竹田の子守唄ふたたび、差別と貧困歌い継ぐ輪
永井啓子
京都市の被差別部落でかつて歌われた「竹田の子守唄」が、2日に市内で開かれる府水平社創立100周年記念集会で披露される。明治から昭和にかけ、貧しさの中で子守奉公に出された幼い少女が生活の苦しさを節にのせた歌で、部落解放同盟府連合会の女性らが、差別をなくすために歌い継ごうと練習を重ねている。
♯この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら
「いじる」は「意地悪する」で、「いうことを聞いてくれない子どもの守りを一日していると、やせる思いがする」という意味だ。
アレンジされた曲が、1960年代後半からフォークグループによって歌われた。それとは別に、元唄はいつ誰が歌い始めたか分からないが、地元有志が歌を覚えている女性から採譜。部落解放同盟改進支部の女性らが約20年前から歌い継いできた。だが、メンバーの高齢化が進み、4年前に活動を休止していた。
今回、部落解放同盟府連合会女性部が、メンバーの女性(87)らに「一緒に歌いたい」と申し出て、集会に向け練習を重ねてきた。女性は「多くは教育をほとんど受けられず、子守や鹿の子絞りの内職などで働きづめ、そんな地域の生活実態こそが差別の結果。もう一度歌って、世間に伝えたい」と話す。
歌詞は14番まであるが、各フレーズの最後には、力を込めてこう繰り返す。「どしたいこりゃきこえたか」
2日は、府内各地の30~80代の女性20人余で合唱を披露する。府連合会女性部長の新谷章恵さん(66)は「子どものつらさが凝縮されていて、最初は涙が出て歌えなかった。遊びたい、学びたい、いろんな思いがあったはず」と言う。「差別や貧困をなくすため、同じ京都の部落の女性として、歌い継いでいきたい」(永井啓子)
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