デジタル大辞泉だいじせん 「防府ほうふ」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご ほうふ〔ハウフ〕【防府ほうふ】 山口やまぐち県けん南部なんぶの市し。周防灘すおうなだすおうなだに面めんし、向島むこうじまなどの島しまを含ふくむ。もと周防すおう国府こくふがあった。山陽さんよう道どうの宿駅しゅくえきとして栄さかえ、製塩せいえん業ぎょうで発展はってん。塩田えんでん跡あとは現在げんざい工業こうぎょう地帯ちたいとなっている。人口じんこう11.7万まん(2010)。 出典しゅってん 小学館しょうがくかんデジタル大辞泉だいじせんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん 「防府ほうふ」の意味いみ・読よみ・例文れいぶん・類語るいご ほうふハウフ【防府ほうふ】 ( 周防すおう国こくの国府こくふが置おかれていたところから呼よばれた ) 山口やまぐち県けん中ちゅう南部なんぶの地名ちめい。周防灘すおうなだに面めんする。開発かいはつは古ふるく、古代こだい・中世ちゅうせいの遺跡いせきが多おおい。三田尻みたじり塩しお・防ぼう長ちょう米まいの積せき出港しゅっこうの三田尻みたじり、防府ほうふ天満宮てんまんぐうの門前もんぜ町まちの宮みや市しを中心ちゅうしんに発達はったつ。三田尻みたじり湾岸わんがんの干拓かんたく地ちや塩田えんでんの跡地あとちには繊維せんい・発酵はっこう・自動車じどうしゃなどの工場こうじょうが進出しんしゅつしている。昭和しょうわ一いち一いち年ねん(一いち九きゅう三さん六ろく)市制しせい。 出典しゅってん 精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてん精選せいせん版ばん 日本にっぽん国語こくご大だい辞典じてんについて 情報じょうほう | 凡例はんれい
日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ) 「防府ほうふ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 防府ほうふ(市し)ほうふ 山口やまぐち県けんの瀬戸内海せとないかい沿岸えんがんのほぼ中央ちゅうおう部ぶを占しめる商しょう工業こうぎょう都市とし。1902年ねん(明治めいじ35)佐波さわ(さば)、三田尻みたじり(みたじり)の2村むらが合併がっぺいして防府ほうふ町まちとなり、1936年ねん(昭和しょうわ11)中関なかせき(なかのせき)町まちと華はな城じょう(はなぎ)、牟礼むれ(むれ)の2村むらを合併がっぺいして市制しせい施行しこう。1939年ねん西浦にしうら(にしのうら)村むら、1951年ねん右田みぎた(みぎた)村むら、1954年ねん富海とどみ(とのみ)村むら、1955年ねん小野おの、大道おおみち(だいどう)の2村むらを編入へんにゅう。JR山陽本線さんようほんせん、国道こくどう2号ごう、262号ごう、山陽自動車道さんようじどうしゃどうが通つうじる。防府ほうふ平野へいやを占しめ、向むかい(むこう)島とう、野島のしまなどの島々しまじまを含ふくむ。市し名めいは周防すおう(すおう)国こくの国府こくふの置おかれたことに由来ゆらい。『和名わみょう抄しょう(わみょうしょう)』の牟礼むれ、達いたる良りょう(たたら)、佐波さわ、玉たま祖そ(たまのおや)、勝間かつまの諸しょ郷さとの地ちで、県下けんかでもっとも広ひろく条じょう里さと遺構いこうを残のこしている。松崎まつざき天神てんじんの社前やしろまえに開あけた宮みや市し(みやいち)は中世ちゅうせい以来いらい防府ほうふ平野へいやの市場いちば町まち、近世きんせいには山陽さんよう道どうの宿駅しゅくえきとして栄さかえた。萩はぎ(はぎ)藩はん御ご船倉ふなぐら(おふなぐら)の置おかれた三田みた尻しりは毛利もうり(もうり)水軍すいぐんの基地きちとなり、三田尻みたじり塩しおや防ぼう長ちょう米まいの積出つみだし港みなととしても知しられた。