により達成たっせいされた。そのさいながあいだ懸案けんあんである,ゴットシェート以来いらい一般いっぱんされた名詞めいし大文字おおもじきはそのままのこされることになった。

 またおなごろ,ドイツ発音はつおんめんにおいても,ジープスTheodor Siebsのきたドイツの発音はつおんもとづく《ドイツ舞台ぶたい発音はつおん》(1898)によって,統一とういつ規範きはんおこなわれている。

 ドイツの文字もじとしては,ローマ字体じたいのほかに,独特どくとくのドイツ文字もじ,いわゆる〈かめこう文字もじ〉がられているが,これは12世紀せいきにドイツで形成けいせいされたゴシック字体じたい基礎きそとして16世紀せいきにできがった字体じたいであり,北部ほくぶヨーロッパにひろまった。ドイツではだい2世界せかい大戦たいせんころまでしばしばもちいられたが,戦後せんごはローマ字体じたいってわられた。

現代げんだいドイツのアルファベットは英語えいご同様どうようのAからZまでの26文字もじのほかに,へん母音ぼいん(ウムラウト)Ä,Ö,Ü,そしてつね小文字こもじもちいられ無声むせい摩擦音まさつおん[s]のおとをもつ(エスツェット)の文字もじ(ssで代用だいようされることがある)からる。

ドイツ英語えいごことなり表記ひょうき発音はつおんのずれのすくない言語げんごであるが,以下いか諸点しょてん注意ちゅうい必要ひつようとする。

 母音ぼいんでは,重母音じゅうぼいんeiは[a][アイ](なお以下いかカタカナ表記ひょうき便宜べんぎてきなもの),ieは[iː][イー],eu,äuは[ɔY][オイ]と発音はつおんされる。

 子音しいんでは,b,d,gは語末ごまつでそれぞれ無声音むせいおんの[p,t,k]になる。れい:Tag[taːk][ターク]。chは軟口蓋なんこうがい摩擦音まさつおん[x](母音ぼいんa,o,u,auののちで),かた口蓋こうがい摩擦音まさつおん[ç](それ以外いがい)で発音はつおんされる。れい:Buch[buːx][ブーフ],recht[rɛçt][レヒト]。chsは[ks]と発音はつおんされる。れい:Fuchs[fUks][フックス]。pfはりょうくちびる破裂はれつおん[p]とくちびる歯音しおん[f]を単音たんおんとして同時どうじ発音はつおんするもので,両者りょうしゃはなしてはいけない。れい:Apfel[apfəl][アップェル]。quは[kv]と発音はつおんされる。れい:Qual[kvaːl][クヴァール]。schは英語えいごのshと同様どうよう[ʃ]をあらわす。れい:Schiff[ʃf][シッフ]。sp,stは語頭ごとうでそれぞれ[ʃp],[ʃt]をあらわす。れい:Spiel[ʃpiːl][シュピール],Stein[ʃtan][シュタイン]。

 またつぎの5たん子音しいん発音はつおんは,英語えいごくらべ,とくに注意ちゅういようする。jはかた口蓋こうがい摩擦音まさつおん[j]で発音はつおんされる。れい:ja[jaː][ヤー]。sは語頭ごとうちゅうゆうごえ摩擦音まさつおん[z]となる。れい:sagen[zaːɡən][ザーゲン]。vは[f]となる。れい:Volk[fɔlk][フォルク]。wは[v]と発音はつおんされる。れい:Wort[vɔrt][ヴォルト]。zは[ts]と発音はつおんされる。れい:Zahn[tsaːn][ツァーン]。

 また,ドイツではアクセントはだい1音節おんせつかれるのが普通ふつうである。

(1)おもな文法ぶんぽう範疇はんちゅう 動詞どうし時制じせいには現在げんざい過去かこ現在げんざい完了かんりょう(haben(あるいはsein)の現在げんざいがた過去かこ分詞ぶんし),過去かこ完了かんりょう(haben(あるいはsein)の過去かこがた過去かこ分詞ぶんし),未来みらい(werden+不定ふてい),未来みらい完了かんりょう(werden+完了かんりょう不定ふてい)の6せい存在そんざいし,ほうちょく説法せっぽう(あることがらを事実じじつとして客観きゃっかんてきべるほう),接続せつぞくほう(あることがらを話者わしゃ主観しゅかんとしてべるほう),命令めいれいほう二人称ににんしょうたいする要求ようきゅう命令めいれいあらわす)のみっつのほうたい能動態のうどうたい受動態じゅどうたい(werden+過去かこ分詞ぶんし)のふたつのたい存在そんざいする。

