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紀長谷雄(キノハセオ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

きの長谷ながたにつよしみ)キノハセオ

デジタル大辞泉だいじせんきの長谷ながたにつよし」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

き‐の‐はせお〔‐はせを〕【きの長谷ながたにつよし

[845~912]平安へいあん前期ぜんき漢学かんがくしゃ通称つうしょうきの納言なごん文章ぶんしょう博士はかせ大学だいがくあたま菅原すがわら道真みちざねまなび、藤原ふじわらひらたらと「延喜えんぎかく」の編纂へんさんへんさんにあたった。かん詩文しぶんしゅうきの家集かしゅう」がある。

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き‐の‐はせお【きの長谷ながたにつよし

  1. 平安へいあん前期ぜんき漢学かんがくしゃ中納言ちゅうなごん大蔵おおくら善行よしゆき菅原すがわら道真みちざねまなんで、文章ぶんしょう博士はかせ、のち醍醐天皇だいごてんのう顧問こもんとなり、「延喜えんぎかく(えんぎきゃく)」の編纂へんさんくわわる。詩文しぶんざいめいたかく、和歌わかにもすぐれた。著作ちょさくに「きの家集かしゅう」がある。詩文しぶんは「扶桑ふそうしゅう」「本朝ほんちょうぶんいき」などにえる。納言なごんうけたまわいち延喜えんぎいちねんはちよんきゅういち

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きの長谷ながたにつよし (きのはせお)
なま没年ぼつねん:845-912(ひとし寿ことぶき1-延喜えんぎ12)

平安へいあん前期ぜんき詩人しじん文章ぶんしょう博士はかせ納言なごんまたはともぶ。唐名とうみょうはつあきらよしもちよしもち)は長子ちょうし。はじめ大蔵おおくら善行ぜんこうもんはいり,のち菅原すがわら道真みちざねもんまなぶ。対策たいさく及第きゅうだい文章ぶんしょう博士はかせ大学だいがくあたまとなり,《漢書かんしょ》《文選ぶんせんとう進講しんこうみぎだいべんにんじ《ぐんしょよう》を進講しんこうから副使ふくしにんぜられたが,遣唐使けんとうし廃止はいしのため派遣はけん停止ていし道真みちざね左遷させん参議さんぎ中納言ちゅうなごんすすみ,《延喜えんぎかく》の編集へんしゅうにもかかわり,912ねん68さいぼっした。延喜えんぎ以後いご島田しまだ忠臣ただおみ小野おのよしざい(よしき),道真みちざねあいついで死去しきょしたのちの詩壇しだん権威けんいとしてみとめられつつも,その人柄ひとがら律儀りちぎ慎重しんちょう才気さいきをつつんで無事ぶじ生涯しょうがいおくった。かれ散文さんぶんは《扶桑ふそうしゅう》《本朝ほんちょうぶんいき》《朝野ちょうやぐん》などに散見さんけんするが,まとまった家集かしゅうとしては《きの家集かしゅうまきじゅうよんの1かんのみが宮内庁くないちょう残存ざんそんするほか,《長谷ながたにつよしきょうしゅう》2じょう,《きの家集かしゅう》3かんなどそんしたがいまつてわらない。そのは〈もとしろもと稹(げんじん)・白楽はくらくたかし)の再生さいせい〉とも道真みちざね推賞すいしょうされているが,《本朝ほんちょうぶんいき所収しょしゅうえつ調ちょう山家やまやあきはちしゅ〉などにられるように,大陸たいりくしん文学ぶんがく形式けいしき敏感びんかん反応はんのうした試作しさく注目ちゅうもくすべきである。散文さんぶんではおおじょうえおもてぶんひとしにおける伝統でんとうてきよんろく文体ぶんたい美文びぶんとともに,《雲林院うじい子日ねのひ行幸ぎょうこう》など一連いちれんるいにおける日本にっぽんしたかん文体ぶんたい開拓かいたくたした役割やくわりのがせない。
執筆しっぴつしゃ

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)きの長谷ながたにつよし」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

きの長谷ながたにつよし
きのはせお
(845―912)

