インカのミイラ「こおり乙女おとめ」のかお復元ふくげん、14さい生贄いけにえになった少女しょうじょ

500ねんまえなぞ儀式ぎしき「カパコチャ」で、どもたちを犠牲ぎせいにする人身御供ひとみごくう風習ふうしゅう

2023.10.26
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考古学者兼彫刻家のオスカー・ニルソン氏によって復元された14歳の「アンパトの氷の乙女」。生贄(いけにえ)となった少女の胸像は、現代の伝統織物職人によってつくられたローブをまとっている。山頂での最後の日に着ていたものとよく似た衣装だ。(PHOTOGRAPH BY DAGMARA SOCHA)
考古こうこ学者がくしゃけん彫刻ちょうこくのオスカー・ニルソンによって復元ふくげんされた14さいの「アンパトのこおり乙女おとめ」。生贄いけにえ(いけにえ)となった少女しょうじょ胸像きょうぞうは、現代げんだい伝統でんとう織物おりもの職人しょくにんによってつくられたローブをまとっている。山頂さんちょうでの最後さいごていたものとよく衣装いしょうだ。(PHOTOGRAPH BY DAGMARA SOCHA)
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 500ねん以上いじょうまえ、14さい少女しょうじょがアンデスの山頂さんちょうれてかれ、かみ々に生贄いけにえ(いけにえ)としてささげられた。

 さまざまな供物くもつ一緒いっしょ埋葬まいそうされた少女しょうじょ遺体いたいは、時間じかん経過けいかとともに自然しぜんにミイラし、かみつめ人生じんせい最後さいごていたカラフルなローブが保存ほぞんされた。しかし、ある時点じてんで、少女しょうじょかお風雨ふううにさらされるようになり、長年ながねんあいだ日照ひでりと降雪こうせつるうちに、その顔立かおだちは徐々じょじょうしなわれていった。(参考さんこう記事きじ「インカ帝国ていこく拡大かくだいはミイラのしわざ!?」

 そしていま念入ねんいりな考古学こうこがくてき分析ぶんせきと、法医学ほういがくもとづくふくがお技術ぎじゅつにより、ながうしなわれていた少女しょうじょかお復元ふくげんされ、胸像きょうぞうつくられた。「アンパトのこおり乙女おとめ」としてられるインカの少女しょうじょ印象いんしょうてきぞうは、ペルーの博物館はくぶつかんあらたな主役しゅやくであり、500ねんまえのアンデスでおこなわれていた人身御供ひとみごくう風習ふうしゅう理解りかいしようとする努力どりょく一環いっかんでもある。

インカのやま生贄いけにえとしてささげられたどもたち

 ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求たんきゅうしゃ)であるヨハン・ラインハルトは、1995ねん調査ちょうさちゅう標高ひょうこう6288メートルのアンパトさん頂上ちょうじょう少女しょうじょのミイラに遭遇そうぐうしたとき、なに驚異きょういてきなものを発見はっけんしたと確信かくしんした。

最初さいしょおおきな織物おりものたばえました」とラインハルトかえる。すると、ぬののひだのあいだからからびたかおえた。インカのなぞ儀式ぎしき「カパコチャ」のわか犠牲ぎせいしゃだった。

「最初は大きな織物の束に見えました」。ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーであるヨハン・ラインハルト氏は、1995年にペルーのアンパト山で発見したミイラについてこう振り返る。写真は発見の瞬間で、ラインハルト氏の登山パートナーであるミゲル・サラテがミイラを持っている。(PHOTOGRAPH BY J. REINHARD)
最初さいしょおおきな織物おりものたばえました」。ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラーであるヨハン・ラインハルトは、1995ねんにペルーのアンパトさん発見はっけんしたミイラについてこうかえる。写真しゃしん発見はっけん瞬間しゅんかんで、ラインハルト登山とざんパートナーであるミゲル・サラテがミイラをっている。(PHOTOGRAPH BY J. REINHARD)
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 カパコチャでは、自然しぜん災害さいがいきたときやインカ帝国ていこく辺境へんきょう国力こくりょく強化きょうかするさい、あるいは、たんかみ々をよろこばせるために、どもや動物どうぶつかみ々にささげていた。この儀式ぎしきはインカ帝国ていこく維持いじするうえで重要じゅうよう役割やくわりたした。

 美貌びぼう完璧かんぺき肉体にくたいをもっていることを理由りゆうえらばれたとおもわれるどもたちのために、祝宴しゅくえんやパレードがおこなわれた。生贄いけにえとしてえらばれることは、どもの家族かぞくやコミュニティーにとっておおきな名誉めいよだったと研究けんきゅうしゃかんがえている。

 しかし、カパコチャにかんする情報じょうほうのほとんどは間接かんせつてきなものだと、ポーランド、ワルシャワ大学だいがくアンデス研究けんきゅうセンターの考古こうこ学者がくしゃで、カパコチャを研究けんきゅうしているダグマラ・ソチャ指摘してきする。は、こおり乙女おとめかお復元ふくげん依頼いらいした人物じんぶつでもある。「この儀式ぎしき実際じっさいたヨーロッパの入植にゅうしょくしゃはいません」とソチャ説明せつめいする。

 このように歴史れきし記録きろくには空白くうはくがあるものの、アンパトをはじめとする山々やまやまでインカのどもがじゅう何人なんにん発見はっけんされていることは、どのような儀式ぎしきおこなわれていたかの重要じゅうよう証拠しょうことなる。

 かみごとに慣習かんしゅうちがいがあるのか、生贄いけにえのささげかたはさまざまだった。めにされたり、絞殺こうさつされたりしたどももいれば、心臓しんぞうされたどももいた。こおり乙女おとめ後頭部こうとうぶへの鈍器どんきによるいちげきいのちたれた。

<span style="font-size:15px;font-weight:bold;"><u><a href="/atcl/gallery/042800235/" target="_blank" target="_blank">「ギャラリー:子ども140人の集団生贄を発見 写真15点」</a></u></span><span style="font-size:9pt;">(見出しのクリックで表示)</span>
生贄いけにえになったども(ひだり)とリャマのみぎ)。西暦せいれき1450ねんごろ、ペルーの北部ほくぶ沿岸えんがん地域ちいきで140にん以上いじょうどもと200とう以上いじょうのリャマが生贄いけにえとしてささげられた。(PHOTOGRAPH BY GABRIEL PRIETO)

ページ:発見はっけん直後ちょくごのミイラの写真しゃしんも、最後さいごすう週間しゅうかん薬物やくぶつ摂取せっしゅ

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