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宇宙広場で考える: 1月 2022

2022ねん1がつ26にち

入管にゅうかんちょう人権じんけんについて現場げんば職員しょくいん説教せっきょうたれる資格しかくがあるのか?


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



 入管にゅうかんちょう職員しょくいんけに「使命しめい心得こころえ」なる文書ぶんしょ策定さくていしたのだそうだ。失笑しっしょうするほかない。



 スリランカ国籍こくせきのウィシュマ・サンダマリさん(当時とうじ33)が昨年さくねん3がつ収容しゅうようさき施設しせつ病死びょうしした問題もんだいけ、出入国しゅつにゅうこく在留ざいりゅう管理庁かんりちょうは25にち職員しょくいん意識いしき改革かいかくのための「使命しめい心得こころえ」を策定さくていしたと公表こうひょうした。「秩序ちつじょある共生きょうせい社会しゃかい実現じつげん寄与きよする」ことを使命しめいかかげ、「誠心せいしん誠意せいい職務しょくむ遂行すいこうたらなければならない」とした。


 14にちづけ策定さくていされた「使命しめい心得こころえ」は、ウィシュマさんの死亡しぼう問題もんだいについて昨年さくねん8がつにまとめた調査ちょうさ報告ほうこくしょんだ改善かいぜんさくはしら職員しょくいんに「人権じんけん意識いしきける」発言はつげんがあり、体調たいちょうなどの情報じょうほう共有きょうゆうへのみが不十分ふじゅうぶんだったことをまえ、使命しめい実現じつげんのため留意りゅうい必要ひつよう事項じこうとして、「人権じんけん尊厳そんげん尊重そんちょう礼節れいせつたもつ」「風通かぜとおしの組織そしき風土ふうどつくる」など8てんげた。そのうえで職員しょくいんに「たか職業しょくぎょう倫理りんり」や「ない自己じこ研鑽けんさん(けんさん)」をもとめた。

入管にゅうかんちょう職員しょくいんけ「使命しめい心得こころえ策定さくてい スリランカ女性じょせい収容しゅうようけ:朝日新聞あさひしんぶんデジタル(伊藤いとう和也かずや 2022ねん1がつ25にち 1001ふん)



 内容ないようだけめばもっともらしいことをっているようだが、問題もんだいは「だれが」それをっているのかということだ。


 「秩序ちつじょある共生きょうせい社会しゃかい実現じつげん寄与きよする」だとか、「人権じんけん尊厳そんげん尊重そんちょう礼節れいせつたもつ」だとか、まあご立派りっぱなことをっているが、入管にゅうかん幹部かんぶすうねんまえにはこれらとまったくせい反対はんたい指示しじしているのである。


 2016ねん4がつ7にち法務省ほうむしょう入国にゅうこく管理かんり局長きょくちょう当時とうじ)の井上いのうえひろしは、「安全あんぜん安心あんしん社会しゃかい実現じつげんのための取組とりくみについて」なる通知つうちしている。入国にゅうこくしゃ収容しゅうよう所長しょちょう牛久うしく大村おおむら入管にゅうかんセンター)とかく地方ちほう入管にゅうかん局長きょくちょうにむけた通知つうちである。


 この通知つうちのなかで、井上いのうえは、「不法ふほう滞在たいざいしゃ」と「送還そうかん忌避きひしゃ」を「くに社会しゃかい不安ふあんあたえる外国がいこくじん」であるとし、これらを「大幅おおはば縮減しゅくげん」するために、「送還そうかん忌避きひしゃ発生はっせい抑制よくせいする適切てきせつ処遇しょぐう」を実施じっしせよとの指示しじしている。


 ようするに、収容しゅうようしょでつらいめにあわせ、いびりたおして、「くに社会しゃかい」からていくようにしむけろ、それが入管にゅうかん収容しゅうよう施設しせつの「適切てきせつ処遇しょぐう」なのだ、と井上いのうえっているわけだ。


 この2016ねん通知つうちについては、以下いか記事きじ全文ぜんぶん画像がぞう掲載けいさいし、批判ひはんしている。不逞ふてい外国がいこくじん収容しゅうよう施設しせつ虐待ぎゃくたいしてわがくにからかえせという内容ないよう指示しじ入管にゅうかん局長きょくちょうがほんとうに文書ぶんしょしているのです。ウソだとおもうかたは、一読いちどくしてご自身じしんでたしかめてください。


送還そうかん忌避きひしゃ発生はっせい抑制よくせいする適切てきせつ処遇しょぐう」とはなにか? 国家こっか犯罪はんざいとしての入管にゅうかん収容しゅうよう(2021ねん10がつ28にち)


