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絵巻(エマキ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

絵巻えまきみ)エマキ

デジタル大辞泉だいじせん絵巻えまき」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

え‐まき〔ヱ‐〕【絵巻えまき

経典きょうてん絵解えとき、社寺しゃじ縁起えんぎ高僧こうそう伝記でんき説話せつわつく物語ものがたりなどをえがき、変化へんかする画面がめん鑑賞かんしょうする巻物まきもの。ふつう、画面がめん説明せつめいする詞書ことばがきことばがき交互こうごえる。奈良なら時代じだいはじまり、平安へいあん鎌倉かまくら盛行せいこう室町むろまちにはおとろえた。「信貴山しぎさんしぎさん縁起えんぎ絵巻えまき」「源氏物語げんじものがたり絵巻えまき」「鳥獣ちょうじゅう戯画ぎが」など。絵巻物えまきもの

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え‐まきヱ‥絵巻えまき

  1. 名詞めいしえまきもの(絵巻物えまきもの」のりゃく
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「まきごときも、みな仏教ぶっきょうにもとづき」(出典しゅってん随筆ずいひつ好古こうこしょうろく(1795)書画しょが)

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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)絵巻えまき」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

絵巻えまき
えまき

日本にっぽん独自どくじ美術びじゅつ様式ようしきひとつで、絵巻物えまきものともいう。詞書ことばがき(ことばがき)(文章ぶんしょう)とによって、日本にっぽん上代じょうだいから中世ちゅうせいにかけて流布るふした物語ものがたり説話せつわ伝記でんき社寺しゃじ縁起えんぎ(えんぎ)などを展開てんかいするもので、巻物まきもの仕立したてられて保存ほぞん鑑賞かんしょうされた。日本にっぽんいち形式けいしきとして現代げんだいいたるまでおこなわれているが、ここでは10世紀せいき平安へいあん時代じだい)から16世紀せいき室町むろまち時代じだい)にかけて制作せいさくされ、おおむね大和絵やまとえ(やまとえ)の画風がふうえがかれた、いわゆる大和絵やまとえ絵巻えまき中心ちゅうしんべる。

奥平おくだいら英雄ひでお

内容ないよう

絵巻物えまきもの内容ないようのうえからみると、宗教しゅうきょう関係かんけい内容ないようをもつ宗教しゅうきょうてき絵巻えまきと、しゅとして鑑賞かんしょうてき内容ないようをもつ鑑賞かんしょうてき絵巻えまきふたつにけられる。

 宗教しゅうきょうてき絵巻えまきには、以下いかのようなものがある。

(1)仏教ぶっきょう経典きょうてんなどを絵解えときした経典きょうてんるい―『華厳けごん(けごん)じゅうしょ絵巻えまき』『じゅう因縁いんねん(いんねん)絵巻えまき』『地獄じごく草紙ぞうし』『餓鬼がき草紙ぞうし』など。

(2)仏寺ぶつじ神社じんじゃ創建そうけん由来ゆらいや、その本尊ほんぞんである神仏しんぶつ霊験れいけんなどをえがいた縁起えんぎるい―『信貴山しぎさん(しぎさん)縁起えんぎ』『粉河寺こかわでら(こかわでら)縁起えんぎ』『當麻とうま曼荼羅まんだら(たいままんだら)縁起えんぎ』『石山寺いしやまでら縁起えんぎ』『清水寺きよみずでら縁起えんぎ』『北野きたの天神てんじん縁起えんぎ』『松崎まつざき天神てんじん縁起えんぎ』『春日しゅんじつ権現ごんげん(かすがごんげん)霊験れいけん』など。

(3)宗教しゅうきょう関係かんけいある人物じんぶつ伝記でんきまたは逸話いつわえがいた伝記でんきるい―『華厳宗けごんしゅう祖師そしでん』『東征とうせいでん』『法然ほうねん上人しょうにん(ほうねんしょうにん)でん』『親鸞しんらん(しんらん)上人しょうにんでん』『慕帰絵詞えことば(ぼきえことば)』『いちへん(いっぺん)上人しょうにんでん』『聖徳太子しょうとくたいしでん』『西行さいぎょう物語ものがたり絵巻えまき』など。

 これにたい鑑賞かんしょうてき絵巻えまきには、以下いかのようなものがある。

(1)平安へいあん時代じだい浪漫ろうまん(ろうまん)主義しゅぎ文学ぶんがく、またはその系統けいとう鎌倉かまくら時代じだい擬古ぎこ文学ぶんがく題材だいざいをとった物語ものがたり日記にっきるい―『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』『さとし(ねざめ)物語ものがたり絵巻えまき』『紫式部むらさきしきぶ日記にっき絵巻えまき』『枕草子まくらのそうし(まくらのそうし)絵巻えまき』『こまきおい行幸ぎょうこう(こまくらべぎょうこう)絵巻えまき』『伊勢いせ(いせ)物語ものがたり絵巻えまき』『小野おの雪見ゆきみ御幸みゆき(おののゆきみごこう)絵巻えまき』など。

(2)かい事件じけん、あるいは滑稽こっけい(こっけい)なはなしだんなどを題材だいざいとした説話せつわるい―『ばん大納言だいなごん(ばんだいなごん)絵詞えことば』『吉備きび大臣だいじん入唐にっとう(きびだいじんにっとう)絵巻えまき』『絵師えし草紙ぞうし』『長谷ながたにつよしきょう(はせおきょう)草紙そうし』『掃墨はいずみ(はいすみ)草紙そうし』など。

(3)室町むろまち時代じだい中心ちゅうしんとする御伽おとぎ(おとぎ)草子そうしや、またこれにるいする説話せつわ題材だいざいとする御伽草子おとぎぞうしるい―『福富ふくとみ草紙ぞうし』『じゅうるい絵巻えまき』『てんやや彦(あめのわかひこ)草紙そうし』『ねずみ(ねずみ)草紙そうし』『あし絵巻えまき』『たわら藤太とうた(たわらとうた)絵巻えまき』『化物ばけもの(ばけもの)草子そうし』など。

(4)歴史れきしじょう著名ちょめい合戦かっせん主題しゅだいとした戦記せんきるい―『平治へいじ(へいじ)物語ものがたり絵巻えまき』『ぜんきゅうねん合戦かっせん絵巻えまき』『さんねん合戦かっせん絵詞えことば(えことば)』『こうむ(もうこ)襲来しゅうらい絵詞えことば』『結城ゆうき(ゆうき)合戦かっせん絵詞えことば』など。

