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狂言(キョウゲン)とは? 意味や使い方 - コトバンク

狂言きょうげんみ)キョウゲン

デジタル大辞泉だいじせん狂言きょうげん」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

きょう‐げん〔キヤウ‐〕【狂言きょうげん

日本にっぽん古典こてん芸能げいのういち猿楽さるがくのこっけいな物真似ものまねものまね要素ようそ洗練せんれんされて、室町むろまち時代じだい成立せいりつしたせりふげきおな猿楽さるがくからまれたのうたいする。江戸えど時代じだいには大蔵おおくら和泉いずみいずみさぎさぎ三流さんりゅうがあったが、さぎりゅう明治めいじ末期まっき廃絶はいぜつした。ほん狂言きょうげんあいだあい狂言きょうげん大別たいべつされる。能狂言のうきょうげん
歌舞伎かぶき。また、そのもの歌舞伎かぶき狂言きょうげん
ひとをだますために仕組しくんだつくごと。「狂言きょうげん強盗ごうとう
道理どうりにはずれた言葉ことば動作どうさ
仏法ぶっぽうらざる痴人ちじんちじんの―なり」〈せい法眼ほうげんぞう礼拝れいはいとくずい
じゃれの言葉ことば。ざれごと。冗談じょうだん。また、ふざけて、おもしろおかしくうこと。
正直しょうじきにてはうまはまうくまじかりけりと―して」〈盛衰せいすいさんよん
[類語るいご](3けるよそお偽装ぎそうする粉飾ふんしょくカムフラージュ芝居しばい

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精選せいせんばん 日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん狂言きょうげん」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

きょう‐げんキャウ‥狂言きょうげん

  1. 名詞めいし
  2. 道理どうりにはずれた言葉ことば動作どうさ。また、常軌じょうきいっした言葉ことば動作どうさ。たわごと。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「またひさ重病じゅうびょういち起居ききょややややはつ狂言きょうげんいちえき時務じむいち」(出典しゅってんぞく日本にっぽん和銅わどうろくねん(713)がつおのれ)
    2. 「かくのごとくのことばは、仏法ぶっぽうをしらざるじん狂言きょうげんなり」(出典しゅってんせい法眼ほうげんぞう(1231‐53)礼拝れいはいとくずい)
    3. [その文献ぶんけん]〔そうきたゆう
  3. ( ━する ) わざとふざけて、おもしろおかしくうこと。また、その言葉ことば動作どうさ冗談じょうだん。ざれごと。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「連歌れんが和歌わかとうしん中納言ちゅうなごん尾張おわりとうしょう種々しゅじゅ狂言きょうげんとう」(出典しゅってん明月めいげつ文治ぶんじよんねん(1188)きゅうがつきゅうにち)
    2. 正直しょうじきにてはのうはまふくまじかりけりと狂言きょうげん(キャウゲン)して」(出典しゅってん源平げんぺい盛衰せいすい(14Cまえさんよん)
    3. 「Qiǒguenuo(キャウゲンヲ) ユウ」(出典しゅってんにち葡辞しょ(1603‐04))
  4. ( ━する ) 猿楽さるがく本来ほんらい滑稽こっけいものまねの要素ようそ洗練せんれんされ、室町むろまち時代じだい発達はったつしたせりふげき。また、それをえんずること。おなじく猿楽さるがくからまれた、まじめで幽玄ゆうげんあじをもつのうたいするもの。江戸えど初期しょき大蔵おおくら和泉いずみさぎ三流さんりゅうそろい、のうとともに幕府ばくふしきらくとしてつづいたが、明治めいじ時代じだいさぎりゅうほろびた。種類しゅるいとしてはそれ自身じしん独立どくりつしてえんじられるほん狂言きょうげんと、つねのうふくまれたかたちをとる間狂言あいきょうげん(あいきょうげん)ふたつにけられる。能狂言のうきょうげん
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「このいちきょく狂言きょうげん(キャウゲン)すれば」(出典しゅってん大観たいかんほん謡曲ようきょくうたうらない(1432ごろ))
    2. 禁中きんちゅうのうあり。たぬき腹鼓はらつづみ(はらづつみ)狂言きょうげんにする」(出典しゅってん:咄本・醒睡わらい(1628)なな)
  5. きょうげんかた(狂言きょうげんかた」のりゃく
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「わきため(して)も、きゃうげんも、のうほんのまま、何事なにごとをもげんふべし」(出典しゅってん申楽さるがくだん(1430)のういろどり)
  6. 芝居しばい。また、その演目えんもく歌舞伎かぶき狂言きょうげん
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「其比は上方かみがた狂言きょうげん(キャウゲン)になし、遠国おんごくむらさとまでふたりがながしける」(出典しゅってん浮世草子うきよぞうし好色こうしょくにんおんな(1686)いち)
  7. 本当ほんとうのように仕組しくむこと。ひとをだますために仕組しくんだことがら。こしらえごと。
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「たい(わざ)正体しょうたい(しゃうだい)なくせて、おもひあいしおのおのをゆかれべしと、しばらく狂言きょうげん(キャウゲン)をいたした」(出典しゅってん浮世草子うきよぞうし傾城けいせいしょく三味線しゃみせん(1701)江戸えど)

狂言きょうげんかたり

( 1 )ふる中国ちゅうごく文献ぶんけんられる意味いみくわえて、日本にっぽんでは冗談じょうだん・ざれごとの意味いみしめれいおおくなる。
( 2 )室町むろまち時代じだい演劇えんげきとしてのは、この冗談じょうだん・ざれごとをじくとする演劇えんげきという意味いみもとづく。江戸えど時代じだい歌舞伎かぶきとの交流こうりゅうちながら発展はってんしたところから、そのもの狂言きょうげん名称めいしょうもちいられ、両者りょうしゃ区別くべつするために、前者ぜんしゃ能狂言のうきょうげん後者こうしゃ歌舞伎かぶき狂言きょうげんばれる。
( 3 )狂言きょうげん」が演劇えんげきむすびつくと、観客かんきゃく興味きょうみくための工夫くふうともなって虚構きょこうてき部分ぶぶんおおくなり、江戸えど時代じだいにはしょうじた。

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)狂言きょうげん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

狂言きょうげん
きょうげん

日本にっぽん古典こてん芸能げいのうしゅとして(しぐさ)としろ(せりふ)によって表現ひょうげんされる喜劇きげき室町むろまち初期しょき以来いらいのう密接みっせつ関係かんけいたもってきたので、のう狂言きょうげん一括いっかつして「能楽のうがく」とよぶ。

小林こばやし せめ

語義ごぎ名称めいしょう

狂言きょうげん」というかたりふる漢語かんごで、常軌じょうき道理どうりはずれたことば、あるいは冗談じょうだん戯言ざれごと(ざれごと)などの意味いみをもっていた。日本にっぽんではすでに『万葉集まんようしゅう』にもちいられ、「たわごと」とまれている。平安へいあん時代じだいには「狂言綺語きょうげんきご(きご)」(事実じじつでないことを修飾しゅうしょくしていいあらわしたことば、てんじて小説しょうせつなどの文章ぶんしょう)という熟語じゅくごでも普及ふきゅうしたが、以後いごしだいに滑稽こっけい(こっけい)と同義どうぎ普通ふつう名詞めいしとして使つかわれることとなった。一方いっぽう、これが舞台ぶたい芸術げいじゅつ一種いっしゅをさすようになるのは南北なんぼくあさ時代じだいで、まずのべねん(えんねん)のしょげいのなかにこの名目めいもくがみえ、室町むろまち時代じだいはいり、のう共演きょうえんする滑稽こっけいげいをよぶかたりとして定着ていちゃくした。江戸えど中期ちゅうき以後いごには「歌舞伎かぶき(かぶき)狂言きょうげん」のかたり一般いっぱんし、狂言きょうげんは「芝居しばい」の別称べっしょうのように使つかわれるようになったため、本来ほんらい狂言きょうげんは「能狂言のうきょうげん」とよばれることもあったが、だい世界せかい大戦たいせんその価値かちさい評価ひょうかされるとともに、名称めいしょう復権ふっけんし、狂言きょうげんといえば能楽のうがく狂言きょうげんしょうするという認識にんしき普遍ふへんてきとなった。

小林こばやし せめ

歴史れきし現状げんじょう

狂言きょうげんは、奈良なら時代じだい中国ちゅうごくから渡来とらいした散楽さるがく(さんがく)のしょげいのうち、滑稽こっけい物真似ものまね(ものまね)のげいたい伝統でんとうけるものとかんがえられる。散楽さるがく平安へいあん時代じだいはいると猿楽さるがく(さるがく)とよばれるようになり、これは鎌倉かまくら時代じだいつうじて、まじめな歌舞かぶげきであるのうと、滑稽こっけい科白せりふ(かはく)げきである狂言きょうげんとに分化ぶんかした。そして、室町むろまち前期ぜんき大和やまと(やまと)猿楽さるがく世阿弥ぜあみ(ぜあみ)らによって猿楽さるがくのうがほぼ今日きょうのうちか姿すがたととのえられたとき、狂言きょうげんはなお即興そっきょうてき寸劇すんげきにすぎなかったようであるが、猿楽さるがく一座いちざまれ、のう支配しはいける関係かんけいになっていた。当時とうじ近畿きんきいちえんには大和やまとのほか、近江おうみ(おうみ)、宇治うじ丹波たんば(たんば)、摂津せっつなどにも猿楽さるがくがあり、それぞれに狂言きょうげん専属せんぞくしていたが、戦国せんごく争乱そうらんあいだにしだいに衰微すいびし、隆盛りゅうせい大和やまと猿楽さるがくふくまれたり、京都きょうと中心ちゅうしん狂言きょうげんだけの一座いちざ形成けいせいしたりしていった。そして、室町むろまち後期こうき狂言きょうげん演劇えんげきとしての形態けいたいととのえると、まず大和やまと猿楽さるがく狂言きょうげんかたによって大蔵おおくらりゅう(おおくらりゅう)が、ついで江戸前えどまえ新興しんこうさぎ(さぎ)・和泉いずみ(いずみ)2りゅう成立せいりつした。徳川とくがわ幕府ばくふ能楽のうがく武家ぶけしきらく儀礼ぎれいよう芸能げいのう)に指定していして役者やくしゃ扶持ふち(ふち)したので、大蔵おおくらさぎ2りゅう幕府ばくふ直属ちょくぞく流儀りゅうぎとして、和泉いずみりゅう尾張おわり(おわり)徳川とくがわはん加賀かが前田まえだはんろく(ろく)を宮中きゅうちゅう御用ごようつとめる流儀りゅうぎとして、しかもこれら3りゅう狂言きょうげん地方ちほうかくはんにもかかえられて、江戸えど時代じだい安泰あんたい経過けいかする。

 しかし、明治維新めいじいしんによって保護ほごしゃうしなうと、狂言きょうげんかい混乱こんらんおちいり、明治めいじ中期ちゅうきまでに大蔵おおくらさぎりょうりゅう宗家そうけが、大正たいしょう初期しょきには和泉いずみりゅう宗家そうけ廃絶はいぜつした。そして東京とうきょうでは、遷都せんととともに京都きょうと金沢かなざわなどから新都しんとあつまった和泉いずみりゅう三宅みやけふじ九郎くろう(みやけとうくろうけ)とその一派いっぱおよび大蔵おおくらりゅう山本東やまもとひがし次郎じろう(とうじろう)など、京阪けいはんでは大蔵おおくらりゅう茂山しげやま千五郎せんごろう(しげやませんごろう)茂山しげやま忠三郎ちゅうざぶろう(ちゅうざぶろう)など、いずれも弟子でしによってげいみつるつたえられたが、明治めいじ初期しょきにおもだった流儀りゅうぎ狂言きょうげん吾妻あづま(あづま)能狂言のうきょうげん参加さんかし、ついで歌舞伎かぶきかい接近せっきんしていったさぎりゅうはついに衰亡すいぼうした。昭和しょうわはいって大蔵おおくら和泉いずみりょうりゅうとも宗家そうけ再興さいこうした。東京とうきょうには大蔵おおくらりゅう家元いえもと大蔵おおくらわたるみぎ衛門えもん(やえもん)山本東やまもとひがしろうぜんちくじゅうろう(ぜんちくじゅうろう)和泉いずみりゅう野村のむら万蔵まんぞう野村のむら万作まんさく三宅みやけ右近うこん宗家そうけ和泉いずみなどがある。京阪けいはんには茂山しげやま千五郎せんごろう茂山しげやま忠三郎ちゅうざぶろう忠三郎ちゅうざぶろうからかれたぜんちく名古屋なごやには和泉いずみりゅう野村のむらまた三郎さぶろう同流どうりゅう狂言きょうげん結社けっしゃである狂言きょうげん共同きょうどうしゃなどがあり、各地かくち上演じょうえん単位たんいとして活躍かつやくしている。芸風げいふうは、流儀りゅうぎより土地とちがら反映はんえいし、東京とうきょう知性ちせいてき規格きかくただしいげい京阪けいはん情緒じょうちょてき写実しゃじつあじげい名古屋なごや東西とうざい両者りょうしゃなかあいだてきげい形成けいせいしている。