 名詞めいしは,すべての名詞めいし男性だんせい名詞めいし女性じょせい名詞めいし中性ちゅうせい名詞めいしのどれかひとつのせいぞくする。れい(それぞれ定冠詞ていかんしをつけてしめす):der Tisch〈つくえ男性だんせい名詞めいし〉,die Tür〈女性じょせい名詞めいし〉,das Haus〈いえ中性ちゅうせい名詞めいし〉。かず単数たんすう複数ふくすうふたつの範疇はんちゅう存在そんざいする。かくでは,いちかくかくさんかくよんかくよっつのかく存在そんざいし,それぞれのかく文中ぶんちゅう日本語にほんご助詞じょし〈~が・は(=いちかく)〉〈~の(=かく)〉〈~に(=さんかく)〉〈~を(=よんかく)〉とほぼおな文法ぶんぽうてき関係かんけいあらわす。

(2)形態けいたい ドイツ動詞どうし活用かつよう一端いったんをうかがうために,現在げんざいかたちれいにとれば,現在げんざいがた語幹ごかん(=不定ふていから-(e)nをのぞいた部分ぶぶん)に,単数たんすう一人称いちにんしょう-e,どう二人称ににんしょう-st,どう三人称さんにんしょう-t;複数ふくすう一人称いちにんしょう-(e)n,どう二人称ににんしょう-t,どう三人称さんにんしょう-(e)nの人称にんしょう語尾ごびけてつくられる。れい:lernen〈まなぶ〉 単数たんすう一人称いちにんしょうich lerne,どう二人称ににんしょうdu lernst,どう三人称さんにんしょうer,sie,es lernt(人称にんしょう代名詞だいめいしは〈かれ〉〈彼女かのじょ〉〈それ〉のじゅん);複数ふくすう一人称いちにんしょうwir lernen,どう二人称ににんしょうihr lernt,どう三人称さんにんしょうsie lernen。また,つね大文字おおもじかれる敬称けいしょうのSie〈あなた(かた)〉は複数ふくすう三人称さんにんしょうおな語尾ごびをとる。れい:Sie lernen。

 名詞めいし複数ふくすうがたのつくりかた英語えいごくら複雑ふくざつであり,おもにつぎの4しゅ語尾ごび存在そんざいする。(a)語尾ごび れい以下いかたんふくじゅんしめす):Onkel〈おじ〉-Onkel,(b)-e れい:Tag〈にち〉-Tage,(c)-er れい:Kind〈ども〉-Kinder,(d)-(e)n れい:Frau〈女性じょせい〉-Frauen。かく変化へんかでは,若干じゃっかん例外れいがいのぞ男性だんせい中性ちゅうせい名詞めいしかくでは-(e)sの語尾ごびき,複数ふくすうさんかくでは複数ふくすうがたにさらに-nの語尾ごびく。れい:Tag(いちかく),Tag(e)s(かく);Kinder(複数ふくすういちよんかく),Kindern(複数ふくすうさんかく)。