平安へいあん前期ぜんき漢学かんがくしゃ漢詩かんしじん。15さい大学だいがく入学にゅうがくみやこりょう(みやこのよしか)に師事しじした。876ねんさだかん18)に文章ぶんしょうせい(もんじょうしょう)にされ、翌年よくねんなが不遇ふぐうであったりょうもんはな菅原すがわら道真みちざね(すがわらのみちざね)の私塾しじゅく入門にゅうもん。883ねんもとけい7)文章ぶんしょう得業とくぎょうせい(とくごうしょう)ためし対策たいさく及第きゅうだい文章ぶんしょう博士はかせ(はかせ)、式部しきぶしょう輔(しきぶのしょう)などの儒職歴任れきにんし、894ねん寛平かんぺい6)には道真みちざね大使たいし)とともにから副使ふくしにんじられた。のち参議さんぎて911ねん延喜えんぎ11)中納言ちゅうなごんしたがえさん(ちゅうなごんじゅさんみ)となり、きの納言なごんとよばれた。9世紀せいき後半こうはん以来いらい顕在けんざいする学者がくしゃ文人ぶんじんあいだ対立たいりつこうそうのなかで、孤立こりつする詩人しじんにくみし、その総帥そうすいであった道真みちざねたか詩才しさいみとめられ、またそのもっともよき理解りかいしゃでもあった。『しろばしおう(はくちょおう)』『白石しらいし先生せんせいでん』のような神仙しんせん隠逸いんいつてき傾向けいこうつよ著作ちょさく特色とくしょくをみせる一方いっぽう、さまざまな様式ようしき作詩さくし意欲いよくてきこころみるなど、その文学ぶんがくてき活動かつどう多彩たさいであった。詩文しぶんしゅうきの家集かしゅう』のうつし断簡だんかんのこそんするほか100へんちか詩文しぶんつたえる。のち、怪異かいい説話せつわ主人公しゅじんこうとされ、絵巻えまき長谷ながたにつよしきょう草紙ぞうし』のほか、『こうだんしょう(ごうだんしょう)』『今昔こんじゃく(こんじゃく)物語ものがたりしゅう』などにおおくの説話せつわつたえられる。

渡辺わたなべ秀夫ひでお

川口かわぐち久雄ひさおちょ『3てい 平安へいあんちょう日本にっぽんかん文学ぶんがく研究けんきゅう うえ』(1975・明治めいじ書院しょいん)』

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ちょうにち日本にっぽん歴史れきし人物じんぶつ事典じてんきの長谷ながたにつよし」の解説かいせつ

きの長谷ながたにつよし

没年ぼつねん延喜えんぎ12.2.10(912.3.1)
生年せいねんうけたまわ12(845)
平安へいあん前期ぜんき学者がくしゃ,詩人しじんしたがえ三位中納言弾正忠貞範の祖父そふ典薬てんやくあたま国守こくしゅ良吏りょうりられたこんもりおとうとちち大和やまとこく長谷寺はせでら(桜井さくらい)に祈願きがんしてまれたので長谷ながたにつよしづけたといい,きのひろし俗称ぞくしょう納言なごん,とも。唐名とうみょうはつあきら(ちょう)。図書としょあたま,文章ぶんしょう博士はかせなどを寛平かんぺい6(894)ねんから副使ふくし(大使たいし菅原すがわら道真みちざね)ににんじられたが,道真みちざね建言けんげん遣唐使けんとうし廃止はいしされ入唐にっとうすることなくわった。宇多天皇うだてんのう信任しんにんて「大器たいき」とひょうされ,天皇てんのう譲位じょういさい,新帝しんてい醍醐だいご昇進しょうしんうながしている(『寛平かんぺい遺誡いかい』)。大蔵おおくら善行ぜんこう,いで菅原すがわら道真みちざね師事しじしてわかいころから詩才しさいみとめられ,道真みちざねぼつ三善みよし清行きよゆきなら評価ひょうかたが,学閥がくばつ対立たいりつからか,清行きよゆきから「無才むさい博士はかせ」とののしられたというはなし有名ゆうめい。『長谷ながたにつよし草紙ぞうし』など長谷ながたにつよしにまつわる怪異かいいたんおおく,かれ自身じしん古老ころうはなしをまとめて『怪異かいい実録じつろく』(散佚さんいつ)をあらわしている。詩集ししゅうきの文集ぶんしゅう』は没後ぼつご中国ちゅうごく流布るふしたといい,『本朝ほんちょうぶんいき』『日本にっぽん』などに詩文しぶんのこる。道真みちざね晩年ばんねん,配所はいしょでの作品さくひんをまとめ長谷ながたにつよしたくしたのが『菅家すがやしゅう』。

(瀧浪たきなみ貞子さだこ)

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ブリタニカ国際こくさいだい百科ひゃっか事典じてん しょう項目こうもく事典じてんきの長谷ながたにつよし」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

きの長谷ながたにつよし
きのはせお

[せい]うけたまわ12(845).京都きょうと
[ぼつ]延喜えんぎ12(912).2.10. 京都きょうと
平安へいあん時代じだい前期ぜんき漢学かんがくしゃさだはんひろし唐名とうみょうはつあきら。そのは,ちち長谷寺はせでら祈願きがんしてうまれたのにちなむという。さだかん 18 (876) ねん文章ぶんしょうせい文章ぶんしょう博士はかせ大学だいがくあたまひだりだいべんなどをて,延喜えんぎ2 (902) ねん参議さんぎどう 10ねんけん中納言ちゅうなごん翌年よくねん中納言ちゅうなごん。そのため納言なごんばれた。みやこりょう弟子でしとなり,のち菅原すがわら道真みちざねもんはいる。詩文しぶんながじ,醍醐天皇だいごてんのう詔勅しょうちょくおおかれ起草きそうという。道真みちざね大使たいしとする最後さいご遣唐使けんとうし (中止ちゅうし) には副使ふくしされた。漢詩かんし文集ぶんしゅうに『きの家集かしゅう』 (断簡だんかんのみ現存げんそん) があり,その詩文しぶんとう流布るふした。三善みよし清行きよゆき無才むさい博士はかせといわれたがあらそわなかったという。鎌倉かまくら時代じだい絵巻えまき長谷ながたにつよしきょう草紙ぞうし』は長谷ながたにつよしにまつわる怪異かいい説話せつわひとつ。『古今ここんしゅう真名まなじょしるしたきの叔望 (よしもち) はその