近世きんせいの干拓かんたく地ちは植松うえまつ、伊佐江いさえ(いさえ)から鞠生まりふ松原まつばら(まりふのまつばら)、勝間かつまに至いたる旧きゅう海岸かいがん線せん以南いなんで、防府ほうふ平野へいやのなかば以上いじょうに及および、ここに成立せいりつした三田尻みたじり塩田えんでんは明治めいじ以降いこうも長ながく西にし瀬戸内せとうち製塩せいえん業ぎょうの中心ちゅうしんをなした。防府ほうふの工業こうぎょう化かは昭和しょうわに入はいって協和きょうわ醗酵はっこう(はっこう)(現げん、協和発酵きょうわはっこうバイオ)、鐘かねヶ淵ふち(かねがふち)紡績ぼうせき(のちカネボウ、2005年ねんに工場こうじょうは閉鎖へいさ)の二に大だい工場こうじょうが設置せっちされてからで、山陽本線さんようほんせん防府ほうふ駅えき一帯いったいにしだいに新しん市街地しがいちが発達はったつし、ようやく都心としん地区ちくが成長せいちょうしてきた。1982年ねん西浦にしうら塩田えんでん跡地あとちに東洋工業とうようこうぎょう(現げん、マツダ)の自動車じどうしゃ工場こうじょうが進出しんしゅつし、中関なかせき港こう周辺しゅうへんの工業こうぎょう化かも進すすんでいる。市内しないには史跡しせき、文化財ぶんかざいが多おおく、前方後円墳ぜんぽうこうえんふんの大日だいにち(おおにち)古墳こふん(国くにの史跡しせき)や車塚くるまづか古墳こふん、占うらない手しゅ(うらて)神事しんじを伝つたえる玉たま祖神そしん社しゃ、天平てんぺい(てんぴょう)以来いらいの旧きゅう地ちに建たつ周防すおう国分寺こくぶんじ旧きゅう境内けいだい、周防すおう国衙こくが(こくが)跡あと(ともに国くにの史跡しせき)、南朝なんちょうの遺跡いせき敷山しきやま(しきやま)城跡じょうせき(国くにの史跡しせき)、裸はだか坊ぼう(はだかぼう)祭さいで有名ゆうめいな防府ほうふ天満宮てんまんぐう、俊しゅん乗じょう房ぼう重じゅう源げん(しゅんじょうぼうちょうげん)創建そうけんの阿弥陀あみだ(あみだ)寺てらなどがあり、1916年ねん(大正たいしょう5)に建造けんぞうされた毛利もうり邸てい(現げん、毛利もうり博物館はくぶつかん)は国宝こくほう・重要じゅうよう文化財ぶんかざいの美術びじゅつ品ひんを多おおく蔵ぞうし、庭園ていえんは名勝めいしょうとして知しられる。向島むこうじまタヌキ生息せいそく地ち、西浦にしうらのエヒメアヤメ自生じせい地ち南限なんげん地帯ちたいは国くに指定してい天然記念物てんねんきねんぶつ。山上さんじょう公園こうえんの大平山おおひらやま(おおひらやま)、海水浴かいすいよく場じょうの富海とどみや野島のしまなどもある。漂泊ひょうはくの俳人はいじん種田山頭火たねださんとうか(たねださんとうか)の生地きじ。特産とくさんは三田尻みたじりのかまぼこ。面積めんせき189.37平方へいほうキロメートル、人口じんこう11万まん3979(2020)。[三浦みうら 肇はじめ]『『防府ほうふ市し史し』(1957・防府ほうふ市し)』▽『『防府ほうふ市し史し』全ぜん9巻かん(1992~2004・防府ほうふ市し)』[参照さんしょう項目こうもく] | 阿弥陀寺あみだじ | 敷山しきやま城じょう | 周防すおう国衙こくが跡あと | 中関なかせき | 野島のじま | 防府ほうふ天満宮てんまんぐう | 三田尻みたじり | 向島むこうじま[補完ほかん資料しりょう] | 防府ほうふ市しの要覧ようらん 山口やまぐち県けん防府ほうふ市し位置いち図ず 周防すおう国衙こくが跡あと 防府ほうふ天満宮てんまんぐう 阿弥陀寺あみだじ 毛利もうり氏し庭園ていえん 玉たま祖神そしん社しゃの占うらない手しゅ神事しんじ 出典しゅってん 小学館しょうがくかん 日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)日本にっぽん大だい百科全書ひゃっかぜんしょ(ニッポニカ)について 情報じょうほう | 凡例はんれい
