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太平記(タイヘイキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

太平たいへいみ)タイヘイキ

デジタル大辞泉だいじせん太平たいへい」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

たいへいき【太平たいへい

南北なんぼくあさ時代じだい軍記物語ぐんきものがたり。40かん小島こじま法師ほうしさくつたえられるがしょうおうやす年間ねんかん(1368~1375)の成立せいりつとされる。鎌倉かまくら末期まっきから南北なんぼくあさ中期ちゅうきまでのやく50年間ねんかん争乱そうらんを、華麗かれい和漢わかん混交こんこうぶんえがく。
太平たいへい」のりゃく

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たいへいき【太平たいへい

  1. [ 1 ] 軍記物語ぐんきものがたりよんかん小島こじま法師ほうしさくつたえるが不明ふめいおうやす年間ねんかんいちさんろくはちなな)の成立せいりつか。正中せいちゅうへん元弘もとひろへんたてたけし中興ちゅうこうとその挫折ざせつ新田にった義貞よしさだ足利尊氏あしかがたかうじとの確執かくしつから南北なんぼく両朝りょうちょう対立たいりつ室町むろまち幕府ばくふうち軋轢あつれきなど、ぶんねんいちさんいちはち)から正平しょうへいねんいちさんろくなな)までの動乱どうらん様態ようたい和漢わかん混交こんこうぶん記述きじゅつする。謡曲ようきょく浄瑠璃じょうるり草双紙くさぞうしるいなど、後代こうだい文芸ぶんげいおおきな影響えいきょうあたえた。
  2. [ 2 ] 名詞めいしたいへいきよみ(太平たいへい読)」のりゃく
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「ながけれどただなら聞物ききもの越後えちごなへが寝物語ねものがたり道久みちひさ太平たいへい(タイヘイキ)」(出典しゅってん浮世草子うきよぞうし好色こうしょくいちだいおんな(1686))

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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん太平たいへい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

太平たいへい (たいへいき)

50ねんにわたる南北なんぼくあさ動乱どうらん歴史れきしえがいた軍記ぐんき物語ものがたり。40かん

南北なんぼくあさ動乱どうらん不安ふあん世情せじょうをよくうつしている《ほらいん公定こうてい(とういんきんさだ)日記にっき》のおうやす7ねん(1374)5がつ3にちじょうに,(1)〈小島こじま法師ほうし〉が4がつ28にちか29にちんだこと,(2)かれ最近さいきんひろ世間せけん愛好あいこうされている《太平たいへい》の作者さくしゃであり,(3)〈卑賤のうつわ〉ではあるが〈名匠めいしょうの聞(きこえ)〉をていること,の3てんしるされている。この記事きじは《太平たいへい成立せいりつ当時とうじにおける,作者さくしゃかんしての唯一ゆいいつ確実かくじつ資料しりょうである。つぎに,江戸えど時代じだい編纂へんさんの《興福寺こうふくじ年代ねんだい》に,〈太平たいへい鹿しかそのいん殿どの足利あしかが義満よしみつ)ノ御代みよ小島こじまさるシシじんコレヲしょク。近江おうみこく住人じゅうにん〉とある。さらに,歌人かじん武人ぶじんとして高名こうみょうであった今川いまがわ了俊りょうしゅん貞世さだよ)が1402ねんおうなが9)にあらわした《なん太平たいへい》には《太平たいへい》の成立せいりつかん注目ちゅうもくすべき記述きじゅつがある。法勝寺ほっしょうじめぐみ鎮上じんが《太平たいへい》を30かん持参じさんして等持寺とうじじ足利あしかが直義ただよしせたところ,直義ただよしはそれを《たてたけし式目しきもく制定せいてい参画さんかくした当時とうじ碩学せきがくげんめぐみ(げんえ)法印ほういんげんとし)にませた。その結果けっか直義ただよしは〈これはおよなかにももってのほかちがひめおほし。おい書入かきい切出きりだすべきこととうあり。そのほど外聞がいぶんあるべからず〉といい,〈書入かきい切出きりだし〉の改訂かいてい作業さぎょうおこなわれたが,のち中絶ちゅうぜつし,また最近さいきんきつがれている,と了俊りょうしゅんしるしている。