(5)和歌わか背景はいけいとする人物じんぶつ風景ふうけいえがならべた和歌わかるい―『さんじゅう六歌仙ろっかせん絵巻えまき』『伊勢いせしん名所めいしょ歌合うたあわせ(うたあわせ)絵巻えまき』『東北とうほくいん職人しょくにん歌合うたあわせ絵巻えまき』『さんじゅうばん職人しょくにん歌合うたあわせ絵巻えまき』など。

(6)歴史れきしてき意味いみをもつ肖像しょうぞうとか行事ぎょうじなどをえがいた記録きろくるい―『天皇てんのう摂関せっかん(せっかん)大臣だいじんかげ(えい)』『公家くげれつかげ(くげれつえい)まき』『ちゅう殿御とのごかい(ぎょかい)まき』『年中ねんじゅう行事ぎょうじ絵巻えまき』『随身ずいじんにわ絵巻えまき』『駿しゅんうし(しゅんぎゅう)絵詞えことば』『うま草紙ぞうし』など。

 なおこのほかに、以上いじょうのどのるいにもはいらないものに『鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎが』などがある。

 以上いじょうのように、絵巻物えまきもの題材だいざいてきにみると、いろいろな種類しゅるいかれるが、これを概観がいかんすると、大半たいはん物語ものがたりてき、もしくは説話せつわてき内容ないようをもっているということがいえる。そしてその背景はいけいがいして人間にんげん中心ちゅうしんで、人間にんげん生活せいかつ人世じんせい哀歓あいかんおおきくげられている。この意味いみ絵巻えまきは、多分たぶん説話せつわてき要素ようそ風俗ふうぞくてき要素ようそとをそなえているといえる。

奥平おくだいら英雄ひでお

形式けいしき

絵巻えまきは、すうまいあるいはすうじゅうまいかみ(まれにきぬ)をよこわせてつくられており、たてはばはだいたい30センチメートルから39センチメートルくらいまでのものがもっともおおい。そしてよこながさも普通ふつう9メートルから12メートルのものがもっともおおい。そして巻数かんすうとしては1かん、2かん、あるいは3かんでまとまったものがもっともおおく、なかにはじゅうかんほんじゅうかんほん、そしてよんじゅうはちかんほんという大部たいぶのものもある。

 一般いっぱん絵巻物えまきものというと、その語感ごかんから、だけをえがいた巻物まきものというふうにとられがちであるが、絵巻物えまきものはほとんどすべて(ことば)とがかかれている(『鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎが』のようにがなくだけをえがいたものは特例とくれいである)。そのかきかたにはいろいろなかたちがあるが、普通ふつうのほうをさきき、つぎにこれに対応たいおうするえがく、そしてこのかたちかえしながら叙述じょじゅつすすめていくという形式けいしきがもっともおおおこなわれている。このとの交互こうご配列はいれつ形式けいしきは、日本にっぽん絵巻物えまきもの標準ひょうじゅん形式けいしきとなっている。

 絵巻えまき巻物まきもの仕立したてとなっているから、本来ほんらい机上きじょうき、左手ひだりてひら右手みぎてきながら、みぎからひだりへとすこしずつうつしてていくのが原則げんそくである。このように画面がめんをじかに自分じぶんうごかしながら、時間じかんをかけてていくのが絵巻物えまきもの鑑賞かんしょう基本きほん条件じょうけんであって、こうすることによって、画面がめん時間じかんてき空間くうかんてき展開てんかいしょうずる。これが、屏風びょうぶ(びょうぶえ)、ふすま(ふすまえ)、掛軸かけじく(かけじくえ)などとことなる絵巻物えまきもの特徴とくちょうである。

 絵巻えまき叙述じょじゅつは、前述ぜんじゅつのようにとをかえすことによっておこなわれるが、構図こうずほうとしては段落だんらくしきのものと連続れんぞくしきのものとがある。段落だんらくしき構図こうずは、画面がめん挿絵さしえふうみじかった構図こうず源氏物語げんじものがたり絵巻えまき)をいい、いち場面ばめんいち場面ばめん情趣じょうしゅしずかに鑑賞かんしょうするのにてきしている。これにたい連続れんぞくしき構図こうずは、いくつもの情景じょうけい次々つぎつぎえがつづけ、なが画面がめん構成こうせいした構図こうず信貴山しぎさん縁起えんぎ)をいい、時間じかんてき発展はってんする事件じけんえがくのにてきしている。絵巻物えまきもの形式けいしき妙味みょうみは、むしろこの連続れんぞくしき構図こうずによって発揮はっきされる場合ばあいおおい。

 絵巻えまき構図こうずには俯瞰ふかん(ふかん)描写びょうしゃこころみたものがおおく、これは、絵巻えまき画面がめんはばせまいことから、おおくの人物じんぶつ物象ぶっしょう自然しぜんれ、さらに人物じんぶつうごきを豊富ほうふうつすための必要ひつようじょうこころみられたものとかんがえられる。そして建物たてもの屋根やね天井てんじょうはぶいて、室内しつない模様もよう俯瞰ふかんてきえがいた「吹抜ふきぬき屋台やたい(ふきぬきやたい)」というような大胆だいたんほう発明はつめいされている。また主要しゅよう人物じんぶつ描写びょうしゃ重点じゅうてんき、そのために周囲しゅうい背景はいけいとの比例ひれい遠近えんきん法則ほうそくやぶって、主要しゅよう人物じんぶつをとくにおおきくえがいている場合ばあいがしばしばある。

奥平おくだいら英雄ひでお

画風がふう

一般いっぱん絵巻物えまきもの大和絵やまとえ画風がふうえがかれている。大和絵やまとえ平安へいあん中期ちゅうきに、それまで影響えいきょうけてきた大陸たいりく、とくに中国ちゅうごくずい(ずい)・とう画風がふうからだっして、日本にっぽん風俗ふうぞく自然しぜんなどを表現ひょうげんするのにふさわしい画風がふうとしてされたもので、絵巻物えまきもののような日本にっぽんてき題材だいざい中心ちゅうしんとしているものとはってもれない関係かんけいにある。そこで絵巻物えまきもの題材だいざい多様たようとなり、内容ないよう豊富ほうふになるにつれて、それを表現ひょうげんする大和絵やまとえ様式ようしき多彩たさいとなり、技巧ぎこう複雑ふくざつになっている。そうした様式ようしき代表だいひょうてきなもののひとつは、『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』にみられる「つく」である。これは画面がめん全部ぜんぶ色彩しきさいでうずめ、ほそせん輪郭りんかくえがこした一種いっしゅ装飾そうしょく画風がふうのもので、人物じんぶつ顔面がんめんは「引目ひきめかぎはな(ひきめかぎはな)」の写実しゃじつてき表情ひょうじょうえがかれている。その優雅ゆうが色彩しきさいしずかな顔面がんめん描写びょうしゃなどは、情趣じょうしゅてき画面がめん効果こうかをよく発揮はっきしている。『さとし物語ものがたり絵巻えまき』『紫式部むらさきしきぶ日記にっき絵巻えまき』などの物語ものがたり系統けいとう作品さくひんは、おおむねこの系列けいれつぞくする。