 だい世界せかい大戦たいせん狂言きょうげんかいいちじるしい動向どうこうとしては、のう従属じゅうぞくてき立場たちばから解放かいほうされるとともに、軽妙けいみょう喜劇きげきせい簡潔かんけつ舞台ぶたい表現ひょうげんとがひろ一般いっぱんさい認識にんしきされたことがあげられる。そして、1955ねん昭和しょうわ30)ごろ以降いこうは、狂言きょうげんしん様式ようしき創作そうさくげきあるいは歌舞伎かぶきをはじめジャンルの演劇えんげきへの参加さんかや、新劇しんげき俳優はいゆうとの共演きょうえんによるギリシアげき上演じょうえんなどが話題わだいをよんだが、さらに海外かいがいへの普及ふきゅう活動かつどうによって、今日きょう狂言きょうげん世界せかいてき視野しやにおいて評価ひょうかされるにいたっている。

小林こばやし せめ

三番叟さんばそう風流ふうりゅう間狂言あいきょうげんほん狂言きょうげん

狂言きょうげんかたえんずるげいは、〔1〕三番叟さんばそう(さんばそう)(大蔵おおくらりゅうでは「さんばんさん(さんばそう)」)および風流ふうりゅう(ふりゅう)、〔2〕あいだ(あい)狂言きょうげん、〔3〕ほん(ほん)狂言きょうげんけられる。

〔1〕三番叟さんばそうおよび風流ふうりゅうは、能楽のうがく儀式ぎしきげいである『おう(おきな)』のなかで狂言きょうげんかた担当たんとうする演技えんぎである。三番叟さんばそうは、シテかたつとめるおう退場たいじょうしたあと、五穀豊穣ごこくほうじょう(ほうじょう)をいのって1人ひとりえんずるまいで、前半ぜんはん素面しらふ(すめん)で勇壮ゆうそうう「もめ(もみ)のだん」と後半こうはんくろしきじょう(こくしきじょう)のめんをつけすずって軽快けいかいう「すずだん」とにかれている。風流ふうりゅうは、華美かび着飾きかざった多数たすう役者やくしゃ登場とうじょうするめでたい内容ないようをもつ単純たんじゅんげきである。

〔2〕間狂言あいきょうげんは、のうのなかの一役ひとやくとして狂言きょうげんかた演技えんぎをいい、そのやくはアイと略称りゃくしょうされる。シテの中入なかいり(なかいり)のあいだいちきょく主題しゅだい内容ないようなどを平易へいい説明せつめいするかたりあいだ(かたりあい)、のうしょやく共演きょうえんするアシライあいだ(あい)、狂言きょうげんかた2人ふたり以上いじょう寸劇すんげきえんずるげきあいだ(げきあい)に大別たいべつされる。がいして身分みぶんひくやくであるが、のういちきょく雰囲気ふんいき左右さゆうすることもあり、軽視けいしできない。

〔3〕ほん狂言きょうげん独立どくりつしたすじをもつ演劇えんげきで、ただ「狂言きょうげん」というときにはほん狂言きょうげんをさす場合ばあいおおい。主役しゅやくをシテ、わき(わき)やくをアドといい、和泉いずみりゅうではアド1にん以外いがい一括いっかつしてしょう(こ)アドとしょうしている。また参詣さんけい(さんけい)ひと花見はなみきゃくなどどう性格せいかくすうにんいっしょに登場とうじょうするものだてしゅ(たちしゅう)、その統率とうそつしゃたてあたま(たちがしら)とよぶ。現行げんこうきょく流儀りゅうぎ公認こうにんしているレパートリー)は大蔵おおくらりゅう180ばん(ただし茂山しげやま千五郎せんごろう山本東やまもとひがしろうかく200ばん)、和泉いずみりゅう254ばん共通きょうつうきょくが191ばんで、りょうながれあわせて263ばんきょくがある。通常つうじょう2~4にんえんじ、大勢おおぜいぶつ(おおぜいもの)といわれるすうにんきょくやく40ばんあるが、じゅうすうにんようするものは『から相撲すもう(とうずもう)』『太鼓たいこまけ(たいこおい)』『ろう武者むしゃ(ろうむしゃ)』などごくまれである。上演じょうえん時間じかんはほとんどが20~40ふんで、1あいだすのは『花子はなこ(はなご)』『つりきつね(つりぎつね)』などにすぎない。ほん狂言きょうげんは、世阿弥ぜあみのころすでにのうのうとのあいだつとめるのを原則げんそくとし、以後いご今日きょういたっているが、のう狂言きょうげんという対照たいしょうてき性格せいかくをもつ芸能げいのう交互こうごえんずるのは、外国がいこくにもれいをみないたくみな上演じょうえん知恵ちえといえよう。もっとも、狂言きょうげんだけをならべる「狂言きょうげんくし」も安土あづち(あづち)桃山ももやま時代じだいからおこなわれ、近年きんねんはとくにさかんである。

小林こばやし せめ

ほん狂言きょうげん特色とくしょく

ほん狂言きょうげん内容ないようおおきな特色とくしょく喜劇きげきせい庶民しょみんせいである。

 平安へいあん時代じだい猿楽さるがくわらいはかなり卑猥ひわい(ひわい)なものであったとおもわれるが、世阿弥ぜあみは「わらい(え)みのうちにたのしみをふくむ」ようなわらい、すなわち上品じょうひんでなごやかな滑稽こっけいあじ狂言きょうげん要求ようきゅうした。さらに、その歴史れきしつうじ、貴族きぞくてきのうおな舞台ぶたい上演じょうえんされ、ことに江戸えど時代じだいには武家ぶけしきらくさだめられ武士ぶし直属ちょくぞくすることになったため、しだいにわらいを洗練せんれん昇華しょうかさせた。現在げんざい狂言きょうげんにみられるわらいの要素ようそとしては、中世ちゅうせい芸能げいのう存立そんりつ精神せいしんてき支柱しちゅうとした「祝言しゅうげん(しゅうげん)せい」や下剋上げこくじょう(げこくじょう)の風潮ふうちょう反映はんえいする「風刺ふうしせい」もみとめられるが、おおくのきょく支配しはいしているのは「滑稽こっけいせい」としょうされる、なんの目的もくてきももたない、ともかくたのしいわらいである。室町むろまち時代じだい乱世らんせいであり、世相せそう不安定ふあんてい殺伐さつばつとしていたが、そういう時代じだいであったからこそ、庶民しょみん上昇じょうしょうのエネルギーを蓄積ちくせきすることができた。こうした社会しゃかい意識いしき反映はんえいした室町むろまち民衆みんしゅう現世げんせい謳歌おうか(おうか)のわらいが、狂言きょうげん滑稽こっけいせいだといってよい。わらいをふくまないきょくは、座頭ざがしら(ざとう)狂言きょうげんの『川上かわかみ(かわかみ)』『清水しみず(きよみず)座頭ざがしら』『月見つきみ(つきみ)座頭ざがしら』などほんのすうきょくにすぎないが、これらにはペーソス(哀愁あいしゅう)あるいは詩情しじょうかんじさせる秀作しゅうさくおおく、狂言きょうげん内包ないほうするしつはばひろげている。

 ほん狂言きょうげんには前代ぜんだいまでの説話せつわしゅうなどに典拠てんきょもとめたものもあるが、それはごくわずかで、ほとんどは当代とうだい世相せそう取材しゅざいした室町むろまち時代じだい現代げんだいげきである。登場とうじょう人物じんぶつ社会しゃかいかく階層かいそうにわたり、さらに神仏しんぶつ鬼畜きちく動植物どうしょくぶつにまでおよんで、シテの役柄やくがらだけでも多種たしゅ多様たようである。そして、大名だいみょう僧侶そうりょ(そうりょ)など権威けんいあるものには批判ひはんてきであるのにたいし、武士ぶし土豪どごう召使めしつかいで下人げにん(げにん)とよばれる隷属れいぞくみんであった太郎たろう冠者かんじゃ(たろうかじゃ)をもっとも活躍かつやくさせ、社会しゃかいののけものである博奕ばくえき(ばくちうち)、すっぱ(詐欺さぎ(さぎ))、盗人ぬすっと山賊さんぞくなどにはむしろ同情どうじょうてきで、しん悪人あくにんとしてはあつかっていない。歴史れきしじょう有名人ゆうめいじんぶつ在原業平ありわらのなりひら(ありわらのなりひら)は女好おんなずきの典型てんけい朝比奈あさひな三郎さぶろう義秀よしひで(あさひなのさぶろうよしひで)や鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためとも(ちんぜいはちろうためとも)は強者きょうしゃ代表だいひょうとしてげているにすぎず、おに閻魔えんま(えんま)にも好色こうしょくとか生活せいかつ困窮こんきゅうしゃとかいった当代とうだいじんぞくせいあたえている。神仏しんぶつ七福神しちふくじんクラスのしたしみのもてる民間みんかん信仰しんこう対象たいしょうである。こうした登場とうじょう人物じんぶつ選択せんたくせいかくづけには、ヒューマニズム基調きちょうとした庶民しょみんせいつよかんじられる。

小林こばやし せめ

ほん狂言きょうげん分類ぶんるい内容ないよう

ほん狂言きょうげん分類ぶんるいとしてもっとも一般いっぱんてきなのは、しゅとしてシテの人物じんぶつ類型るいけいによってけたものである。以下いかには、和泉いずみりゅうかた私見しけんくわえた分類ぶんるいにより、それぞれの内容ないよう特色とくしょく概説がいせつする。

〔1〕わき(わき)狂言きょうげん かみ人々ひとびとぶくさづ祝言しゅうげんまいかみぶつ(かみもの)、鷹揚おうよう(おうよう)な長者ちょうじゃ迂闊うかつ(うかつ)あるいは機転きてんのきく召使めしつかいとの交渉こうしょうがめでたい結末けつまつむかえる果報かほうぶつ地方ちほう百姓ひゃくしょう在京ざいきょう領主りょうしゅにめでたく年貢ねんぐ上納じょうのうする百姓ひゃくしょうぶつ冠者かんじゃのすっぱ(詐欺さぎ)にだまされめいじられたものとまったくちがったものもとめてくる太郎たろう冠者かんじゃ(たろうかじゃ)もの市場いちば一番乗いちばんのりを商人しょうにん2にんあらそうものなどさまざまなきょくふくざつぶつ細分さいぶんるいできるが、いずれも、めでたさをふくみ、なごやかなわらいをさそうのが共通きょうつうてんといえる。そのため、役柄やくがらによらない、『おう』のわき意味いみをもつわき狂言きょうげんという別種べっしゅ類別るいべつのこしているのである。『ふくかみ』『末広すえひろかり(すえひろがり)』『たからづち(つち)』『筑紫つくしおく(つくしのおく)』『なべはちばち(なべやつばち)』など35きょく

〔2〕大名だいみょう(だいみょう)狂言きょうげん 大名だいみょうとはいっても地方ちほう土豪どごう程度ていど武士ぶしである。そこで、いばってはいてもじつおろかか無力むりょくであり、その外観がいかん内面ないめん矛盾むじゅんわらいをさそうのだが、大名だいみょうがいしてあかるくおおらかであるので、その滑稽こっけい風刺ふうしよりむしろなごやかなたのしさをただよわせる。『うつぼざる(うつぼざる)』『相撲すもう(かずもう)』『鬼瓦おにがわら(おにがわら)』など16きょく

