国史こくしあと大御堂おおみどう廃寺はいじあと、120てん資料しりょう紹介しょうかい 鳥取とっとりけん倉吉くらよし博物館はくぶつかん

奥平おくだいらしん
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 来春らいしゅん開館かいかん予定よてい鳥取とっとりけんたて美術館びじゅつかんのすぐみなみひろがる国史こくしあと指定していされている古代こだい寺院じいんあと大御堂おおみどう(おおみどう)廃寺はいじあと」(鳥取とっとりけん倉吉くらよし駄経寺だきょうじまち)。その出土しゅつどひんなどを紹介しょうかいする展覧てんらんかい大御堂おおみどう廃寺はいじ 仏教ぶっきょうはなひらく はじまりのてら」が、同市どうしなかまち倉吉くらよし博物館はくぶつかんひらかれている。やく120てん資料しりょうならび、これだけのかず一堂いちどう展示てんじするのははじめてという。

 大御堂おおみどう廃寺はいじあとは、推定すいてい東西とうざいやく135メートル、南北なんぼくやく165メートル以上いじょうひろがる。7世紀せいきちゅうごろ(飛鳥あすか時代ときよ)の創建そうけんかんがえられ、平安へいあん時代じだい初期しょきごろまで存続そんぞくしていたと推定すいていされる。出土しゅつどした墨書ぼくしょ土器どきから、当時とうじは「久米寺くめでら」という寺院じいんめいだったとみられる。

 江戸えど地誌ちしにも廃寺はいじあとについての記載きさいがある。戦後せんご紡績ぼうせき会社かいしゃ工場こうじょうったが、工場こうじょう閉鎖へいさともない、1996ねんから本格ほんかくてき発掘はっくつ調査ちょうさ断続だんぞくてき実施じっしされた。

 金堂こんどうとう配置はいちから、福岡ふくおかけん太宰府だざいふの「観世音かんぜおんてらしきかんがえられ、地域ちいき有力ゆうりょくしゃくに権力けんりょくしゃ仏教ぶっきょう布教ふきょう拠点きょてんとしててたと推定すいていできるという。「大御堂おおみどう」は現在げんざい小字こあざめいだ。

 今回こんかい展示てんじでは、ずらりとならんだのきまるかわら(のきまるがわら)やのきひらかわら(のきひらがわら)がく。7世紀せいきから8世紀せいきにかけて、てら整備せいび拡充かくじゅう補修ほしゅうすすめるにつれかわら形式けいしき変化へんかしていく様子ようすかる。

 「全身ぜんしんぞう鬼瓦おにがわら」は、おに全身ぜんしん表現ひょうげんしたかわら以外いがい地方ちほう遺跡いせきでは出土しゅつどれいがないという。ながさ26センチの「どうせいさじ(さじ)」は、奈良ならせいくらいんおさめられているものと同形どうけいで、朝鮮半島ちょうせんはんとうしんからつたわったとかんがえられる。

 仏像ぶつぞう頭部とうぶにしがみ(らほつ)(いた毛髪もうはつ)と、それのかた展示てんじかた国内こくないで2れいだけ確認かくにんされているという。

 担当たんとう学芸がくげいいん田辺たなべあゆみさん(33)は「ていただきたいしなはすべてしている。寺院じいんとの関係かんけいしめしなもあり、ぜひあしはこんで」と来館らいかんびかけている。

 10月14にちまで。月曜げつよう祝日しゅくじつ場合ばあい翌日よくじつ休館きゅうかん料金りょうきん一般いっぱん600えん、70さい以上いじょう400えん大学だいがく高校生こうこうせい300えんわせは同館どうかん(0858・22・4409)へ。奥平おくだいらしん也)

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