 冠詞かんしでは,定冠詞ていかんし男性だんせい単数たんすういちかくder,どうかくdes,どうさんかくdem,どうよんかくden;女性じょせい単数たんすういちかくdie,どうかくder,どうさんかくder,どうよんかくdie;中性ちゅうせい単数たんすういちかくdas,どうかくdes,どうさんかくdem,どうよんかくdas;複数ふくすういちかくおとこおんな中性ちゅうせい区別くべつはない)die,どうかくder,どうさんかくden,どうよんかくdieと変化へんかする。また定冠詞ていかんし語尾ごびとほぼおな語尾ごび,すなわち男性だんせい-er,-es,-em,-en;女性じょせい-e,-er,-er,-e;中性ちゅうせい-es,-es,-em,-es;複数ふくすう-e,-er,-en,-e(定冠詞ていかんし語尾ごびことなるものは太字ふとじしめした)が,定冠詞ていかんしるいれい代名詞だいめいし):男性だんせい単数たんすういちかくdies-er〈この〉,jen-er〈あの〉,solch-er〈そのような〉,welch-er〈どの〉;れい不定ふてい数詞すうし):all-er〈すべての〉,manch-er〈かなりおおくの〉,jed-er〈おのおのの〉)や定冠詞ていかんしれい男性だんせいいちかくein,どうかくeines,どうさんかくeinem,どうよんかくeinen;女性じょせいいちかくeine,どうかくeiner,どうさんかくeiner,どうよんかくeine;中性ちゅうせいいちかくein,どうかくeines,どうさんかくeinem,どうよんかくein。ただし上記じょうきにみるように,男性だんせいいちかく中性ちゅうせいいちよんかくことなる)にもあらわれる。

 形容詞けいようし変化へんかは,冠詞かんしともなわずに名詞めいしまえかれる場合ばあい(=つよ変化へんか)と形容詞けいようしまえ定冠詞ていかんしるい)が場合ばあい(=じゃく変化へんか)におおきくけられるが,つよ変化へんかは,一部いちぶのぞいて,上述じょうじゅつ定冠詞ていかんしとほぼおな語尾ごびをとる。れい:gut〈よい〉 男性だんせい単数たんすういちかくguter,どうかくguten,どうさんかくgutem,どうよんかくguten;女性じょせい単数たんすういちかくgute,どうかくguter,どうさんかくguter,どうよんかくgute;中性ちゅうせい単数たんすういちかくgutes,どうかくguten,どうさんかくgutem,どうよんかくgutes;複数ふくすういちかくgute,どうかくguter,どうさんかくguten,どうよんかくgute。また,形容詞けいようし比較ひかくきゅう最上級さいじょうきゅうは,英語えいご同様どうよう原級げんきゅうにそれぞれ-er,-(e)stを付加ふかしてつくられる。れい:klein〈ちいさい〉(原級げんきゅう)-kleiner(比較ひかくきゅう)-kleinst(最上級さいじょうきゅう)。

(3)語順ごじゅん ドイツでは,動詞どうし人称にんしょう変化へんかしたかたちである〈定形ていけい〉は,叙述じょじゅつぶんにおいてはつねまえから2番目ばんめ位置いち存在そんざいする。れい:(a)Er lernt jetzt Deutsch.〈かれこんドイツまなんでいる〉;(b)Jetzt lernt er Deutsch.〈いまかれはドイツまなんでいる〉。(a)は定形ていけいせいおけ主語しゅご以外いがい成分せいぶん文頭ぶんとう位置いちする(b)は定形ていけい倒置とうちばれる。

 従属じゅうぞくぶんにおいては,定形ていけい文末ぶんまつ位置いちする。れい:(c)Ich wei,da er jetzt Deutsch lernt.〈わたしかれこんドイツまなんでいることをっている〉。(c)のれい定形ていけいおけばれる。また疑問ぎもんのない疑問ぎもんぶんは,定形ていけい文頭ぶんとうに,主語しゅごを2番目ばんめ位置いちく。れい:Lernt er jetzt Deutsch ?〈かれこんドイツまなんでいますか ?〉。

 ドイツでは,haben,sein,werdenというときたたえ時制じせい)の助動詞じょどうしほん動詞どうし組合くみあわせでつくる(a)現在げんざい完了かんりょう,(b)過去かこ完了かんりょう,(c)未来みらい,(d)未来みらい完了かんりょうよっつのふくあいたたえ,あるいははな主観しゅかんてき態度たいどあらわ話法わほう助動詞じょどうしあらわれるぶんでは,ほん動詞どうし過去かこ分詞ぶんしあるいは不定ふていかたちあらわれる)は文末ぶんまつかれる。れい:Er hat Deutsch gelernt.〈かれはドイツまなんだ〉;Er mu Deutsch lernen.〈かれはドイツまなばねばならない〉。このようなぶん構造こうぞうは〈ワク構造こうぞう〉とばれる。