 それにしても、6ねんまえ入管にゅうかん局長きょくちょう通知つうちでは、劣悪れつあく処遇しょぐう収容しゅうようすることで日本にっぽんからたたきせという内容ないよう指示しじしておきながら、そのおなこうでよくもまあ「人権じんけん尊厳そんげん尊重そんちょう礼節れいせつ」ちなさいなどと現場げんば職員しょくいん説教せっきょうをたれるものだ。ふざけるのもたいがいにすべきである。


 ウィシュマ・サンダマリさんを死亡しぼうさせた事件じけん反省はんせいし、再発さいはつ防止ぼうしもうとするうえで、入管にゅうかんちょう人権じんけんについて現場げんば職員しょくいん説教せっきょうするなどまったくのナンセンスである。だって、いびりたおして自国じこくかえせと指示しじしてたのは入管にゅうかん幹部かんぶどもなのだから。収容しゅうようしょ拷問ごうもんして帰国きこくへとむことで「送還そうかん忌避きひしゃ」を「大幅おおはば縮減しゅくげん」すべきだというのは、入管にゅうかん幹部かんぶめた方針ほうしんであって、現場げんば職員しょくいんたちが勝手かって判断はんだんしてやったことではない。


 犯罪はんざい組織そしきのボスが、手下てした指示しじして犯罪はんざい実行じっこうさせておきながら、その責任せきにんわれると「わかしゅにはよくいいきかせておきますから」などとったとして、それでだれが納得なっとくするだろうか。首謀しゅぼうしゃをこそ追及ついきゅうし、つみうべきだろう。もちろんここで「犯罪はんざい組織そしき」うんぬんといたのは、比喩ひゆでもたとえはなしでもないです。


2022ねん1がつ10日とおか

「どっちの拷問ごうもん人道的じんどうてきか?」強制きょうせい収容しゅうようしょ処遇しょぐう改善かいぜんについての考察こうさつ


【ふりがなを つける】(powered by ひらがなめがね)



  かつて大阪おおさか茨木いばらぎにあった西日本にしにほん入国にゅうこく管理かんりセンター(2015ねん閉鎖へいさ)の2001ねんごろ収容しゅうようしゃたいする処遇しょぐうについて、先輩せんぱい支援しえんしゃからはなし機会きかいがあった。記録きろくとしてのこすべき重要じゅうよう歴史れきし一部分いちぶぶんだとおもうので、きとめておきたい。



かつて開放かいほう処遇しょぐうはなかった!

 わたし非常ひじょうにおどろいたは、当時とうじ開放かいほう処遇しょぐうというものがなかったということだ。


 現在げんざいでは、全国ぜんこくのどの入管にゅうかん施設しせつでも、いちにちのうち一定いってい時間じかんたい収容しゅうようしゃ自分じぶん居室きょしつから共同きょうどうスペースにることのできる開放かいほう処遇しょぐう実施じっしされている。開放かいほう処遇しょぐう時間じかんたいには、収容しゅうようしゃ洗濯せんたく使用しようしたり、シャワーをあびたり、部屋へやひと交流こうりゅうしたりということができる。


 参考さんこうまでに、現在げんざい大阪おおさか入管にゅうかんでの収容しゅうようしゃいちにちのスケジュールを紹介しょうかいしておく。


7:40~ 朝食ちょうしょく

9:00 点呼てんこ

9:30~11:30 開放かいほう処遇しょぐう

11:30~13:30 施錠せじょう

11:40~ 昼食ちゅうしょく

13:30~16:30 開放かいほう処遇しょぐう

16:30~ 施錠せじょう

17:00 点呼てんこ

17:10~ 夕食ゆうしょく


 開放かいほう処遇しょぐうは、午前ごぜん2あいだ午後ごご3あいだのあわせて5あいだ。のこりの19あいだは、居室きょしつ施錠せじょうされてめられる。


 それぞれの居室きょしつ(雑居ざっきょぼう)は大阪おおさか入管にゅうかん場合ばあい定員ていいん6めい。ただし、定員ていいんいっぱい収容しゅうようされるということは、昨今さっこんではほとんどないので、ひとつの部屋へやに1~4めいぐらい。いまはコロナ入管にゅうかん収容しゅうようしゃすうらすようにしているので、ひとりに1部屋へやがわりあてられていることがおおいけれど、1にちのほとんどをそとからカギのかけられたちいさな部屋へやですごさなければならない。


