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自分にとってウェルビーイングな会社とは? 藤田康人のウェルビーイング解体新書【25】:朝日新聞SDGs ACTION!
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自分じぶんにとってウェルビーイングな会社かいしゃとは? 藤田ふじた康人やすひとのウェルビーイング解体かいたい新書しんしょ【25】

自分にとってウェルビーイングな会社とは? 藤田康人のウェルビーイング解体新書【25】
インテグレート代表だいひょう取締役とりしまりやくCEO/藤田ふじた康人やすひと

著者_藤田康人さん
藤田ふじた康人やすひと(ふじた・やすと)
株式会社かぶしきがいしゃインテグレート代表だいひょう取締役とりしまりやくCEO。1964ねん東京とうきょうまれ。慶応義塾大学けいおうぎじゅくだいがく文学部ぶんがくぶ卒業そつぎょうあじもと入社にゅうしゃ。ザイロフィンファーイーストしゃげんダニスコジャパン)の設立せつりつ参画さんかくしてキシリトール・ブームを仕掛しかけ、製品せいひん市場いちばをゼロから2000おくえん規模きぼへと成長せいちょうさせた。2007ねん5がつ、IMC(統合とうごうがたマーケティング)プランニングを実践じっせんするマーケティングエージェンシー「インテグレート」を設立せつりつ著書ちょしょに『THE REAL MARKETING―つづける仕組しくみの本質ほんしつ』(宣伝せんでん会議かいぎ)、『ウェルビーイングビジネスの教科書きょうかしょ』(アスコム)、『ウェルビーイングでわる! しょく健康けんこうのマーケティング』(日本経済新聞にほんけいざいしんぶん出版しゅっぱん)など。

2013ねん4がつに「こう年齢ねんれいしゃ雇用こよう安定あんていほう」が改正かいせいされ、希望きぼうしゃ原則げんそく65さいまで継続けいぞくしてはたらけるようになりました。

厚生こうせい労働省ろうどうしょうによる「就労しゅうろう条件じょうけん総合そうごう調査ちょうさ結果けっか概況がいきょう」(2022ねん)によると、定年ていねんせいさだめている企業きぎょうは94.4%、さだめていない企業きぎょうは5.6%という割合わりあいだそうです。さらに、定年ていねんせいがある企業きぎょうのうち一律いちりつ定年ていねんせいさだめている企業きぎょうは96.9%で、そのうち定年ていねんを60さいとする企業きぎょうは72.3%、65さいとする企業きぎょうは21.1%となっています。

定年ていねんせいについて調査ちょうさした前回ぜんかい(2017ねん)の結果けっかでは、一律いちりつ定年ていねんせいさだめている企業きぎょうのうち60さい定年ていねんが79.3%、65さい定年ていねんが16.4%となっており、定年ていねん年齢ねんれいが60さいから65さいへと徐々じょじょ移行いこうしていることがうかがえます。

バブル時代じだいだい企業きぎょう入社にゅうしゃした世代せだいいま、60さい前後ぜんこう年齢ねんれいとなり、サラリーマン人生じんせい節目ふしめである定年ていねん時期じきむかえています。

おな企業きぎょう定年ていねん延長えんちょうしてさい雇用こよう希望きぼうするひとだけでなく、このタイミングに自分じぶん起業きぎょうしたり、リスキリングであたらしいことにチャレンジしたりと、おおくのひとにとって60さい人生じんせいのターニングポイントになります。

「就社」の時代じだいだい企業きぎょうした

わたし就職しゅうしょくをしたバブル時代じだいの1987ねん当時とうじは、大手おおて企業きぎょう就職しゅうしょくするために就活しゅうかつをするのが当然とうぜんでした。終身しゅうしん雇用こよう一般いっぱんてきであり、最初さいしょはいった会社かいしゃ一生いっしょうはたらくのが前提ぜんていという、いわゆる「就社」というかんがかた主流しゅりゅうでした。

転職てんしょくかんしてもきわめて保守ほしゅてきで、だい企業きぎょうめて中小ちゅうしょう企業きぎょうやベンチャーにてんずるなど、到底とうていかんがえられないという空気くうきなかおおっていました。

そんな時代じだいに、わたしは6年間ねんかん世話せわになったあじもとというだい企業きぎょうし、日本にっぽんではだれらないフィンランドの企業きぎょうとうじ、同社どうしゃのアジアでのビジネスげに参加さんかしました。28さいときのことでした。