 これと対照たいしょうてき様式ようしきになるのが『信貴山しぎさん縁起えんぎ』で、これはいろ淡彩たんさいにとどめ、線描せんびょう重点じゅうてんき、こえやせ(ひそう)のある描線を駆使くししてせんのもつ運動うんどうせい強調きょうちょうしている。『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』が静的せいてき情趣じょうしゅてきであるのにたいして、これは動的どうてき劇的げきてきであり、『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』が叙情じょじょうてきであるのにたいし、これは叙事じょじてきである。この『信貴山しぎさん縁起えんぎ』の系統けいとうぞくするものに『粉河寺こかわでら縁起えんぎ』『地獄じごく草紙ぞうし』『餓鬼がき草紙ぞうし』『やまい草紙ぞうし(やまいのそうし)』などがある。

 以上いじょうの『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』や『信貴山しぎさん縁起えんぎ』などのように、色彩しきさいと描線のどちらかに重点じゅうてんくのではなく、そのどちらにも重点じゅうてんいてえがいている作品さくひん非常ひじょうおおく、むしろそういった折衷せっちゅうてき画風がふうえがかれたものが、のちになるほどおおくつくられている。それらのなかで『ばん大納言だいなごん絵詞えことば』や『平治へいじ物語ものがたり絵巻えまき』などは、とくにすぐれた作品さくひんである。

 つぎに、ただすみ一色いっしょくの描線をおもにしてえがいた、いわゆる「白描はくびょう(はくびょう)」の代表だいひょうてきなものに『鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎが』と『枕草子まくらのそうし絵巻えまき』がある。しかしおなじく白描はくびょうといっても、それぞれちがった特徴とくちょう効果こうかをもっており、『鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎが』はこえやせのある軽快けいかい流暢りゅうちょう(りゅうちょう)な描線で鳥獣ちょうじゅう動態どうたいきとえがいている。これにたいし『枕草子まくらのそうし絵巻えまき』は、きわめて細緻さいち(さいち)な輪郭りんかくせんと、濃淡のうたんたびことにする墨色すみいろめんとによって構成こうせいされ、黒白くろしろ諧調かいちょう(かいちょう)によってゆうつや(ゆうえん)な情趣じょうしゅてき世界せかい展開てんかいしている。

 絵巻えまき以上いじょうのごとくいろいろな様式ようしきえがかれているが、そうじて柔和にゅうわ温雅おんが画趣がしゅ特色とくしょくといえる。この大和絵やまとえ画風がふうえがかれた絵巻えまきたいして、大和絵やまとえ以外いがい画風がふう(たとえばかんなど)による巻物まきものまき(がかん)あるいはまきとよんで区別くべつされ、絵巻えまきとはよばない。それゆえ絵巻えまきのことを厳格げんかく大和絵やまとえ絵巻えまきとよぶひともある。

奥平おくだいら英雄ひでお

筆者ひっしゃ

絵巻物えまきものにはその筆者ひっしゃ名前なまえ明記めいきしたものはきわめてすくないが、文献ぶんけん遺品いひんなどによってられるじんは、天皇てんのう皇族こうぞく公家くげ(くげ)、廷臣ていしん学僧がくそう絵師えし仏師ぶっしなどのかく階層かいそうにわたっている。現存げんそん作品さくひんられる『ばん大納言だいなごん絵詞えことば』の筆者ひっしゃ常盤光長ときわのみつなが(ときわみつなが)、『春日かすが権現ごんげん霊験れいけん』の高階たかしな隆兼たかかね(たかしなたかかね)、『清水寺きよみずでら縁起えんぎ』の土佐とさ光信みつのぶ(みつのぶ)らは宮廷きゅうてい絵所えどころ絵師えしであり、『大仏だいぶつ縁起えんぎ』をえがいたしば琳賢(しばりんけん)は興福寺こうふくじ絵所えどころ仏師ぶっしである。また『いちへん上人しょうにんでん』の筆者ひっしゃえん(えんい)、『東征とうせいでん』のはちすゆき(れんぎょう)らもおなじく仏師ぶっしかんがえられる。『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』『信貴山しぎさん縁起えんぎ』『鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎが』などのような典型てんけいてき作品さくひん筆者ひっしゃしょうであるが、どれも一流いちりゅう専門せんもん画家がかえがかれたものとかんがえられる。

 なおこのほかに、宮廷きゅうていにも寺院じいんにも関係かんけいのない、在野ざいやじん存在そんざいしていたと想像そうぞうされる。たとえば室町むろまち時代じだい御伽草子おとぎぞうしるい絵巻えまきのなかには、無名むめいまち絵師えしえがかれたとおもわれる作品さくひんがたくさんある。絵巻物えまきもの絵筆えふでめたじんかずは、数字すうじてきにはっきりしめすことはできないが、相当そうとうかずのぼることとおもわれる。

奥平おくだいら英雄ひでお

歴史れきしてき展開てんかい

絵巻物えまきものという形式けいしきは、本来ほんらい中国ちゅうごくからつたわったものである。したがって日本にっぽん絵巻物えまきものがつくられるようになったのは、当然とうぜん中国ちゅうごく影響えいきょうによるものとかんがえなければならない。日本にっぽん日本にっぽんてき題材だいざい絵巻物えまきものまれたのは、だいたい10世紀せいきはいってからとかんがえられるので、それ以前いぜんは、いわゆる中国ちゅうごく伝来でんらいのものを手本てほんにして、自国じこくのものをすまでの下地したじやしなっていた時期じきとみてよいであろう。今日きょう日本にっぽんつたわっている絵巻物えまきもの形式けいしき最古さいこ遺品いひんに、奈良なら時代じだい(8世紀せいき)の『因果いんがけい(えいんがきょう)』があるが、これは中国ちゅうごく伝来でんらい底本ていほんもとづいて日本にっぽんじん書写しょしゃしたものである。当時とうじ仏教ぶっきょうかい情勢じょうせいかんがえると、このたねのものがいろいろ日本にっぽん輸入ゆにゅうされたことが想像そうぞうされ、それにいでからあさ鑑賞かんしょうてきまきのたぐいも輸入ゆにゅうされていたものとかんがえられる。そういった中国ちゅうごくまき移植いしょく時代じだいて、平安へいあん時代じだいはいり、ようやく日本にっぽん独特どくとく内容ないよう画風がふうそなえた絵巻物えまきものされるにいたったとかんがえてよかろう。