 ひどいあつかいである。こんなものが人権じんけん尊重そんちょうした処遇しょぐうだとかんがえるひとはいないだろう。もしいるならば、そのひと自分じぶん倫理りんりかん深刻しんこくにうたがったほうがよい。


 ところが、20ねんまえはこのたった5あいだ開放かいほう処遇しょぐうすらなかったのだという。1にちのうち居室きょしつからられるのは、シャワーや洗濯せんたくのための15ふんだけ。ほかに運動うんどうじょうに30ふんることのゆるされるがあるが、毎日まいにちではない。そのなんにちかに1かいの30ぶん運動うんどう時間じかんも、あめがふれば中止ちゅうし


 外部がいぶとの通信つうしんもきびしく制限せいげんされたそうだ。外部がいぶ電話でんわをかけるのは事前じぜんもうせいで、弁護士べんごしへの連絡れんらくか、帰国きこく準備じゅんびのための家族かぞくへの連絡れんらくか、この2とお以外いがいでは許可きょかされなかった。


 このような状況じょうきょう精神せいしん正常せいじょうにたもつことは容易よういでないだろう。実際じっさい弁護士べんごし代理人だいりにんになって裁判さいばんこしても、判決はんけつるまで裁判さいばん維持いじできるのは非常ひじょうにまれであったという。裁判さいばん途中とちゅうでほとんどのひと収容しゅうようにがまんできなくなって帰国きこくしてしまうからだ。



一定いってい程度ていどの「改善かいぜん

 こうしたすさまじく劣悪れつあく処遇しょぐうが、西日本にしにほん入管にゅうかんセンターにおいて「改善かいぜん」されはじめたのが2003ねんごろだったという。


 2001ねん9がつ11にち米国べいこく世界せかい貿易ぼうえきセンタービルと国防総省こくぼうそうしょうがハイジャックされた航空機こうくうきによる自爆じばく攻撃こうげきけると、米国べいこくは「たいテロ戦争せんそう」としょうし、翌月よくげつにはNATOぐんとともにアフガニスタンへの侵略しんりゃく開始かいし


 べいぐんなどによるつみのないアフガニスタンのひとびとにたいする軍事ぐんじ攻撃こうげき殺戮さつりくはじまったおなじ10がつに、日本にっぽん政府せいふはアフガニスタン国籍こくせき難民なんみん申請しんせいしゃをつぎつぎと摘発てきはつし、入管にゅうかん施設しせつ収容しゅうようした。この一斉いっせい収容しゅうよう事件じけんについては、弁護士べんごし児玉こだま晃一こういち当時とうじのことを証言しょうげんしたインタビュー記事きじがいくつかあるので、ぜひんでみてほしい。


日本にっぽんはアフガニスタンからの難民なんみんにどうってきたのか | Dialogue for People(2021.9.10)

9.11同時どうじ多発たはつテロ突然とつぜん収容しゅうようされた日本にっぽん難民なんみん申請しんせいしゃたち。あれから難民なんみん収容しゅうようわったか? - 認定にんていNPO法人ほうじん 難民なんみん支援しえん協会きょうかい(2019.7.17)


 さて、この、入管にゅうかんがアフガニスタンじん難民なんみん申請しんせいしゃ一斉いっせい収容しゅうようした事件じけんをきっかけに、入管にゅうかん収容しゅうよう実態じったい報道ほうどうもされ、社会しゃかい問題もんだいしたのだという。


 こうして入管にゅうかん施設しせつのありかたへの社会しゃかいてき批判ひはんたかまったことをおそらくは背景はいけいにして、入管にゅうかん収容しゅうようしゃたいする処遇しょぐう一定いってい程度ていど改善かいぜん」するみをはじめる。大阪おおさか西日本にしにほん入国にゅうこく管理かんりセンターでは、2003ねんの1がつから7がつにかけて収容しゅうよう所内しょない改修かいしゅう工事こうじをおこなってかく居室きょしつそと収容しゅうようしゃ共同きょうどう使つかえるスペースをつくり、開放かいほう処遇しょぐう順次じゅんじ開始かいししていったのだという。



どちらの拷問ごうもん人道的じんどうてきか?

