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田尻たじりさとし

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ウィキペディアにも「田尻たじりさとし」の項目こうもくがあります。


田尻たじり さとし(たじり さとし、1965ねん8がつ28にち - )は、日本にっぽんゲームクリエーターポケットモンスターみのおやであり、ゲームフリーク代表だいひょう取締役とりしまりやくつとめる。サトシ名前なまえもとともなっている。

略歴りゃくれき

東京とうきょう世田谷せたがやまれ、町田まちだ少年しょうねん時代じだいごす。少年しょうねん時代じだいむしることに熱中ねっちゅうするむし少年しょうねんだったが、13さいとき友達ともだちすすめられてスペースインベーダーをやって以来いらい、ゲームセンターにびたるようになる。とくに、『ゼビウス』には色濃いろこ影響えいきょうけており、大堀おおほり康祐こうすけちゅうきむ直彦なおひこ執筆しっぴつしたミニコミ『ゼビウス 1000まんてんへの解法かいほう』に加筆かひつおこなっている[1]。『ゼビウス 1000まんてんへの解法かいほう』は委託いたくさい頒布はんぷされ、同人どうじんミニコミとして異例いれい部数ぶすうげた[1]

1981ねん東京工業高等専門学校とうきょうこうぎょうこうとうせんもんがっこう入学にゅうがく、1983ねんにゲームミニコミゲームフリーク』をげる[2]。これはまだ攻略こうりゃくほん存在そんざいのなかった当時とうじにしては画期的かっきてきなことだった。この経験けいけんかし、ゲーム専門せんもん記事きじ執筆しっぴつのアルバイトをおこなっていた[3]。また、杉森すぎもりけんとの出会であいもこの同人どうじんがきっかけであった[2]執筆しっぴつ経験けいけん会社かいしゃ設立せつりつも、出版しゅっぱんげやエッセイの執筆しっぴつなどでかされることになる[3]

1985ねんこうせん卒業そつぎょうしたのち、ゲームライターとして活躍かつやくしており、『ファミコン通信つうしん』の創刊そうかんごう執筆しっぴつにもかかわっていた[3]執筆しっぴつ活動かつどう資金しきんもとに1987ねん本格ほんかくてきにゲーム開発かいはつ着手ちゃくしゅする。下北沢しもきたざわにアパートをり、1989ねん、ゲームかいはじめての自主じしゅ開発かいはつという方式ほうしきクインティ完成かんせいさせる。これが中規模ちゅうきぼのヒットとなって、資金しきんもとちち義雄よしお監査かんさやくとして株式会社かぶしきがいしゃゲームフリーク設立せつりつ

『ポケットモンスター』の原形げんけいとなる『CAPSULE MONSTERS』の企画きかくは1990ねん時点じてん開始かいししていた[2]。いくつかのゲームソフトを製作せいさくすることで収益しゅうえき会社かいしゃ存続そんぞくさせるとともに、ゲーム制作せいさくのノウハウをかさねた。このあいだも、ポケットモンスター開発かいはつつづけ、とうとう1996ねんポケットモンスター あかみどり完成かんせいさせ、爆発ばくはつてきなヒットによって世界せかいひろめることとなる。『ポケットモンスター あかみどり』の開発かいはつにおいては、「通信つうしん交換こうかん」などの基本きほんてきなアイディアをすところから、開発かいはつ後半こうはんにおいてはシナリオのなおしなどもおこなっている[4]

人物じんぶつひょう

ゲームクリエイターで東京工芸大学とうきょうこうげいだいがく教授きょうじゅ遠藤えんどうまさしんは、『ゼビウス』の開発かいはつしゃであり、田尻たじりにもおおきな影響えいきょうあたえた人物じんぶつである。遠藤えんどうは、『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』「特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」のおいコメントのなかで、田尻たじりを「1980年代ねんだいのビデオゲームのつおもしろさのエッセンスを、時代じだいにあったかたちつくつづけている。じつに硬派こうはなゲームデベロッパー」(以上いじょう引用いんよう)とひょうしている[2]

株式会社かぶしきがいしゃポケモン代表だいひょう取締役とりしまりやくクリーチャーズ代表だいひょう取締役とりしまりやく会長かいちょう石原いしはら恒和つねかずは、『テレビゲーム-でん遊戯ゆうぎ大全たいぜん執筆しっぴつちゅうに、アーケードゲーム領域りょういき知識ちしき歴史れきしもとめてひとさがしていたときに田尻たじり出会であっている。田尻たじりのおかげで、ほんづくりがおおきく前進ぜんしんしたことを「特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」のおいコメントのなかべている[5]

ゲームフリーク常務じょうむ取締役とりしまりやく増田ますだ順一じゅんいちとは、ゲームのきょくづくりができる人材じんざいさがしているときに出会であった[6]。『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』のインタビューのなかで、ポケモンの開発かいはつにおいて田尻たじり原案げんあん補強ほきょうしていっても企画きかく基礎きそがぶれなかったことをすごいところだと称賛しょうさんしている[4]。また、石原いしはら恒和つねかず宮本みやもとしげるからの助言じょげん柔軟じゅうなんかすことができたこともめており、また田尻たじり石原いしはら宮本みやもとられているからこそおおくの協力きょうりょくられた、とかたっている[4]

クレジット

本編ほんぺん作品さくひん

外伝がいでん作品さくひん

備考びこう

脚注きゃくちゅう

  1. 1.0 1.1 特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』2019ねん5がつ23にちごう、Gzブレイン、2019ねん、92ぺーじ
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』2019ねん5がつ23にちごう、Gzブレイン、2019ねん、72ぺーじ
  3. 3.0 3.1 3.2 特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』2019ねん5がつ23にちごう、Gzブレイン、2019ねん、73ぺーじ
  4. 4.0 4.1 4.2 特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』2019ねん5がつ23にちごう、Gzブレイン、2019ねん、84ぺーじ
  5. 特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』2019ねん5がつ23にちごう、Gzブレイン、2019ねん、75ぺーじ
  6. 特集とくしゅう ゲームフリーク 30ねん歴史れきし」『週刊しゅうかんファミ通ふぁみつう』2019ねん5がつ23にちごう、Gzブレイン、2019ねん、82ぺーじ

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