〔3〕太郎たろう冠者かんじゃ狂言きょうげん 太郎たろう冠者かんじゃには賢明けんめいものおおいが、これがシテとなる太郎たろう冠者かんじゃ狂言きょうげんではがいして愚鈍ぐどん横着おうちゃく臆病おくびょう(おくびょう)、そして酒好さけずきと欠点けってんひょうだつ。しかし無邪気むじゃき愛敬あいきょう(あいきょう)にちているのが特徴とくちょうで、かもわらいも底抜そこぬけにあかるい。『音曲おんぎょく(ねおんぎょく)』『附子ふし(ぶす)』『ぼうばく(ぼうしばり)』『素袍すおう落(すおうおとし)』『千鳥ちどり(ちどり)』『ろく(きろくだ)』など45きょく

〔4〕むこ(むこ)狂言きょうげん 結婚けっこんむこしゅうと(しゅうと)かたたず正式せいしき親子おやこ対面たいめんをするむこりのしきさいし、むこ幼稚ようちあるいは貪欲どんよく(どんよく)などのため失態しったいえんじるむこぶつむこ志願しがんおとこむすめみにくかおしたり無能むのう暴露ばくろしてむこになりそこねたりするむこぶつけられ、むこぶつには祝言しゅうげんせいみとめられる。『二人ふたりはかま(ふたりばかま)』『舟渡ふなとむこ(ふなわたしむこ)』など17きょく

〔5〕おんな(おんな)狂言きょうげん 狂言きょうげんにはろうあま以外いがい女性じょせいをシテとするきょくはなく、ここにふくまれるのは家庭かていない男女だんじょ葛藤かっとう(かっとう)をえがいた夫婦ふうふぶつ期待きたい花嫁はなよめ不美人ふびじんなのにおどろつまさだぶつである。夫婦ふうふぶつでは、がいしてつまのほうがつよいので、恐妻きょうさいはなし滑稽こっけいしょうずる。『かまばら(かまばら)』『千切ちきり(ちぎりき)』『(みかずき)』『花子はなこ(はなご)』など30きょく

〔6〕おに(おに)狂言きょうげん おにのほか閻魔えんまかみなりをシテとするきょくで、一見いっけんおそろしげなこれらの異類いるいがたわいなく人間にんげん知恵ちえ腕力わんりょくけてしまう無知むち無力むりょくなど、その倒錯とうさく漫画まんがてきわらいをさそう。『節分せつぶん(せつぶん)』『くび引(くびひき)』『八尾やお(やお)』など9きょく

〔7〕山伏やまぶし(やまぶし)狂言きょうげん 山伏やまぶしがいかめしい姿すがた行力ぎょうりきほこりながら祈祷きとう(きとう)がいっこうにかない無能力むのうりょくぶりをわらいの対象たいしょうとするきょくおおいが、風刺ふうしせいより童話どうわてきたのしさをかんじさせる。『禰宜ねぎ(ねぎ)山伏やまぶし』『きん(くさびら)(たけ)』『蝸牛かぎゅう(かぎゅう)』など9きょく

〔8〕出家しゅっけ(しゅっけ)狂言きょうげん 僧侶そうりょ貪欲どんよく破戒はかい無学むがく風刺ふうししたきょくおおいが、ひたすら悟道ごどうもとめる旅僧たびそう好意こういまなざし見守みまもっているきょくもある。新発意しんぼち(しんぼち)ぶつは、主人しゅじん太郎たろう冠者かんじゃ住持じゅうじ新発意しんぼちえられただけで、わらいはがいしてあかるくたのしい。『宗論しゅうろん(しゅうろん)』『布施ふせけい(ふせないきょう)』『名取川なとりがわ(なとりがわ)』『御茶おちゃみず』など25きょく

〔9〕座頭ざがしら(ざとう)狂言きょうげん 盲人もうじん主人公しゅじんこうとした滑稽こっけいあじのあるきょくと、身障者しんしょうしゃ叡知えいち(えいち)と哀愁あいしゅうえがきペーソスをただよわすきょくとがある。『どんぶり礑(どぶかっちり)』『川上かわかみ(かわかみ)』など8きょく

〔10〕まい(まい)狂言きょうげん 旅僧たびそうところものにいわれをき、死者ししゃ回向えこう(えこう)をしているところへその亡霊ぼうれいあらわれて最期さいごのありさまをうという、のう同様どうよう構成こうせいをもち、パロディー滑稽こっけいをねらったきょく。『つうえん(つうえん)』など7きょく

〔11〕がえあいだ(かえあい)狂言きょうげん 独立どくりつせいつよがえあいだ特別とくべつ演出えんしゅつ間狂言あいきょうげん)で、単独たんどくでも上演じょうえんするきょく。『さるむこ(さるむこ)』など6きょく

〔12〕ざつ(ざつ)狂言きょうげん 以上いじょう分類ぶんるいできないきょく一括いっかつするので内容ないよう雑多ざったであり、アウトローをシテとするきょくなどはここにふくまれる。『ちゃつぼ(ちゃつぼ)』『ふり盗人ぬすっと(うりぬすびと)』『悪太郎あくたろう(あくたろう)』『べい(よねいち)』『たけあく(ぶあく)』など56きょく

 以上いじょうのほかに番外ばんがいきょく新作しんさく狂言きょうげんとがある。番外ばんがいきょくは、江戸えど時代じだいおよび明治維新めいじいしん以後いご新作しんさく、あるいは他流たりゅうきょくれたじゅん現行げんこうきょくともいうべきもので、大蔵おおくらりゅうには11ばん和泉いずみりゅうには27ばんきょくがあるが、実際じっさいには大蔵おおくらりゅうでは井伊いい直弼なおすけ(なおすけ)さくおに宿やど(おにがやど)』、冷泉れいせんため(れいぜいためただ)さく(ねのひ)』、和泉いずみりゅうでは『見物けんもつ左衛門さえもん(けんぶつざえもん)』以外いがいはほとんど上演じょうえんされない。新作しんさく狂言きょうげんは、明治維新めいじいしん以後いご創作そうさくされたほん狂言きょうげん総称そうしょうで、試演しえんされたものだけでも120ばん以上いじょうかぞえるが、再三さいさん上演じょうえんされているのは飯沢いいざわただし(ただす)さく『濯(すす)ぎがわ』、木下きのした順二じゅんじさく彦市ひこいち(ひこいち)ばなし』、小松こまつ左京さきょう(さきょう)さくきつね宇宙うちゅうじん』、帆足ほあし正規まさき(ほあしまさのり)さく死神しにがみ』ぐらいのものである。なお新作しんさく狂言きょうげんのうち『』『すすがわ』のように番外ばんがいきょく編入へんにゅうされたきょくもある。

小林こばやし せめ

演出えんしゅつ演技えんぎ

狂言きょうげんのうとともにのう舞台ぶたいえんじられる。その演出えんしゅつ演技えんぎのう同様どうように「かた」とよぶのも、こうした象徴しょうちょうげき歌舞かぶげきよう殺風景さっぷうけい舞台ぶたいのう影響えいきょうえんじられてくるあいだに、演出えんしゅつ演技えんぎ類型るいけいされたためであろう。したがって、狂言きょうげん(しぐさ)としろ(せりふ)を演技えんぎしゅ要素ようそにするとはいっても、近代きんだい写実しゃじつげきとは本質ほんしつてきことなる。ややこしとし重心じゅうしんげたかまえや摺足すりあし(すりあし)のはこびはのうおなじで、日常にちじょう姿勢しせいあるかたとはことなり、せりふにもかく文節ぶんせつの2おとつよめるのを基本きほんとする独特どくとくイントネーションがある。しょうまいうたい(こまいうたい)・しょうまい(こまい)としょうする歌舞かぶから稽古けいこ(けいこ)にはいるのは、発声はっせいおよび姿勢しせいうんという演技えんぎ基礎きそをまずにつけ、せりふの美化びかとしぐさの律動りつどうやしなうためである。

 演劇えんげきとしての構成こうせい単純たんじゅん素朴そぼくである。ほとんどのきょくは、登場とうじょうした人物じんぶつ自己じこ紹介しょうかいである「名乗なのり(なのり)」ではじまり、あとすぐ相手あいてやくすか、場面ばめん転換てんかんするためにほん舞台ぶたい一巡いちじゅんする「道行みちゆき(みちゆき)」をして相手あいてやく出会であってから本筋ほんすじはいり、結末けつまつ破綻はたん(はたん)のときにはみ・しか(しか)りめ・せりふめ・くしゃみめなど、和解わかいのときにはシャギリめ・わらめ・うたい(うたい)めなどのすうしゅ分類ぶんるいできる。また、名乗なのり大名だいみょうなどはほん舞台ぶたいせいさき(しょうさき)、名乗なのりでし、対話たいわもほぼ名乗なのりとワキおこなうというように類型るいけいされている。さらに、ふえじょう(かみ)や大小だいしょうまえ(だいしょうまえ)などにすわっているか、後見こうけん(こうけん)うしかたひざ(かたひざ)ついている場合ばあいには、げき進行しんこうそとにおり舞台ぶたいにはいないことを意味いみするなど、おおくの約束やくそくささえられている。

 しかし、狂言きょうげんは、のう影響えいきょう舞台ぶたい制約せいやくのなかで、演出えんしゅつ演技えんぎ萎縮いしゅく(いしゅく)させてきただけではない。道行みちゆきでものうではうごきがごくすくないが、狂言きょうげん舞台ぶたい一巡いちじゅんし、かたでものうがただのひらをちかづけるだけであるのにたいし、狂言きょうげんは「エーエーエー」とごえともなって写実しゃじつちかづけている。また擬音ぎおん必要ひつようとする場面ばめんおおいが、用具ようぐ使つかわず、をあけるときには「サラ、サラサラサラ」、のこ(のこぎり)で竹垣たけがきをひきるときには「ズカ、ズカズカ、ズッカリ」、たる(たる)からそそさけがなくなるときには「ドブ、ドブドブドブ、ピショピショピショ」などと、役者やくしゃ演技えんぎしながらみずか擬声語ぎせいごはっするという大胆だいたんでユーモラスな演出えんしゅつ創案そうあんした。つまり狂言きょうげんは、演出えんしゅつ演技えんぎにおいて写実しゃじつ抽象ちゅうしょうとをたくみに融合ゆうごうし、簡潔かんけつ洗練せんれんされた独自どくじ様式ようしき滑稽こっけい成功せいこうしたといえよう。

小林こばやし せめ

うたいまい囃子はやし

狂言きょうげんのなかの歌謡かようてき要素ようそ総称そうしょうして「狂言きょうげんうたい(うたい)」という。狂言きょうげんうたいは、酒宴しゅえん余興よきょう歓喜かんき高潮こうちょうした感情かんじょう表現ひょうげん、あるいは主人しゅじん機嫌きげんなおしやっての放歌ほうかなど、すじ展開てんかいむすいてうたわれることがおおい。しかし、歌劇かげきてき形式けいしきしたがって登場とうじょううたいとしてのうのように次第しだい(しだい)・一声いっせい(いっせい)を、またキリ(終曲しゅうきょく)などに叙述じょじゅつてき内容ないよううたうこともある。こうして歌謡かようてき要素ようそふくきょくやく150きょくおよび、登場とうじょう人物じんぶつ自身じしんうたうのが普通ふつうであるが、やく35きょくではしゅとしてキリに地謡じうたい(じうたい)がる。

 狂言きょうげんうたいは、しょうまいうたい(こまいうたい)、特定とくてい狂言きょうげんうたいしゃくうたい(しゃくうたい)(小謡こうたい(こうたい)とも)に大別たいべつできる。

(1)しょうまいうたいは、かならず「しょうまい」とよばれるまいともなうもので、単独たんどくでも鑑賞かんしょうできる芸術げいじゅつてき独立どくりつせいそなえている。

(2)特定とくてい狂言きょうげんうたいは、特定とくてい狂言きょうげんのなかでうたわれる歌謡かようのうち、『うつぼざる(うつぼざる)』のさる、『地蔵じぞうまい(じぞうまい)』の地蔵じぞうまいなどのように、まいともなわないか、まいがあっても単独たんどくえんずる芸術げいじゅつせいうすく、しょうまいうたい編入へんにゅうされていない歌謡かようをいう。

