2021年、米カリフォルニア州のデスバレー国立公園で温度計の写真を撮る職員。1975年、メートル法は国が推奨する単位であると正式に宣言されたが、一般市民への普及はなかなか進まない。(PHOTOGRAPH BY ROGER KISBY, REDUX)
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米国、ミャンマー、リベリアの共通点をご存じだろうか。「この3カ国には恥ずかしい類似点がある」とメートル法支持者は主張する。メートル、グラム、キロメートルではなく、フィート、ポンド、マイルという帝国単位(ヤード・ポンド法)を使用しているのだ。
しかし、実は、話はもっとややこしい。米国ではフィートやポンドといった単位が広く使われているが、実際に国が推奨しているのはメートル法だ。
では、なぜ米国人はメートル法を使わないのか? メートル法の発展の歴史と、なかなか日常生活に定着しない理由を見ていこう。
実は推奨されていた
まずはこんな事実から。「米国では1866年にメートル法の使用は法制化されています」と、度量衡の標準を管理する米国国立標準技術研究所(NIST)の連邦メートル法プログラムを主導するエリザベス・ベンハム氏は言う。
実際に、1970年代以降、貿易や商取引においては、メートル法(国際単位系、SI)を国として推奨する方針を政府は示してきた。しかし、使用は任意で、一律的な制度とはせずに産業界や個人にSIの使用をやんわりと促す程度だったために、普及に1世紀以上も費やす結果となっている。
混とんから始まったメートル法
事の難しさは、度量衡にまつわる混とんとした歴史からも見て取れる。メートル法の起源はフランス革命にさかのぼる。18世紀後半の啓蒙思想の時代、フランス人は、国を襲った政治的混乱の中に、ある大きなチャンスを見いだした。その頃のフランスには膨大な数の計量単位が存在し、国内だけでも25万種類もの単位が使われていた。(参考記事:「フランス革命はいかにしてメートル法を生んだか」)
フランス以外でも、国ごとに、さらには同じ国でも地域ごとに独自の計量単位があった。世界共通で一定の決まりに基づく国際基準を夢見る科学者にとっては、悪夢としかいいようがない状況だ。
新たな体系づくりを任されたフランス科学アカデミーは、その基準となる尺度を、パリから測定した「北極から赤道までの距離の1000万分の1の長さ」と決めた。これを1メートルとし、著名な科学者らによって苦労の末に文書にまとめられ、以後すべての度量衡の基礎となった。例えば、1ミリリットルは1立方センチメートルの水の体積、というように。
なかなか進まない切り替え
メートル法はすぐさまフランスで採用されたが、一般市民が新方式を取り入れるのに時間がかかるのは世の常だ。導入は遅々として進まなかったが、メートル法は世界中の科学者に電気ショックのような衝撃を与え、電気や磁気などの定義にメートル法が使われるようになっていった。
やがて、メートル法の概念が広まり始める。1866年になる頃には米国でも採用され、同年、商取引でのメートル法の使用を認める法律が可決された。
ゆっくりではあるが、メートル法は米国内に広く知られるようになる。最初は、度量衡の標準化のため、各州に提供された真鍮製の原器によるところが大きかった。
その後、1875年に米国、ドイツ、ロシア、フランスなどの大国によってメートル条約が締結されたことも、後押しとなった。条約を機に度量衡の国際的な運営機関が設立され、米国がメートル法に切り替わる道が大きく開かれた。(参考記事:「1kgの定義、原器から『原子の数』へ」)
ところが、米国内での普及は依然として進まなかった。その間、科学者たちがメートル法の改良を重ね、多くの分野に適用を広げていったにもかかわらず。
1960年を迎える頃には、メートル法は電圧や速度、熱容量、放射輝度に至るまで、地球上のありとあらゆるものを網羅し、近代化された。この年、国際単位系(SI)が定められ、世界中で採用された。(参考記事:「クエタ、ロナ、クエクト、ロント…国際単位系の接頭語に新顔」)
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