太平洋戦争末期、大分県上空で米軍B29爆撃機と交戦し「体当たり」をして墜落したとされた旧日本軍の戦闘機「紫電改」。同県竹田市の山中で、その残骸とみられる破片が大量に見つかった。今春以降、地元住民らが戦後初めてとなる捜索を実施。フロントガラスと思われる破片の塊など約50点が確認された。亡くなったパイロットの粕谷欣三さんは19歳だった。B29も墜落し、後に九州帝国大(現九州大)で生体解剖され命を落とした米兵も搭乗していた。関係者は戦争の記憶を伝える遺産として保存していく考えだ。
紫電改は太平洋戦争末期、本土防衛を任務として登場した戦闘機。空中戦の主力だった零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を上回る高速性を持ちながら、空襲や資材不足などで約400機の生産にとどまった。戦後、海中から引き揚げられた機体が1機残っており、愛媛県愛南町の「紫電改展示館」に展示されている。
空中戦があったのは1945年5月5日。熊本、大分県境付近でB29と交戦した紫電改が山中に墜落。粕谷さんは息絶えた。B29の搭乗員はパラシュートで脱出した。そのうち、捕虜となった8人は九州帝国大で片肺切除などの実験手術を受けて死亡している。
紫電改の残骸調査を提唱したのは地元在住で、母親が粕谷さんの遺体の元に駆け付けた小林正憲さん(69)。戦争捕虜の調査研究をしているPOW研究会(東京)が現地でB29の残骸を捜していると聞き、今年4月から紫電改の調査を合同で行うことにした。落下地点を伝え聞く住民の証言に基づき、7月まで6回、川沿いなどを掘り起こした。
見つかったのは、親指大のガラス片の塊や、機体の旋回性能を上げる両翼の「空戦フラップ」の一部で、海軍のいかりの文様が入った関連部品、機体に装着されたベルトの留め具とみられる金属片などもあった。
紫電改の墜落や粕谷さんが亡くなった史実は、捕虜の生体解剖というショッキングな出来事に埋もれがちだった。今回発見された残骸を保存し、後世に伝えることで、小林さんは「(若くして戦争の犠牲となった)粕谷さんに思いをはせてほしい」と願う。これからも地元にある粕谷さんの鎮魂碑の手入れは続けていく。
■原因は「体当たり」ではなく「空中分解」海軍資料
大分県竹田市の山中から見つかった旧日本海軍の戦闘機、紫電改の残骸とみられる破片。西日本新聞がPOW研究会の協力を得て入手した海軍の資料によると、機体の最後は「空中分解」だった。地元では長く、紫電改は米軍のB29爆撃機に「体当たり」したと伝えられており、実態を聞いた関係者も「水を差す」として他言していなかった。
この紫電改のパイロットだった粕谷欣三さんの鎮魂碑は1980年に竹田市に建てられた。碑文には、その最期が「(B29への)果敢な体当たり」だったと刻まれている。B29の乗組員とともに慰霊される「殉空の碑」(77年建立)にも同様に記され、西日本新聞もこれまで「体当たり」だったと報じてきた。
当時、小学生だった地元の男性(84)は本紙の取材に「紫電改は落下しながらB29とすれ違い、U字カーブを描いて上昇しながらB29にぶつかった」と話しており、こうした住民の証言から「体当たり」説が広まったとみられる。
ただ、粕谷さんが所属した部隊「第三四三海軍航空隊」の殉職者や戦死者などの最期を記した海軍の文書によると、機体は「空中分解」したと明記されている。
粕谷さんの乗る紫電改は、1945年5月5日午前7時26分に長崎県の大村航空基地を出発。同8時5分、10機のB29を大分、久留米間上空に発見すると、直ちに攻撃を始め、大分県に突入した。後尾を飛ぶB29に後方の下側から攻撃し、B29が火を吹いた瞬間に空中分解したという。
地上から「体当たり」に映ったのは、確実に射撃するために接触しかねないほどB29に接近したためとみられる。だが、この攻撃の前に、空中分解に至るような大きな負担が紫電改にはかかっていた。
粕谷さんと一緒に編隊を組んだ隊員の手記に加え、別の隊員やB29の機長の証言によると、B29に近づくと「ハリネズミのように八方から弾が飛んできた」といい、接近するための対策として考案したのが「垂直背面攻撃」だった。
あの日もこの攻撃を敢行していた。紫電改は、B29よりも上空で上下反転して垂直に落ちるように突撃。B29との擦れ違いざまに射撃し、エンジンを出火させた。そして紫電改を引き起こした際、機体に大きな負荷がかかった。飛行速度が遅くなったB29を追い、すれすれを通過しながら射撃した瞬間、紫電改は空中分解したとみられる。
海軍飛行予科練習生に入り、終戦前はロケット戦闘機「秋水」に乗る瀬戸際だったという三宅清隆(93)さん=熊本県和水町=は戦後、交流が生まれた三四三航空隊の元隊員から「空中分解」と聞いていた。
粕谷さんの鎮魂碑をたびたび訪れてもいるが、他言はしなかった。「せっかく体当たりって祭っている。水を差すことは言わん方がよかろうと考えた」。敵機への体当たりを美談とする風潮に加え、機体の整備部門への影響も考慮し、口をつぐんできたという。
=2018/11/30付 西日本新聞朝刊=