 《太平たいへい》の編纂へんさん事業じぎょうは,めぐみ鎮上じんはなれたのち,足利あしかが幕府ばくふ監督かんとくのもとでげんめぐみ法印ほういん主宰しゅさいして継続けいぞくされ,小島こじま法師ほうしは1350ねん正平しょうへい5・かんおう1)のげんめぐみぼつもこの事業じぎょう中心ちゅうしんにいた人物じんぶつ推定すいていされる。また,改訂かいてい作業さぎょうしゅとして有力ゆうりょく守護しゅご大名だいみょう功名こうみょうきにかんするものであったことは,《なん太平たいへい》の記事きじからも,また《太平たいへいしょほん本文ほんぶん異同いどうからも証明しょうめいされる。記事きじちゅう最終さいしゅう年代ねんだいひかりげん法皇ほうおうだいなな回忌かいきおこなわれた70ねん建徳けんとく1・おうやす3)で,《太平たいへい》がほぼ現在げんざいかたちをなしたのは,現存げんそんする最古さいこ写本しゃほんである永和えいわほんまきさんじゅう相当そうとうする本文ほんぶん永和えいわころに書写しょしゃした零本れいほん)が書写しょしゃされた永和えいわ1,2ねん(1375,76)を下限かげんとする1370年代ねんだいである。

鎌倉かまくら末期まっきから室町むろまち初期しょきにかけての50ねんにわたる歴史れきしうごきにあわせて,《太平たいへい》を3けてとらえるかんがかた一般いっぱんてきである。だい1まきいちからまきじゅういちまで,すなわち,のち醍醐天皇だいごてんのう中心ちゅうしんとする人々ひとびと北条ほうじょう政権せいけん打倒だとう計画けいかくはじまり,元弘もとひろらん中心ちゅうしんとして楠木くすのき正成まさしげらの挙兵きょへい足利あしかがたかし尊氏たかうじ)の寝返ねがえりによるろく陥落かんらく新田にった義貞よしさだ鎌倉かまくら攻撃こうげきによる倒幕とうばくまでがしるされている。このだい1作品さくひんとしてはもっともまとまっており,たくみな戦術せんじゅつ駆使くしして幕府ばくふ正規せいきぐんたたか正成まさしげと,畿内きないの〈悪党あくとうてき武士ぶしのゲリラせん共感きょうかんともなってえがかれている。正成まさしげ合戦かっせんたん類型るいけいされていることは,それが口承こうしょう文芸ぶんげいてき要素ようそっていることを物語ものがたっている。だい2まきじゅうからまきじゅういちまでで,たてたけし中興ちゅうこうばれる公家くげ政権せいけん成立せいりつから後醍醐天皇ごだいごてんのう吉野よしのでの死去しきょまでをあつかっているが,そこでは足利あしかが新田にった武士ぶし棟梁とうりょうけんをめぐるあらそいが中心ちゅうしんになっている。作者さくしゃしん政権せいけんへの批判ひはんは,後醍醐天皇ごだいごてんのう寵臣ちょうしん万里小路まりこうじ(までのこうじ)ふじぼうの諫言,遁世とんせいというかたちえがかれている。だい2おわりのまきじゅういちでは,守護しゅご大名だいみょう佐々木ささきみちほまれの〈ばさら〉ぶりやたかし執事しつじ高師直こうのもろなお乱暴らんぼう行為こういかたられ,このまきだい3接続せつぞくするものであることをしめしている。だい3は,かんおう擾乱じょうらん(かんのうのじようらん)とばれる,幕府ばくふ中枢ちゅうすうこった分裂ぶんれつこうそう,そのなかでのみことかた前半ぜんはんまきさんじゅうよんまで)と,守護しゅご大名だいみょうたちのてしない権力けんりょく闘争とうそうなか将軍しょうぐん義詮よしあきらに,おさな義満よしみつ補佐ほさして細川ほそかわよりゆきこれ登場とうじょうし,平和へいわおとずれたとして擱筆かくひつされる後半こうはんとにけることができる。だい3特色とくしょくは,まきさんじゅう以後いご急激きゅうげき社会しゃかい政治せいじ批判ひはんつよまっていることにある。構想こうそうじょうすうかんを1ブロックとした構成こうせい意図いとされ,そのブロックの中心ちゅうしん宮方みやかた怨霊おんりょう登場とうじょうするあきらだんがあり,それを政道せいどう批判ひはん視点してんから発展はってんさせた物語ものがたりがそれぞれ配置はいちされている。具体ぐたいてきにいうと,まきじゅうななの〈くもけい未来みらい記事きじ〉は,まきじゅうの〈宮方みやかた怨霊おんりょうかい六本杉ろっぽんすぎごとづけ医師いし評定ひょうじょうごと〉のあきらだん社会しゃかい政治せいじ批判ひはんという角度かくどからあらたにかたなおしたものである。まきさんじゅうよんの〈吉野よしの御廟ごびょう神霊しんれいごと〉とまき三十五さんじゅうご北野きたの通夜つや物語ものがたり〉との関係かんけい同様どうようである。

