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シベリアの戦友に無名戦士などいない 割り出した4万6300人の名前 | 毎日新聞

シベリアの戦友せんゆう無名むめい戦士せんしなどいない した4まん6300にん名前なまえ

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村山常雄さんのシベリア抑留死亡者名簿の一部。約10年をかけて約4万6300人を掲載したが、氏名が判明していない人、正確な表記が分からない人もおり、作成者が亡くなったいまも道半ばだ=東京都千代田区で2024年4月23日、尾籠章裕撮影
村山むらやま常雄つねおさんのシベリア抑留よくりゅう死亡しぼうしゃ名簿めいぼ一部いちぶやく10ねんをかけてやく4まん6300にん掲載けいさいしたが、氏名しめい判明はんめいしていないひと正確せいかく表記ひょうきからないひともおり、作成さくせいしゃくなったいまもみちなかばだ=東京とうきょう千代田ちよだで2024ねん4がつ23にち尾籠おこ章裕あきひろ撮影さつえい

 ゆっくりとげられたのは「名前なまえ」だった。「阿井あい孝吉こうきちさん、相磯あいそ恵雄しげお(しげお)さん、相内あいうちしんさん、あいとく(のぼる)さん」――。「あくだり」を皮切かわきりに、てしないほどつらなっていく。

 昨年さくねん8がつやく100にん参加さんかしたオンラインイベントがあった。4ねんまえから毎年まいとし8がつひらかれている。個人こじん情報じょうほう保護ほごもとめられる時代じだいながれに逆行ぎゃっこうする内容ないようかもしれない。参加さんかしゃくちからはっせられたのは、だい大戦たいせん、シベリア抑留よくりゅうされ帰国きこくできずに死亡しぼうした日本にっぽん将兵しょうへいたちの氏名しめい参加さんかしゃ1にんあたり500にん程度ていど担当たんとうし、4日間にちかんつづいた。対象たいしょうやく4まん6300にん朗読ろうどくさい参加さんかしゃ視線しせんさきにあったのは、ホームページ掲載けいさいされた「名簿めいぼ」だった。

 冊子さっしにすれば1054ページ、おもさはやく2キロにもなる。分厚ぶあつく、ずしりとおもい。氏名しめいくわえ、階級かいきゅう死亡しぼう年月日ねんがっぴ場所ばしょなどがしるされている。この名簿めいぼつくげたのは、新潟にいがたけん糸魚川いといがわ能生のう(のう)出身しゅっしん村山むらやま常雄つねおさん。2014ねん5がつに88さいくなり、まもなく没後ぼつご10ねんになる。4年間ねんかんソ連それん抑留よくりゅうされた経験けいけんがあった。

ゆるせなかった「死者ししゃへのおかせ瀆」

 記者きしゃ青島ちんたお)は05ねんはる村山むらやまさんにおうと、新潟にいがたかった。シベリア抑留よくりゅう帰還きかんしゃ手記しゅきあつめた「捕虜ほりょ体験たいけん」(ぜん8かん)を編集へんしゅうした江口えぐちじゅうよんいち(とよいち)さん(11ねん死去しきょ)に、「取材しゅざいしてほしいひとがいる」と紹介しょうかいされていた。

 日本海にほんかいちかえきまでむかえにてくれた村山むらやまさん。80さい目前もくぜんにし、やわらかなみをたたえていた。

 きゅう満州まんしゅうげん中国ちゅうごく東北とうほく)の水産すいさん試験場しけんじょうつとめていた1945ねん、19さい徴兵ちょうへいされた。敗戦はいせんソ連それん極東きょくとう地区ちく連行れんこう厳寒げんかんなか2人ふたり1くみ森林しんりん木々きぎ伐採ばっさいする業務ぎょうむにあたった。収容しゅうようしょ転々てんてんとさせられたのち、49ねん肋骨あばらぼね(ろっこつ)カリエスを発症はっしょうし、担架たんかはこばれて帰国きこくした。

