目次もくじ

  1. 将来しょうらいやりたいこともなくちちすすめで取引とりひきさき入社にゅうしゃ
  2. 結婚けっこん直後ちょくご会社かいしゃ借金しゃっきん保証人ほしょうにん
  3. どんぞこくちからた「ひとやく仕事しごとがしたい」
  4. ケアマネージャーの入社にゅうしゃ転機てんき 
  5. ちいさなこまりごとを解決かいけつするサービス、次々つぎつぎ
  6. 調理ちょうり食品しょくひん販売はんばい人手ひとで不足ふそく解消かいしょう
  7. 地域ちいきでナンバーワンの企業きぎょう成長せいちょう

 斎藤さいとうアルケン工業こうぎょうは、1976ねん内装ないそう工事こうじぎょうからスタート。おも軽量けいりょう鉄骨てっこつばれる素材そざいもちいて、天井てんじょうかべ骨組ほねぐみをつくる「けいてん工事こうじ」を展開てんかいしていました。

 大学だいがく時代じだい斎藤さいとうさんは、将来しょうらいとくにやりたいこともなく、就職しゅうしょく活動かつどうもしていませんでした。そんな姿すがたかねたちちから、取引とりひきさき素材そざいメーカーへの入社にゅうしゃすすめられ就職しゅうしょくします。

 入社にゅうしゃ製造せいぞう工場こうじょう配属はいぞくされてすぐに、ローラーにはさまれ、切断せつだん寸前すんぜんのケガをうというトラブルに見舞みまわれますが、復帰ふっきやく2ねんはたらきました。その山口やまぐちけん営業えいぎょうしょげを担当たんとう。ある程度ていどかたちになり、自分じぶんができることはやりくしたとかんじ、2000ねん家業かぎょうもど決断けつだんをします。

 「当時とうじはバブルが崩壊ほうかいし、建築けんちく業界ぎょうかいきょう時代じだいでしたが、あえて不景気ふけいきなときにかえり、苦労くろう経験けいけんするほう成長せいちょうにつながるとかんがえました。家業かぎょう赤字あかじつづいていましたが、なにとか経営けいえいなおすため、ちちがリストラを実行じっこうしたことで、経営けいえい一時期いちじき安定あんていしたかにえました」

 2002ねん結婚けっこんし、どもが誕生たんじょう。ちょうどそのころ斎藤さいとうさんは金融きんゆう機関きかんから会社かいしゃ借入金かりいれきん保証人ほしょうにんになるようもとめられ、そこではじめて経営けいえい実状じつじょうることになります。年間ねんかんげが6000まんえんにもかかわらず、借入金かりいれきんが5000まんえんのこっていたのです。

 これからというときに、仕事しごとがなく、げもがらないというくるしい日々ひびつづきました。職人しょくにんから経営けいえいしゃになったちちは、数字すうじかんする業務ぎょうむ苦手にがてだったため、金融きんゆう機関きかんへは斎藤さいとうさんが代理だいり説明せつめいしている状況じょうきょうでした。

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