太平たいへい》は《平家ひらか物語ものがたり》におおくをっているが,それらはしゅとして挿話そうわ作成さくせいじょう影響えいきょうであって,無常むじょうかんばれるような《平家へいけ》の思想しそうを《太平たいへい》が継承けいしょうしているわけではない。《平家へいけ》の影響えいきょうについては後藤ごとう丹治たんじ研究けんきゅうくわしいが,そのいくつかをしめしておこう。《太平たいへいまきじゅうはちの〈一宮いちのみや御息所みやすんどころごと〉はさいわいわかまい新曲しんきょく》にそのままとられている有名ゆうめいはなしであるが,これは《平家へいけまきろくあおいまえ〉を原拠げんきょとしている。また,まき長崎ながさき新左衛門しんざえもんじょう意見いけんごとづけおもね新殿にいどのごと〉にあらわれている長崎ながさきだか二階堂にかいどうみち薀の論争ろんそうとくみち薀のえがかたは,《平家へいけまき教訓きょうくんじょう〉の重盛しげもりぞう影響えいきょうけ,かんろく赤坂あかさか合戦かっせんごと付人つきびと見本みほんあいだ抜懸ごと〉は《平家へいけまききゅういちこれかか〉による。また,《太平たいへいまきじゅうろく本間ほんままごよんろう遠矢とおやごと〉は《平家へいけ》のまきじゅういちにある那須与一なすのよいちおうぎまと有名ゆうめい一段いちだん模倣もほうしてかたったものであるが,与一よいちかみ々に祈念きねんして決死けっし覚悟かくごゆみたのにたいして,ほんあいだゆみしゃ大向おおむこうの喝采かっさい意識いしきした派手はでなものになっている。

 《平家ひらか物語ものがたり》は平家へいけ滅亡めつぼうという完結かんけつした世界せかいかたっており,《太平たいへい》も,だい1では幕府ばくふ滅亡めつぼうまでの歴史れきし完結かんけつてきえがいているけれども,だい3では完結かんけつの,現実げんじつ進行しんこうしている混沌こんとんとした社会しゃかいを,どう時代じだいきるものかたっている。たとえば〈北野きたの通夜つや物語ものがたり〉では遁世とんせいしゃくもきゃく法師ほうし鼎談ていだんによる社会しゃかい政治せいじ批評ひひょうこころみられる。だい3にみられるこうした批評ひひょうせいについては,従来じゅうらいろんぜられることがすくなかったが,現在げんざいの《太平たいへい研究けんきゅうはこのてんたか評価ひょうかし,ここに《平家へいけ》とはちがった《太平たいへい》の独自どくじせいみとめている。