 入管にゅうかん施設しせつめられたひとたちにとって、開放かいほう処遇しょぐうがあるかないかというのは、たしかにおおきなちがいのあることであろう。一日中いちにちじゅうあるきまわれるスペースもないようなちいさな雑居ざっきょぼうですわっているかよこになっているかしてすごすのと、わずか5~6あいだであってもそのちいさなぼうからることができるのとでは、心身しんしんにあたえる影響えいきょうはぜんぜんちがってくるだろう。西日本にしにほん入管にゅうかんセンターでも、開放かいほう処遇しょぐうのなかった時代じだいには、6かげつをこえるような長期ちょうき収容しゅうようれいはごくまれだったのだそうだ。帰国きこくできない事情じじょうのあるひとでも短期間たんきかんでほとんどのひとがまんできずにおとをあげるほどに収容しゅうよう過酷かこくだったからだ。


 でも、そのいっぽうで、「そこに本質ほんしつてきなちがいがあるのだろうか?」ということもわなければならないとおもう。いちにちのうちなんあいだかせまい居室きょしつからることができるといっても、たんにそれは施錠せじょうされたおりがすこしおおきくなるにすぎない。自由じゆうがうばわれていることにはかわりがないのだ。


 それだけではない。2003ねんから西日本にしにほん入管にゅうかんセンターが開放かいほう処遇しょぐうをはじめたといっても、その前後ぜんご入管にゅうかんにとっての収容しゅうよう目的もくてきがかわったわけではない。収容しゅうようしゃ精神せいしんてき肉体にくたいてきいためつけて帰国きこくむこと。これが入管にゅうかん一貫いっかんした収容しゅうよう目的もくてきである。


 開放かいほう処遇しょぐう導入どうにゅうによってしょうじたのは、短期間たんきかんいそいで帰国きこくむか、長期ちょうき収容しゅうようによって時間じかんをかけて帰国きこくむかのちがいでしかない*1社会しゃかい状況じょうきょう動向どうこう適応てきおうさせて拷問ごうもんのやりかたをかえただけのことだ。


 監禁かんきんして自由じゆうをうばい、心身しんしん健康けんこうをおのずとくずすような状況じょうきょう収容しゅうようしゃくことで、日本にっぽんからていくように強要きょうようする。これは苦痛くつう恐怖きょうふあたえて相手あいて意思いし変更へんこうさせようとする行為こういであって、比喩ひゆでも誇張こちょうでもなく拷問ごうもんとよぶべきものだ。相手あいて心身しんしんはげしい苦痛くつう短期間たんきかんにたたきこむか、それとも6かげつ、1ねん、2ねんなが時間じかんをかけて心身しんしん徐々じょじょ蓄積ちくせきしていくように苦痛くつうあたえていくか。どちらのほうが人道的じんどうてきだろうかとうのはナンセンスだ。いずれにしても、拷問ごうもんであることにちがいはないのだから。



処遇しょぐう問題もんだい本質ほんしつではない

 ここまで、もっぱら開放かいほう処遇しょぐうのあるなしといういちてんのみでわたしかたってきた。もちろん、この開放かいほう処遇しょぐう有無うむやその時間じかんながさは、収容しゅうようしゃたいする処遇しょぐうのさまざまにある要素ようそのうちのひとつにすぎない。しかし、医療いりょう食事しょくじしつ運動うんどう時間じかん最大限さいだいげん自由じゆう確保かくほなど処遇しょぐうほか要素ようそについても、その「改善かいぜん」というものが、ほんとうに施設しせつ収容しゅうようされたひと人権じんけん保障ほしょうにはつながるものなのかということは、よくよくうたがってかかったほうがよい。とくに当局とうきょく処遇しょぐう問題もんだい改善かいぜんもうとしているかのようにみずからを宣伝せんでんするときには*2


 入管にゅうかん施設しせつについて処遇しょぐう問題もんだいは、重要じゅうようではないとはわないけれども、けっして本質ほんしつではない。


 たとえば、2021ねん3がつ名古屋なごや入管にゅうかんでウィシュマさんが見殺みごろしにされた事件じけんは、医療いりょう体制たいせいなどの処遇しょぐう不備ふびによっておこったものではない。入管にゅうかん早期そうきかり放免ほうめん許可きょかするか、外部がいぶ病院びょういん入院にゅういんさせて点滴てんてき治療ちりょうをするか、あるいはくなってしまったすこしでもまえ救急きゅうきゅうしゃんでいれば、ウィシュマさんがいのちをうばわれることはなかった。収容しゅうよう継続けいぞくすること、またこれによって送還そうかん遂行すいこうするということに固執こしつしたことで入管にゅうかんはウィシュマさんのいのちをうばったのである。


 また、2019ねん6がつ大村おおむら入管にゅうかんセンターでナイジェリアじん収容しゅうようしゃ長期ちょうき収容しゅうよう抗議こうぎするハンストのすえに餓死がしした事件じけんも、やはり収容しゅうよう継続けいぞく固執こしつするあまり、入管にゅうかん見殺みごろしにしたというものである。長期ちょうき収容しゅうようによっていやったのであって、処遇しょぐう問題もんだいによっておきた事件じけんではない。