(3)しゃくうたいは、酒宴しゅえんしゃくちながらうたうもので、さけ千鳥足ちどりあしあるきながらもうたう。「ざざんざ浜松はままつおとはざざんざ」などみじかうたいで、独特どくとくきょくのほか、謡曲ようきょく一部いちぶをとったものなどじゅうすうきょく用意よういされている。

 このようにほん狂言きょうげんには歌謡かようてき要素ようそいので、やく85きょくには囃子はやし(はやし)がくわわる(ただし次第しだいだけに囃子はやし必要ひつようとするというような省略しょうりゃく可能かのう場合ばあいには囃子はやしなしでえんずることがおおい)。狂言きょうげん囃子はやしがいして飄逸ひょういつ(ひょういつ)であり、「カケリ」「らく(がく)」などのうおな名称めいしょうがついていても手法しゅほう簡略かんりゃくされているのが普通ふつうである。なお、地謡じうたいのうことなり、囃子はやしうしろに居並いならび、囃子方はやしかた全員ぜんいん床几しょうぎ(しょうぎ)にけず横向よこむきにすわってはやす。

小林こばやし せめ

めん装束しょうぞく道具どうぐ

狂言きょうげん素面しらふえんずるのを原則げんそくとするが、特殊とくしゅやくにはめん(おもて)をもちいる。

 装束しょうぞく(しょうぞく)は、のう絢爛けんらん(けんらん)豪華ごうかたいし、写実しゃじつてき日常にちじょうてきで、簡素かんそ印象いんしょうつよい。太郎たろう冠者かんじゃなどがける肩衣かたぎぬ(かたぎぬ)には背面はいめんいっぱいに鬼瓦おにがわら鳴子なるこ(なるこ)・案山子かかし(かかし)・だいかぶら(かぶ)・とんぼなどをえがいた斬新ざんしん(ざんしん)な図柄ずがらおおく、おなじく冠者かんじゃらのはくはんはかま(はんばかま)にらした模様もようさんほんかさ挽臼ひきうす(ひきうす)・もう(ほしあみ)・帆掛舟ほかけぶねなどとともに、狂言きょうげん庶民しょみんせいしめしている。また狂言きょうげんは、女優じょゆう使つかわず、特殊とくしゅやく以外いがいおんなめんもちいないので、ビナンというやく6メートルほどのしろあさあたまき、まえむすんでかお左右さゆうらしりょうはしおびはさんだ扮装ふんそう(ふんそう)で、女性じょせいあらわす。

 装置そうちるいする大道具おおどうぐのう以上いじょうもちいない。しかし、小道具こどうぐるい多用たようし、写実しゃじつあじ農具のうぐくわ(くわ)・すき(すき)・かま(かま)・鳴子なるこ(なるこ))、さけすぎ手樽てたる(すぎてだる)・瓢箪ひょうたん(ひょうたん))、荒物あらもの(あらもの)(まないた(まないた)・包丁ほうちょう)などは狂言きょうげん庶民しょみんせい反映はんえいしている。他方たほう、『牛馬ぎゅうば(ぎゅうば)』でたけつえ(たけづえ)のさきむすんだたれ(たれ)(頭髪とうはつ一種いっしゅ)のくろうしで、しろうまを、『かり大名だいみょう(がんだいみょう)』で羽箒はねぼうき(はぼうき)がかりを、『昆布こぶうり(こぶうり)』で梨子なしご烏帽子えぼし(なしうちえぼし)が昆布こぶあらわすといった象徴しょうちょうてきれいもみいだすことができ、またかずらおけ(かずらおけ)が床几しょうぎ(しょうぎ)として使つかわれるだけでなく、『ちゃつぼ(ちゃつぼ)』で茶入ちゃいれ、『かき(かき)山伏やまぶし』でかき、そしてぶた(ふた)がはい(さかずき)、あるいはおうぎじて太刀たち(たち)・のこ(のこぎり)・石臼いしうす(いしうす)、ひらいてはい銚子ちょうし(ちょうし)・などにたくみに転用てんようされているのも注目ちゅうもくされる。

小林こばやし せめ

狂言きょうげん影響えいきょう

狂言きょうげん日本にっぽんはじめて成立せいりつしたわらいの芸術げいじゅつとして、後代こうだい芸能げいのう文学ぶんがくおおくの影響えいきょうあたえている。

 芸能げいのうとして狂言きょうげんをもっとも色濃いろこいでいるのは歌舞伎かぶきである。歌舞伎かぶき創始そうしにはちいさな猿楽さるがく狂言きょうげんかた参加さんかし、江戸前えどまえにはほん狂言きょうげんからおおくの歌舞伎かぶきげき脚色きゃくしょくされた。もっとも、そのほとんどはその上演じょうえんされなくなり、江戸えど後期こうき以後いごはもっぱら歌舞伎かぶき舞踊ぶよう仕組しくまれて、三番叟さんばそうからつくられた『さいはるすずな種蒔たねまき(またくるはるすずなのたねまき)』(したさんばん(さんば))・『やなぎ糸引いとひき(やなぎのいとひくやごひいき)』(みさおさんばん(あやつりさんば))、『つりきつね』からの『よせわな娼釣ひげ(てくだのわなきゃつをつりひげ)』(朝比奈あさひなひとしきつね)・『つりきつねくるわかけわな(つりぎつねさとのかけわな)』(くるわ(くるわ)つりきつね)、『うつぼざる(うつぼざる)』からの『はな舞台ぶたいかすみ猿曳さるひき(はなぶたいかすみのさるひき)』(うつぼざる)などがいまにのこされた。また明治めいじ以降いこうまつ羽目はめぶつ(まつばめもの)の形式けいしきかれた福地桜痴ふくちおうち(おうち)さく素襖すおう落(すおうおとし)』『二人ふたりはかま(ににんばかま)』、岡村おかむら柿紅しこう(しこう)さくがえ座禅ざぜん(みがわりざぜん)』『ぼう(ぼう)しばり』『ちゃつぼ』『悪太郎あくたろう』などが、現在げんざい歌舞伎かぶき舞踊ぶようのレパートリーとなっている。音曲おんぎょく方面ほうめんでも、近松ちかまつ門左衛門もんざえもん狂言きょうげん詞章ししょう浄瑠璃じょうるり(じょうるり)に活用かつようしたのをはじめ、長唄ながうた(ながうた)・地歌じうた(じうた)などにもほん狂言きょうげんのテーマやしょうまいうたい歌詞かしをとったきょくすくなくない。文学ぶんがく方面ほうめんでは、室町むろまち後期こうきまれた俳諧はいかい連歌れんが(はいかいれんが)しゅうである『いぬ筑波つくばしゅう(いぬつくばしゅう)』『独吟どくぎんせん』や、江戸えど時代じだいはいって俳句はいく川柳せんりゅう(せんりゅう)に狂言きょうげん文句もんくりたものが見当みあたる。そのほか、小咄こばなし(こばなし)や落語らくご狂言きょうげんしゅのものがおおいのは当然とうぜんであるが、十返舎一九じっぺんしゃいっく(じっぺんしゃいっく)の滑稽本こっけいぼん道中どうちゅう膝栗毛ひざくりげ(どうちゅうひざくりげ)』は狂言きょうげん趣向しゅこう利用りようした部分ぶぶんやく30かしょおよび、その影響えいきょう非常ひじょうつよい。

 そして、だい大戦たいせん狂言きょうげんがもっとも刺激しげきあたえたのは新劇しんげきである。狂言きょうげん簡潔かんけつ表現ひょうげんおよび狂言きょうげん的確てきかく演技えんぎ明晰めいせき(めいせき)な発声はっせい注目ちゅうもくされ、近年きんねんではおおくの新劇しんげき俳優はいゆう養成ようせいしょ狂言きょうげんカリキュラムんでいる。また1957ねん昭和しょうわ32)のパリ文化ぶんかさいへの能楽のうがく参加さんか以来いらい海外かいがいえんじのうには狂言きょうげんがかならず同行どうこうしているが、63ねん野村のむら万蔵まんぞうによるアメリカ公演こうえん以来いらいかくいえ単独たんどく公演こうえん世界せかい全域ぜんいきおよんでいる。さらに近年きんねんでは、講義こうぎあるいは演技えんぎ指導しどう、ワークショップなどによる海外かいがい普及ふきゅう活発かっぱつであり、まった欧米おうべい諸国しょこく演劇えんげきかいに、その影響えいきょう定着ていちゃくしつつある。

小林こばやし せめ

三宅みやけふじ九郎くろうちょ狂言きょうげんどころ』(1964・わんや書店しょてん)』小林こばやしせめちょ狂言きょうげんをたのしむ』(1976・平凡社へいぼんしゃ)』古川ふるかわひさ小林こばやしせめへん狂言きょうげん辞典じてん 事項じこうへん資料しりょうへん』(1976、1985・東京とうきょうどう出版しゅっぱん)』小林こばやしせめ監修かんしゅう油谷あぶらや光雄みつおへん狂言きょうげんハンドブック』(1995・三省堂さんせいどう)』『『能狂言のうきょうげん上中かみなか大蔵おおくらりゅう台本だいほん、1942~45・岩波いわなみ文庫ぶんこ)』『『日本にっぽん古典こてん全書ぜんしょ 狂言きょうげんしゅう上中かみなかさぎりゅう台本だいほん、1953~56・朝日新聞社あさひしんぶんしゃ)』『『狂言きょうげん集成しゅうせい』(和泉いずみりゅう台本だいほん、1974・能楽のうがく書林しょりん)』『『日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく大系たいけい42・43 狂言きょうげんしゅう上下じょうげ大蔵おおくらりゅう台本だいほん、1960、61・岩波書店いわなみしょてん)』『『日本にっぽん古典こてん文学ぶんがく全集ぜんしゅう35 狂言きょうげんしゅう』(大蔵おおくらりゅう台本だいほん、1972・小学館しょうがくかん)』


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改訂かいてい新版しんぱん 世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん狂言きょうげん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

狂言きょうげん (きょうげん)

南北なんぼくあさ時代じだい発生はっせいした中世ちゅうせいてき庶民しょみん喜劇きげきで,のう歌舞伎かぶき文楽ぶんらく人形浄瑠璃にんぎょうじょうるり)などとともに日本にっぽん代表だいひょうてき古典こてん芸能げいのうひとつ。とくのうとはふか関係かんけいをもつところから〈能狂言のうきょうげん〉ともばれる。のうおも古典こてんてき題材だいざいをとり幽玄ゆうげんだいいちとする歌舞かぶげきであるのにたいし,狂言きょうげん日常にちじょうてきなできごとをわらいをとおして表現ひょうげんするせりふげきという対照たいしょうをみせている。

狂言きょうげんという芸能げいのう成立せいりつ事情じじょうあきらかでない。しかしひとわらわせる滑稽こっけい演技えんぎ淵源えんげんは,とお古代こだいまでさかのぼることができるはずである。アメノウズメノミコトの岩戸いわとまいをはじめ,《古事記こじき》《日本書紀にほんしょき》の伝承でんしょうなかには喜劇きげきてき所作しょさともなうとおもわれるものがいくつかいだせる。だがそれがまとまったげいたいとしてしるされたれいとなると,平安へいあん中期ちゅうき藤原明衡ふじわらのあきひら(あきひら)さくつたえる《しん猿楽さるがく》までくだらねばならない。そこにはきょうまちえんじられた猿楽さるがくとして〈妙高みょうこうあま襁褓おしめ(むつき)い〉〈ひがしじんはつきょうのぼり〉といった滑稽こっけいわざと,それをえんじた役者やくしゃしるされている。ただこれらのげい多分たぶんにまだ即興そっきょうせいのこすものであったようで,これを後代こうだいしょ芸能げいのうとどこまでむすびつけてよいかは問題もんだいがある。しかしこうした〈猿楽さるがく〉,つまり即興そっきょうてき滑稽こっけい演技えんぎひとつのげきなかにとりれられ,洗練せんれんされ定着ていちゃくする過程かてい狂言きょうげんという喜劇きげき芸能げいのう形成けいせいされたということはいえそうである。とく狂言きょうげん成立せいりつした南北なんぼくあさ時代じだいに,社会しゃかい変革へんかくともなってくりひろげられた下剋上げこくじょうてき事象じしょう数々かずかずは,こうしたわらいの芸能げいのうおおくの題材だいざい提供ていきょうしたとおもわれる。伝統でんとうてき滑稽こっけいわざと,この時代じだい特有とくゆう世相せそう風刺ふうしわらいと,このふたつが接合せつごうしたところに,中世ちゅうせい庶民しょみん喜劇きげき狂言きょうげん誕生たんじょうをみたわけである。

