事後じご「ねぇ、ダフネ」
　事ことを終おえたあとは、つい背せを向むけて寝転ねころがってしまう。もう数すう回かいはやったことだが、未いまだにこのどうにも照てれくさく甘酸あまずっぱい後味あとあじに慣なれることが出来できない。
　いつものように素そっ気けなく向むけた背せにそっと身みを寄よせて、ぽつりと放はなたれた自分じぶんの名前なまえ。寝ねているふりを決きめ込こもうかとも思おもったが、つい返事へんじを返かえしてしまう。
「ん」
　その日ひは、どことなく様子ようすが違ちがっていたからだろうか。
　きゅっと布団ふとんが引ひっ張ぱられる。釣つられるようにして、僅わずかに顔かおを引ひっ張ぱられた方ほうへ向むけた。
　呼よびかけて、返事へんじがあって、その次つぎの言葉ことばがなかなか出でてこない。

　背せを向むけるのをやめた。仰向あおむけになり、すぐ横よこに居いる不安ふあんげな顔かおをほんの少すこしだけ見みつめる。
　今いまにも泣なきそうな顔かお。あの時ときの自分じぶんも、こんな顔がおをしていたのだろうか。

「俺おれ、ホテル好すきなんだよね。湯船ゆぶねあるから。」
「は？あんたどんなボロ家か住すんでんだ。」
「ほぼ寝ねるだけの家いえだからな…」

　脳のう内ないでボロアパートに一人ひとりで寝起ねおきするこの人ひとを想像そうぞうして、ちょっと笑わらえた。こんなに綺麗きれいな人ひとなのに、本当ほんとうに大雑把おおざっぱだ。

　セックスはするけれど、俺おれはこの人ひとの事ことを何なにも知しらない。聞きける立場たちばにいない。所謂いわゆるセフレという関係かんけいになって随分ずいぶんと経たつ。
　心地ここちよい関係かんけいは、踏ふみ込こむことをとどまらせる。
この関係かんけいを壊こわしてしまうのが怖こわかった。…まったく自分じぶんらしくない。普段ふだんの振ふる舞まいを知しっている者ものが今いまの自分じぶんを見みたら驚おどろく事ことだろう。
　そのくらい、本気ほんきの恋こいになってしまった。

　最初さいしょは見みた目めから。次つぎにセックスの相性あいしょう。その次つぎに人柄ひとがら。今更いまさらになって順番じゅんばんを間違まちがえたなと思おもう。そのせいで今いま、ぐだぐだと二にの足あしを踏ふんでいる。

嘘うそつきの行ゆく末すえ　すぅと息いきを吸すい込こむ。吐はき出だしたタイミングでドアをノック。乾かわいた音おとの後のちに「はい」という声こえがして、しばらくするとドアが開ひらき、端正たんせいな顔かおの持もち主ぬしが姿すがたをあらわした。ホテル独特どくとくの匂においが広ひろがるその部屋へやはエグゼクティブルームだ。一度いちどスイートルームを取とったこともあるが、「落おち着つかない」と眉まゆを顰しかめられたためランクを落おとした。それでもスタンダードな部屋へややラブホテルを選えらばないのは彼かれに対たいする敬けいいの気持きもちとお互たがいに名なの知しれたディビジョンラップバトルの代表だいひょう者しゃであるがゆえだ。

「遅おそくなってすまないね。幻まぼろし太郎たろうくん」
「構かまいませんよ。お仕事しごとですもの。どうぞ、早はやく中なかへ」
　そう促うながされ、廊下ろうかを一瞬いっしゅんだけ確認かくにんすると早急そうきゅうに部屋へやへと足あしを踏ふみ入いれた。シティホテルのエグゼクティブクラスとはいえ何処どこに週刊しゅうかん誌しの記者きしゃが潜ひそんでいるか分わからない。いざとなれば取材しゅざいのためホテルに行いっただけ、と言いえば良よいのだが〝火ひのないところに煙けむりは立たたない〟理論りろんで面白おもしろおかしく騒さわぎ立たてられるのも不愉快ふゆかいだ。記者きしゃというものはそういう奴やつらなのだ。

不透明ふとうめいな僕ぼくたちは「これ何なに？」
　一いち二に三さんは激怒げきどした。なんちゃって。
　伊い弉冉一いち二に三さんと関係かんけいを持もつようになって彼かれが本気ほんきで憤慨ふんがいしたところは見みたことがない。今こん現在げんざいもそうだ。眉まゆを顰しかめて、声こえも普段ふだんより抑おさえてあるが、怒おこってはいないだろう。
　きっとこの男おとこは怒おこることに関かんして慣なれていない。つくづく難儀なんぎな奴やつだなと思おもう。その女性じょせい恐怖症きょうふしょうも。
「何なにって……貴方あなたのスマートフォンですね」
「そーゆーこと言いってんじゃねぇの！これ！」
　一いち二に三さんは左手ひだりてに持もったスマートフォンの液晶えきしょうをこちらに見みせ、右手みぎての人差ひとさし指ゆびでコツンコツンと音おとを鳴ならす。美うつくしくて長ながい指ゆびだな〜だとかリズム良よく鳴ならされた音おとが心地ここち良よいな〜なんてこの場ばに似につかわしくないことばかりを考かんがえた。
「おや、まあ。これは小生しょうせいのSNSではないですか」

ブレーカー・ブレーカー　三さん十じゅう度どを容易よういに超こえる、風ふうひとつ吹ふかない熱帯夜ねったいやだった。窓まどの無ないせせこましい部屋へやで、オレたちは火照ほてった身体しんたいを擦こすり合あわせていた。
　最中さいちゅうは暑あつさのことなど忘わすれてしまうのに、出だすものを出だし切きってしまうと、空調くうちょうもろくに効きかない安やすホテルのベッドの上うえでいつまでも溶とけたキャンディみたいにべったりくっ付ついている気きにはどうしてもなれない。オレは腰こしの立たたなくなったケチャップを置おいてシャワーを浴あびることにした。ボイラーの具合ぐあいが悪わるいのか待まてど暮くらせどぬるい湯ゆしか出でてこないが、しかし今いまはこの温度おんどが丁度ちょうど良よい。全身ぜんしんにへばりついたアイツの体温たいおんを洗あらい流ながしてくれる。
　事ことが終おわれば、空からっぽになったソウルはすぐに元もとの形かたちを取とり戻もどして、平然へいぜんと胸むねの真まん中なかに収おさまる。まるで何事なにごとも無なかったかのように。なのに、指ゆびの先さきに、口くちの中なかに、アイツの灼やけるような体温たいおんがいつまでもちりちりと残のこるのだ。念入ねんいりにぬるま湯ゆをかぶり、身体しんたいの表面ひょうめんからその残のこり香がのような熱ねつを拭ぬぐい去さる。