古墳こふん場所ばしょ史料しりょうどおりだった 県道けんどう工事こうじきっかけ、宅地たくちからしゅうみぞ発見はっけん

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たに晃子あきこ
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 兵庫ひょうごけん尼崎あまがさきにあるとされていた池田山いけだやま古墳こふんしゅうみぞ一部いちぶつかったと兵庫ひょうごけん教育きょういく委員いいんかいが17にち発表はっぴょうした。古墳こふん時代じだい前期ぜんきまつ(4世紀せいき後半こうはん)の前方後円墳ぜんぽうこうえんふん推定すいていされていて、はじめて場所ばしょ確認かくにんされた。

 しゅうみぞがあった場所ばしょは、塚口つかぐちさんまわり(やままわり)遺跡いせき一角いっかくやく460平方へいほうメートルで、県道けんどう工事こうじともな調査ちょうさしたところつかった。調査ちょうさになったけんまちづくり技術ぎじゅつセンター埋蔵まいぞう文化財ぶんかざい調査ちょうさによると、しゅうみぞはばやく13メートルで、墳丘ふんきゅうがわにはくずちたとされるふきせきがまとまっててきた。

 池田いけださん古墳こふんは、この地域ちいきさい有力ゆうりょくしゃはか全長ぜんちょう71メートルの前方後円墳ぜんぽうこうえんふんであると史料しりょうなどから推定すいていされていた。だが大正たいしょう時代じだい鉄道てつどう工事こうじなどのさい墳丘ふんきゅう全体ぜんたいけずられてしまい全体ぜんたいぞう把握はあくできていなかった。

 塚口つかぐちさんまわり遺跡いせきは、尼崎あまがさききた

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