大学だいがく卒業そつぎょうしてから6ねんあいだおおきな組織そしき必死ひっしはたらき、素晴すばらしい先輩せんぱい同僚どうりょう取引とりひきさき方々かたがたからおおくのことをまなばせていただきました。そして徐々じょじょにではあるものの、あたえられたミッションである程度ていど成果せいかせるようになってきた、そんな矢先やさきのことです。

あたえられたミッションをこなすだけでは満足まんぞくできない、自分じぶん可能かのうせいをもっとおおきなステージでためしてみたい――いつのころからか、そんな気持きもちがだんだんおおきくなっていました。

年功序列ねんこうじょれつとゼネラリスト育成いくせいをベースにした人事じんじ制度せいどだい企業きぎょうで、「世界せかい相手あいておおきなチャレンジをするチャンスが、自分じぶんにはいつめぐってくるのだろうか」という不安ふあんあせりがつのっていたこともたしかです。

そんなとき、当時とうじ協業きょうぎょうさきのグローバル企業きぎょうから、「日本にっぽんでの新規しんき事業じぎょう責任せきにんしゃにならないか」というオファーがやってたのです。ポジションとしては、同社どうしゃのアジアナンバー2ということになります。

わたしはこのオファーに、自分じぶん人生じんせいけようと決断けつだんしました。上司じょうしであり、たった1人ひとり同志どうしでもある2つ年上としうえのフィンランドじんともに、会議かいぎしつすらない東京とうきょう神田かんだちいさな雑居ざっきょビルの一室いっしつから、わたしたちはゆめ実現じつげんすべくあゆみはじめました。

周囲しゅうい酷評こくひょうにもめげず、運命うんめいしんじた

性格せいかくわたしとはせい反対はんたいだったものの、当時とうじ30さいのフィンランドじんかれとは年齢ねんれいちかく、さらにあじもと時代じだい一緒いっしょにプロジェクトをすすめるなかでいくつかのむずかしいテーマにともいどんでいたこともあり、はっきりとした信頼しんらい関係かんけいまれていました。かれとならなかえるようなおおきなことが実現じつげんできそうながしたのです。

優良ゆうりょう企業きぎょうとしてられるあじもとをたった6ねんめ、まだ実態じったいすらない外資がいしけい企業きぎょうのスタートアップにとうじたわたしを、周囲しゅういでもふれたかのように酷評こくひょうしました。そうわれることはわかっていたので、だれにも相談そうだんすることなく1人ひとりなやいたすえ選択せんたくでした。

転職てんしょくした会社かいしゃは、あじもとおな食品しょくひん業界ぎょうかいであり、商品しょうひんもかつて自分じぶんあつかっていたものに非常ひじょうちかいジャンルだったので、仕事しごと内容ないよう不安ふあんはありませんでした。一方いっぽうで、せっかく入社にゅうしゃできただい企業きぎょうのブランドをてることに不安ふあんがなかったわけではありません。

しかし、そのフィンランドの会社かいしゃと、のちわたしがアジア市場いちばはじめてデビューさせることになった製品せいひんに、その不安ふあん凌駕りょうが(りょうが)するおおきな可能かのうせいかんじていたのです。そして、「こんなおおきな好機こうきが、自分じぶんにとって絶好ぜっこうのタイミングでおとずれたことは運命うんめいだ」と、しんからしんじることができました。

なぜあのとき、あんなに純粋じゅんすいに「運命うんめい」をしんじることができたのかはわかりません。「てんこえこえた」とは、いまだからこそえるのでしょう。たった2人ふたりげたビジネスはその日本にっぽんで2000おくえんのマーケットをしました。

42さいおとずれた2度目どめ転機てんき

それから14ねんの2007ねん、42さいときわたしはもう一度いちどおおきな決断けつだんをしました。いまわたし代表だいひょうつとめているインテグレートをおこしたことです。

20年間ねんかんずっとメーカーという事業じぎょう会社かいしゃ立場たちば自社じしゃ製品せいひんのマーケティングをしてきたわたしが、今度こんどはコンサルティング会社かいしゃとして、さまざまなクライアント企業きぎょう製品せいひんやサービスのマーケティングを支援しえんするという、それまでとは反対はんたいがわつことになりました。

しかも、以前いぜんのように、資金しきんめんなどをサポートしてくれる親会社おやがいしゃもありません。自分じぶん工面くめんした資金しきんだけで、ゼロからビジネスをげたのです。