このころ観阿弥かんあみ世阿弥ぜあみによるのう大成たいせいがあった。当時とうじ猿楽さるがくのう〉とばれていたことからもわかるように,のうももとは即興そっきょうてき滑稽こっけいわざから出発しゅっぱつしたものであるが,早々そうそうにその滑稽こっけいめんをふるいとし,歌舞かぶ要素ようそをとりあたらしい芸能げいのうとして大成たいせいした。こののう狂言きょうげんとは,いちはやく提携ていけいしたようである。もっともこの段階だんかいにおける狂言きょうげんは,一応いちおう成立せいりつをみたとはいうものの,のうのように内容ないよう定着ていちゃくしていたとはかんがえられないので,どのようなかたちのう提携ていけいしたのか具体ぐたいてき事情じじょうはよくわからない。ただ世阿弥ぜあみの《習道しょ》や《申楽さるがくだん》などから,(1)どういち舞台ぶたいにおけるのう狂言きょうげん交互こうご上演じょうえん。(2)のうにおけるアイ間狂言あいきょうげん)の存在そんざい。(3)能役者のうやくしゃえんずる《おう(おきな)》のなかで《三番叟さんばそう(さんばそう)》を狂言きょうげん役者やくしゃ担当たんとうすること--という現在げんざいにもつうじる両者りょうしゃ関係かんけいは,すくなくとも世阿弥ぜあみ周辺しゅうへんではすでに成立せいりつしていたことがられるのである。

 こうしてのうふかいかかわりをみせながらも,狂言きょうげん即興そっきょうせい流動りゅうどうせい中世ちゅうせい末期まっきごろまではなおつづいたようだ。室町むろまち時代じだい狂言きょうげんげいたいをしのばせる唯一ゆいいつ伝書でんしょ天正てんしょう狂言きょうげんほん》(1578ねん奥書おくがき)の《末広すえひろがり》をみると,〈大名だいみょうひとす。ゆくていかにもたか末広すえひろがりうてよとげんふ。さてのぼる。きてばはる〉といった簡単かんたん記述きじゅつで,16世紀せいきまつになっても,狂言きょうげんはだいたいのあらすじだけをめ,あとは即興そっきょうてきなせりふと所作しょさえんじられる程度ていど芸能げいのうであったことがわかる。しかしその反面はんめん狂言きょうげん内容ないようがともかくめられるようになったこと,またそこにしるされている100ばん狂言きょうげんやく8わりが,今日きょうえんじられるものとほぼどう内容ないようであることからみると,この《天正てんしょう狂言きょうげんほん》の時代じだいには狂言きょうげん流動りゅうどうがようやくわり,内容ないよう定着ていちゃくきざしをみせてきたことも同時どうじ推察すいさつされるのである。

江戸えど時代じだいはいると,狂言きょうげんのうとともに武家ぶけしきらくとなってまくはん体制たいせいまれる。のうのシテかた支配しはい確立かくりつし,狂言きょうげんかたはワキかた囃子方はやしかたとともにその服属ふくぞくはいった。しかしそれは同時どうじに,狂言きょうげんかた武士ぶしじゅんずる待遇たいぐうけ,演目えんもく定着ていちゃくし,役者やくしゃ技芸ぎげいみがくことに専念せんねんできるという体制たいせいでもあった。こうして狂言きょうげん古典こてん芸能げいのうとしてのみちあゆはじめたのである。古典こてん芸能げいのうとしての狂言きょうげんは,この時期じき整備せいびされる。大蔵おおくら(おおくら)りゅう本家ほんけわたるみぎ衛門えもん分家ぶんけ八右衛門はちえもん),さぎりゅう本家ほんけじんみぎ衛門えもん分家ぶんけ伝右でんね衛門えもん)の2りゅうがまず確立かくりつし,ついで,京都きょうと禁裏きんり御用ごようをつとめまたしゅうはん加賀かがはんのおかかえでもあった和泉いずみ(いずみ)りゅう宗家そうけ三宅みやけ野村のむらとう)が勢力せいりょくばし,ここに狂言きょうげんかい三流さんりゅう鼎立ていりつ時代じだいはいる。このほかに南都なんと禰宜ねぎ(なんとねぎ)りゅう脇本わきもと田中たなかひとし群小ぐんしょう流派りゅうは存在そんざいしたが,これらはしだいに前記ぜんきさんりゅう統合とうごうされたり,新興しんこう歌舞伎かぶき世界せかいくわわったりなどして消滅しょうめつしたようである。

 また,せりふがしだいに定着ていちゃくしてきたことや,流派りゅうは意識いしきつよまったことから,台本だいほんめもなされるようになった。大蔵おおくら虎明とらあき(おおくらとらあきら)が1642ねん寛永かんえい19)に書写しょしゃしたいわゆる《大蔵おおくら虎明とらあきほん》は,その最初さいしょ完備かんびした台本だいほんである。ほかに台本だいほんとしては正保しょうほうころ(1644-48)のものとおもわれる和泉いずみりゅう天理てんりほん狂言きょうげんろく(りくぎ)》,とおる初年しょねんかとされる《さぎ教本きょうほんとうがある。これ以降いこう狂言きょうげん詞章ししょうは,多少たしょう流動りゅうどうをみせつつしだいに洗練せんれんくわえられ,それにともなって整備せいびされた台本だいほんかく流儀りゅうぎごとに次々つぎつぎめられるようになった。このほかに一般いっぱん普及ふきゅうした台本だいほんとして,1660ねんまん3)から1730ねんとおる15)にわたって刊行かんこうされた《狂言きょうげん》《狂言きょうげんがい》《ぞく狂言きょうげん》《狂言きょうげん拾遺しゅうい》があり,かく50ばんけい200ばん狂言きょうげん詞章ししょうおさめる。はやほろんだ群小ぐんしょう流儀りゅうぎ台本だいほんによったものらしいが,正統せいとう流儀りゅうぎ台本だいほん公開こうかいされなかった当時とうじとしては,狂言きょうげん内容ないよう唯一ゆいいつものとして歓迎かんげいされ幕末ばくまつまでさいさんはんかさねた。

明治維新めいじいしんむか武家ぶけ階級かいきゅう没落ぼつらくするとともに,狂言きょうげんかいおおきな変動へんどう余儀よぎなくされた。それまで士分しぶんとして俸禄をけていたのが一時いちじ収入しゅうにゅうみちたれたわけで,このあたらしい事態じたい対応たいおうできないものおおく,三流さんりゅう家元いえもと家業かぎょうはいし,次々つぎつぎ絶家ぜっけするという状態じょうたいとなった。しかし大蔵おおくらりゅうでは,東京とうきょう山本東やまもとひがしろう関西かんさい茂山しげやま(しげやま)千五郎せんごろう茂山しげやま忠三郎ちゅうざぶろうといった有力ゆうりょく弟子でしによってげいみつる維持いじされ,また和泉いずみりゅうも,京都きょうとから三宅みやけ庄市しょういち金沢かなざわから野村のむら与作よさくらが上京じょうきょうして東京とうきょうにおける和泉いずみりゅう発展はってんちからくした。現在げんざいではりょうりゅう家元いえもと再興さいこうされ,大蔵おおくらりゅうでは前記ぜんき諸家しょか茂山しげやま忠三郎ちゅうざぶろうからかれたぜんちく(ぜんちく)しゅとして東京とうきょう関西かんさいで,和泉いずみりゅうでは野村のむら万蔵まんぞう三宅みやけふじ九郎くろう野村のむらまた三郎さぶろう名古屋なごや狂言きょうげん共同きょうどうしゃ人々ひとびとしゅとして東京とうきょう名古屋なごやでそれぞれ活躍かつやくしている。たださぎりゅうだけは,明治めいじ時代じだい中央ちゅうおうほろんだのち再興さいこうされず,現在げんざい山口やまぐち佐賀さがけん地方ちほう新潟にいがたけん佐渡さどにわずかにそのげいつたえられるにすぎない。

 現行げんこう大蔵おおくら和泉いずみ2りゅう芸風げいふうちがいは,東京とうきょう大蔵おおくらりゅう格調かくちょうおもんじた演技えんぎであるのにたいし,和泉いずみりゅうはそれに洒脱しゃだつあじくわわり,名古屋なごや和泉いずみりゅう関西かんさい大蔵おおくらりゅう西にしうつるにつれてそれがいっそうくだけた芸風げいふうとなる。このように狂言きょうげん芸風げいふうは,流儀りゅうぎちがいよりも,その在住ざいじゅうする土地とちがら,また役者やくしゃ個性こせいによるところがおおきい。

現在げんざい上演じょうえんされる狂言きょうげん曲目きょくもく大蔵おおくらりゅうやく200ばん和泉いずみりゅうやく250ばんである。そのだい部分ぶぶん重複じゅうふくするが,流儀りゅうぎによって台本だいほん多少たしょう相違そういもあり,流儀りゅうぎ独自どくじきょくもある。その作者さくしゃについては南北なんぼくあさ時代じだい学僧がくそうげんめぐみ(げんえ)法印ほういんらをげる伝承でんしょうがあるが,もとよりこれは信用しんようできない。一部いちぶ知識ちしきそう関与かんよがあったにせよ,だい部分ぶぶん代々だいだい狂言きょうげんによって制作せいさくされたとみてよいであろう。狂言きょうげん分類ぶんるい方法ほうほうはいくつかあるが,ここでは大蔵おおくらりゅう分類ぶんるいにより代表だいひょうきょくひょうしめす。

狂言きょうげんわらいの芸能げいのうとされているが,それはたんなる滑稽こっけい終始しゅうしするのではなく,そのわらいにもいくつかの種類しゅるいふくまれている。いまそれを,〈祝言しゅうげんわらい〉〈風刺ふうしわらい〉〈たんなる滑稽こっけい〉の3てんけてべておく。

わらもん(かど)にはぶくる〉ということわざもあるように,古来こらいわらいには寿ことぶきはじめそうつうじる性格せいかくがあった。わらいの芸能げいのうである狂言きょうげんにおいても,そのなかふくまれる祝言しゅうげん寿ことぶきしゅくげきとしてのめんわすれてはならない。わき狂言きょうげんという祝言しゅうげん主題しゅだいとした一類いちるいがあることもそのあらわれである。大黒天だいこくてん恵比寿えびす(えびす)が出現しゅつげんして参詣さんけいじんぶくさづけるとか(《えびす大黒だいこく》ほか),諸国しょこく百姓ひゃくしょう年貢ねんぐ上納じょうのうえがくとか(《筑紫つくしおく》ほか),果報者かほうもの登場とうじょうするとかのめでたい主題しゅだい(《末広すえひろがり》ほか),めでたい内容ないよう狂言きょうげんがこれにぞくする。わき狂言きょうげん以外いがいきょくでも,なにかといえば〈天下てんかおさまりめでたい御代みよ(みよ)でござれば〉とか〈なかようてがよう出来できて,このようなめでたいことはござらぬ〉といったせりふを挿入そうにゅうしてその祝福しゅくふくしようとしている。ほかにげきちゅうえんじられる歌舞かぶ囃子物はやしものかたとうにもめでたい内容ないようのものはおおい。このように祝言しゅうげんせいは,しばしばわき狂言きょうげん以外いがい狂言きょうげんという芸能げいのう全体ぜんたいおよんでいるのである。これは狂言きょうげんながいあいだしきらくとしてえんじられてきたことと関係かんけいがあろうが,しきらくせい消滅しょうめつした現在げんざいでも,狂言きょうげんわらいの芸能げいのうである以上いじょう,この祝言しゅうげんげきとしての側面そくめん無視むしできないのである。