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百科ひゃっか事典じてんマイペディアきの長谷ながたにつよし」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

きの長谷ながたにつよし【きのはせお】

平安へいあん前期ぜんき漢詩かんしじん文章ぶんしょう博士はかせ納言なごんとも。菅原すがわら道真みちざね知遇ちぐう文名ぶんめいたかかった。延喜えんぎかく編纂へんさん(へんさん)にくわわり,詔勅しょうちょく外交がいこう文書ぶんしょとう起草きそうたった。文集ぶんしゅうきの家集かしゅう》は断簡だんかんのこすだけだが,《本朝ほんちょうぶんいき》その詩文しぶんがみえる。和歌わかすくないが,906ねんの《日本にっぽん竟宴和歌わか》にんでいる。
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きの長谷ながたにつよし
きのはせお

845~912.2.10

平安へいあんまえ中期ちゅうき公卿くぎょう文人ぶんじんさだはん(さだのり)のひろし納言なごんしょうされる。はつあきら図書としょあたま文章ぶんしょう博士はかせ(もんじょうはかせ)・大学だいがくあたまなどをへて,902ねん(延喜えんぎ2)参議さんぎ,911ねん中納言ちゅうなごんすすんだ。最高さいこうしたがえさん醍醐天皇だいごてんのう侍読じどく(じとう)。みやこりょう(みやこのよしか)や菅原すがわら道真みちざね師事しじし,「菅家すがやしゅう(かんけこうしゅう)」の編纂へんさんにたずさわったほか,詩文しぶんしゅうに「きの家集かしゅう(きかしゅう)」がある。和歌わかも「こう撰集せんしゅう」にいれしゅう。「長谷ながたにつよしきょう草紙ぞうし」「こうだんしょう(ごうだんしょう)」「今昔こんじゃく物語ものがたりしゅう」にかれにかかわる説話せつわがみえる。

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デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plusきの長谷ながたにつよし」の解説かいせつ

きの長谷ながたにつよし きの-はせお

845-912 平安へいあん時代じだい前期ぜんき-中期ちゅうき漢学かんがくしゃ,公卿くぎょう(くぎょう)。
うけたまわ(じょうわ)12ねん2がつまれ。きのさだはん菅原すがわら道真みちざね師事しじ延喜えんぎ(えんぎ)10ねんしたがえさん,翌年よくねん中納言ちゅうなごん延喜えんぎかく(きゃく)の編修へんしゅうにくわわり,また当時とうじ詔勅しょうちょく,公文書こうぶんしょのおおくを起草きそうした。詩文しぶんは「日本にっぽん」「本朝ほんちょうぶんいき」などにみられる。延喜えんぎ12ねん2がつ10日とおか死去しきょ。68さい(あざな)はひろし通称つうしょう納言なごん唐名とうみょうはつあきら詩集ししゅうに「(きか)しゅう」など。

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旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん事典じてん さんていばんきの長谷ながたにつよし」の解説かいせつ

きの長谷ながたにつよし
きのはせお

845〜912
平安へいあん前期ぜんき漢学かんがくしゃ
さだはん詩文しぶんにすぐれ,図書としょあたま文章ぶんしょう博士はかせ大学だいがくあたま歴任れきにん,のちけん中納言ちゅうなごんまですすんだ。宇多うた醍醐だいごりょう天皇てんのう信任しんにんされ藤原ふじわらたいらと『延喜えんぎ格式かくしき』を編纂へんさんから副使ふくしにも任命にんめいされた。漢詩かんし文集ぶんしゅうに『きの家集かしゅう』。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうちきの長谷ながたにつよし言及げんきゅう

本朝ほんちょうぶんいき】より

けんあきじゅんられる藤原ふじわら専制せんせいにおける批判ひはんは,和歌わか日本語にほんご散文さんぶん世界せかいよりも漢文かんぶんがく世界せかいあらわれるのは注目ちゅうもくすべきところである。きの長谷ながたにつよし(きのはせお)《ひんおんなぎん》は深窓しんそうやしなわれた美女びじょもいまやいてまずしい独居どっきょ生活せいかつ描写びょうしゃし,大江朝綱おおえのあさつな(あさつな)《男女だんじょ婚姻こんいん》はポルノグラフィックなおどけぶんとしてともに異色いしょくさくまきみことのり勅書ちょくしょ勅答ちょくとう位記いきみことのりかん太政官だじょうかん意見いけんふうごとなど公文書こうぶんしょるい実用じつようてき文例ぶんれいおさめる。…

※「きの長谷ながたにつよし」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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