2023年 ねん は、音楽 おんがく やエンターテインメントの世界 せかい で活躍 かつやく したたくさんの偉大 いだい な方々 かたがた がこの世 よ を去 さ り、多 おお くの人々 ひとびと が悲 かな しみに暮 く れた年 とし でもありました。そんな一 いち 年 ねん の締 し め括 くく りに、Mikikiは故人 こじん の偉業 いぎょう を邦楽 ほうがく 編 へん と洋楽 ようがく 編 へん に分 わ けて伝 つた えています。
中 なか でもYMOのメンバーだった高橋 たかはし 幸宏 ゆきひろ さんと坂本 さかもと 龍一 りゅういち さんが相次 あいつ いで逝去 せいきょ したことは、国内外 こくないがい に大 おお きな衝撃 しょうげき を与 あた えた出来事 できごと で、傷 きず が未 いま だに癒 い えていないファンも多 おお いことでしょう。
〈教授 きょうじゅ 〉の相性 あいしょう で親 した しまれた坂本 さかもと さんが3月28日 にち に亡 な くなってから、早 はや 9か月 げつ 。ピアニストとして、ソロアーティストとして、YMOのメンバーとして、映画 えいが 音楽家 おんがくか として、作曲 さっきょく 家 か として、プロデューサーとして……。坂本 さかもと さんが遺 のこ した多面 ためん 的 てき かつ膨大 ぼうだい な作品 さくひん や仕事 しごと の数々 かずかず は、そう簡単 かんたん に総括 そうかつ できるものではありません。
そんな坂本 さかもと さんの存在 そんざい や遺産 いさん を、ユキヒロさんの記事 きじ と同様 どうよう 、タワーレコード各 かく 店舗 てんぽ のスタッフに個人 こじん 的 てき な視点 してん から振 ふ り返 かえ ってもらいました。それぞれ異 こと なるストーリーで綴 つづ られた〈教授 きょうじゅ と私 わたし 〉、そこから浮 う かび上 あ がる多様 たよう な坂本 さかもと 龍一 りゅういち 像 ぞう は、過去 かこ を顧 かえり みるだけでなく、未来 みらい へと繋 つな がっていくものだと思 おも います。
そして今年 ことし も一 いち 年間 ねんかん 、Mikikiをお読 よ みいただきありがとうございました。来年 らいねん もどうぞよろしくお願 ねが いいたします。
【2024年 ねん 1月 がつ 1日 にち 追記 ついき 】塚 づか 元 もと 雄太 ゆうた さん(名古屋 なごや パルコ店 てん )のコメントを追加 ついか し、11名 めい の文章 ぶんしょう を掲載 けいさい しています。 *Mikiki編集 へんしゅう 部 ぶ
★2023年 ねん 末 まつ 特別 とくべつ 企画 きかく の記事 きじ 一覧 いちらん はこちら
フジワラメグ(梅田 うめだ NU茶屋町 ちゃやまち 店 てん )
音楽 おんがく に疎 うと くなった83歳 さい の祖母 そぼ が、泣 な いていた。祖母 そぼ は「私 わたし よりはやく、死 し なんといてよ」と小 ちい さく呟 つぶや いた。母 はは がはじめて行 い ったライブはYMOだった。幼 おさな い母 はは の目 め には、“体操 たいそう ”で拡声 かくせい 器 き を手 て にした坂本 さかもと 龍一 りゅういち が一段 いちだん と輝 かがや いてみえた。今 いま でも時折 ときおり 目 め の奥 おく にその姿 すがた をうつしだす。
小 ちい さい頃 ころ 、私 わたし はおままごとをするときに必 かなら ず音楽 おんがく をかけた。リビングの端 はし のプラスチックの立派 りっぱ なお城 しろ の前 まえ にちょこんと座 すわ って、人形 にんぎょう を動 うご かす。棚 たな の上 うえ のコンポにCDを入 い れて、物語 ものがたり の場面 ばめん にあった音楽 おんがく をながして遊 あそ んだ。『YMO 』と坂本 さかもと 龍一 りゅういち の『/05 』は1番 ばん とりやすい場所 ばしょ にあった。ピンチの際 さい に主人公 しゅじんこう が空 そら からかけつける時 とき には“東風 こち ”を。仲間 なかま が死 し んでしまった時 とき には“Light In Darkness”をかけて雪 ゆき の中 なか でひとり泣 な く。かなしみを抱 かか えながら、強 つよ く逞 たくま しく生 い きていく主人公 しゅじんこう には“Thousand Knives”を贈 おく った。私 わたし の物語 ものがたり には坂本 さかもと 龍一 りゅういち の音楽 おんがく が欠 か かせなかった。
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坂本 さかもと 龍一 りゅういち の音 おと は透明 とうめい だった。中学 ちゅうがく 1年生 ねんせい のころ、学校 がっこう 終 お わりに少 すこ しおめかしして坂本 さかもと 龍一 りゅういち のコンサートに行 い った。彼 かれ の音 おと はすべてをうつし、なにものにも染 そ まらない。座席 ざせき はさほど近 ちか くなかったが、坂本 さかもと 龍一 りゅういち は目 め の前 まえ のすぐ近 ちか くにいたと記憶 きおく している。私 わたし と坂本 さかもと 龍一 りゅういち と音楽 おんがく だけが息 いき をしていた。瞬間 しゅんかん 、春 はる の光 ひかり がさしこみ、穏 おだ やかで強 つよ い風 ふう が桜 さくら のはなびらを纏 まつわ った。戊辰戦争 ぼしんせんそう でおおくの命 いのち が犠牲 ぎせい になり、傷 きず ついた会津 あいづ の地 ち で、新島 にいじま 八重 やえ が優 やさ しく強 つよ くほほえむ。“八重 やえ の桜 さくら メインテーマ”は今 いま も私 わたし のこころの中 なか で、変 か わらず生 い き抜 ぬ いている。