 処遇しょぐう改善かいぜんをはかっても、入管にゅうかん施設しせつないであいついでいる自殺じさつをふくめた死亡しぼう事件じけんをふせいだり、人権じんけん侵害しんがいをなくしたりといった問題もんだい解決かいけつには、かならずしもつながらない。ある意味いみでの処遇しょぐう改善かいぜん長期ちょうき収容しゅうよう可能かのうにしている側面そくめんすらあるのだ。問題もんだい本質ほんしつは、日本にっぽん政府せいふやそのもとでうごいている入管にゅうかんという組織そしき収容しゅうようという措置そち帰国きこく強要きょうようのための拷問ごうもんとしておこなっていることにある。処遇しょぐうはあくまでもてき問題もんだいにすぎない。収容しゅうよう期間きかん上限じょうげん設定せっていするなどして長期ちょうき収容しゅうようという拷問ごうもんをやめさせれば、医療いりょうをはじめとした処遇しょぐう問題もんだいおおくは格段かくだんちいさくなるはずである。

 



ちゅう

1: 現在げんざい入管にゅうかんが「送還そうかん忌避きひしゃ」を帰国きこくむために長期ちょうき収容しゅうようという手段しゅだん自覚じかくてき戦略せんりゃくてきにもちいているということ、またそのことを法務大臣ほうむだいじん入管にゅうかんちょう広報こうほうがもはやかくそうともせず公言こうげんしていることについては、このブログでも以下いか記事きじなどでなんべている。
日本にっぽん社会しゃかい問題もんだいとしてかんがえる――入管にゅうかん人権じんけん侵害しんがい(その1)(2021.12.5)
公然こうぜんされつつある拷問ごうもん――出国しゅっこく強要きょうよう手段しゅだんとしての期限きげん長期ちょうき収容しゅうよう(2021.4.3) 

 

2: なお、入管にゅうかん幹部かんぶ近年きんねん処遇しょぐう改善かいぜんむどころか、これとまったく反対はんたい指示しじ全国ぜんこく収容しゅうよう施設しせつちょうにむけてしていることはつけくわえておかなければならない。「送還そうかん忌避きひしゃ発生はっせい抑制よくせいする適切てきせつ処遇しょぐう」にめとの内容ないようをふくむ2016ねん法務省ほうむしょう入管にゅうかん局長きょくちょう通達つうたつである。これはようするに、処遇しょぐう劣悪れつあくなものにとどめることによって「送還そうかん忌避きひしゃ」を帰国きこくめとめいじていると解釈かいしゃくするほかない。この通達つうたつ問題もんだいについては以下いか記事きじべている。

2022ねん1がつ5にち

ヒステリックなこえ


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(1)こっちをきこまないでほしい

 先日せんじつ入管にゅうかん収容しゅうよう施設しせつまえで30にんほどで抗議こうぎ行動こうどうをおこなっていたときのこと。


 近隣きんりん学校がっこう学生がくせいさんたちが苦情くじょうってきた。勉強べんきょうしているところにわたしたちの抗議こうぎこえがうるさくて集中しゅうちゅうできないのだという。わたしたちは、拡声かくせい使つかって入管にゅうかんの7かいと8かい収容しゅうようじょうこえとどくようにこえをあげていた。収容しゅうようされているひとたちからの「ありがとう」「たすけてください」とさけぶこえも、こえていた。学生がくせいさんたちがうには、自分じぶんたちはちか国家こっか試験しけんをひかえているのだけれども、わたしたちの抗議こうぎこえがけっこうこえがひびいてしまっており、勉強べんきょうのさまたげになっているのだということだった。


 公共こうきょうでおこなわれる抗議こうぎというのは、他人たにん生活せいかつ介入かいにゅうすることになることもしばしばで、その介入かいにゅうのしかたはある意味いみ暴力ぼうりょくてきでもありうる。自室じしつ教室きょうしつなどで勉強べんきょうしているひとにとって抗議こうぎこえはジャマな騒音そうおんでしかないだろうし、デモ行進こうしんはこれもまた迷惑めいわく交通こうつう渋滞じゅうたいをひきおこすことがある。


 抗議こうぎをジャマだ迷惑めいわくだとがわからは、「とき場所ばしょをえらんでやればいいじゃないか」とわれることがある。でも、とき場所ばしょえらんでいられないことだってある。路上ろじょうたおれてうごけなくなっているひとは、通行人つうこうにんたすけをもとめるのにとき場所ばしょをえらんでる余裕よゆうはない。自分じぶん以外いがいのだれかがたすけを必要ひつようとしているという場合ばあいでもおなじだ。危機ききにひんしているだれかを自分じぶんひとりではたすけられないときは、ほかのだれかにびかけてをかしてもらうしかない。それもとき場所ばしょをえらんではいられない。