 地元じもと中学ちゅうがく国語こくご教員きょういんつとめ、85ねん退職たいしょくおややきょうだいの介護かいごをしてごしていた91ねんやく3まん6000にんぶん死亡しぼうしゃ名簿めいぼソ連それん政府せいふから日本にっぽん政府せいふにもたらされた。厚生省こうせいしょう当時とうじ)はこれを順次じゅんじ公表こうひょうしたが、カタカナ表記ひょうきだった。現地げんち係官かかりかんがききとってキリル文字もじしるし、それを日本にっぽんがわがカタカナにあてはめたからだ。「フニヤメ・サギヤノ」など、不正確ふせいかく表記ひょうきのものもあった。「これは死者ししゃへのおかせ瀆(ぼうとく)だ」。村山むらやまさんはそうかんじた。

 正確せいかく名前なまえ記録きろくしなければならない――。そうけっし、パソコンを購入こうにゅう。70さい誕生たんじょう名簿めいぼづくりをはじめた。公表こうひょうされたカタカナ名簿めいぼ基礎きそ資料しりょうに、民間みんかん団体だんたいあつめた名簿めいぼ帰還きかんしゃ日記にっき現地げんちうつした墓標ぼひょうなどと照合しょうごうして一人ひとりいちにんし、データベースしていく。とおくなる作業さぎょうだった。10あいだもパソコンにかう日々ひび高血圧こうけつあつなやまされ、れない作業さぎょうのためすうせんにんぶんのデータをあやまってうしなったことも。10ねんちかくもかかった。

 「死亡しぼうした日本人にっぽんじん3まん773にん漢字かんじめい死亡しぼう場所ばしょなどの資料しりょうつくげた。漢字かんじめい判明はんめいしなかったひとふくめると4まん4935にん収録しゅうろくされた」。05ねん5がつ15にち毎日新聞まいにちしんぶん朝刊ちょうかん社会しゃかいめんトップでその業績ぎょうせき掲載けいさいした。その名簿めいぼやく4まん6300にんたっした。

 シベリア抑留よくりゅうによる死者ししゃやく6まんにんとされており、すべてを網羅もうらできたわけではないが、シベリア抑留よくりゅう死亡しぼうしゃかんする最大さいだい規模きぼ名簿めいぼおしたすけでホームページを開設かいせつ、この名簿めいぼ掲載けいさいし、07ねんには自費じひ出版しゅっぱんした。村山むらやまさんのもとには遺族いぞくから感謝かんしゃ言葉ことばせられた。名前なまえっていなかったひとたちの身内みうちからも連絡れんらくがあり、名簿めいぼくわえられないか検討けんとうした。村山むらやまさんは「死人しにんにはくちがない。『無名むめい戦士せんし』という言葉ことばきらいなんです」とはなした。

村山むらやまさんがむねめた「なにか」

 記者きしゃ村山むらやまさんがむねうちにしまいんでいる「なにか」があるとかんじた。シベリアからの帰還きかんしゃ自身じしん経験けいけん手記しゅきのこすケースがおおく、出版しゅっぱんされたものは1500以上いじょうになる。だが、村山むらやまさんは講演こうえんかいなどで平和へいわ大切たいせつさを力説りきせつするさいも、自身じしん抑留よくりゅう体験たいけんくわしくかたろうとしなかった。

 めずらしく自分じぶん体験たいけんかた機会きかいがあった。12ねん東京とうきょう飯田橋いいだばし法政大ほうせいだいひらかれた「シベリア抑留よくりゅう研究けんきゅうかい」(主催しゅさい富田とみたたけし成蹊大せいけいだい名誉めいよ教授きょうじゅ)。いつもの理路りろ整然せいぜんとしたかたくちではなく、はなしおこなったりたりをかえした。前半ぜんはんの2ねんぶん断片だんぺんてきはなしただけで、3あいだぎてい…

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