太平たいへい》は15世紀せいきまつまでは宮廷きゅうてい中心ちゅうしんにしたせま範囲はんいでしか流布るふせず,現存げんそんする主要しゅようつてほんのうち16世紀せいき初頭しょとうまでに書写しょしゃされたものとしては,さきにあげた零本れいほん永和えいわほんのほか,豊臣とよとみ秀吉ひでよし所持しょじしたとつたえられる神田かんだほん北条早雲ほうじょうそううん所持しょじほん写本しゃほんである今川いまがわほん竜安寺りゅうあんじ塔頭たっちゅう(たつちゆう)で書写しょしゃされつたえられた西にしげん院本いんぽんなどすうほんかぞえるにとどまり,おおくのつてほん室町むろまち時代じだいまつの16世紀せいき後半こうはん書写しょしゃされている。戦国せんごく武将ぶしょう吉川よしかわ元春もとはるが1563ねんえいろく6)うるう12がつから65ねん8がつにかけて陣中じんちゅうで《太平たいへい》を書写しょしゃしたことは有名ゆうめいであるが,大名だいみょう堂上どうじょうだい寺院じいん所蔵しょぞうされるようになり,たいほんからやがて流布るふほんつくられ,つぎの活字かつじばん時代じだいむかえ,さらに大量たいりょう印刷いんさつせいばんへとうつるのである。

 《太平たいへい》はこうたかしひかりいんの《日記にっきえいとおる8ねん(1436)5がつ6にちじょうや《おやちょうきょう》などにみられるように,宮廷きゅうていとその周辺しゅうへんでははやくから音読おんどく朗読ろうどくされる一方いっぽう,《かげりょうのき(いんりようけん)にちろく文正ふみまさ元年がんねん(1466)うるう2がつ6,7,8にちじょうや《蔗軒(しやけん)にちろく文明ぶんめい18ねん(1486)3がつ12にちじょうなどにみられるように,暗誦あんしょうされ,そうした享受きょうじゅ方法ほうほう元禄げんろく(1688-1704)ころから大坂おおさか江戸えど職業しょくぎょうとしての〈太平たいへい〉をむことになり,これが講釈こうしゃく講談こうだんにつながってゆくのである。

 現在げんざい詞章ししょうられている謡曲ようきょくで,《太平たいへい》の人物じんぶつ直接ちょくせつ活躍かつやくさせる作品さくひんは《鱗形りんけい(うろこがた)》《だんふうだんぷう)》《鉢木はちのき》《藤栄ふじえい》の4きょく,および明治めいじになってからの新作しんさく2きょくにすぎないが,《太平たいへい》の記述きじゅつほんせつとしたきょく非常ひじょうおおい。また人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり歌舞伎かぶきには《大塔おおとうみや曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)》を代表だいひょうとするすうおおくの太平たいへいぶつがある。滝沢たきざわ馬琴ばきんへの影響えいきょうひろられるところである。
執筆しっぴつしゃ

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)太平たいへい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

太平たいへい
たいへいき

南北なんぼくあさ時代じだい軍記物語ぐんきものがたり。40かん

山下やました宏明ひろあき

成立せいりつ

足利あしかが(あしかが)いち支族しぞく九州きゅうしゅう探題たんだいとして足利あしかが政権せいけん確立かくりつ貢献こうけんした今川いまがわ貞世さだよ(いまがわさだよ)(了俊りょうしゅん(りょうしゅん))のちょなん太平たいへい(なんたいへいき)』によれば、こよみおう(りゃくおう)(1338~42)、かんひさし(こうえい)(1342~45)のころ、法勝寺ほっしょうじ(ほっしょうじ)のきよしそうめぐみ鎮(えちん)(1356ぼつ)が、30かんの『太平たいへい』を、将軍しょうぐんたかし(たかうじ)を補佐ほさした足利あしかが直義ただよし(ただよし)のもとに持参じさんし、天台てんだい学僧がくそうげんとし(げんね)(1350ぼつ)にませたという。『太平たいへい』の成立せいりつに、めぐみ鎮は編集へんしゅうしゃとして、げんとし監修かんしゅうしゃとして参加さんかしたらしい。こよみおう2ねん(1339)8がつ後醍醐ごだいご(ごだいご)天皇てんのう崩御ほうぎょあたりまでをえが未完みかん作品さくひんであったが、その内容ないようあやまりがおおく、直義ただよしにより修正しゅうせい削除さくじょ加筆かひつめいじられ、いったん執筆しっぴつ中断ちゅうだんしていたのを、のちにまましいだという。この成立せいりつ加筆かひつ過程かていで、たとえば『ほらいん公定こうてい(とういんきんさだ)日記にっき』にみえる小島こじま(こじま)法師ほうしのような、たたかいの敗残はいざんしゃをもふく遁世とんせい(とんせい)しゃで、たか教養きょうようぬしでもあった物語ものがたりそう参加さんかし、1370ねん建徳けんとく1・おうやす3)ごろには40かんほん完成かんせいしていた。まれるとともに、平家琵琶へいけびわ(びわ)のような曲節きょくせつともなわないが音読おんどくもされ、説教せっきょうのち余興よきょうとしてかたられ、やがて太平たいへいみとして、講釈こうしゃくにより講釈こうしゃくされることになった。