 わたしたちが抗議こうぎをしているのも、それぐらいせっぱつぱった事情じじょうがあってのことだ。ひとににかかわることで、こえをあげている。


 抗議こうぎこえ行動こうどうがうっとおしくかんじるひとは、それぞれの生活せいかつがあり事情じじょうがあってそうかんじているのだということは、わかっている。国家こっか試験しけんはそのひとにとってのいち大事だいじだろうし、重要じゅうよう商談しょうだんがあって渋滞じゅうたいにはまってる場合ばあいじゃないということだってあるだろう。でも、抗議こうぎするものにとって、そんなのかまってられないということだってある。


 そこにはあるしゅ敵対てきたいせいがあるのだということは否定ひていできない。敵対てきたいせいは、抗議こうぎするものとその抗議こうぎしようとする相手あいてとのあいだにあるだけではない。抗議こうぎしゃとこれをジャマにおも通行人つうこうにん近隣きんりん住民じゅうみんとのあいだにも、それはたしかにある。


 抗議こうぎこえをやかましくかんじ、デモを迷惑めいわくだとひとは、試験しけん勉強べんきょうしたり商談しょうだんにむかおうとしたりしている自分じぶんをそこに「きこまないでほしい」とおもうだろう。そうおもうのは、その抗議こうぎ内容ないよう自分じぶん無関係むかんけいだとかんがえるからだ。そういうひと抗議こうぎしゃに「ヨソでやってくれよ」とうだろう。でも、この社会しゃかい差別さべつ政治せいじ作為さくい作為さくいによってだれかがいのち生活せいかつ破壊はかいされようとしているとき、それと無関係むかんけい第三者だいさんしゃなんてものは存在そんざいしない。だから、抗議こうぎしゃ公共こうきょう場所ばしょ通行つうこうするひとたちや職場しょくば学校がっこうがそこにあるひとたちの視界しかいみみにいやおうなしにはいってくる場所ばしょこえをあげる。



(2)だまらせたい、みみをふさぎたい

 さて、国家こっか試験しけん勉強べんきょうをしているところに、まえ道路どうろ拡声かくせいをつかった抗議こうぎ行動こうどうをされたら、うるさいとかんじるのは当然とうぜんでもある。しかし、抗議こうぎこえがうるさくかんじられるのは、かならずしもそのこえ物理ぶつりてきおおきさだけに由来ゆらいするわけではない。


 自分じぶん自身じしんがまさに抗議こうぎによってわれているという自覚じかく多少たしょうなりともあるひとは、それが自分じぶんとはまったく無関係むかんけいだとおもっていているひと以上いじょう抗議こうぎこえをうるさくかんじることがあるだろう。たとえば、女性じょせいがあげる性差せいさべつへの抗議こうぎこえ男性だんせいはしばしばうるさく粗暴そぼうなものとしてあつかう。実際じっさい女性じょせいによる抗議こうぎこえは、男性だんせいによってヒステリックなもの、論理ろんりせいけた感情かんじょうてきなものとして表象ひょうしょうされてきた。


 自分じぶん自身じしんのありかたわれているということ、自身じしんがあたりまえであるとかんじてきたことが男性だんせいという属性ぞくせい付与ふよされた不当ふとう特権とっけんであるということ。そのことが抗議こうぎによって自身じしんにつきつけられている。そう自覚じかくしつつも、その認識にんしき否認ひにんしようとするぶりが、抗議こうぎこえをヒステリックなものとめつける男性だんせいのふるまいにほかならない。


 他者たしゃこえにヒステリーという意味いみづけをするところには、ひとつには、うるさいから相手あいてをだまらせたいというおもわくがある。と同時どうじに、そこには相手あいて抗議こうぎ批判ひはんをまともにとりあう必要ひつようのないものとして矮小わいしょうしようという意思いしがはたらいている。相手あいて言葉ことば矮小わいしょうしたいのは、それによって自分じぶんわれているということ、その批判ひはんかならずしもマトはずれなものではないということを、多少たしょうなりとも理解りかいしているからだ。無視むしできないということがわかっているからこそ、それを矮小わいしょうしようとするのである。相手あいて言葉ことばをとるにたらないものと矮小わいしょうするのは、相手あいてをだまらせるためというよりも、自分じぶん(たち)のみみをふさいで相手あいてこえこえなくしようとするぶりである。


