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大和絵(ヤマトエ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

大和絵やまとえみ)ヤマトエ

デジタル大辞泉だいじせん大和絵やまとえ」の意味いみみ・例文れいぶん類語るいご

やまと‐え〔‐ヱ〕【だい×倭絵やまとえ

本来ほんらいは、日本にっぽん風景ふうけい風俗ふうぞくえがいた絵画かいが鎌倉かまくら後期こうきからは、そうもとやその影響えいきょうけたしん様式ようしき日本にっぽんたいして平安へいあん時代じだい以来いらい伝統でんとうてき様式ようしきによる絵画かいが総称そうしょうからからえたいしていう。また、15世紀せいき土佐とさ興隆こうりゅうして大和絵やまとえ標榜ひょうぼうひょうぼうしてからは、流派りゅうはてき観念かんねんふくまれるようになった。
[類語るいご]日本にっぽん浮世絵うきよえ錦絵にしきえ鳥羽絵とばえ俳画はいが

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やまと‐え‥ヱ大和絵やまとえ倭絵やまとえ

  1. 名詞めいし 日本にっぽん風景ふうけい事物じぶつえがいた中国ちゅうごく風景ふうけいなどをえがいたから区別くべつしていう。平安へいあん中期ちゅうき成立せいりつ室町むろまち時代ときよいた土佐とさ形成けいせいした。また、幕末ばくまつには復古ふっこ大和絵やまとえおこった。〔けん長保ながほ元年がんねん(999)いちがつさんにち
    1. [初出しょしゅつ実例じつれい]「屏風びょうぶにはちゅうまきすいをかき、うえからをかき、したにやまとをかきたりけり」(出典しゅってん古今ここん著聞ちょぶんしゅう(1254)いちいち)

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百科ひゃっか事典じてんマイペディア大和絵やまとえ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

大和絵やまとえ【やまとえ】

ふるくは倭絵やまとえから(からえ)のたい月次げつじ(つきなみ)名所めいしょなど日本にっぽん事象じしょう風物ふうぶつ題材だいざいにした絵画かいがで,9世紀せいき後半こうはんからあらわれ,平安へいあん時代じだい貴族きぞく文化ぶんかのなかで発展はってんからかん詩文しぶん教養きょうようもとづき公的こうてき性格せいかくをもっていたのにたいし,貴族きぞく私生活しせいかつ密着みっちゃく邸宅ていたく障子しょうじ屏風びょうぶ(びょうぶ)にえがかれ,また物語ものがたりのさし絵巻えまきかたち発展はってんした。鎌倉かまくら中期ちゅうきそうもと輸入ゆにゅうとともに概念がいねんわり,そうもとかん)にたいしてそれ以前いぜん伝統でんとうしたがった世俗せぞく様式ようしき全般ぜんぱんをさすようになった。→復古ふっこ大和絵やまとえ
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日本にっぽんだい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)大和絵やまとえ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ

大和絵やまとえ
やまとえ

倭絵やまとえやまともく。平安へいあん時代じだいには中国ちゅうごくてき主題しゅだいえがいたから(からえ)にたいして、日本にっぽん風景ふうけい風俗ふうぞくえがいた大和絵やまとえとよんだ。とくにつきごとやごとの風物ふうぶつ主題しゅだいとした月次げつじ(つきなみえ)や四季しき、あるいは日本にっぽん各地かくち名所めいしょ主題しゅだいとした名所めいしょえがかれた屏風びょうぶ(びょうぶ)や障子しょうじ呼称こしょうとしてもちいられた。文献ぶんけんじょうはつれいは10世紀せいきまつであるが、9世紀せいき後半こうはんにはすでに制作せいさくされていたとかんがえられ、以後いご平安へいあん時代じだいつうじて和歌わか文学ぶんがく密接みっせつ関係かんけいをもちながら発展はってんした。しかし、鎌倉かまくら時代じだい後期こうきそうもと(そうげん)絵画かいが舶載はくさいさかんになると、これらの輸入ゆにゅうされた中国ちゅうごくやさらにその画風がふうならって日本にっぽんにおいて制作せいさくされたしん様式ようしき絵画かいがからとよぶようになり、これにたいして大和絵やまとえ平安へいあん時代じだい以来いらい伝統でんとうてき様式ようしき絵画かいが総称そうしょうとしてもちいられるようになる。したがって大和絵やまとえは、題材だいざいのみならずその画風がふうにおいてもから区別くべつされたといえる。ついで15世紀せいき土佐とさ興隆こうりゅうして宮廷きゅうていしょあずか(えどころあずかり)の地位ちい世襲せしゅうするようになると、大和絵やまとえ土佐とさ画風がふうとして流派りゅうはてき意味いみをもつようになった。このような傾向けいこうは、16世紀せいきかん流派りゅうはである狩野かの(かのう)隆盛りゅうせいほこるにおよんで、いっそう助長じょちょうされ、江戸えど時代じだいには土佐とさ住吉すみよし大和絵やまとえいえげいとして標榜ひょうぼう(ひょうぼう)した。また琳(りん)浮世絵うきよえ大和絵やまとえ伝統でんとうのうえに開花かいかしたことが指摘してきできる。江戸えど末期まっきには復古ふっこ大和絵やまとえもおこった。このように大和絵やまとえ語義ごぎ時代じだいによってことなるが、現在げんざいではひろ日本にっぽんてき絵画かいがをさすことがおおい。

加藤かとう悦子えつこ

みなもとゆたかそうちょ大和絵やまとえ研究けんきゅう』(1976・角川書店かどかわしょてん)』『『したてんしず著作ちょさくしゅう8 大和絵やまとえ研究けんきゅう』(1985・講談社こうだんしゃ)』

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旺文社おうぶんしゃ日本にっぽん事典じてん さんていばん大和絵やまとえ」の解説かいせつ

大和絵やまとえ
やまとえ

からたいするかたりで,日本にっぽんてき絵画かいがしょう
中世ちゅうせいまでは「倭絵やまとえ」といた。平安へいあん中期ちゅうき中国ちゅうごく伝来でんらい中国ちゅうごく絵画かいがやその模倣もほうなどをからんだのにたいし,日本にっぽん風物ふうぶつえがいたものを大和絵やまとえという。屛風中心ちゅうしん世俗せぞく絵画かいががおもにえがかれていた。室町むろまち時代じだい以後いご土佐とさがその中心ちゅうしんになりその技法ぎほう風体ふうたい継承けいしょうされ,現代げんだい日本にっぽん基礎きそとなっている。

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世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん旧版きゅうばんうち大和絵やまとえ言及げんきゅう

【やまと】より

倭絵やまとえ大和絵やまとえともく。〈やまと〉は,日本にっぽん絵画かいがのうち宗教しゅうきょうのぞ鑑賞かんしょうてき絵画かいが,すなわち風景ふうけい花鳥かちょう物語ものがたり人物じんぶつ風俗ふうぞくなどのジャンルにおけるもっと主要しゅよう基礎きそ概念がいねんとして,平安へいあん時代じだい以来いらい現代げんだいいたるまでながあいだもちいられてきた。…

※「大和絵やまとえ」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつ一部いちぶ掲載けいさいしています。

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