狂言きょうげん成立せいりつする背景はいけいに,南北なんぼくあさから室町むろまち時代じだいにかけてもりあげがった下剋上げこくじょう風潮ふうちょうがあったことをおもえば,そのなか世相せそう風刺ふうしわらいがふくまれるのは当然とうぜんであろう。《日記にっきおうなが31ねん(1424)3がつ11にちには《公家くげじん疲労ひろう困窮こんきゅう)ノこと》という狂言きょうげんえんじられた記事きじがあるし,《天正てんしょう狂言きょうげんほん》のなかの《近衛このえ殿どのさるじょう》という狂言きょうげんでは年貢ねんぐ減免げんめんについてうったえる農民のうみん登場とうじょうしている。ただこれらの狂言きょうげん後世こうせい伝承でんしょうされなかったことからもわかるように,現在げんざい狂言きょうげんからはそうした世相せそう密着みっちゃくした風刺ふうしはほとんどかげをひそめ,わって人間にんげんだれしもがもっている弱点じゃくてんをユーモラスに指摘してきするかたち風刺ふうし主流しゅりゅうとなっている。つまり狂言きょうげん登場とうじょうする人物じんぶつは,かならずしも中世ちゅうせい大名だいみょう僧侶そうりょかんがえる必要ひつようはないのである。そこにあらわれた大名だいみょうとおして,いつの時代じだいにもいそうな尊大そんだいぶる人物じんぶつ風刺ふうしされているのであり,僧侶そうりょとおしては無学むがくなくせに知識ちしきをひけらかしたがるひと心理しんりわらわれているとみるべきであろう。また舞台ぶたいじょう太郎たろう冠者かんじゃ言動げんどうながら,観客かんきゃくは,横着おうちゃくでもあれば反面はんめん小心しょうしんでもあり,狡猾こうかつでありながらそれでいて実直じっちょくでもあるという,太郎たろう冠者かんじゃならぬ自分じぶん自身じしんしん矛盾むじゅんかんじとることもできるはずである。このように狂言きょうげん風刺ふうしは,かつての中世ちゅうせいにだけ通用つうようする風刺ふうしから脱皮だっぴして,より普遍ふへんてきな〈人間にんげん喜劇きげき〉ともいうべき性格せいかくのものに成長せいちょうしているのである。

たんなる滑稽こっけいというめんからみても,狂言きょうげん流動りゅうどう過程かていおおきな変化へんかをみせている。狂言きょうげん当代とうだいげきであった時代じだいわらいは,風刺ふうし場合ばあい同様どうよう,とかく場当ばあたりをねらった低俗ていぞくなものに終始しゅうししたとおもわれる。《天正てんしょう狂言きょうげんほん》の記述きじゅつをみても,そこには粗野そやでしばしば卑猥ひわいながれるわらいが充満じゅうまんしていたことがうかがえる。それがしだいにふるいとされて,現在げんざい狂言きょうげんにみられるようなあかるいからりとしたわらいに統一とういつされていったのである。また,せりふ,所作しょさかたり,歌舞かぶとうによるわらいがたくみにわされ,祝言しゅうげん風刺ふうし滑稽こっけいせい総合そうごうされた高度こうどわらいもまれてきた。世阿弥ぜあみはその《習道しょ》のなかで〈みのなかにたのしみをふくむ〉ことをもって狂言きょうげん理想りそうとしているが,現在げんざい狂言きょうげんにおいて,このさかいたっした舞台ぶたいにしばしばせっすることができる。祝言しゅうげん風刺ふうし超越ちょうえつした〈和楽わらくわらい〉,そこに狂言きょうげん滑稽こっけいひとつの達成たっせいをみることができよう。

狂言きょうげんのうかいにおいて,のう交互こうご上演じょうえんされるのが本来ほんらいかたちであるが,最近さいきんのうばんすう関係かんけいなく,狂言きょうげん一番いちばんしか挿入そうにゅうしない形式けいしきがむしろ通例つうれいとなりつつある。そのかわ狂言きょうげんだけを上演じょうえんするかいのう舞台ぶたい以外いがい劇場げきじょう学校がっこう講堂こうどうのような場所ばしょえている。もともと登場とうじょう人物じんぶつすくなく装置そうち小道具こどうぐもほとんど必要ひつようとしない狂言きょうげんは,どんな舞台ぶたいでも手軽てがるえんじられるというつよみがある。そのうえ狂言きょうげんのせりふは,現代げんだい母胎ぼたいである中世ちゅうせい口語こうご基調きちょうとしているし,扮装ふんそう様式ようしきはされているが当時とうじ姿すがたをかなり忠実ちゅうじつうつしているので,その舞台ぶたいはいわば〈うご室町むろまち庶民しょみん風俗ふうぞく絵巻えまき〉のかんがあり,狂言きょうげん古典こてん芸能げいのうとはいいながら,現代げんだいだれからもしたしまれる条件じょうけんそなえているといえる。一番いちばん狂言きょうげん登場とうじょうする人物じんぶつは,ほとんどが2~4にんなかには多人数たにんずうぶつもあるが,それも主要しゅよう人物じんぶつはやはり2,3にんで,それ以外いがいものだてしゅ(たちしゆう)とばれて一団いちだんとなって行動こうどうする。主役しゅやくをシテ,それ以外いがいをアドとぶが,和泉いずみりゅうではしゅアド以外いがいとくしょう(こ)アドとんでいる。上演じょうえん時間じかんだい部分ぶぶんは20~40ふんで,1あいだおよぶものは《たけあく》《つりきつね》《花子はなこ(はなご)》とうすうきょくにすぎない。

 のうちがってめん使用しようはごくかぎられており,神仏しんぶつおに動物どうぶつ醜女しこめ(しこめ)とうふんするときにもちいられる程度ていどだが,《清水しみず》や《六地蔵ろくじぞう》のように,めんおに仏像ぶつぞうになりすますときの小道具こどうぐとして使つかれいもある。舞台ぶたい装置そうち小道具こどうぐすくないが,そのかわおうぎひとつでさかずき銚子ちょうしぴつ開閉かいへいとうあらわすし,かずらおけ(かずらおけ)が腰掛こしかけ酒樽さかだるかきとうになるなど多様たよう用法ようほうをみせる。またさけをつぐときは〈ドブドブドブドブ〉,茶碗ちゃわんるときは〈グ(ワ)ラリン,チーン〉,くらひらくときは〈グヮラ,グヮラ,グヮラグヮラグ(ワ)ラグヮラ〉,いえめるときは〈サラサラサラ,パッタリ〉,といった擬音ぎおんを,演者えんじゃ自身じしん擬声語ぎせいご表現ひょうげんするのも,狂言きょうげん独特どくとく素朴そぼくでユーモラスな表現ひょうげん手法しゅほうである。

 狂言きょうげんはせりふを主体しゅたいとした演劇えんげきであるが,適当てきとう歌舞かぶ囃子物はやしものもちいる。それによって酒宴しゅえん雰囲気ふんいきをもりげたり,一番いちばん狂言きょうげんをめでたくとりなしてめたりする(わる)のである。ほかに《花子はなこ》や《御茶おちゃみず》のような恋愛れんあい主題しゅだいとしたきょくで,のろけばなしこいのささやきのを,小歌こうた吟唱ぎんしょう掛合かけあい表現ひょうげんするれいもある。愛情あいじょう表現ひょうげん露骨ろこつになるのをけるためで,そこに喜劇きげきでありながら低俗ていぞくさぬようにという配慮はいりょがうかがえるのである。

 狂言きょうげんおおくは〈これはこのあたりにまいいたすものでござる〉という自己じこ紹介しょうかい名乗なのりではじまり,〈やるまいぞ,やるまいぞ〉の追込おいこみでわる。もちろん名乗なのりの形式けいしきはほかにもあるし,かたにも追込おいこ以外いがいに,囃子はやしめ,わらめ,しかめなどいくつかのかたがある。しかしこうしたかた分類ぶんるいできるほどに狂言きょうげんという演劇えんげき構成こうせい類型るいけいてきである。これはいちきょく構成こうせいだけでなく,部分ぶぶんてき趣向しゅこう表現ひょうげん様式ようしきにもおよんでいる。また登場とうじょう人物じんぶつ大名だいみょう太郎たろう冠者かんじゃむこ夫婦ふうふおに山伏やまぶし僧侶そうりょ座頭ざがしらといった15,6種類しゅるいのものに統制とうせいしているところにも,この類型るいけい傾向けいこうがうかがえよう。ただこの類型るいけいせいがそのまま画一かくいつせいになってはならない。たとえば大名だいみょうのせりふをそっくり太郎たろう冠者かんじゃがくりかえ場面ばめんがあるが,おなじせりふをいうなかに,大名だいみょう太郎たろう冠者かんじゃくらいがおのずとなくてはならぬのである。

 これらの類型るいけいは,狂言きょうげん近世きんせいにおいて整備せいびされる過程かていおおくなされたものであるが,その方向ほうこうは〈誇張こちょう〉と〈省略しょうりゃく〉という狂言きょうげん演技えんぎ大手おおてほうふかくからみっている。誇張こちょう省略しょうりゃくとは一見いっけん相反あいはんする表現ひょうげん方法ほうほうのようであるが,もの特徴とくちょうてき部分ぶぶん誇張こちょうし,無駄むだ部分ぶぶん省略しょうりゃくするということは,どちらも表現ひょうげんすべき事象じしょう本質ほんしつ重点的じゅうてんてきかびさせる効果こうかてき手段しゅだんである。狂言きょうげん類型るいけいはこの誇張こちょう省略しょうりゃく手法しゅほうおおきく助長じょちょうしたが,同時どうじにこのふたつの手法しゅほう狂言きょうげん類型るいけい大胆だいたんすすめもした。そのことによって狂言きょうげんは,人間にんげん普遍ふへんてきでかつ本質ほんしつてき性格せいかく行動こうどうを,力強ちからづよ鮮明せんめい表現ひょうげんできるようになり,またそれが狂言きょうげん独自どくじのユーモアの表出ひょうしゅつにもつながっている。狂言きょうげん近世きんせい以降いこう古典こてん芸能げいのう過程かてい洗練せんれんされ整備せいびされたために,一見いっけん成立せいりつ活力かつりょく減退げんたいしたかにみえる。しかし子細しさいにみると,やはりこうした表現ひょうげん手法しゅほうなかに,中世ちゅうせい庶民しょみん特徴とくちょうである現実げんじつ立脚りっきゃくしたたくましい生命せいめいりょくは,十分じゅうぶんけつがれていることがわかるのである。