山下やました宏明ひろあき

しょほん

上述じょうじゅつのようなかぎられた編纂へんさん(へんさん)され、その流布るふかぎられていたようで、その事情じじょうはわからないがはやくからまき22をき、現存げんそんしょほんは、いずれもこのまき本文ほんぶんつたえている。すなわち、そのまき22をいた当時とうじかたちつたえる神田かんだ(かんだ)ほん西にしげんいん(せいげんいん)ほんげん玖(げんきゅう)ほんなどの古本ふるほん、このかけまき前後ぜんごまきから記事きじをつづりわせてつくろった前田まえだほん流布るふほん記事きじ年代ねんだいじゅん配列はいれつし、史料しりょうにより加筆かひつをもおこなった天正てんしょう(てんしょう)ほんなど、古本ふるほんを41かんないし42かんさい編成へんせいしたごうせいほんなどのつごうよんるいかれるが、しょほんあいだに、『平家ひらか物語ものがたり』のしょほんのような、作品さくひん性格せいかく左右さゆうする異同いどうはない。

山下やました宏明ひろあき

内容ないよう

ぶん(ぶんぽう)2ねん(1318)後醍醐天皇ごだいごてんのう即位そくい以後いごやく50ねん期間きかんえがく。そのだい一部いちぶまき1からまき11までは、後醍醐天皇ごだいごてんのうによる北条ほうじょう(ほうじょう)幕府ばくふ討伐とうばつ計画けいかくから、その成就じょうじゅたてたけし(けんむ)政権せいけん確立かくりつまで、くすのき正成まさしげ(くすのきまさしげ)らのうごきをじくとしてえがき、完結かんけつした物語ものがたりをなしている。だいまき12からまき21までは、たてたけし政権せいけん乱脈らんみゃく批判ひはんしつつ、諸国しょこく武士ぶしの、新政しんせいたいする不満ふまん背景はいけい足利あしかが新田にった(にった)の対立たいりつ足利あしかが過去かこぜんいんによる勝利しょうり後醍醐天皇ごだいごてんのう吉野よしのでの崩御ほうぎょまでをえがく。のこだいさんは、かんおう(かんのう)の擾乱じょうらん(じょうらん)、直義ただよし代表だいひょうされる足利あしかが幕府ばくふ中枢ちゅうすう内訌ないこう(ないこう)から細川ほそかわよりゆき(よりゆき)の将軍しょうぐん補佐ほさによる太平たいへい到来とうらいまでをえがく。とくにこのだいだいさんは、その対象たいしょうとする動乱どうらんのさなかに太平たいへいもとめてがれた。そのため混乱こんらんおおく、物語ものがたりとしての完成かんせいける。人々ひとびと欲望よくぼうむきしの下剋上げこくじょう(げこくじょう)の動乱どうらんを、『史記しき』『文選ぶんせん(もんぜん)』『はく文集ぶんしゅう(はくしもんじゅう)』など紀伝きでんどう中国ちゅうごく古典こてんまな儒教じゅきょうてき政道せいどうかん歴史れきしかん、それに太平たいへいもと不思議ふしぎ期待きたいするききてたちのねがい、落書らくがきにみられる京都きょうと人々ひとびと痛烈つうれつ批判ひはん風刺ふうしとおしてえがく。長文ちょうぶんにわたるおおくの挿入そうにゅう説話せつわからは、登場とうじょう人物じんぶつ事件じけん物語ものがたり位置いちづける方法ほうほうまなびとっている。それらのおおくの史伝しでんは、歴史れきしかんと、人生じんせい百般ひゃっぱん知恵ちえ供給きょうきゅうする百科ひゃっか辞書じしょてき意味いみをもゆうしている。