 こえがヒステリックにこえるのは、いているがわがそう意味いみづけているからであって、抗議こうぎしゃこえにそうこえる原因げんいんがあるとかんがえるべきではない。また、抗議こうぎこえをヒステリックなものとしてあつかおうとするのは、それをけられたものがこれを拒絶きょぜつしようとしているということであって、それは同時どうじこえとどいているということのあかしでもある。抗議こうぎこえ自分じぶんにとって無視むしできないものだとっているからこそ、これをヒステリックなこえであるとして拒絶きょぜつしようとするのだ。


 だから、抗議こうぎをおこなうがわにとって、相手あいてがうるさくかんじないように、自分じぶんこえがヒステリックなものとられないようにするのは、意味いみがないし、本末転倒ほんまつてんとうですらある。



(3)ちいさなこえを、ちから

 岸田きしだ首相しゅしょうは、昨年さくねん9がつ自民党じみんとう総裁そうさいせんで「ちから」が自身じしんのアピール・ポイントだとかたっていたようだ。また、連立れんりつ与党よとう公明党こうめいとうは、2019ねんから「ちいさなこえを、ちから」というキャッチコピーをつけたポスターを街頭がいとうなどにりだしている。


 しかし、権力けんりょくをもつものがアピールする「ちから」などというものをしんけるべきではない。どのこえき、また、どのこえかずに無視むしするのか。それをおもうがままに選択せんたくできるということが、権力けんりょくをもつということだからだ。「ちいさなこえを、く」などとっている政治せいじも、こっちがほんとうにちいさなこえでうったえたらこえないふりをしてくるかもしれない。しかたなくおおきなこえしたら「うるさい」とわれていてくれないということもある。きたいこえだけをき、きたくないこえこえなかったことにする。その選択せんたくができるということが権力けんりょくなのだ。


 これは首相しゅしょう与党よとう政治せいじといった、多数たすう人間にんげん政治せいじ権力けんりょく行使こうしできる立場たちばにあるものたちだけに関係かんけいするはなしではない。上司じょうし部下ぶか教師きょうし学生がくせいといった非対称ひたいしょう権力けんりょく関係かんけいしょうじる場面ばめんすべてにあてはまるはなしである。2人ふたり人間にんげんがいて、そこに権力けんりょくがあるとき、権力けんりょくちいさいもの相手あいてこえ無視むしするということがむずかしい。しかし、権力けんりょくおおきいものにとっては、相手あいてこえいたりこえなかったふりをしたりという選択せんたく容易よういにできる。


 権力けんりょくおおきいものは、相手あいて小声こごえでささやくのにたいし、こえていないふりができる。相手あいて大声おおごえをだせば、さすがにこえていないふりをするのはいくらかむずかしくはなるだろう。しかし、その場合ばあいでも権力けんりょくおおきいものは、相手あいてこえくにあたいしないのだということをいたてることができる。あなたのいいかたはヒステリックだから、粗暴そぼうだから、わたしきずつけるから、だから必要ひつようはないのだ、わたしみみをかたむけないのはあなたに原因げんいんがあるのだ、と。いてほしければ、感情かんじょうてきにならずに冷静れいせいはなしてくれ、と。トーン・ポリシングというやつだ。


 抗議こうぎこえをあげようとするものは、こうしたトーン・ポリシングにみみをかす必要ひつようはない。自分じぶんこえ相手あいてこうとしないのは、それがヒステリックだからではない。粗暴そぼうだからではない。冷静れいせいさをいているからではない。礼儀れいぎにかなっていないからでもない。そこに権力けんりょくがあるからだ。相手あいて自分じぶんこえ無視むしできる権力けんりょくをもっているからだ。



(4)いきりったヒステリックな人々ひとびと

 脚本きゃくほん太田おおたあいのブログ記事きじ話題わだいになっている。


相棒あいぼう20げんSPについて(視聴しちょうえた方々かたがたへ) | 脚本きゃくほん/小説しょうせつ太田おおたあいのブログ


 この記事きじでは、元日がんじつ放送ほうそうされたテレビ朝日てれびあさひのドラマ『相棒あいぼう』に、太田おおた脚本きゃくほんにはなかったシーンが不本意ふほんいなかたちではいっていたということが、以下いかのようにべられている。



右京うきょうさんとわたるさんが、鉄道てつどう会社かいしゃ子会社こがいしゃであるデイリーハピネス本社ほんしゃで、プラカードをかかげた人々ひとびとかこまれるというシーンは脚本きゃくほんでは存在そんざいしませんでした。


