田中純一さん 災害から探る 助け合う社会
北陸六味
令和4(2022)年8月の豪雨から1年が経過した。被害があった石川県の小松市や白山市などでは、1年前の水害を振り返る学習会や催しなどが企画されたようだ。
1年が経過したからといって完全復興したわけではないことは前置きしつつ、記念日などメモリアルなタイミングには、多くの人の意識を共有する機会となることから、ここで改めて災害の教訓を検証し、次に備えることを考えることは大切だ。欲を言えば、自分事に加えて、ご近所の気になる隣人とのつながり、かかわりを見つめ直す機会にしてほしい。
その際、研ぎ澄ませてほしいことがある。まず災害時に他者の介助や支援がなければ避難が困難な人の存在へのまなざしだ。災害時に支援が必要な災害時要配慮者ゼロの地域など無い。災害時には自助が基本と言われるが、災害に強い社会は過度な自助の強調ではたどり着けない。そうではなく、ありのままの自分でいることが否定されない地域を創ることこそが災害に強い地域社会の基盤だ。
互いに助け合う関係性は座っていれば降り注いでくるものではない。カネを払えば得られるものでもない。関わらない限りは育たないもの、現れてこないものだ。
いまもなお復興に至らず苦しんでいる人や不安を抱えている住民がいる。こうした住民が一人でもいるのなら、傍らに寄り添い、復興を困難にしている要因や不安にさせている要因を探り、当事者の声に耳を傾け、改善・解決の糸口を共に探ってほしい。
すると当事者のその苦しみや不安は、必ずしも自然災害それ自体がもたらしているわけではないということに、つまり自然災害はひとつの契機であって、個人や世帯を苦しませる要因は災害が起こる前の私たちの社会の内部に潜んでいるということに気づくはずだ。そこに目を当てない限り、ひとたび災害が起きれば、同じような苦しみや不安を抱える人を生み出すことにもなる。既存の社会を批判的に捉えることは次の災害に備える重要なまなざしとなる。
自然との付き合い方にも目を向けよう。災害への備えというと、河川改修や防潮堤などの整備が議論される。こうした対策を否定するものではないが、ハード対策で自然を制圧できると考えることは人間のおごりである。猛威を振るういっぽう、私たちに恵みを与えてくれるのも自然である。自然とどう付き合っていくのか、そのことが問われている。(北陸学院大教授)
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