改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん 「防府ほうふ」の意味いみ・わかりやすい解説かいせつ 防府ほうふ[市し] (ほうふ) 山口やまぐち県けん中央ちゅうおう部ぶの市し。周防灘すおうなだに面めんし,海上かいじょうの向島むこうじま,佐波さわ(さば)島とう,野島のしまなどを市域しいきに含ふくむ。1936年ねん市制しせい。人口じんこう11万まん6611(2010)。中央ちゅうおうを南西なんせい流りゅうする佐波川さばがわの沖積ちゅうせき平野へいやや周辺しゅうへんの台地だいちには,大日だいにち古墳こふん(史ふみ)など多おおくの古墳こふんがある。古代こだいの周防すおう国府こくふの地ちで,一帯いったいには条じょう里さと制せいの遺構いこうが残のこる。佐波川さばがわ河口かこうと海岸かいがん部ぶは,江戸えど時代じだいに次々つぎつぎと干拓かんたくされて新田しんでんや塩田えんでんが開ひらかれた。天神山てんじんやまの南みなみ麓ふもとに鎮座ちんざする松崎まつざき天満宮てんまんぐう(現げん,防府ほうふ天満宮てんまんぐう)は北野きたの・太宰府だざいふ両りょう天満宮てんまんぐうとともに日本にっぽん三さん天神てんじんの一ひとつとされる。その鳥居前とりいまえの町まちとしてにぎわった宮みや市しは,近世きんせいには中国ちゅうごく路ろの宿駅しゅくえきとして栄さかえ,本陣ほんじんの兄あに部ぶ(こうべ)家かは中世ちゅうせいより周防すおう相しょう物ぶつ(あいもの)座ざの長ちょうをつとめたと伝つたえる。三田尻みたじりには長州ちょうしゅう藩はんの御ご船倉ふなぐらが置おかれ,毛利もうり氏し水軍すいぐんの根拠地こんきょちであるとともに,塩しおの積せき出港しゅっこうとして瀬戸内せとうちの要港ようこうであった。現在げんざい,三田尻みたじり湾岸わんがんの干拓かんたく地ちには鐘紡かねぼう(2006年ねん防府ほうふ工場こうじょう閉鎖へいさ),協和きょうわ醱酵の工場こうじょうがあり,また西浦にしうら(にしのうら)塩田しおだ跡地あとちにはマツダが自動車じどうしゃ工場こうじょうを建設けんせつした。向島むこうじまや野島のしまでは小型こがた底引網そこびきあみ漁業ぎょぎょうが盛さかんで,かまぼこが三田尻みたじりの特産とくさんである。周防すおう国衙こくが跡あと(史ふみ),周防すおう国分寺こくぶんじ(史ふみ),玉たま祖そ(たまのや)神社じんじゃなど由緒ゆいしょある史跡しせきや社寺しゃじが多おおく,ロープウェーが通つうじる大平山おおひらやま(631m)からは瀬戸内海せとないかいが眺望ちょうぼうできる。JR山陽本線さんようほんせん,国道こくどう2号線ごうせん,262号線ごうせん〈防府ほうふ~山口やまぐち~萩はぎ〉および山陽自動車道さんようじどうしゃどうが通つうじる。執筆しっぴつ者しゃ:三浦みうら 肇はじめ 出典しゅってん 株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん」改訂かいてい新版しんぱん 世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてんについて 情報じょうほう
世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)内うちの防府ほうふの言及げんきゅう 【三田尻みたじり】より …1654年ねん(承うけたまわ応おう3)藩主はんしゅ毛利もうり綱つな広ひろは三田尻みたじりに御茶屋おちゃや(藩はんの公館こうかん)を設もうけ,1783年ねん毛利もうり重しげる就が大だい改築かいちくをして三田尻みたじり御殿ごてんと改称かいしょうした。1898年ねん山陽さんよう鉄道てつどうが開通かいつうして近代きんだい産業さんぎょうが発展はってんし,1902年ねん防府ほうふ町まち,36年ねん防府ほうふ市しとなった。【小川おがわ 国治くにはる】。… ※「防府ほうふ」について言及げんきゅうしている用語ようご解説かいせつの一部いちぶを掲載けいさいしています。 出典しゅってん|株式会社かぶしきがいしゃ平凡社へいぼんしゃ「世界せかい大だい百科ひゃっか事典じてん(旧版きゅうばん)」