 その開花かいか時期じきはだいたい平安へいあん後期こうきの10世紀せいきから11世紀せいきにかけてであって、いわゆる遣唐使けんとうし廃止はいし国風くにぶり文化ぶんか台頭たいとうにあたる。この時代じだい絵巻物えまきもの遺品いひんはまったく現存げんそんしないが、この時代じだい物語ものがたり歌集かしゅうなどの記事きじによってだいたいその姿すがた内容ないようることができる。なかでも『源氏物語げんじものがたり』の記事きじきりつぼ(きりつぼ)、須磨すま(すま)、絵合えあわせ(えあわせ)、ぼたる(ほたる)のまきなど)はおおいに参考さんこうになるもので、当時とうじ(10世紀せいき前半ぜんはん延喜えんぎ(えんぎ)・てんれき(てんりゃく)時代じだい)の宮廷きゅうてい貴族きぞく社会しゃかいあいださかんに絵巻物えまきもの鑑賞かんしょうされ、かつ制作せいさくされていたことをうかがうことができる。その種類しゅるいもさまざまであって、日記にっき絵巻えまき四季しき絵巻えまき年中ねんじゅう行事ぎょうじ絵巻えまき物語ものがたり絵巻えまき説話せつわ絵巻えまきなど、いろいろ日本にっぽんてき題材だいざいれたものがおおかったことがわかる。ようするにこの『源氏物語げんじものがたり』の記事きじによって、10世紀せいき前半ぜんはんごろの絵巻物えまきもの貴族きぞく趣味しゅみてきな、そして装飾そうしょくんだもので、内容ないようてきには多分たぶん物語ものがたりせい世俗せぞくせいをもっていたことがみとめられる。その内容ないよう物語ものがたりせいんでいたことは、この時代じだい勃興ぼっこう(ぼっこう)した物語ものがたり文学ぶんがく影響えいきょうによるところがはなはおおきかったとかんがえられるが、この内容ないようにおける物語ものがたりせいは、これからのちのちまで日本にっぽん絵巻えまき顕著けんちょ特性とくせいとしてがれている。

 このようにして芽生めばえた絵巻えまきは、平安へいあん後期こうきの12世紀せいきはいって数々かずかず名作めいさくんだ。『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』『信貴山しぎさん縁起えんぎ』『ばん大納言だいなごん絵詞えことば』『鳥獣ちょうじゅう人物じんぶつ戯画ぎが』などがそれで、これらの作品さくひん絵巻えまき系譜けいふ主流しゅりゅうをなす代表だいひょうてき作品さくひんであるばかりでなく、それぞれことなった技法ぎほう様式ようしきによってそれぞれ別個べっこ世界せかい形成けいせいしているてんでまた意義いぎふかい。このよっつの作品さくひん現存げんそん絵巻物えまきもののなかではどれも最高峰さいこうほうくらいする傑作けっさくであって、これだけの名品めいひんんだ12世紀せいきは、まさに絵巻えまき黄金おうごん時代じだいといっても過言かごんではない。

 この黄金おうごん時代じだいからつぎ鎌倉かまくら時代じだい(13~14世紀せいき)にうつると、ここに絵巻えまき流行りゅうこう時代じだい現出げんしゅつする。内容ないようめんからみても物語ものがたり文学ぶんがく伝奇でんき説話せつわ和歌わか文学ぶんがく戦記せんきなどを題材だいざいとする鑑賞かんしょうてきなもの、また社寺しゃじ縁起えんぎ祖師そし伝記でんき主題しゅだいとする宗教しゅうきょうてきなものなど、その内容ないようぜん時代じだいくらべていっそう多彩たさいになっている。こうして絵巻えまき内容ないよう豊富ほうふになったため、これにともなって登場とうじょう人物じんぶつ種類しゅるい多種たしゅとなり、これまでの貴族きぞく階級かいきゅうのほかに僧侶そうりょ(そうりょ)、武士ぶし農夫のうふ職人しょくにん以下いか遊女ゆうじょ乞食こじき(こじき)にいたるまで多数たすう人物じんぶつえがかれている。背景はいけい平安へいあん時代じだいよりいっそう拡大かくだいされ、都市としのほかに山村さんそん僻地へきち(へきち)におよび、地方ちほうてき色彩しきさいしている。このように内容ないよう題材だいざい豊富ほうふ多彩たさいになったのにともなって、これを表現ひょうげんする画風がふう多彩たさいとなり、大和絵やまとえ様式ようしきとしてのいくつかのスタイルがつくられていった。今日きょうのこるいちおうとおっている作品さくひんのなかでは、この鎌倉かまくら時代じだい作品さくひん種類しゅるいのうえからもりょうのうえからもいちばんおおい。これは、従来じゅうらい貴族きぞくだけでなく、さらに僧侶そうりょ武家ぶけ階級かいきゅうなどが絵巻えまき制作せいさく支持しじ背景はいけいとなったからで、絵巻えまきはこうした背景はいけいちからによってはなやかな流行りゅうこう時代じだい現出げんしゅつすることができたのである。

 しかしこれもつぎ室町むろまち時代じだい(15~16世紀せいき)になると、絵巻えまきはようやくりをぎて衰退すいたいはいっていく。この時代じだい絵巻えまきにはもはやぜん時代じだいのような活気かっきもみずみずしさもない。内容ないようてきにも新味しんみがなく、技巧ぎこうてきにも沈滞ちんたいいろくなってくる。すなわち、これまで絵巻物えまきもの支柱しちゅうであった大和絵やまとえも、この時期じきはいると萎縮いしゅく(いしゅく)して生彩せいさいうしなってしまう。こうした大和絵やまとえ沈滞ちんたいにあたって、これにかわりあたまをもたげてきたのが中国ちゅうごくそうもと(そうげんが)のながれをくむかんで、室町むろまち時代じだいかいはこのかんにより風靡ふうび(ふうび)されるにいたった。そしてこの中国ちゅうごく伝来でんらいしん画風がふう隆盛りゅうせいになるにつれて、沈滞ちんたい大和絵やまとえはますます後退こうたいし、ついに絵巻えまき室町むろまち時代じだいをもって終局しゅうきょくげたといってよい。