山下やました宏明ひろあき

影響えいきょう

儒教じゅきょうてき政治せいじろん顕著けんちょなためか、『平家ひらか物語ものがたり』にくらべて古典こてんする傾向けいこうすくなく、作品さくひんおよぼす影響えいきょうすくない。一部いちぶ謡曲ようきょく中世ちゅうせい小説しょうせつ素材そざい提供ていきょうしているが、さいわいわか(こうわか)舞曲ぶきょくの「新曲しんきょく」や中世ちゅうせい小説しょうせつの『ゑんや判官ほうがん(はんがん)』などのように『太平たいへい』の一節いっせつをそのまました作品さくひんがみられるし、とくに近世きんせい封建ほうけん秩序ちつじょ安泰あんたい期待きたいする風潮ふうちょうにのって、曲亭馬琴きょくていばきん(きょくていばきん)らの読本とくほん(よみほん)に、講釈こうしゃく調ちょう教訓きょうくん話題わだい提供ていきょうした。このてんでも『平家ひらか物語ものがたり』とことなる。

山下やました宏明ひろあき

山下やました宏明ひろあきこうちゅう新潮しんちょう日本にっぽん古典こてん集成しゅうせい 太平たいへいぜん5かん(1977~88・新潮社しんちょうしゃ)』増田ますだ欣著『太平たいへい比較ひかく文学ぶんがくてき研究けんきゅう』(1976・角川書店かどかわしょてん)』長谷川はせがわただしちょ太平たいへい研究けんきゅう』(1982・汲古書院しょいん)』山下やました宏明ひろあきちょ太平たいへい』(1990・新潮社しんちょうしゃ)』


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百科ひゃっか事典じてんマイペディア太平たいへい」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

太平たいへい【たいへいき】

南北なんぼくあさ動乱どうらんえが軍記ぐんき物語ものがたり。40かん小島こじま法師ほうし〔?-1374〕が作者さくしゃ一人ひとり南北なんぼくあさ時代じだいからすうかいにわたってきつがれ,1370年代ねんだい現在げんざいかたちになったとかんがえられる。北条ほうじょうだか失政しっせい後醍醐天皇ごだいごてんのう北条ほうじょう討伐とうばつ計画けいかくはじまり,たてたけし新政しんせい完成かんせい崩壊ほうかい足利尊氏あしかがたかうじ謀叛ぼうほん(むほん)を南北なんぼく両朝りょうちょう対立たいりついたる50すう年間ねんかん動乱どうらんえがく。雄勁ゆうけい(ゆうけい)な和漢わかん混淆こんこう(こんこう)ぶん。《平家ひらか物語ものがたり》に軍記物語ぐんきものがたり代表だいひょうさく物語ものがたりそうかたられ,江戸えど時代じだいには《太平たいへい》の解釈かいしゃくにより大名だいみょうらに政治せいじこうずるものが,また庶民しょみん対象たいしょうに,のちの講釈こうしゃく源流げんりゅうとなる太平たいへいみも流行りゅうこう後世こうせい文学ぶんがく思想しそうへの影響えいきょうはきわめておおきい。
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太平たいへい
たいへいき

南北なんぼくあさ時代じだい軍記物語ぐんきものがたり作者さくしゃしょうであるが,小島こじま法師ほうし (1374ぼつ) せつげんめぐみ (げんえ。 1269~1350) せつなどが有力ゆうりょく。 40かん (まきじゅうかけ) 。数次すうじにわたって増補ぞうほ改編かいへんされ,建徳けんとく2=おうやす4 (71) 年頃としごろ大成たいせいか。じゅうねんにわたる南北なんぼくあさ公武こうぶこうそうえが長編ちょうへんで,内容ないようは3わかれる。だい1 (まきいちまきじゅういち) は鎌倉かまくら時代じだい北条ほうじょうだか失政しっせい後醍醐天皇ごだいごてんのう討幕とうばく起筆きひつ北条ほうじょう滅亡めつぼうたてたけし中興ちゅうこう成立せいりつまで。だい2 (まきじゅうまきじゅういち) は中興ちゅうこう政治せいじ失敗しっぱい足利尊氏あしかがたかうじ謀反むほん楠木くすのき正成まさしげ新田にった義貞よしさだ戦死せんし天皇てんのう崩御ほうぎょまで。だい3 (まきじゅうさんまきよんじゅう) は南北なんぼく両朝りょうちょう対立たいりつしょしょう向背こうはいつねならぬさまをえがき,正平しょうへい 23=おうやす1 (68) ねん義満よしみつ補佐ほさする細川ほそかわよりゆきこれ執事しつじ就任しゅうにんをもってむすぶ。物語ものがたりそうによってかたられ,「太平たいへいみ」として講釈こうしゃくされ講談こうだんとなった。後代こうだい文学ぶんがくへの影響えいきょうおおきい。