日本にっぽんにおける本格ほんかくてきドイツ語どいつご学習がくしゅうは,1860ねん万延まんえん1)7がつ,プロシア(プロイセン)東洋とうよう遠征えんせい艦隊かんたい来航らいこうさいしげるしょ調ちょうしょ(ばんしよしらべしよ)の市川いちかわ斎宮いつき(いつき)が〈独逸どいつ(どいつ)がく〉をまなおおやけいのちけ,それをにドイツまなはじめたときをはじめとする。1862ねん文久ぶんきゅう2)には洋書ようしょ調ちょうしょ独逸どいつ学科がっか開設かいせつされ,このとし日本にっぽん最初さいしょのドイツ読本とくほんである《官版かんぱん独逸どいつ単語たんごへん》が出版しゅっぱんされた。明治めいじはいり,《孛和袖珍しゅうちん字書じしょ(ふわしゆうちんじしよ)》(1872)をはじめとする種々しゅじゅどくかずどく辞典じてんあるいは入門にゅうもんしょ出版しゅっぱんにより,ドイツの文化ぶんか近代きんだい科学かがくれるための基礎きそきずかれ,ドイツ文化ぶんか日本にっぽんにおける種々しゅじゅ分野ぶんやおおきな影響えいきょうおよぼすことになった。たとえば,法律ほうりつ分野ぶんやでは,君主くんしゅ権力けんりょくつよいドイツけい憲法けんぽうにならった憲法けんぽう制定せいていするために,明治めいじ政府せいふは82ねん明治めいじ15)伊藤いとう博文ひろぶみをヨーロッパに派遣はけんし,ドイツの憲法けんぽう調査ちょうささせ,89ねんとくにプロイセン憲法けんぽうにならった大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽう公布こうふした。また,フランスほう影響えいきょうはあるものの,民法みんぽう刑法けいほうなど日本にっぽん主要しゅよう法律ほうりつはドイツほう影響えいきょうしたにある。法律ほうりつならんで近代きんだい国家こっかとしての日本にっぽん軍隊ぐんたい制度せいどにおいても,幕末ばくまつから明治めいじ初頭しょとうにかけては,理論りろん重視じゅうしするフランス兵学へいがく支配しはいてきであったのにたいし,モルトケ門下もんかのメッケルが日本にっぽんまねかれ,85ねんから3年間ねんかん陸軍りくぐんだい学校がっこう実際じっさいめんおもんじるドイツ兵学へいがく講義こうぎしたことなどによって,ドイツ兵学へいがくがフランス兵学へいがくわって主流しゅりゅうめるようになった。さらに,医学いがく分野ぶんやにおいても,明治めいじ政府せいふは1869ねん明治めいじ2)官立かんりつ学校がっこうにおけるドイツ医学いがく採用さいよう決定けっていし,71ねん8がつ陸軍りくぐん軍医ぐんいミュルレル,海軍かいぐん軍医ぐんいホフマンが医学いがく教師きょうしとして日本にっぽん着任ちゃくにんするが,それ以後いごドイツ医学いがく日本にっぽんにおいて支配しはいてきとなり,クランケ<Kranke〈患者かんじゃ〉,チフス<Typhus,オブラート<Oblateなど医学いがく関係かんけいのドイツ多数たすう日本語にほんごれられた。

 このようにしてドイツは,ドイツの文化ぶんか学術がくじゅつとともに,またそれらにつうじるための手段しゅだんとして学習がくしゅうされ,それをまなぶことの重要じゅうようせいがしだいにおおくの人々ひとびとによりかれるようになっていった。のちの旧制きゅうせい高校こうこうにおいて,かなりちかられておこなわれたドイツ学習がくしゅう制度せいどにしても,一種いっしゅの〈教養きょうよう〉としての外国がいこく学習がくしゅうという色彩しきさいあらわれているにせよ,そこには初期しょき同様どうようなきわめて実用じつようてき動機どうき存在そんざいしていたということができるだろう。戦後せんごあたらしい学制がくせいわってからも,ドイツだい多数たすう大学だいがくだい2外国がいこくなどのかたちでまなばれており,日本人にっぽんじんにとっては英語えいごいでしたしみのある外国がいこくひとつとなっている。
執筆しっぴつしゃ