 絵巻えまき歴史れきしはこうしてまくじることになるが、しかし巻物まきもの形式けいしき絵画かいが近世きんせいはいっても依然いぜんとしてつくられ、また明治めいじ大正たいしょうから現代げんだいまでわずかだが制作せいさくされている。しかし絵巻えまきとは、日本にっぽん美術びじゅつのうえでは、とくに大和絵やまとえ画風がふうえがかれたものをさし、それが衰退すいたいした16世紀せいきひとつのめどとして、時代じだいてきには16世紀せいきまでのものをさすことにしている。絵巻えまき美術びじゅつ史上しじょうかがやかしい足跡あしあとのこしているが、また日本にっぽん古代こだい中世ちゅうせい風俗ふうぞく生活せいかつるうえでの資料しりょうとしても、くべからざる貴重きちょう文化財ぶんかざいであることを付記ふきしておきたい。

奥平おくだいら英雄ひでお

上野うえの直昭なおあきちょ絵巻物えまきもの研究けんきゅう』(1950・岩波書店いわなみしょてん)』奥平おくだいら英雄ひでおちょ絵巻えまき』(1957・美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ)』武者小路むしゃのこうじみのるちょ絵巻えまき』(1963・美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ)』奥平おくだいら英雄ひでおへん日本にっぽん美術びじゅつ2 絵巻物えまきもの』(1966・至文しぶんどう)』秋山あきやま光和みつかずちょ原色げんしょく日本にっぽん美術びじゅつ8 絵巻物えまきもの』(1968・小学館しょうがくかん)』梅津うめづ次郎じろうちょ絵巻物えまきものくさむらこう』(1968・中央公論ちゅうおうこうろん美術びじゅつ出版しゅっぱん)』『『あたらしおさむ日本にっぽん絵巻物えまきもの全集ぜんしゅう』30かん別巻べっかん2かん(1975~1981・角川書店かどかわしょてん)』『『日本にっぽん絵巻えまき大成たいせい』26かん別巻べっかん1かん(1977~1979・中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ)』


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絵巻えまき (えまき)

物語ものがたり説話せつわ伝記でんき社寺しゃじ縁起えんぎなどを横長よこなが巻物まきもの(ことば)(文章ぶんしょう)とあらわした作品さくひん総称そうしょう絵巻物えまきものともぶ。この名称めいしょう江戸えど時代じだい一般いっぱんしたもので,古代こだい中世ちゅうせいにおいては〈……〉としょうされ,また今日きょうでは絵巻えまき同義語どうぎごのようにもちいられている〈絵詞えことば〉は本来ほんらい絵巻えまき詞書ことばがき(ことばがき)をすものであった。この巻物まきもの形式けいしき絵画かいが中国ちゅうごくからつたわり(中国ちゅうごくではまきぶ),日本にっぽん独自どくじ発展はってんをとげ,日本にっぽん絵画かいが代表だいひょうてき領域りょういき形成けいせいした。これらのちゅうには,当時とうじ人々ひとびと生活せいかつ風俗ふうぞく建築けんちく調度ちょうどなどがえがされ,さまざまな分野ぶんやでの史料しりょうてき価値かちたかいものがすくなくない。記録きろくにのこる絵巻えまきは400しゅ以上いじょうにのぼり,現存げんそんする遺品いひんひゃくすうじゅうしゅやく600かんかぞえる。王朝おうちょう貴族きぞく女房にょうぼうたちに愛玩あいがんされた鑑賞かんしょうてき物語ものがたり絵巻えまきなどは,権門けんもん名家めいか代々だいだい所蔵しょぞうされ,宗教しゅうきょうてき題材だいざいあつかった絵巻えまきなどは祈願きがん報賽ほうさい(ほうさい)のため,あるいは宗祖しゅうそへの報恩ほうおん報徳ほうとくのため丹精たんせいこめて制作せいさくされ,社寺しゃじ奉納ほうのうされてつてせいし,制作せいさく当初とうしょ姿すがたをとどめるものもすくなくない。しかし中世ちゅうせい以降いこう社寺しゃじ,とくに新興しんこう仏教ぶっきょうしょ宗派しゅうは教義きょうぎ宣揚せんよう布教ふきょう手段しゅだんとして制作せいさくされた絵巻えまきぐんは,そのおおくが使つかふるされたり,転写てんしゃかさねられて,類型るいけいし,芸術げいじゅつてき価値かちうしなってすたれていった。

絵巻えまき基本きほんてきには,詞書ことばがき本文ほんぶん)とこれに対応たいおうするとが交互こうごかえされ,すうまいあるいはじゅうすうまいかみ(まれにきぬ)をよこわせてつくられる。たてはばが30cm前後ぜんこう(なかには50cm以上いじょうのものもある),ながさは10m前後ぜんこうおおく,1かんほんから,2,3かんほん,さらには20かん,48かんなどという大部たいぶのものまでつくられた。鑑賞かんしょうにあたっては,両手りょうて自然しぜんひらいた間隔かんかく,ほぼ50~60cmくらいのはばひろげ,次々つぎつぎにあらわれる詞書ことばがきみ,ながめるのが普通ふつうであった。みぎからひだりすこしずつ移動いどうし,空間くうかんてき変化へんか同時どうじ時間じかんてきながれをもかんじさせる。こうした鑑賞かんしょうほうは,絵巻えまき構成こうせい,なかんずく画面がめん構成こうせいほうふか関連かんれんをもち,詞書ことばがきとの結合けつごう関係かんけい画面がめん長短ちょうたんなどに種々しゅじゅ形式けいしきがみられる。まず段落だんらくしきばれているものは,限定げんていされた画面がめん空間くうかんなか時間じかん経過けいかふくまない物語ものがたりちゅういち情景じょうけいえがす。これにたいして連続れんぞくしきは,いくつもの情景じょうけい連続れんぞくさせてなが場面ばめん構成こうせいするもので,時間じかんてき展開てんかいしていくはなしすじうのにてきしている。《信貴山しぎさん縁起えんぎ》《ばん大納言だいなごん絵詞えことば》などがこのタイプの代表だいひょうさくである。段落だんらくしき絵巻えまき画面がめん静止せいしてきで,鑑賞かんしょうしゃ作品さくひんふれあいはより緊密きんみつなものとなり,おおくの場合ばあい細密さいみつてき手法しゅほうがとられる。それはまずすみせんしたえがきをし,それにしたがって画面がめん全体ぜんたい絵具えのぐかさねて彩色さいしきし,ほそすみせん目鼻めはなをはじめ細部さいぶえがこす,〈つくり〉の技法ぎほうによる。また面貌めんぼう描写びょうしゃにおいて引目鉤鼻ひきめかぎはなという現実げんじつてき象徴しょうちょうてき手法しゅほうもちいられた。一本いっぽんせんえがき,はな単純たんじゅんかぎがたとしながらそこに微妙びみょうニュアンスたせ,さまざまな表情ひょうじょうるものにかんじさせるというものである。《源氏物語げんじものがたり絵巻えまき》はこうした技法ぎほう,いわゆるおんなたいによる典型てんけいてき作品さくひんであり,かく場面ばめんのもつふか詩的してき情趣じょうしゅやさらには主人公しゅじんこう心理しんり表現ひょうげんまでも可能かのうとしている。これにたい連続れんぞくしき絵巻えまきでは,うごきのある描線を自由じゆう駆使くしし,最初さいしょにひいた描線をかしながら,彩色さいしきくわえていく技法ぎほうもちいる。人物じんぶつ姿態したい表情ひょうじょう自由じゆう筆致ひっちえがすこのたいを,おんなたいして一般いっぱんおとこんでいる。これら画面がめん形式けいしきかくたいはしだいにじりい,多様たよう絵巻えまき表現ひょうげんしてゆく。また絵巻えまきにしばしばみられる構図こうずほうとしては,屋根やね天井てんじょうって室内しつない俯瞰ふかんするいわゆる吹抜ふきぬき屋台やたいや,どういち画面がめんじょう次々つぎつぎ変化へんかする事象じしょうえんたまきてきえがくといった異時同図いじどうずほうがあげられる。