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん太平たいへい」の解説かいせつ

太平たいへい
たいへいき

南北なんぼくあさ最大さいだい軍記ぐんき。40かんなに段階だんかいかのぎ・改訂かいていすえ,1370年代ねんだい成立せいりつとされる。内容ないようから3にわかれる。まき1~11は後醍醐天皇ごだいごてんのう倒幕とうばく計画けいかくから鎌倉かまくら幕府ばくふ滅亡めつぼうまで,まき12~21はたてたけし新政しんせい開始かいしから挫折ざせつ後醍醐ごだいごまで,まき23以降いこうかんおう擾乱じょうらん守護しゅごあいだこうそうえがき,足利あしかが義詮よしあきら(よしあきら)の細川ほそかわよりゆきこれ上洛じょうらくわる。さまざまな人間にんげん活写かっしゃし,叙事じょじだけでなく中国ちゅうごく故事こじなどを引用いんようしつつ評論ひょうろんくわえる。南北なんぼくあさのほぼ唯一ゆいいつ軍記ぐんきで,批判ひはん必要ひつようだが史料しりょうとしても重要じゅうようまき22を系統けいとう写本しゃほんたいつたえる。中世ちゅうせいまつにはひろまれ,謡曲ようきょく御伽草子おとぎぞうし浄瑠璃じょうるりなどの題材だいざいとなった。「日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい」「新編しんぺん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう所収しょしゅう

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太平たいへい
たいへいき

南北なんぼくあさ時代じだい軍記物語ぐんきものがたり
14世紀せいき後半こうはん成立せいりつ。40かん小島こじま法師ほうしせつもあるが著者ちょしゃしょう南朝なんちょう立場たちばから南北なんぼく朝内あさうちらんえがく。全編ぜんぺん大体だいたいけられ,鎌倉かまくら幕府ばくふ崩壊ほうかいからたてたけし新政しんせい新政しんせい失敗しっぱい南北なんぼくあさ対立たいりつ室町むろまち幕府ばくふ成立せいりつ安定あんていふでをとめる。随所ずいしょにみられる痛烈つうれつ政治せいじ批判ひはん時世じせい批判ひはん社会しゃかい思想しそうてきにも重要じゅうよう

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デジタル大辞泉だいじせんプラス太平たいへい」の解説かいせつ

太平たいへい〔ドラマ〕

1991ねん放映ほうえいのNHKの大河たいがドラマ。原作げんさくは、吉川よしかわ英治えいじ小説しょうせつわたしほん太平たいへい』。室町むろまち幕府ばくふ初代しょだい将軍しょうぐん足利尊氏あしかがたかうじ生涯しょうがいと、鎌倉かまくら幕府ばくふ滅亡めつぼう南北なんぼくあさ時代じだい混乱こんらんえがく。脚本きゃくほん池端いけはた俊策しゅんさくなかくら重郎しげお音楽おんがく三枝さえぐさ成彰しげあき出演しゅつえん真田さなだ広之ひろゆき沢口さわぐち靖子やすこ片岡かたおか孝夫たかおほか。

太平たいへい小説しょうせつ

森村もりむら誠一せいいち歴史れきし大河たいが小説しょうせつ。1991~1994ねん刊行かんこう

出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんプラスについて 情報じょうほう

歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるり外題げだいよみかた辞典じてん太平たいへい」の解説かいせつ

太平たいへい
(通称つうしょう)
たいへいき

歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるり外題げだい
もと外題げだい
出世しゅっせ太平たいへい など
初演しょえん
宝永ほうえい5.11(江戸えど市村いちむら)