狂言きょうげん日本にっぽん最初さいしょ成立せいりつしたせりふげきであり,ほかにれいすくないわらいの文学ぶんがくでもあるので,分野ぶんやあたえた影響えいきょうおおきい。近世きんせい初頭しょとう歌舞伎かぶき成立せいりつにおいては,狂言きょうげん歌舞伎かぶき世界せかいとうじ,しょうまい(こまい)の指導しどうをしたり,役者やくしゃとして舞台ぶたいったりしたものすくなくない。歌舞伎かぶき芝居しばいして〈狂言きょうげん〉とぶことは現在げんざいでもおこなわれているが,その淵源えんげんはすでにこの時期じきはっしている。元禄げんろく前後ぜんこうにおいても,歌舞伎かぶき演目えんもくなかにはあきらかに狂言きょうげんからたとおもわれるものがたくさんあるし,舞踊ぶようにもふる初代しょだい中村なかむら勘三郎かんざぶろうしょえんじの《らんきょく三番叟さんばそう》,近世きんせい後期こうきまでくだると《寿ことぶき靱猿(ことぶきうつぼざる)》《朝比奈あさひなひとしきつね》など狂言きょうげん材料ざいりょうとしたものが数々かずかずあらわれた。歌舞伎かぶき以外いがいでも井原いはら西鶴さいかく近松ちかまつ門左衛門もんざえもん作品さくひん川柳せんりゅう小咄こばなしにも影響えいきょうあたえているが,ことに十返舎一九じっぺんしゃいっくの《東海道とうかいどうちゅう膝栗毛ひざくりげ》(1802),それにつづく《ぞく膝栗毛ひざくりげ》には,狂言きょうげんどんぶり礑(どぶかつちり)》《附子ふし(ぶす)》《ぼくぬり(すみぬり)》とう趣向しゅこうがとりれられ,効果こうかてきわらいをもりげている。明治めいじ以降いこうも,歌舞伎かぶき舞踊ぶようとして《素襖すおう落》《がえ座禅ざぜん(みがわりざぜん)》(《花子はなこ》の舞踊ぶよう),《ぼうしばり》《ちゃつぼ》といったきょくつくられ,まつ羽目はめぶつ(まつばめもの)とばれて今日きょうでも人気にんききょくとしてよく上演じょうえんされる。また成瀬無極なるせむきょくの《文学ぶんがくあらわれたるわらい研究けんきゅう》(1917)のように,比較ひかく文学ぶんがく研究けんきゅう材料ざいりょうとして狂言きょうげんがとりげられるようにもなった。しかし狂言きょうげんが,のう従属じゅうぞくしたものでなく独立どくりつした演劇えんげきとしてしんにその価値かち認識にんしきされたのは,だい2大戦たいせんのことである。狂言きょうげんはこの時期じきいたって,類例るいれいのない簡潔かんけつ構成こうせい手法しゅほう,おおらかであかるい内容ないよう狂言きょうげん役者やくしゃ的確てきかく力強ちからづよ演技えんぎりょくとうみとめられ,1950年代ねんだいには〈狂言きょうげんブーム〉という言葉ことばさえまれた。これは同時どうじ狂言きょうげん演技えんぎ様式ようしきかしたしん演劇えんげき運動うんどうをもみちびき,飯沢いいざわただしさく新作しんさく狂言きょうげんすすがわ》の上演じょうえん岩田いわた豊雄とみおさくひがしひがし》,木下きのした順二じゅんじさく彦市ひこいちばなし》の狂言きょうげん様式ようしきによる上演じょうえんおなじく木下きのした順二じゅんじさく夕鶴ゆうづる》ののう様式ようしきによる上演じょうえん狂言きょうげん参加さんかするなど,新作しんさく狂言きょうげんしん様式ようしき狂言きょうげん制作せいさくとなってあらわれた。その狂言きょうげん海外かいがい公演こうえん外国がいこく演劇えんげきとの交流こうりゅうもさかんになり,狂言きょうげんかいにもあたらしい気運きうんこりつつある。リアリズム方式ほうしきまった新劇しんげき世界せかいでも,狂言きょうげんたいする関心かんしん今後こんごもなおふかまりそうである。
狂言きょうげんめん →のう →のう装束しょうぞく
執筆しっぴつしゃ

だい2大戦たいせん狂言きょうげんがはじめて海外かいがいえんぜられたのは,1957ねんのうとともにパリのサラ・ベルナールでの公演こうえんであった。そのころ,のうをとりまく有識者ゆうしきしゃおおくは,狂言きょうげんはせりふげきであるから,外国がいこくじんには理解りかいしにくいであろうとかんがえていた。しかし,この公演こうえん野村のむらよろずすすむ野村のむら万作まんさく野村のむらまたさんろうえんじた《ぼうばく》《ふくろう山伏やまぶし》はパリの観客かんきゃく,ことに天井てんじょう桟敷さじき若者わかものたちから熱狂ねっきょうてき拍手はくしゅをうけた。また1963ねんには,野村のむら万蔵まんぞう万作まんさくらがアメリカ,ワシントン大学だいがく客員きゃくいんとしてまねかれ,狂言きょうげん実技じつぎ指導しどう各地かくち公演こうえんおこなったが,アメリカじん観客かんきゃくは,ときに言葉ことばがわかるのではないかとおもうほど,するど率直そっちょく反応はんのうしめした。これらの欧米おうべいでの狂言きょうげん紹介しょうかい公演こうえん反響はんきょう現地げんち新聞しんぶん紙上しじょうにも報道ほうどうされ,日本人にっぽんじんなかにも狂言きょうげんわらいはユニバーサルなものであり,演出えんしゅつ演技えんぎ普遍ふへんせいをもつというかんがかた定着ていちゃくしたようである。1965ねん西にしベルリンの芸術げいじゅつさいで《ふり盗人ぬすっと》をえんじた野村のむら万蔵まんぞうは,ローレンス・オリビエとならぶこの芸術げいじゅつさいだい名優めいゆうであると絶賛ぜっさんをうけた。しかし,狂言きょうげん一般いっぱんたいしての批評ひひょうなかに,うごきはおもしろいが,こえはサイレンのようできにくいとかれたものもあり,こえがすばらしいという批評ひひょうおおかったアメリカとはちがい,うた伝統でんとうのあるくにだという印象いんしょうつよい。その欧米おうべいをはじめ,インド,南米なんべい中国ちゅうごくなどで,のうとともに公演こうえんし,あるいは狂言きょうげん独自どくじかたち公演こうえんおこなわれてきた。実技じつぎ指導しどうめんでは,狂言きょうげん様式ようしきてき演技えんぎにつけ,これを基本きほんにして,英語えいごによる狂言きょうげんや,童話どうわげき,ギリシアげきなどをえんずるグループがアメリカでまれているように,狂言きょうげん実技じつぎまな俳優はいゆう学生がくせいおおい。日本にっぽん英語えいご狂言きょうげんのグループをつくっているアメリカじんもいる。

 せんもん演劇えんげきじん狂言きょうげん評価ひょうかれいとしては,レニングラード(げん,サンクト・ペテルブルグ)のボリショイ・ドラマ劇場げきじょう演出えんしゅつ,G.A.トフストノーゴフが,野村のむら万蔵まんぞうの《ぼうばく》をて,〈スタニスラフスキー・システムの最高さいこう体現たいげんである〉とひょうしている。のうとはちがめんでの狂言きょうげん写実しゃじつせい指摘してきされており,のうて,〈ぬほど退屈たいくつだ〉とったフランスの芸術げいじゅつ彫刻ちょうこくO.ザッキン,映画えいが監督かんとくJ.デュビビエら)のかた対照たいしょうてきでおもしろい。様式ようしきからはいって写実しゃじついたる,狂言きょうげん演技えんぎ究極きゅうきょくが,リアリズム演技えんぎ基本きほんてきシステムと合致がっちするのである。
執筆しっぴつしゃ


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百科ひゃっか事典じてんマイペディア狂言きょうげん」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

狂言きょうげん【きょうげん】

日本にっぽん伝統でんとう演劇えんげきひとつ。能狂言のうきょうげんふるくは狂言きょうげんのう,をかし(俳)とも。猿楽さるがくげいけい歌舞かぶてき要素ようそのうとなり,滑稽こっけい(こっけい)な要素ようそ狂言きょうげん分化ぶんかしたといわれるがはっきりしない。南北なんぼくあさ室町むろまち時代じだいからのう狂言きょうげんおな舞台ぶたい交互こうご上演じょうえんされ,またのうなか一役ひとやくアイ)として参加さんかしてきた。最古さいこのせりふげきで,音楽おんがくげきであるのうとは対照たいしょうてきであるが,うたいまい囃子はやし(はやし)も活用かつようされる。装束しょうぞく簡素かんそ明快めいかい演技えんぎのうくら写実しゃじつてきだが,様式ようしきせいつよく,かまえ,うんなどの基礎きそのう共通きょうつう装置そうちもちいず仕方しかたはなし要素ようそつよい。内容ないようてきには言語げんご遊戯ゆうぎ矛盾むじゅん風刺ふうし誇張こちょう中心ちゅうしんとする喜劇きげきで,はじめは即興そっきょうげきだったが,江戸えど初期しょきには台本だいほん固定こていされ,せりふには室町むろまち末期まっき口語こうごのこす。作者さくしゃとして南北なんぼくあさげんめぐみ法師ほうしらをすが明確めいかくではない。登場とうじょう人物じんぶつ当時とうじ風俗ふうぞくつたえる太郎たろう冠者かんじゃ物売ものうり,ばくちなどの庶民しょみんおおく,さらに閻魔えんま(えんま)大王だいおうせいうしうまにまでおよぶ。現行げんこう曲目きょくもくやく250ばん。2〜3にん上演じょうえんできるものが大半たいはんで,上演じょうえん時間じかんは30ふん内外ないがい江戸えど時代じだいには能楽のうがく幕府ばくふ保護ほごけ,幕府ばくふ直属ちょくぞく大蔵おおくらりゅうさぎ(さぎ)りゅう明治めいじ時代じだいほろびる)と,しゅうはん和泉いずみりゅうの3流派りゅうはさかえたが,明治めいじには衰微すいびした。だい大戦たいせん日本にっぽん演劇えんげき源流げんりゅうとしての狂言きょうげん評価ひょうかたかまっている。
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狂言きょうげん(歌舞伎かぶき)【きょうげん】

歌舞伎かぶき浄瑠璃じょうるり脚本きゃくほんまたは芝居しばいそのもののこと。ひろ意味いみ演劇えんげきあらわ狂言きょうげんかたり歌舞伎かぶき用語ようごになったもので,狂言きょうげん時代じだい狂言きょうげん世話狂言せわきょうげん仇討あだうち(あだうち)狂言きょうげんなど脚本きゃくほん分類ぶんるいあらわ言葉ことばから,脚本きゃくほん作家さっか意味いみ狂言きょうげん作者さくしゃ舞台ぶたい監督かんとく意味いみする狂言きょうげんかたなどと使つかわれている。
関連かんれん項目こうもく東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらく

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狂言きょうげん
きょうげん

日本にっぽん古典こてん芸能げいのうしゅとして対話たいわ所作しょさによるげきであるが,多分たぶんうたまいかたりなどの要素ようそをもふくみ,そのえんじるところの中心ちゅうしん滑稽こっけいにある。その性質せいしつは,言語げんご遊戯ゆうぎてきなもの,人情にんじょう機微きびをうがつようなもの,風刺ふうしてきなものなどさまざまであるが,がいして無邪気むじゃきわらいを中心ちゅうしんとする。かつては歌舞伎かぶき狂言きょうげんなどにたいし,能狂言のうきょうげんともしょうした。室町むろまち時代じだい観阿弥かんあみ世阿弥ぜあみによって猿楽さるがくのう大成たいせいされたころから,のうのうとのあいだえんじられるようになった。当時とうじ即興そっきょうせいつよく,台本だいほん固定こていしていなかったため,具体ぐたいてき内容ないようしょう室町むろまち時代じだい末期まっきから江戸えど時代じだい初期しょきにかけて固定こていされ,のう江戸えど幕府ばくふしきたのしとなるにともない,狂言きょうげん固定こていし,当時とうじ言語げんご風俗ふうぞくのままに伝承でんしょうされるようになった。流派りゅうはまれたのは中世ちゅうせいまつからで,まず大蔵おおくらりゅうさぎりゅう対立たいりつし,和泉いずみりゅうくわわった。さぎりゅう大正たいしょう廃絶はいぜつ狂言きょうげん台本だいほんやくさんひゃくあまりのこっているが,わき狂言きょうげん大名だいみょう狂言きょうげん小名しょうみょう狂言きょうげんむこ(むこ)・おんな狂言きょうげんおに山伏やまぶし狂言きょうげん出家しゅっけ座頭ざがしら狂言きょうげん,そのけられる。なお,独立どくりつしたもののほかに,のう 1きょくのなかでえんじられるものがあり,これを間狂言あいきょうげんという。1957ねんこく重要じゅうよう無形むけい文化財ぶんかざい指定してい。2008ねんのうとともに世界せかい無形むけい遺産いさん登録とうろくされた。