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22歳 さい になった今 いま 、眠 ねむ れなくなる夜 よる がある。日々 ひび 変化 へんか する空 そら のなかで、私 わたし の星 ほし は時折 ときおり 雲 くも に隠 かく れてしまう。そんな夜 よる は“Shining Boy & Little Randy”を聴 き く。すると、真 ま っ暗 くら な部屋 へや のそらに無数 むすう の星 ほし が浮 う かびあがる。それは小 ちい さい頃 ころ から集 あつ めてきた大切 たいせつ な星 ほし たち。涙 なみだ の湖 みずうみ に沈 しず んでしまった星 ほし がひとつあった。手 て ですくって空 そら にかける。坂本 さかもと 龍一 りゅういち の音楽 おんがく は、冷 つめ たい夜 よる に優 やさ しい風 かぜ をおくり、雲 くも を晴 は らす。私 わたし はわたしの星 ほし の光 ひかり で、夜 よる を乗 の りこなすのだ。
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森山 もりやま 慶 けい 方 かた (新宿 しんじゅく 店 てん )
坂本 さかもと さんが「新潮 しんちょう 」で自伝 じでん の後編 こうへん を成 な す連載 れんさい を始 はじ められ、その文章 ぶんしょう に触 ふ れた時 とき 、心持 こころも ちがぎゅっと引 ひ き締 し まったことをありありと覚 おぼ えています。
最後 さいご のピアノソロコンサートが世界 せかい 配信 はいしん される中 なか 、翌年 よくねん 71歳 さい の誕生 たんじょう 日 び 、1月 がつ 17日 にち に発表 はっぴょう する『12 』を控 ひか えて、新作 しんさく を迎 むか えつつ坂本 さかもと さんのこれまでの来 き し方 かた を俯瞰 ふかん する試 こころ みを具現 ぐげん 化 か するために、新宿 しんじゅく 店 てん の仲間 なかま と〈Space Sakamoto Shinjuku 〉の準備 じゅんび を進 すす めました。今 いま やらなければ、という思 おも いでした。そのためには坂本 さかもと さんの〈青 あお の時代 じだい 〉前史 ぜんし ともいうべき、〈新宿 しんじゅく 〉という街 まち とのかかわりを頭 あたま に置 お くことが必要 ひつよう でした。会期 かいき 中 ちゅう に作 つく ったささやかなファンジンに、〈なによりも坂本 さかもと さんのご全快 ぜんかい をみなさまと祈念 きねん し、坂本 さかもと 龍一 りゅういち の音楽 おんがく 、ことば、発信 はっしん をこれまでのように、そして今 いま これからも、受 う け取 と り、共 とも に在 あ りたいと願 ねが っています〉と、書 か かずにはいられませんでした。坂本 さかもと さんの身 み の回 まわ りの品々 しなじな や写真 しゃしん と共 とも に『12』をはじめとする作品 さくひん が束 たば ねられたその場所 ばしょ は、私 わたし にはとても静謐 せいひつ に感 かん じられました。
坂本 さかもと さんの作品 さくひん を聴 き き直 なお してコメントを作 つく りながら、いろいろがないまぜになった当時 とうじ の感覚 かんかく が幾度 いくど も甦 よみがえ ったものです。今 いま でも“黄土 おうど 高原 こうげん ”を聴 き くと、この曲 きょく をテーマ音楽 おんがく にしていた「不思議 ふしぎ の国 くに の龍 りゅう 一 いち 」を思 おも い出 だ します。やってくる往時 おうじ の悲喜 ひき 交々のなつかしさ。バーナード・ファウラーが歌 うた う“BEHIND THE MASK”や「EV.cafe 超 ちょう 進化 しんか 論 ろん 」を幾度 いくど も読 よ み聴 き きした、東京 とうきょう に出 で てきた頃 ころ ……。
他界 たかい されてもうすぐ1年 ねん ……。坂本 さかもと さんは晩年 ばんねん に〈生 なま の仕舞 しま い方 かた 〉を真摯 しんし に追求 ついきゅう され、〈funeral 〉や〈Ryuichi Sakamoto | Opus 〉といったさまざまな仕方 しかた で準備 じゅんび をし、仕上 しあ げをされ、〈信頼 しんらい 〉を込 こ めて後事 こうじ を託 たく されました。坂本 さかもと 龍一 りゅういち という、音楽 おんがく だけでなく広 ひろ く文化 ぶんか 、知 ち の領域 りょういき にまで波及 はきゅう したその存在 そんざい の全体 ぜんたい 像 ぞう 、詳細 しょうさい が明 あき らかになった実感 じっかん はまだありません。その航跡 こうせき に対 たい して多 おお くの人 ひと たちが探訪 たんぼう を重 かさ ね、時間 じかん をかけて幾度 いくど も精緻 せいち に考察 こうさつ されることで形 かたち を結 むす んでいくありようを、坂本 さかもと さんの音楽 おんがく を聴 き き続 つづ けながら見届 みとど けたい気 き がしています。
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