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア 「ドイツ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

ドイツ【ドイツご】

インド・ヨーロッパ語族ごぞくゲルマンぞくする言語げんご英語えいご,オランダちかいが,英語えいごくらべるとふる語法ごほうのこし,動詞どうし語尾ごび変化へんか名詞めいし形容詞けいようし冠詞かんしかく変化へんか複雑ふくざつ現在げんざいはドイツ,オーストリア全域ぜんいきと,スイスの一部いちぶ中心ちゅうしんもちいられている。北方ほっぽう低地ていちドイツと,南方なんぽう高地たかちドイツけられ,後者こうしゃはさらに,中部ちゅうぶドイツと,さい南部なんぶ上部じょうぶドイツけられる。このうち,高地たかちドイツ一般いっぱん標準ひょうじゅんとされ,2音韻おんいん推移すいいグリムの法則ほうそく)を形成けいせいされた。高地たかちドイツは,語尾ごび母音ぼいん明確めいかく区別くべつのあった古代こだい(8世紀せいきから11世紀せいき),語尾ごび母音ぼいんよわまり,ウムラウト現象げんしょう完了かんりょうした中世ちゅうせい(12世紀せいきから15世紀せいき),ルター聖書せいしょやくによって基礎きそができた近代きんだい(16世紀せいき以後いご)に区別くべつされる。はなかずやく9500まんにん。→ドイツ文字もじ
関連かんれん項目こうもくイディッシュオランダ

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世界せかい主要しゅよう言語げんごがわかる事典じてん 「ドイツ」の解説かいせつ

ドイツご【ドイツ

インドヨーロッパ語族ごぞくゲルマンふくまれる言語げんごで、英語えいごオランダなどとともに西にしゲルマンぞくする。ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、リヒテンシュタインで公用こうようないしそのひとつになっている。そのヨーロッパ各地かくち南北なんぼくアメリカでもはなされ、話者わしゃすうは1おく3000まんにん歴史れきしてきにはドイツ中部ちゅうぶ南部なんぶ高地たかちドイツ)のゲルマンしょ部族ぶぞく方言ほうげん基盤きばんとする。それらが統一とういつてき文語ぶんごをもたないまま、古高ふるたかドイツ中高なかだかドイツ段階だんかいて14世紀せいき新高にいたかドイツいたり、官庁かんちょう交流こうりゅう、ルターの聖書せいしょ翻訳ほんやく印刷いんさつじゅつ普及ふきゅうなどで文語ぶんご標準ひょうじゅんすすんだ。その完成かんせいたかめたのは17~19世紀せいきにかけての文法ぶんぽう学者がくしゃ作家さっか詩人しじんたちである。発音はつおんでは、だい1音節おんせつにアクセントがおかれること、b・d・gのおと語末ごまつではp・t・kになること、屈折くっせつ性格せいかくたもち、名詞めいしが4つのかくをもつこと、語順ごじゅんでは動詞どうし位置いち厳密げんみつであること、などの特徴とくちょうがある。◇独語どくごともいう。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうちドイツ言及げんきゅう

【インド・ヨーロッパ語族ごぞく】より

ふるくはアーリヤ語族ごぞくAryanという名称めいしょうもちいられたが,これはインド・イラン総称そうしょうで,印欧語いんおうごぞくについては適当てきとうである。インド・ゲルマン語族ごぞくは,ドイツ今日きょうもなお慣用かんようとなっているIndo‐Germanischに由来ゆらいする。この名称めいしょうは,ひがしインド西にしゲルマンをこのだい語族ごぞく代表だいひょうとみるかんがかたもとづいてつくられたものであるが,ドイツ以外いがいでは使用しようされない。…

※「ドイツ」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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