日本にっぽん絵巻えまき最古さいこ遺品いひん因果いんがけい》は,経文きょうもん上部じょうぶけいあらわえが形式けいしきのもので,中国ちゅうごくからもたらされたまきもとづいて8世紀せいき後半こうはんころ,写経しゃきょうしょ画師えしによって書写しょしゃされた。中国ちゅうごくからは仏教ぶっきょうてきなもののほかに,各種かくしゅ典籍てんせき実用じつようてき書物しょもつ文学ぶんがく作品さくひんくわえたまきおお輸入ゆにゅうされ,9世紀せいきまつには本文ほんぶん和文わぶんした絵巻えまきがつくられた。10世紀せいき以後いごはそれらを母胎ぼたいとして日本にっぽん独特どくとく内容ないよう物語ものがたり)と画風がふうとをそなえた絵巻えまき制作せいさくされはじめ,貴族きぞくあいださかんに鑑賞かんしょうされた。それらはつくり物語ものがたり絵巻えまき説話せつわ絵巻えまき日記にっき絵巻えまき年中ねんじゅう行事ぎょうじ絵巻えまきなど物語ものがたりせいゆたかな内容ないようをもち,とくに女房にょうぼうたちに愛好あいこうされたつくりもの系統けいとうから,12世紀せいき前半ぜんはんに《源氏物語げんじものがたり絵巻えまき》がされた。一方いっぽう仏教ぶっきょう説話せつわ民衆みんしゅうあいだかたがれた説話せつわ内容ないようとする《信貴山しぎさん縁起えんぎ》《ばん大納言だいなごん絵詞えことば》が12世紀せいき後半こうはんつくられた。また《華厳けごんじゅうしょ絵巻えまき》のような経典きょうてん絵解えときや,六道ろくどう輪廻りんね思想しそうもとづく《地獄じごく草紙ぞうし》《餓鬼がき草紙ぞうし》さらに《やまい草紙ぞうし》のようないちぐん作品さくひん平安へいあん時代じだいまつ末法まっぽう思想しそう背景はいけい制作せいさくされた。このように,物語ものがたり文学ぶんがく仏教ぶっきょう説話せつわなどの影響えいきょうのもとに各種かくしゅ絵巻えまき創造そうぞうされた12世紀せいきは,絵巻えまき黄金おうごん時代じだいといえよう。

 それにつづ鎌倉かまくら時代じだい絵巻えまき流行りゅうこう時代じだいとして,絵巻えまき受容じゅようしゃそう拡大かくだい内容ないようてきにも様式ようしきてきにも多彩たさい展開てんかいしめす。前代ぜんだい懐古かいこするかのような《紫式部むらさきしきぶ日記にっき絵巻えまき》《こまきおい行幸ぎょうこう絵巻えまき》《小野おの雪見ゆきみ御幸みゆき絵巻えまき》《伊勢物語いせものがたり絵巻えまき》《枕草子まくらのそうし絵巻えまき》,和歌わか興隆こうりゅう背景はいけいとする《伊勢いせしん名所めいしょ歌合うたあわせ絵巻えまき》《さんじゅう六歌仙ろっかせん絵巻えまき》などが宮廷きゅうてい中心ちゅうしんとしてつくされる一方いっぽう武士ぶし時代じだい反映はんえいして《平治へいじ物語ものがたり絵巻えまき》《さんねん合戦かっせん絵巻えまき》《こうむ襲来しゅうらい絵詞えことば》などの戦記せんき絵巻えまきまれた。また前代ぜんだい以来いらい伝奇でんき説話せつわ絵巻えまき系統けいとうとして《吉備きび大臣だいじん入唐にっとう絵詞えことば》や《長谷ながたにつよしきょう草紙ぞうし》などもえがかれた。しかし,この時代じだい絵巻えまき制作せいさく量的りょうてき飛躍ひやくてき拡大かくだいをとげたのは,鎌倉かまくらしん仏教ぶっきょうしょ宗派しゅうはをはじめとし,きゅう仏教ぶっきょうがわもまた絵巻えまき布教ふきょう手段しゅだんとして積極せっきょくてき利用りようしたことによる。なかでもおのおのの開祖かいそ祖師そし奇瑞きずいちた生涯しょうがい言行げんこうえがいた高僧こうそうでんは,この時代じだい風潮ふうちょう反映はんえいし,人間にんげんせいゆたかな傑作けっさくおおい。《いちへん上人しょうにんでん》をはじめ《法然ほうねん上人しょうにんでん》《慕帰》《親鸞しんらん上人しょうにんでん》《融通ゆうずう念仏ねんぶつ縁起えんぎ》などがしん仏教ぶっきょう代表だいひょうし,きゅう仏教ぶっきょうがわでは《華厳けごん縁起えんぎ》《東征とうせいでん》《法相ほうしょうむね秘事ひめごと絵詞えことば》《弘法大師こうぼうだいしでん》などがある。とくに前者ぜんしゃでは,初期しょき単純たんじゅん内容ないようのものが弟子でし帰依きえしゃなどの挿話そうわくわえて複雑ふくざつし,かく宗派しゅうは正統せいとうせい強調きょうちょうするものもあらわれ,しだいに巻数かんすうし,種々しゅじゅ系統けいとうかれ転写てんしゃかさねられていった。一方いっぽう仏寺ぶつじ神社じんじゃ創建そうけん由来ゆらい本尊ほんぞんである神仏しんぶつ霊験れいけんえがいた縁起えんぎるいも,《北野きたの天神てんじん縁起えんぎ》《春日かすが権現ごんげんけん》をはじめ,《粉河寺こかわでら縁起えんぎ》(おそらく平安へいあん時代じだい原本げんぽんもとづく)や《石山寺いしやまでら縁起えんぎ》《当麻とうま曼荼羅まんだら縁起えんぎ》など,南北なんぼくあさ室町むろまち時代じだい以降いこうまで各種かくしゅのものがえがつづけられた。なかでも高階たかしな隆兼たかかねひつの《春日かすが権現ごんげんけん》をはじめとする,隆兼たかかねさましきともいうべき画風がふうをもつ一群いちぐん作品さくひんは,宮廷きゅうてい絵師えしによる伝統でんとうてき技法ぎほう集大成しゅうたいせいしたかんがある。これら鎌倉かまくら時代じだい絵巻えまきには,制作せいさく年代ねんだい明確めいかく作品さくひんおおく,内容ないようてき形式けいしきてきにさまざまな絵画かいが様相ようそうがうかがえて絵画かいが史上しじょうきわめて興味深きょうみぶかい。しかし14世紀せいき後半こうはん以後いご絵巻えまき一般いっぱん多量たりょう生産せいさん民衆みんしゅう傾向けいこうつよめ,絵画かいがとしての創造そうぞうりょくもしだいに稀薄きはくとなり,類型るいけいすすんで芸術げいじゅつてきには衰退すいたい一途いっとをたどりはじめる。このような中世ちゅうせい後半こうはんにあって絵巻えまき制作せいさくは,通俗つうぞくてき物語ものがたりくわえた《福富ふくとみ草紙ぞうし》などの御伽草子おとぎぞうしがれてゆく。また《道成寺どうじょうじ縁起えんぎ》にみられるように,絵解えと,すなわちくち唱による画面がめん説明せつめい宗教しゅうきょうてき説話せつわ絵巻えまきにおいてひろおこなわれた。絵巻えまき伝統でんとう近世きんせい近代きんだいまでつづくが,絵巻えまき創造そうぞうせい発揮はっきし,社会しゃかいてき機能きのう十分じゅうぶんたしたのは中世ちゅうせいまでといえよう。
執筆しっぴつしゃ