そんなリスクをってまでなぜ、あたらしいチャレンジをしようと決意けついしたのか。

理由りゆうは、インターネットの登場とうじょうによるマーケティングの変革へんかくです。テレビCMなどマス広告こうこく中心ちゅうしんとした従来じゅうらいのマーケティングモデルが、デジタルの普及ふきゅうによって日本にっぽんでもあきらかにわっていくことを、2007ねん当時とうじ確信かくしんしたからです。

ソーシャルメディアのようなあたらしいメディアや、スマートフォン(当時とうじはまだブラックベリーが主流しゅりゅうでした)のようなあたらしいデバイスの登場とうじょうで、アナログとデジタルが融合ゆうごうし、次世代じせだいのまったくあたらしいマーケティングモデルに進化しんかしていくことが、明確めいかくにイメージできたのです。

そんなあたらしい時代じだいおもて舞台ぶたいで、おもいっきりマーケティングにんでみたい。それも自社じしゃ製品せいひんだけではなく、さまざまな業種ぎょうしゅ業態ぎょうたい企業きぎょうつく製品せいひんやサービスのマーケティングを手掛てがけてみたいとおもったのです。

そのためには、これまで所属しょぞくしていた事業じぎょう会社かいしゃから、コンサルティング会社かいしゃ広告こうこく会社かいしゃという支援しえんがわにポジションをうつさなければなりません。

しかし、42さいまで支援しえん会社かいしゃ発注はっちゅうするがわにしかいたことがないわたしを、有力ゆうりょく会社かいしゃが、希望きぼう業務ぎょうむたずさわるポジションで採用さいようしてくれるだろうか――。

こたえはかぎりなく「No」だとおもいました。それならば当時とうじわたしまわりにいた優秀ゆうしゅうひとたちとともに、自分じぶん次世代じせだいのマーケティングを実践じっせんできる会社かいしゃげようと決心けっしんしたのです。

みっつの会社かいしゃ経験けいけんしておもうこと

渋谷しぶや千駄ヶ谷せんだがやのマンションの一室いっしつで、9にんでスタートしたインテグレートは、当初とうしょから試行錯誤しこうさくご連続れんぞくでした。

有力ゆうりょく大手おおて広告こうこく会社かいしゃはばかせる業界ぎょうかいにあって、自分じぶんたちの存在そんざいをアピールするのはけっして簡単かんたんではありませんでした。

苦労くろうすえ、ようやく仕事しごとはじめると、今度こんど人手ひとでりなくなります。その都度つど人材じんざい募集ぼしゅうをかけてみるのですが、できたばかりのちいさな会社かいしゃに、経験けいけんゆたかで優秀ゆうしゅう人材じんざいはなかなかてはくれません。それでも、徐々じょじょにわれわれの目指めざあたらしいマーケティングのスタイルに共感きょうかんしてくれる同士どうしあつまりはじめました。

最高さいこうのマーケティングをクライアントに提供ていきょうしたい」というあつおもいをみないだき、せまいオフィスでよるてっしてディスカッションしては、企画きかくしょげ、クライアントにプレゼンする毎日まいにちつづきました。

そんな努力どりょくすこしずつみのり、徐々じょじょひとえて100にんちか優秀ゆうしゅうなメンバーがあつまり、素晴すばらしいチームが出来上できあがりました。

だい企業きぎょうには、長年ながねん歴史れきしつちかったさまざまな有形ゆうけい無形むけい資産しさんがあります。わたしふたつのベンチャー企業きぎょうなにとかやってられたのは、あじもと時代じだい人脈じんみゃく、ビジネススキル、ネットワークがあったおかげです。

ベンチャー企業きぎょうには、だい企業きぎょうのように豊富ほうふ資産しさん安定あんていもありません。しかし、おおきな希望きぼうとチャンスがあります。自分じぶんげればなにでもできる、まかせてもらえる機会きかいだい企業きぎょうくらべてはるかにおお存在そんざいします。そして未来みらいへのゆめあつかたりあえる仲間なかまたちがいます。

就職しゅうしょく転職てんしょく起業きぎょうは、自分じぶん人生じんせいまるほどのとてもおおきな決断けつだんです。ひとにとってしあわせの価値かちかんはさまざまです。安定あんてい重視じゅうしするひともいれば、ゆめもとめてチャレンジするひともいる。

わたしみっつの会社かいしゃ経験けいけんして、やはりウェルビーイングの最大さいだい要素ようそひとではないかとあらためておもうのです。

大事だいじなのは、どこではたらくかではなく、なに目指めざしてだれはたらくか」であると。

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