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知恵ちえぞう狂言きょうげん」の解説かいせつ

狂言きょうげん

日本にっぽん最古さいこの、げき喜劇きげきだけで1ジャンルを形成けいせいしている演劇えんげき世界せかいでもめずらしい。滑稽こっけいなものまねげい洗練せんれんされ、室町むろまち時代じだいいまげいたい定着ていちゃくした。時代じだい風潮ふうちょうである下克上げこくじょう背景はいけいに、口語体こうごたい権力けんりょく世相せそう風刺ふうしした中世ちゅうせい庶民しょみん芸能げいのう最古さいこ台本だいほんに「天正てんしょう狂言きょうげんほん」がある。おな古典こてん芸能げいのうながら、めんをつけた幽玄ゆうげん得意とくいとする歌舞かぶげきのうとは対照たいしょうてきだが、源流げんりゅうおなじであり、能楽堂のうがくどう共演きょうえんされる。近年きんねん狂言きょうげんだけのかい様々さまざま場所ばしょ劇場げきじょう上演じょうえんされている。おおくは「このあたりにまいいたすものでござる」と自己じこ紹介しょうかいはじまり、「やるまいぞ」のみでわる。主人公しゅじんこうをシテ、脇役わきやくをアドという。登場とうじょう人物じんぶつにより7種類しゅるい大別たいべつできる。「ふくかみ」など祝言しゅうげんもののわき、「入間川いりまがわ」などの大名だいみょう、「とめどう方角ほうがく」など太郎たろう冠者かんじゃ反抗はんこうする小名しょうみょう、「八幡前はちまんまえ」などのむこおんな(むこおんな)、「節分せつぶん」などの鬼山おにやまふく、「宗論しゅうろん」などの出家しゅっけ座頭ざがしら、それにおもきょくの「花子はなこ(はなご)」「つりきつね(つりぎつね)」「たぬき腹鼓はらつづみ(たぬきのはらつづみ)」などがはいしゅう(あつめ)狂言きょうげんの7種類しゅるい流儀りゅうぎ江戸えど時代じだい大蔵おおくらさぎ(さぎ)、和泉いずみの3りゅう整備せいびされたが、明治めいじ時代じだいになり大名だいみょう庇護ひごけられなくなると、さぎりゅうはわずかに地方ちほうつたえられる程度ていどになった。現行げんこうきょく大蔵おおくら和泉いずみで260きょく以上いじょう。「花子はなこ」を素材そざいにした「がえ座禅ざぜん」などが歌舞伎かぶき舞踊ぶようなどに影響えいきょうあたえている。

(山本やまもと健一けんいち 演劇えんげき評論ひょうろん / 2007ねん)

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん狂言きょうげん」の解説かいせつ

狂言きょうげん
きょうげん

南北なんぼくあさにうまれ,室町むろまち江戸えど時代じだい大成たいせいする中世ちゅうせい代表だいひょうする喜劇きげきのう歌舞伎かぶき文楽ぶんらくなどとともに日本にっぽん代表だいひょうてき古典こてん舞台ぶたい芸能げいのうひとつ。のうとのかかわりがふかく,能狂言のうきょうげん並称へいしょう対照たいしょうされる。のう古典こてん題材だいざい幽玄ゆうげん究極きゅうきょくにおく歌舞かぶ芸能げいのうであるのにたいし,狂言きょうげん日常にちじょう卑俗ひぞく庶民しょみんてき世界せかい対象たいしょうにするせりふげきである。おおらかなわらいや世相せそう社会しゃかい風刺ふうししたものもおおく,当時とうじわらいの世界せかい象徴しょうちょうする。近世きんせい武家ぶけしきらくとなって保護ほごされ,大蔵おおくらりゅうさぎ(さぎ)りゅう和泉いずみりゅうの3にわかれた。室町むろまち時代じだいげいたいは「天正てんしょう狂言きょうげんほん」にわずかにうかがえ,近世きんせい初期しょきには「大蔵おおくら虎明とらあき(とらあきら)ほん」などの台本だいほんかれた。現行げんこうひゃくすうじゅうばんある。

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旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん事典じてん さんていばん狂言きょうげん」の解説かいせつ

狂言きょうげん
きょうげん

室町むろまち時代じだい以来いらい能楽のうがく幕間まくあいえんじられるかる滑稽こっけいげき
歌舞伎かぶき狂言きょうげん区別くべつして能狂言のうきょうげんという。能狂言のうきょうげん猿楽さるがくからかれたものであり,狂言きょうげんはその滑稽こっけいあじ本体ほんたいとなって成立せいりつしたといわれる。題材だいざい日常にちじょう生活せいかつにとり,庶民しょみん大名だいみょう姿すがたわらいと風刺ふうしのうちにえがく。とく強者きょうしゃ権力けんりょくしゃたいする風刺ふうしせい中世ちゅうせい下剋上げこくじょうてき性格せいかく反映はんえいしている。

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日本にっぽん文化ぶんかいろは事典じてん狂言きょうげん」の解説かいせつ

狂言きょうげん

日本にっぽん芸能げいのういち種目しゅもく猿楽さるがく滑稽こっけい部分ぶぶん劇化げきかした最古さいこ喜劇きげきです。のうあわせておこなわれますが、のうとはことなり、ものまねの要素ようそふくんだ写実しゃじつてきなセリフげきです。

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普及ふきゅうばん どおり狂言きょうげん」のみ・字形じけい画数かくすう意味いみ

狂言きょうげん】きようげん

妄語もうご

どおりきょう」の項目こうもく

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち狂言きょうげん言及げんきゅう

芸能げいのう】より

…しかし室町むろまち時代じだいはいり,猿楽さるがく幽玄ゆうげんむねとする一大いちだい楽劇がくげき昇華しょうかさせた世阿弥ぜあみらの出現しゅつげんにより人気にんきうばわれ,地方ちほう寺社じしゃ祭礼さいれい芸能げいのうとして命脈めいみゃくをとどめるのみとなった。猿楽さるがくは,そののう狂言きょうげんしゅ並存へいそんさせながら幕府ばくふしきらくとしてのみちをあゆむ。 そのあいだしょ寺院じいんでは僧侶そうりょたちによるのべねん(えんねん)の芸能げいのうおこなわれ,民間みんかんでは白拍子しらびょうし(しらびようし),きょくまい(くせまい),さいわいわかまい(こうわかまい)などの遊行ゆぎょう芸能げいのうしゃによる歌舞かぶや,極楽往生ごくらくおうじょうねが民衆みんしゅう念仏ねんぶつとなえつつ群舞ぐんぶする踊念仏おどりねんぶつ,さらにはわか男女だんじょ華麗かれい衣装いしょう小道具こどうぐ誇示こじしておど風流ふうりゅうおどり(ふりゆうおどり)(風流ふうりゅう)などが流行りゅうこうした。…

猿楽さるがく】より

平安へいあん末期まっき藤原明衡ふじわらのあきひら(あきひら)の《くもしゅう消息しょうそく》や《しん猿楽さるがく》にもおな事情じじょうをものがたる記載きさいがある。《しん猿楽さるがく》には,〈のろい(しゆし)〉〈侏儒しゅじゅまい(ひきうどまい)〉〈田楽でんがく(でんがく)〉〈傀儡かいらい(くぐつ)〉などをもふくみ,猿楽さるがくしょざつげい総称そうしょうででもあったらしいことがられるとともに,その記載きさい題目だいもくから,ものまねげい主軸しゅじくとしてわらいをさそるいげい,のちの〈狂言きょうげん〉の源流げんりゅうとなる性格せいかくのものを,多分たぶんふくんでいたことがられる。平安へいあん末期まっき猿楽さるがくは,いわばものまね系統けいとうげいと,せりふげき系統けいとうげいおもとするものであったが,鎌倉かまくらにはいると,のべねん風流ふうりゅう(ふりゆう),れんごと(つらね),とう(とう)べん(とうべん),あるいは《式三番しきさんば》(《おう》)に付属ふぞくする狂言きょうげん風流ふうりゅうなどから類推るいすいして,歌舞かぶげき系統けいとうげい進出しんしゅつしたらしくおもわれ,それらは,総合そうごうてき発達はったつしていったようである。…

日本にっぽん音楽おんがく】より

…この猿楽さるがくのうは,田楽でんがくのう衰亡すいぼうにより,のちにはたんのうといえば猿楽さるがくのうすようになった。そして,前期ぜんき包含ほうがんしていた滑稽こっけい(こつけい)な要素ようそ狂言きょうげん継承けいしょうし,のう厳粛げんしゅくさや悲劇ひげきてき要素ようそおもとするようになった。この猿楽さるがくのうきょくまい(くせまい),さいわいわかまい(こうわかまい)などもこのさかんにおこなわれた(いまでは北九州きたきゅうしゅう一部いちぶやその郷土きょうど芸能げいのうとしてのこっている)。…

のう】より

以下いか猿楽さるがくのうについてだけべる。猿楽さるがくのう屋根やねのある専用せんよう舞台ぶたいをもち,めん(おもて)をもちい,脚本きゃくほん音楽おんがく演技えんぎ独自どくじ様式ようしきそなえ,猿楽さるがく狂言きょうげん(通常つうじょうたん狂言きょうげんしょうする)と併演する芸能げいのうである。
歴史れきし
 上古じょうこ大陸たいりくから輸入ゆにゅうされた散楽さるがく(さんがく)は,曲技きょくぎ歌舞かぶものまねなど雑多ざった内容ないようふくむものだったらしいが,平安へいあん時代じだいわらいの芸能げいのう中心ちゅうしんうつり,発音はつおんも〈さるがく〉とわり,文字もじ猿楽さるがく申楽さるがくなどとかれるようになった。…

発声はっせい】より

…しかし,実際じっさいには,たとえばのうなどにおいては,せりふ部分ぶぶんでさえも,歌唱かしょう部分ぶぶん発声はっせいほう相違そういすくなく,しかも普通ふつうはなごえとは,まるでことなる発声はっせいほうによっている。のう狂言きょうげんなどのよくひびおおきなこえは,ベル・カントとは共鳴きょうめいさせる身体しんたい部分ぶぶんちがいはあっても,目的もくてき方法ほうほうには類似るいじせいがあり,しかも,それが歌声うたごえとしてではなく,演劇えんげきてきなせりふとしておこなわれているてん特色とくしょくがある。このことは,歌舞伎かぶき狂言きょうげんにも踏襲とうしゅうされ,こうした伝統でんとうてき演劇えんげきにおいては,マイクロホンなどを使用しようしなくても,おおきな劇場げきじょうで,観客かんきゃくにそのせりふを理解りかいさせうることができる。…

民俗みんぞく芸能げいのう】より

長年ながねん全国ぜんこく踏査とうさしておおくの研究けんきゅう成果せいかをあげた本田ほんだ安次やすじ(1906‐ )は,これを整理せいりしてつぎのような種目しゅもく分類ぶんるいおこなった。 (1)神楽かぐら (a)巫女ふじょ(みこ)神楽かぐら,(b)出雲いずもりゅう神楽かぐら,(c)伊勢いせりゅう神楽かぐら,(d)獅子しし神楽かぐら(山伏やまぶし神楽かぐらばんたのし(ばんがく),太神楽だいかぐら(だいかぐら)),(2)田楽でんがく (a)しゅく田遊たあそび(田植たうえおどり),(b)田植たうえ神事しんじ(まい田楽でんがくおど),(3)風流ふうりゅう(ふりゆう) (a)念仏ねんぶつおどり(踊念仏おどりねんぶつ),(b)ぼんおどり,(c)太鼓たいこおどり,(d)羯鼓かっこ(かつこ)獅子ししまい,(e)小歌こうたおどり,(f)あやおどり,(g)つくりもの風流ふうりゅう,(h)仮装かそう風流ふうりゅう,(i)風流ふうりゅう,(4)祝福しゅくふくげい (a)来訪らいほうしん,(b)千秋万歳せんしゅうばんぜい(せんずまんざい),(c)かたもの(さいわいわかまい(こうわかまい)・題目だいもくりつ(だいもくたて)),(5)外来がいらいみゃく (a)伎楽ぎがく獅子舞ししまい,(b)舞楽ぶがく,(c)のべねん,(d)じゅう菩薩ぼさつ来迎らいごうかい,(e)鬼舞きぶふつまい,(f)散楽さるがく(さんがく)(猿楽さるがく),(g)のう狂言きょうげん,(h)人形にんぎょう芝居しばい,(i)歌舞伎かぶき(《図録ずろく日本にっぽん芸能げいのう所収しょしゅう)。 以上いじょう日本にっぽん民俗みんぞく芸能げいのう網羅もうら通観つうかんしての適切てきせつ分類ぶんるいだが,ここではこれを基本きほんまえながら,多少たしょう整理せいりくわえつつ歴史れきしてき解説かいせつおこなってみる。…

※「狂言きょうげん」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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