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア絵巻えまき」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

絵巻えまき【えまき】

よこひろげる巻物まきもの形式けいしき説明せつめいぶんとして詞書ことばがき(ことばがき)をえる場合ばあいおおい。平安へいあん中期ちゅうき鎌倉かまくら時代じだいもっとさかえた。内容ないよう世俗せぞく物語ものがたり絵画かいが和歌わか情景じょうけい描写びょうしゃなど鑑賞かんしょうようのもの,寺社じしゃ縁起えんぎ高僧こうそうでんなど宗教しゅうきょうてき教化きょうかくわえたもの,記念きねん記録きろくのためのものなど多様たよう大別たいべつして彩色さいしきのあるものとないもの(白描はくびょう)とあり,彩色さいしきあるものでもいろどり静的せいてきさく(《源氏物語げんじものがたり絵巻えまき》など),淡彩たんさいせんかし動的どうてきなもの(《華厳けごん縁起えんぎ》など),両方りょうほう折衷せっちゅうてきなもの(《ばん大納言だいなごん絵詞えことば》,《春日しゅんじつ権現ごんげんけん》など)がある。白描はくびょうでもせんうごきをかすもの(《鳥獣ちょうじゅう戯画ぎが》など),墨色すみいろ白紙はくしのコントラストをかすもの(《枕草子まくらのそうし絵巻えまき》など),写実しゃじつてきなスケッチ(《随身ずいじんにわ絵巻えまき》など)がある。ふつうたてはば30cm前後ぜんこうおおきさで両手りょうてひろげ,すこしずつりながらみぎからひだり鑑賞かんしょうするが,横長よこなが連続れんぞく画面がめん視点してん移動いどうさせていくという特性とくせいから構図こうず独特どくとく工夫くふうがなされる。みぎからひだり配置はいちすることで時間じかん空間くうかん推移すいいあらわし,おおきな推移すいい転換てんかんのあるときは画面がめんかすみ(かすみ)で自然しぜん中断ちゅうだんする。経典きょうてんるいにはいち場面ばめんごとにれて区切くぎ画面がめん連続れんぞくせいのないものもあり,後世こうせいでは物語ものがたりにもこの形式けいしきおおくなり,流動りゅうどうせいうしなわれていく。室町むろまち以後いごもますます量産りょうさんされたが,冊子さっしほん流行りゅうこうなか特性とくせいかしきれず後退こうたいしていった。
関連かんれん項目こうもく石山寺いしやまでら縁起えんぎ絵巻えまき縁起えんぎ御伽草子おとぎぞうし餓鬼がき草紙ぞうし狩野かの元信もとのぶ西行さいぎょう物語ものがたり絵巻えまき地獄じごく草紙ぞうし地蔵じぞう菩薩ぼさつ霊験れいけん春画しゅんが説話せつわ土佐とさ光信みつのぶ年中ねんじゅう行事ぎょうじ絵巻えまきばん大納言だいなごん絵巻えまき平治へいじ物語ものがたり絵巻えまき法然ほうねん上人しょうにんでんこうむ襲来しゅうらい絵詞えことばやまい草紙ぞうし大和絵やまとえ