あの場面ばめんは、デイリーハピネス本社ほんしゃ男性だんせいひら社員しゃいんめいが、えき売店ばいてん店員てんいんさんたちが裁判さいばんうったえた経緯けいいを、おもいをめてかたるシーンでした。現実げんじつにもよくあることですが、デイリーハピネスは親会社おやがいしゃ鉄道てつどう会社かいしゃ天下あまくださきで、幹部かんぶ職員しょくいん役員やくいんとしてじゅうだい入社にゅうしゃし、さんよんねんふたた退職たいしょくきんめていく。その一方いっぽうで、ワンオペで水分すいぶんるのもひかえてはたらき、それでもいつも笑顔えがおで「いってらっしゃい」とってくれるえき売店ばいてんのおばさんたちは、正規せいき社員しゃいんというだけで、正社員せいしゃいんおな仕事しごとをしても基本給きほんきゅうひくいまま、退職たいしょくきんもゼロ。しかも店員てんいん大半たいはん正規せいき社員しゃいんという状況じょうきょうなか子会社こがいしゃひら社員しゃいんたちも、裁判さいばんった店舗てんぽのおばさんたちに肩入かたいれし、おおいに応援おうえんしているという場面ばめんでした。


どういち労働ろうどうをする雇用こようしゃあいだ不合理ふごうりなほどの待遇たいぐう格差かくさがあってはならないという法律ほうりつ出来できても、会社かいしゃつとめながらこえげるのは大変たいへん勇気ゆうきがいることです。また、いちにちちゅうはたらいてくたくたなうえ裁判さいばんとなると、さらにおおきな時間じかん労力ろうりょくかれます。ですが、自分じぶんたちとつぎ世代せだい正規せいき雇用こようしゃのために、なんとか、かぼそいながらもこえをあげようとしている人々ひとびとがおり、それをささえようとしている人々ひとびとがいます。そのような現実げんじつ数々かずかずのルポルタージュをみ、当事とうじしゃ方々かたがたのおはなしうかがいながら執筆しっぴつしましたので、訴訟そしょうこした当事とうじしゃである正規せいき店舗てんぽのおばさんたちが、あのようにいきりったヒステリックな人々ひとびととしてえがかれるとはおもってもいませんでした。同時どうじに、いまくるしい立場たちばたたかっておられる方々かたがたきずつけたのではないかとおもうと、とてももうわけなくおもいます。どのようなにおいても、社会しゃかいなかこえげていく人々ひとびと冷笑れいしょう揶揄やゆけられないようにとねがいます。



 わたしはこの放送ほうそうていないのだけれど、こえをあげるもの権力けんりょくにあらがうもの粗暴そぼう存在そんざいとしておとしめる表現ひょうげんは、このくにではありふれている。「いきりったヒステリックな人々ひとびととしてえがかれる」のは、たとえばフェミニズムをおとしめるのに定番ていばんのイメージとなっている。太田おおたのブログは、公正こうせい差別さべつかいこえをあげるという行為こういたい悪意あくいをもってことさら否定ひていてき描写びょうしゃしようとするドラマ制作せいさくしゃのありようを記録きろくし、これを問題もんだいしたというてんで、貴重きちょうなものだとおもう。



(5)ヒステリックでなにがわるい?

 さて、太田おおたは「いまくるしい立場たちばたたかっておられる方々かたがたきずつけたのではないかとおもうと、とてももうわけなくおもいます」とき、また「社会しゃかいなかこえげていく人々ひとびと冷笑れいしょう揶揄やゆけられないようにとねがいます」といている。こうした発言はつげんは、公正こうせい差別さべつにあらがいこえをあげていこうとするひとびとにっていこうとするものなのだとはおもう。


 でも、そうやっておうとしたり、あるいはともにこえをあげようとしたりするときに、「いきりったヒステリックな人々ひとびと」とみられ「冷笑れいしょう揶揄やゆ」をけられながら、それでもこえをあげてきた先人せんじんたちへのリスペクトはもちつづけていたい。これはわたし自身じしんのこととしてそうおもっている。


 こえをあげるときに、相手あいてからそれがヒステリックなこえられないように、いきりったひとたちと自分じぶん同類どうるいだとみられないように、あるいは世間せけんからスマートにみられるようにと自己じこ規制きせいしたくなったら、それはまちがった方向ほうこうすすみつつある兆候ちょうこうである。それは、世間せけん多数たすうしゃ権力けんりょくのあるもの自分じぶんがみばえよくうつるようにありたいという誘惑ゆうわくであって、こえのもつちからをそぐものである。