太平たいへい
たいへいき

歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるり外題げだい
初演しょえん
元禄げんろく12.5(大坂おおさか)

出典しゅってん 日外にちがいアソシエーツ「歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるり外題げだいよみかた辞典じてん歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるり外題げだいよみかた辞典じてんについて 情報じょうほう

世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち太平たいへい言及げんきゅう

楠木くすのき正成まさしげ】より

…36ねんしん政府せいふはんした足利尊氏あしかがたかうじ直義ただよし入京にゅうきょうするや,いったんこれを九州きゅうしゅうったが,その大胆だいたん献策けんさく朝廷ちょうていにいれられぬまま,再挙さいきょ東上とうじょうしたたかしらのぐん兵庫ひょうご湊川みなとがわむかえうち,はいした(湊川みなとがわせん)。 《太平たいへい》はその出生しゅっしょう信貴山しぎさん毘沙門天びしゃもんてんむすびつけ,智謀ちぼう無双むそう悪党あくとうてき武将ぶしょう典型てんけいとして正成まさしげ縦横じゅうおう活躍かつやくさせ,怨念おんねんちた凄絶せいぜつ最期さいごえがき,ただちに怨霊おんりょうとして登場とうじょうさせている。こうした《太平たいへい》のえが正成まさしげぞうはその普及ふきゅうとともに,つよ影響えいきょうあたえた。…

軍書ぐんしょ】より

…《平家ひらか物語ものがたり》などの中世ちゅうせい軍記ぐんき物語ものがたり江戸えど時代じだいおこなわれた《通俗つうぞくかんすわえ軍談ぐんだん》《絵本えほん太閤たいこう》などの通俗つうぞくてき合戦かっせんたんをいう。江戸えど時代じだい刊行かんこうされた軍書ぐんしょ最盛さいせいは,京都きょうと馬場ばば信武のぶたけしん江戸えど神田かんだはく竜子りゅうこ出現しゅつげんした宝永ほうえいとおる(1704‐36)であるが,江戸えど時代じだいつうじてもっとまれたのは《太平たいへい》である。御触おふれによる制限せいげんもあって,写本しゃほん貸本かしほんつうじてりるのが通常つうじょう享受きょうじゅ形態けいたいであった。…

なん太平たいへい】より

…1402ねん(おうなが9)2がつ了俊りょうしゅん78さいのとき成立せいりつした。題名だいめいは《太平たいへい》を批判ひはんするという意味いみである。しかし,これは後人こうじん命名めいめいで,了俊りょうしゅん意図いとがそこにあったわけではなく,ちちはんこくからいた今川いまがわ歴史れきしおうながらん了俊りょうしゅん立場たちば子孫しそんつたえることに,著作ちょさく目的もくてきがあった。…

平家ひらか物語ものがたり】より

作者さくしゃとしておおくのせつふるくからおこなわれたのもこのことと関連かんれんがあろう。すなわち,下野しものまもる行長ゆきなが(藤原ふじわら一流いちりゅう中山なかやま)の従兄弟いとこにあたる時長ときながをあてるせつがあるほか,藤原ふじわら高藤たかとうりゅう吉田よしだけい(すけつね),鎌倉かまくら幕府ばくふ信任しんにんあつ歌人かじんとしてもられ,《源氏物語げんじものがたり》の校訂こうていにも参加さんかした清和せいわはじめ光行みつゆき文章ぶんしょう博士はかせにもなった菅原すがわらためちょう,《太平たいへい》や狂言きょうげん作者さくしゃにもせられる天台てんだい学僧がくそうげんとし(げんえ),さらには延暦寺えんりゃくじ説経せっきょういえ安居あんきょいん(あぐい)の人々ひとびとをあてるせつなど,いずれも琵琶びわ法師ほうしらによっておこなわれたせつである。これらすべての人々ひとびと物語ものがたりにかかわったといえるかどうかはわからないが,このようにさまざまなせつおこなわれた背景はいけいには,物語ものがたりがもともと複数ふくすう人々ひとびとによって合作がっさくされ,さらにそれらにふでくわえて改作かいさくおこなわれたという事情じじょうがあるだろう。…

※「太平たいへい」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

出典しゅってん株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばん)」

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