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絵巻えまき
えまき

横長よこなが巻物まきものえがき,説明せつめい文章ぶんしょうをもくわえて,みぎからひだりへと繰広くりひろげながら鑑賞かんしょうする形式けいしき絵画かいが作品さくひんとく日本にっぽん古代こだいまつから中世ちゅうせいにかけ独自どくじ発達はったつしめし,多種たしゅ多様たよう作例さくれいのこす。こうしたまき形式けいしき起源きげん中国ちゅうごくにあり,仏教ぶっきょう経典きょうてん図解ずかい絵入えいりの典籍てんせき文学ぶんがく作品さくひんなどが奈良なら時代じだいから平安へいあん時代じだい初期しょきにかけて数多かずおお中国ちゅうごくから将来しょうらいされた。9世紀せいきまつから中国ちゅうごく作品さくひん和文わぶんなおして絵画かいがし,さらにかり名文めいぶんによる「つく物語ものがたり」にも最初さいしょからくわえて鑑賞かんしょうすることがおこなわれて,貴族きぞくことに女性じょせいたちの愛好あいこうささえられた独自どくじ物語ものがたり絵巻えまき発達はったつした。『源氏物語げんじものがたり絵巻えまき』は濃密のうみつ繊細せんさい技法ぎほう象徴しょうちょうてき表現ひょうげん典型てんけい今日きょうつたえている。一方いっぽう寺院じいんにおける説教せっきょう題材だいざいとなる仏教ぶっきょう説話せつわ民間みんかん伝承でんしょう絵画かいがし,自由じゆう線描せんびょううごきのある画面がめん創造そうぞうした『信貴山しぎさん縁起えんぎ絵巻えまき』のような形式けいしきうまれ,『ばん大納言だいなごん絵巻えまき』『地獄じごく草紙ぞうし』などしつたか作例さくれいつてそんする。鎌倉かまくら時代じだいはいると絵巻物えまきもの受容じゅようしゃ制作せいさくしゃそう拡大かくだいし,多彩たさい展開てんかいをとげた。とく新興しんこうしょ宗派しゅうは (浄土宗じょうどしゅう浄土真宗じょうどしんしゅう時宗じしゅう融通ゆうずう念仏宗ねんぶつしゅうなど) では,開祖かいそ生涯しょうがい奇跡きせき絵巻えまきして布教ふきょう手段しゅだんとして積極せっきょくてき活用かつようし,旧来きゅうらい宗派しゅうは神社じんじゃでの制作せいさくさかんであったため,どういち絵巻えまき転写てんしゃ巻数かんすう増大ぞうだいいちじるしかった。一方いっぽう宮廷きゅうてい貴族きぞくによる懐古かいこてき物語ものがたり絵巻えまき歌仙かせんあたらしい時代じだい意識いしき反映はんえいする説話せつわ絵巻えまき戦記せんき絵巻えまきなども数多かずおお制作せいさくされた。しかし量的りょうてき増大ぞうだいは,室町むろまち時代じだいはいると質的しつてき低下ていか原因げんいんともなり,矮小わいしょうした『御伽草子おとぎぞうし』などに命脈めいみゃくたもつこととなった。江戸えど時代じだいには諸派しょは画家がかたちによって絵巻えまき形式けいしき作品さくひん制作せいさくされ現代げんだいにまでおよぶが,古代こだい中世ちゅうせいにおけるような独自どくじ歴史れきしてき意味いみ次第しだいうすれた。

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山川やまかわ 日本にっぽんしょう辞典じてん 改訂かいてい新版しんぱん絵巻えまき」の解説かいせつ

絵巻えまき
えまき

横長よこなが巻物まきものえがいたもの。鑑賞かんしょうするさいは,両手りょうてでもち,順次じゅんじみぎからひだりすすめていく。詞章ししょう(詞書ことばがき(ことばがき))とその内容ないようあらわした組合くみあわせを1だんとし,これをすうだんくりかえすのがもっと一般いっぱんてき形式けいしきだが,詞書ことばがきのないものやのなかに説明せつめいぶん登場とうじょう人物じんぶつ台詞せりふ(せりふ)などをきいれたものもある。主題しゅだい物語ものがたり日記にっき説話せつわ御伽草子おとぎぞうし詩歌しか経典きょうてん社寺しゃじ縁起えんぎ高僧こうそうでん肖像しょうぞうなど多岐たきにわたり,歴史れきし資料しりょう民俗みんぞく資料しりょうとしても重要じゅうよう現存げんそん最古さいこ絵巻えまきは8世紀せいき前半ぜんはんの「因果いんがけい」。平安へいあん時代じだいには,とうまき影響えいきょうをうけて上品じょうひん優雅ゆうが物語ものがたり絵巻えまき制作せいさくはじまり,鎌倉かまくら時代じだい以降いこうは,社寺しゃじ縁起えんぎ高僧こうそうでん流行りゅうこうにより大量たいりょう絵巻えまき制作せいさくされた。近世きんせい以降いこう,しだいに創造そうぞうてき気運きうん喪失そうしつした。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち絵巻えまき言及げんきゅう

絵詞えことば】より

絵巻えまき基本きほんてき形態けいたい物語ものがたり本文ほんぶんいたかみをかいたかみとを,交互こうごいでつらねたもの。…

絵画かいが】より

ほんは,西欧せいおうでははやくから冊子さっしほん形式けいしき発達はったつし,中国ちゅうごく日本にっぽんではなが巻子本かんすぼん形式けいしきこのまれたが,冊子さっしほんは,かくページがそのまま枠組わくぐみとして機能きのうするので,統一とういつてき画面がめん構成こうせい成立せいりつしやすい。それにたいして日本にっぽん絵巻えまきもののような巻子本かんすぼんでは,画面がめん左右さゆう連続れんぞくして展開てんかいし,視点してん移動いどうともな自由じゆう構成こうせいこのまれる。このような移動いどうする視点してんは,また日本にっぽんさわ屛画や掛物かけものにもみとめられる。…

説話せつわ】より

…また,《志度しどてら縁起えんぎ》などのかけはば縁起えんぎでんるいがつくられるようになる。 説話せつわ時間じかんてき変転へんてん表現ひょうげんするのに格好かっこう絵画かいが形式けいしき絵巻物えまきものである。日本にっぽん絵巻えまきは,詞書ことばがきたいする挿絵さしえてき発想はっそうとしてまれたもので,おもしたがえであるとするのが従来じゅうらいかんがかたであった。…

室町むろまち時代じだい美術びじゅつ】より

ゆめまどうとせきによる天竜寺てんりゅうじ庭園ていえん西芳寺さいほうじひろしかくれやま枯山水かれさんすい石組いしぐみもまた,平安へいあん時代じだい以来いらい庭園ていえん伝統でんとうに,あらたなぜん精神せいしん骨組ほねぐみをくわえたものである。
[やまと
 唐物とうぶつ趣味しゅみ流行りゅうこうされて,また宮廷きゅうてい公家くげ経済けいざいてき劣勢れっせいもあって,伝統でんとうてきやまと分野ぶんや停滞ていたいしたとみられているが,それは,さわ屛(しようへい)遺品いひんとぼしいためであって,実際じっさいあたらしいうごきのあったことが,14世紀せいき絵巻えまきちゅうえがかれたさわ屛画などからうかがえる。古代こだい以来いらいの屛風のいちおうぎごとのえんはらわれて,それが構図こうず統一とういつ有利ゆうりにしたことも推察すいさつできる。…

※「絵巻えまき」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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